第二十三話『宴の席で』
「なるほど、そう言った事情じゃったのか」
二人から説明を聞き、ようやくご隠居は得心がいったのか頷いて答える。その表情にはありありとした安堵の表情が浮かんでいた。そのあまりにも晴れやかな表情にユラは唯でさえ女性的な風貌に化粧を加えたためもう美女にしか見えない顔立ちに不思議そうな表情を浮かべた。
「なんで師匠、そんなに安心しているのさ」
「いやのぉ……、ついついお前がとうとう男と結婚したのかとおもってのぉ……」
しみじみと呟くご隠居に対してユラは一秒で激怒した。
スカートを捲り上げながら鋭い中段蹴り、すぱん、としなる鞭のような速度と威力に満ちた一撃だったがご隠居はそれを軽々とかわす。いきなりのユラの凶行に顔を蒼くしたのはフェルシアとレティシアの二人であった。なまじご隠居がこの国最大の権力者と知っているだけあって驚きも普通ではない。
「おいおい、なにするんじゃ」
実にのんびりした様子で平然と答えるご隠居、その彼に怒りの眼差しを向けるユラ。
「いくら師匠だからって今の台詞は許さない!! 僕は普通に可愛い女の子が好きな正常な男だ!!」
その叫びと共に飛び掛るユラ。げらげら笑いながら真っ向から迎え撃つご隠居。がっぷりと組み合い、双碗の筋力と筋力がぶつかり合う。
両者とも頭を振り上げて頭突きをお互いの脳天に叩き込む。そのまま両腕と額で力比べに移行する二人。
大陸最強の戦士と見た目可憐な美女の力比べが成立することは見た目かなり妙な光景であった。唖然とするフェルシアとレティシア。
「ぬ、おお??!!」
ご隠居が少し驚いたような声を上げる。拮抗していたはずの筋力のバランスが少しだけではあったが崩れ始めたのだ。
老いたりとはご隠居の身体能力はユラを上回る。実際少し手加減するほどの余裕があったご隠居だが、今は彼の予想を超えてユラが圧倒し始めていたのだ。
「取り消せぇぇぇぇぇぇぇ!!」
平時ならばユラに勝ち目はなかっただろう。だが胸に滾る怒りのエナジーを燃やし、限界を超えるパワーを引き出すユラ。自分が変態で無いということを証明し、ご隠居の許せない一言を訂正させる為に全力を出し切るつもりであった。その力に思わず目を剥いて笑うご隠居。想像を絶するパワーに驚きと嬉しさで顔が綻ぶ。
そのパワーに圧倒され、背筋が後方にのけぞるご隠居。大陸最強の戦士を筋力で屈服させるという偉業を成し遂げようとするユラにフェルシアもレティシアも言葉もない。
強大な筋力でご隠居の背筋が後ろに傾く。それをご隠居はげらげら笑いながら頭頂を地面に叩きつけ、ブリッジの姿勢でこれに耐える。
「おい、昼飯が出来たぞ」
そんな時、道場への扉が開いてガラが顔を出した。食事の用意が出来たのか、以前ユラが使っていた可愛い『漢』エプロンが胸元ではためいている。
ガラはとりあえず道場で繰り広げられるマッスルな死闘を見ながらぼそりと呟いた。
「なんだ、ユラ。お前ご隠居を押し倒したいのか」
確かにそう見えないことも無い。
ご隠居の貞操を狙ってその煩悩の力で圧倒し、捻り伏せようとしているという解釈が出来なくも無い。
ユラはその一言に息を止めた。
まるで絶対に自分に酷い事をしないと信じきっていた相手に殴られたようなびっくりした表情で静止する。
ご隠居を圧倒していたその双腕は力なくぺたんと垂れ下がり、両足は自重を支えることすら出来なくなって後ろに崩れ落ちる。
「ユラ君!! 男同士で結婚するとは実に結構な話だがなぜその相手が私じゃないんだ!!」
「お姉様!! お姉様の筋肉を独り占めする幸せさんはどこのどいつっすか!!」
靴音を鳴り響かせ、怒り狂いながら扉を蹴破り姿を現す変態兄妹。
