第二十一話『フェイクカップル』
兄と義姉の虐待が終わり、入れ直された紅茶の香気が漂う中、ようやく話は本題に戻る。
ちなみにユラは罰として給仕役を勤めさせられ、椅子に座ることを許されていない。女官として出仕しているので慣れた手つきで紅茶を入れるユラ。それが終わるとお茶請けとしてお菓子を用意している。
その堂に入った立ち振る舞いになんか正直微妙な気分でガラは見ていた。女性の衣服を着ているときならまったく違和感のない動作でも、フェルシア男爵の衣服を借りている今では、貴族の御曹司手ずから給仕をさせているようでどことなく落ち着かない。ご隠居がユラに剣を教えているのを眺めている時もこういった落ち着かなさを感じていた。
もっともそういったことを気にしているのはガラ一人だけらしく、ユラもレティシアもフェルシアも皆、微塵も気にしていないようだった。
「でね、話を戻すわ。……私とガラは既に結婚を前提にしているけども、まだ公表はしていないのよ」
レティシアの言葉を引き継ぐフェルシア。
「ええ。で、私の叔父貴に当たる方が縁組を組むのが好きな方なんだ。……この人は私が実は女性であることは知らず、どんどん話を持ってきている。だが、受けられるはずがないのはわかりますね?」
頷くユラとガラ。大貴族の御曹司と思っていた人が、実は女性であったと知れれば双方面子の丸つぶれになる。そもそも成立のしない結婚なのだから。
「で、そこでレティシア様に話を持ってきたわけだ。……私もかなり断り続けてきたから、いい加減受けないと叔父貴の顔を潰してしまう。……だからレティシア様には真実を打ち明けて話をあわせてもらおうと思っていたんだが、……これで今回二人とも結婚出来ない立場であると分かった」
「だが。と、なるとまた別の縁談が来るな」
「私の方から縁談は断らせてもらうことで今回は乗り切れる。……でも」
ガラとレティシアの言葉にフェルシアは頷く。
一度話を断っても、すぐに別の話が来るだろう。なにせバルアミーの次期当主。狙う女の数はかなり多いはずだろう。
うーん、と頭を抱え項垂れる三人。その様子を見ながら、ユラは親友のつらそうな顔を見て言う。
「ねえ、親友。そしたら、君に恋人がいれば良いってことだよね? 君の事情を知っていて、期間限定で恋人の振りをしてくれる人がいれば叔父貴の紹介も断る事が出来るんだよね?」
「……まあ、そうだが、そんな都合のいい人がいる訳が……」
項垂れていたフェルシアは、頭を上げて親友の言葉に反論しようとして、そこで自分を指差しにっこり微笑んでいるユラを見た。
「まあ、そりゃ股座に余計なものは付いているけども、見れくれなら十分女。女装暦は年齢と同じで、事情を一から十まで知っていて、後腐れなくすっぱり分かれることを了承してくれる人だよ?」
そのユラの提案にガラはなるほど、と頷く。
「確かに。王宮で働いている最中、知り合ってお互いを好き合って、夜会での婚約発表という形なら自然ではあるな」
「ええ。事情もすべて知っている。これほどうってつけの人材は居ないわ」
頷く夫婦。フェルシアはだが、ユラの発言に激しく動揺しながら立ち上がる。男性の姿に戻った親友を見た。
「だけども、ユラ。君は本当は男性なのに、女性として結婚するなんて……不愉快じゃないのか?!」
「偽装結婚でしょうに。第一親友が困っているんだ。助けるのは当然じゃないか。……今まで友達が作れない境遇の僕が初めて友達のために何か出来るんだ、結構嬉しいんだぜ?」
確かにユラの言うとおりだろう。偽装結婚を行う相手役として彼ほどうってつけの人物は居ない。
フェルシアは、ユラを見た。自分と同じ境遇の人。同じ悩みを分かち合える人。
「……頼って良いのか? ユラ」
「水臭いぜ、親友。……友達ってのは、こういうとき、助け合うもんだろ?」
ユラのその言葉に感極まったのか、フェルシアはユラをひしっと抱き締めた。今回は性別が逆転していない出で立ちの二人は、愛の抱擁にしか見えない、熱い友情の発露を交わしながらお互いを大切に抱きしめた。
「……見た感じお似合いのカップルね、ガラ君」
「まったくだ」
そう呟くと、感極まっているらしい二人から視線をそらす。
夜会での発表ならば、まず舞踏が必要になるだろう。剣術で鍛えたユラの体ならば体力には問題がない。だがたっぷりと女性側の舞踏をユラに教え込まなければならないのだ。おそらく女官の仕事を休んでの猛特訓になる。
剣術の道場でしばらくはリズムを踏む音が響くだろう。ガラとレティシアはこれからの仕事に闘志を新たにした。
セレネア姫は最近元気がなかった。
それもこれもみんな、彼女の憧れのユラ=イサオミが先日バルアミー男爵と初対面でいきなり抱擁した日からずっとの落ち込みようだった。
「姫様……どうなさったんですか?」
心配そうに彼女付きの女官、ササメが心配そうにセレネアの顔を見る。
姫君の残り物を夜な夜な食す変態的嗜好の持ち主の彼女であるが、それゆえにただでさえ食の細い彼女の食欲が更に落ち込んでいる事を残飯の量ではっきりと理解していた。もちろん一粒残さず食している。
「いえ、……なんでも、なんでもないんです」
微笑むセレネア。普段なら笑みひとつであたりに花が咲くような雰囲気の人であるのだが、その日は微笑みにどこか寂しさの陰が含まれていた。ササメは心配そうな表情で彼女を見る。
(……奴か、奴のせいなんべか?!)