だが、二人は道場でぺたんとしりもちを付いて、怒りを堪える様にするユラを見て首を傾げる。
拳を震わせてユラは、叫んだ。
「ぼ、僕は、僕は……僕はレニじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「ほ、ほえ?」
いきなり自分の名前を絶叫された本人は事情の説明を求めるように辺りを見回した。
「確かに自分、スーパーマッスルなご隠居を押し倒したいと思ったっすけども、いきなり名前を叫ばれてびっくりっす!!」
事情の説明を受けたレニは、あの後ガラが作った鍋を全員でつついている。
ちなみに押し倒したい相手といわれたご隠居は寒気を感じたのか、「す、すまん、わし手洗い借りるわ」といってびくびくしながら席を立っている。
「それにしても、自分もお姉様とご隠居のマッスル対決を是非この目で見たかったっす」
実に残念そうに呟くレニに、「そ、そう?」と居心地悪そうに答えるフェルシア。彼女からしてみれば地味で見ごたえの無い純粋な力比べは面白いものと思えなかったのだろう。だが、筋肉大好きな彼女にとっては非常に興味をそそる内容だったのか、恨めしそうにしている。
「ところで、ユラの舞踏の仕込みはどんな具合なんだ?」
すでに鍋奉行になって肉と野菜を結構アバウトに放り込むガラは、ふーふーと息を吹きかけ冷ましているレティシアに尋ねる。舞踏などにはまるで造詣の無い彼は良し悪しがまるでわからない。他人の評価で判断するしかなかった。
「練習初日の付け焼刃としてはかなり上出来。後はフェルシア君がうまくカバーできるかでかなり大きく変わるわね」
「任せて下さい」
「任せるぜ、親友」
フェルシアの隣に座っていたユラが言う。
ちなみにそのユラの隣にはレニが座っている。見た目的には男、女、女であるが、その実は女、男、女でありある意味両手に花といえなくも無い状況。しかしユラ自身はフェルシアの事を親友と思っているし、レニの事は天敵と判断している。残念ながらあまり色恋沙汰とはいえない構図である。
と、そこで手洗いから戻ってきたご隠居は、椅子に腰掛けながら言う。
「ところで、あの話は聞いておるか、お前ら」
「は? 話ですか?」
間違えて半煮えの肉をとってしまったジオがご隠居の唐突な言葉に尋ね返す。
「うむ、孫……じゃなくて、セレネア姫がなんでもおぬし等の婚約発表予定の夜会に出席するそうじゃな」
ぴたり、と全員の鍋を漁る箸を持つ手が止まった。悩み深そうなな表情を浮かべる。夜会の主催者側の人間であるフェルシアから聞いていたのだろう。目に見える動揺はなかったが、全員が不可解に感じていることは確かだった。
「でも姫様って今まで夜会に出た事は一度も無いんだよね?」
「その事は私も聞いているが、……正直信じられない。何か特別な理由があるのかもな」
ユラとフェルシア、セレネア姫の夜会出席の元凶、特別な理由二人は仲良く顔を見合わせて首を傾げた。
事情を知る第三者がいれば白々しさ極まると感じたであろう。しかし神ならぬ身の二人には姫君の心の中を理解出来るはずもない。彼女の心を占めている感情を理解するには情報もなかったし、何よりどちらも色恋沙汰に関しては未熟者であった。
恐らく、と、ご隠居は心の中で呟く。
ユラとフェルシア。この両者に関して孫娘は特別な感情を抱いているはずだ。
かたや幼少の頃から一緒にすごした乳兄弟。かたや自分の危機を救ってくれた剣士。好感を抱くきっかけは両者ともある。二人とも良く出来た人物であることはご隠居は知っている。孫娘が好くのも無理からぬことだろう。
駄菓子菓子。
もし、フェルシアの事をセレネアが好いていたとしても。フェルシアは実は女性である。
それを解決するには、実は可愛い孫娘のセレネアが実は王子であったというお爺ちゃんもびっくりな秘密がなくてはならない。もしそんな秘密があったらディアスヌをこの手で斬り殺してやる。天下を再び戦乱の時代に巻き戻す危険な事を考えながらご隠居は思考を進める。しかしまぁ、女同士であったとしても祝福してやるべきか。ご隠居はジオを見た。同性であろうと愛を貫くこの男もいっそ天晴れな変態と言うべきか。ご隠居の自分への視線に怪訝そうな表情をするジオ。
では、もしユラの事をセレネアが好いていたとしたら。
これは問題がないというべきか。ユラは女性のふりをしているが実は男性だ。健全なカップルというべきなのだろう。
だが、そこで不安を抱く。
セレネアがユラの事を好いていると仮定したら、可愛い孫娘は男性と知らぬまま恋心を抱いたということになる。それがまずいとは言わないが、国家の支柱ともなるべき皇族が同性を好いているとしたらディアヌスは激怒し、仲を引き裂くだろう。為政者としては正しい判断かもしれないが、孫を愛する爺としてはそれは許せない。阻止しなければ。
「やはり、息子を斬り殺さねばならんか」
ぼそりと呟くご隠居。
その呟きが帝国を揺るがす危険極まるものであると理解している、ご隠居の正体を知っている人間は全員食べていたものを吹き出し、げほげほとむせて、
「……訳わかんないっすね、お姉様」
「……そうね」
一斉に吹き出した人々を見て、ご隠居の正体を知らないユラとレニはお互い仲良く顔を見合わせ、んー? と首を傾げていた。
そして。
とうとう。
とうとうその日が来た。
ユラは入場口の中から会場をこっそり見る。眼前に広がる今まで自分の人生にかすりもしなかった華麗で豪華な光景を盗み見ながらユラは少しくらくらし、壁に自重を預けた。足元が心もとない。女性用のハイヒールに足を通しているからだ。ここ数週間ハイヒールに慣れるために機会があるごとに履いていた。こんなものを履いていて女性は大変だなぁ、というのがユラ=イサオミの感想だった。そんな本人も義姉にじゅんびしてもらったドレスに既に着替えている。
「……いたい」
「すまないね、親友」
まだ履きなれないハイヒールは歩くのにも難儀だし、付け焼刃で履き続けるには辛い。
歩きにくいユラを手助けするようにフェルシアは手を差し伸べる。その手に自分の手を絡ませ、ユラはバランスの悪い自分の体を慣らす。ここ数日で修行に修行を重ねたが、それでもやはり慣れない履き物は辛い。
そんなユラを手助けするようにフェルシアが手をさし伸ばした。その手につかまるユラ。
「ありがと」
「どういたしまして。じゃ、いこうか、花嫁」
「ああ、行こうか花婿」
そこまで言ってユラとフェルシアはしばし沈黙する。
自分達の外見を考えれば、その呼称は決して間違ってはいない。間違ってはいない、正しいが、それでも納得できる事かは又別の話であり。お互いの顔を見合わせて押し黙りじっと見つめあうこと数秒。
「……僕はできるならお婿さんになりたいな」
「……私はできるならお嫁さんになりたいぞ」
お互いがお互いをうらやましく思う変な偽カップル二人はそう言ってヤケクソのように笑ったあと、会場への扉をあける。
一気に視線が二人に集中し、拍手が満ち溢れる。その中を歩く二人の見た目美男美女、その実性別逆転カップル。
バルアミー男爵家の夜会は首都ドーベルトの中でもかなりの規模を誇った。自宅、と呼ぶにはあまりにも華美で大きな屋敷には室内で宴会に参加する人もいれば、無料で道行く人に振舞われる杯と料理も居る。
果たしてこのクラスの宴会を実行するには、お幾らお金が掛かるのかしらとかなり所帯じみた考えが自然と浮かんでくるユラは、感心したような呟きを漏らした。規模が違う。これでは前にジオ=ジンツァーの家で勝手に飲み食いした量など霞のようなものだろう。