彼女は心の中で一人の女にしか見えない男の影を思い出す。ユラ=イサオミ。ドーベルトの先帝、バッカニアス陛下直々の命令で彼のサポートを命じられている男だ。だが、奴の部屋に行った直後、姫様はどこか思い悩んでいるように思えた。
無理強いするような人格ではないことは、ササメ自身理解している。だが、彼がもし姫様を泣かせるような事をすればそれこそバッカニアス陛下のご意思に背いてでも誅殺してやる。
そう考えたところで、ササメはユラに関して報告しなければならない事を思い出した。
「あ、そうですわ、姫様。ユラさんから連絡を」
「え?!」
セレネアの表情が華やぐ。先ほどまでとは違う、明らかに喜色に満ちた寂しさの陰を一片も含まぬ心の底からの喜びの笑みだ。
「夜会に出席するため、しばらく舞踏の練習に励むそうです。ので、しばらく出仕できないと」
「夜会、ですか?」
人見知りの激しい彼女には見知らぬ人が大勢集まる場所に出るという事は恐怖を伴うことだった。
憧れの彼女としばらく会えないのは悲しいが仕方ない。セレネアは夜会に出て何をするのだろうと興味を持ったのか、尋ねる。
「ユラ様、何かそこでやらなければならないことでもあるのでしょうか?」
「ええ、何でもバルアミー男爵との婚約発表を行うそうで」
一瞬、セレネアは何を言われたのか理解できなかった。
婚約発表。つまり結婚するという事の事前発表。要するに、それは、結婚するということで。
つまり、バルアミー男爵と、ユラは結婚するということで、すなわち二人は好き合っていると言う事で。
そう連想した途端。
胸が痛くなる。
とても、とても。耐え切れないような痛みが走る。瞳の奥が熱く苦しくなり、無性に苦しくなる。
会ってみたかった、ユラとフェルシアに。会ったらとても怖い思いをするかもしれないという予想は付いた。実際に会ってみると想像するだけで彼女は指先に震えを覚える。
ササメの声をどこか遠くで聞き取りながらセレネアは息を呑んで苦しみを押し殺す。
会いたい、会わなければ。このままでは自分はこの意味不明の苦しさで息絶えてしまう。会えばもうどうにかなってしまうかもしれない。そういった恐怖はあったが、その体に流れる英雄王の血は逃げる事を許さぬ誇りも受け継いでいた。
「……ササメ」
「は、はい、姫様!!」
ようやく自分の声に答えてくれたセレネアに、ササメは目尻に涙を浮かべながら答える。
そんな彼女にセレネアは、今までの人生で一度も出したことの無い様な意思の硬さを感じさせる言葉を言った。
「私、その夜会に出ます」
「え? えええ?? ほ、本当ですか? 姫様!!」
ササメが驚くのも無理は無い。なにせ人見知りが激しく今まで一度も社交界に出たことの無い人の突然の出席希望である。
「本当。私、その夜会に出ます」
二度三度、意思の確認を許さない断固とした口調で言い切られ、さすがにササメもそれが姫君の気まぐれな一言ではなく、確たる意思に基づいたものであることを確認し、頷いて、セレネアの部屋を出る。
セレネア姫の夜会出席の報はほんの一日、凄まじい速度で首都中に広まっていった。