「ふぇぇぇ……」
自然と感心したような呟きを漏らすユラ。
だが宴会に参加している人々から好意的な視線が雨あられと飛んでくれば自然と表情も引き締まる。誰もに好感を抱かれるようなたおやかな笑みを浮かべてユラはいちいち挨拶を返していく。
「……しかし、姫様の夜会出席があって助かったな」
フェルシアの言葉にユラはこっそりと頷いた。
この夜会の主立ったイベントはユラとフェルシアの婚約発表、だった。だが今では主役は逆転している。
それはユラもフェルシアも理解していた。バルアミー男爵の婚約発表ともなれば社交会にとっての一大イベントとも言うべきだろう。だが、もう一方のイベントに衆目の目は完全に眩まされていた。
こんな華やかな宴に参加することなど初めてのユラでも理解できる。皆が皆、どことなく浮き足立ったような感じなのだ。ユラとフェルシアに惜しみない拍手と祝福の言葉を投げかけてはくれている。だが誰もが心を既に別の事柄に移していることは明白だった。
皆今か今かとすでに入れ替わった主賓の存在を待ちわびている。
といってもユラもフェルシアも、乱入者に近い参加を行ったセレネアを疎んじていると言う訳ではない。
フェルシアにとっていまだに一度も夜会に出席していない自分の乳兄弟が参加してくれるのは嬉しかった。ユラにとっても内気な姫君が進んで人と交わろうとしてくれていることはありがたかった。
これを切っ掛けに社交的になって友達がたくさん増えたらユラも晴れてお役ごめんになり、宮中勤めの任期も早く開けるかもしれない。まあそこまで期待するのは無理だろうけども。
そう思うユラとフェルシアの視線の向こう、会場への入り口から大勢の視線を一身に集める少女の姿が見える。
楚々とした風情の少女、彼女がそこに居るだけでその辺りが花園に変じたような雰囲気を持つ少女は少なくとも外見上にはなんら動揺も見せずにしずしずと歩んでいた。真っ白な、そこにあるだけで華となりうる少女の存在に目が釘付けになる。
「……姫様、お綺麗だねぇ」
「ああ……」
一方の主役であるはずのユラとフェルシアの二人。だが、二人とも素直に人々の注目を集める姫君の姿に賛嘆の呟きを漏らすしかなかった。婚約の発表もなんのその。もはや夜会の主人公はセレネアであり、それはもう既にこの場に居る全員が認めることだった。
ただ見惚れるしかなかったユラとフェルシアの方へ、セレネアがゆっくりと歩いてくる。ユラのような付け焼刃のレディとは違う本物の匂いがした。これで今まで一度も夜会に出席したことがないというのだから恐れ入ったもんである。
はっきりと表情が見えるぐらいの距離まで近づいたユラとフェルシアに、セレネアは花のような微笑を見せた。
何かお言葉を賜るのだろう。そう思った出席者の目が集まる。
近くで二人を見てセレネアは、なんとか微笑むことだけは成功していた。
祝福を、しなければ。
目の前の二人は彼女の親しい人二人、おめでとうございますの一言を言えばいい。言えばいいのに。たったそれだけなのに。
仲良さげに隣に並ぶ二人の姿を見ていたら胸の痛みはもう耐え切れない程になっていた。
折角二人に掛ける祝福の言葉を用意したのに。
婚約する二人におめでとうの言葉を飾る名文を必死で練習したのに。
愛しく思う胸の痛みは堪え切れないものになっていた。
瞳の奥が熱い。
手のひらに妙な痒さを感じる。
胸の奥の動機が変に早い。
頬を伝うしずくの熱さを感じ、地面が縦に起き上がる。自分が倒れているのだな、と一瞬遅れて感じた彼女の瞳には、盛大に狼狽するユラとフェルシアの姿があった。




