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第二話『暴れん坊カイザー』

 ガラ=イサオミにとって、弟は大事な肉親である。

 父が亡くなり、母も他界してからは変な遺言で女として生きていかなければならなくなった弟をなんとかして守っていこうと墓前に誓った。

 誓ったが、近年、もう一つ悩みの種がある。




 ガラ=イサオミの父親は、東方半月の国から喪装王に従いこの大陸にやってきた武人の一族であったが、故国では同時に小さいながらも平民の少年少女に剣を教えるための道場を開いていた。移り住んだ時に建設した道場も父がいなくなってからは閉鎖されていたが今では彼の弟と、もう一人弟の師の老人が主に使用している。


「せぇっ!!」

「鋭いが、腹に隙が生まれるな。やるなら後が無いぐらいに踏み込む必殺の心構えが要る」


 目の前に木刀を片手に交えるユラと、その前に立つ巨躯の老人。

 老いに負けぬ引き締まった筋骨隆々の肉体、整った銀色の髪、あとヒゲとかがステキないい感じのナイスミドル爺さんである。 ご年配のご婦人方に大人気そうな老人は片手に携える木刀一本でユラの猛攻をしのいでいた。


(あれはあれで、見た目を裏切っているよなぁ)


 見た目可憐な弟と、その弟の師を務めている老人の鍛錬の光景を見ながらガラは呟いた。

 ユラは強くなっている。


 ……その強さの根源が、男なのに女の格好をしているという事実に対する、なかばうっぷん晴らしに近い精神的抑圧から来る熱心さということにガラは気付いていたが気付かないフリをしている。自分を騙すことは人生において重要なスキルだとガラはすでになんかイヤな悟りを開いていた。


 重ねるが、ユラは強い。


 兄弟ゆえの贔屓目ではなく、あの剣力は既に正式な騎士団員としても十分に通じるだろう。女装で正式な騎士になれない故に、晴れて男に戻れる二十歳の誕生日を目指して己を練り上げる姿。兄として正当に武人として評価されない事はいつも不憫に思っていた。

 艶やかな黒髪を揺らし右から左から、手を変え品を変え、繰り出される猛攻は熟達した騎士でも舌を巻くだろう。

 だが、その猛攻を涼しげな顔をして受け流すこの老人こそ、ガラ=イサオミのもう一つの心配事だった。髪の毛は銀色、人生の晩年を迎えた老人であるにもかかわらず、剣の冴えに磨きが掛かっているユラの攻撃を平然と捌き続けていた。

 

「どりゃぁぁぁぁぁぁ!!」


 ユラが木刀を振り下ろす、真っ向からの一撃だ。そのまま地へと振り抜かれる大上段の一閃、誰もがそう思う一撃。

 だが、滑るように前に伸びるユラの脚と共に、振り下ろされるはずの刃の軌道が強引に突きに変化した。

 ガラの心臓が一尺ほど跳ね上がる。  

 

「一本」


 しかしその凄まじい一撃を老人は半身にして紙一重でかわし、ユラの頭に一撃を軽く叩き込んだ。木刀とはいえ、その一撃は当たり所が悪ければ死をもたらすものだ。心臓に悪い、ガラはその呟きを舌の上で絞め殺した。

 あのタイミングで放たれる一撃、自分でもかわしきれるか自信が無い。剣に関して既に弟は自分を上回っている事をガラは自覚していた。


 ユラが放った先ほどの一撃は筋肉の量ではなく、筋肉の『質』が求められる東方半月の国に伝わる『秘剣・昇り竜』と呼ばれる一撃だ。女の細腕の範疇にぎりぎり収まるユラの腕だが、その実鍛錬によって鋼鉄を万力で締め上げたかのように引き絞られた筋肉の塊であることを兄は知っている。

 剣を振り下ろした後から突きに変化させることは誰にでも出来る。だが、振り下ろす途中の一撃を突きに変化させることは並ならぬ筋力を要する。弟は老人の指導の基、その努力を積み重ねていた。

 木刀を地面に放り投げ、粗く息を吐きながらユラは道場の床に這い蹲る。汗にぬれたうなじに黒髪が張り付き、運動に伴う熱が頬を赤く染めた。荒々しく酸素を求める肺は、胸元のニセモノのふくらみを上下させる。女と思っている奴がいたらむらむらすること必至であった。


「……参りました、ご隠居」

「たやすく負けてはやらんよ、だが、だいぶ強くなったな」


 からからと、老人は笑う。

 ユラは強くなった。だが、目の前の老人は、それよりも遥かに強かった。

 粗く息を吐きながら、ユラは師の老人を見上げる。


「いつも、思うんですが、ご隠居は、いったい何者なんですか?」

「わしかね? いつも言っておろうに。わしは『エ・チーゴ』のちりめん問屋の、店主の座を息子に譲った楽隠居の暇してるジジイじゃよ」


 ぐ、とサムズアップして白い歯を輝かせるジジイ。

 作者はもうこの時点で正体をばらしているような気がひしひしとしたが、中華の基本は火力であり、ギャグの基本は勢いと頑なに信じるのでそんな事を気にする事はずいぶんと昔にやめた。良い子も悪い子も、みんな真似すんなよ。



 しばらくして。 

 ユラは一人家の外で片手に水をなみなみと湛えたバケツを持って歩いていた。

 美女だか美青年だか一人称に困る青年ユラ=イサオミも自分の師父が唯の楽隠居の爺とはさすがに思っていない。

 その一番の理由は、今ユラの目の前にいる一匹の馬にあった。黒い肌に銀色の鬣。背中の辺りには薄い鱗のようなものが見え隠れしている。その引き締まった体、武人ならば誰もがほれぼれとするような類稀な名馬であった。


「こんにちわ、岳蝶」


 ユラはバケツになみなみと水を汲んでそれを玄関先にいる馬の鼻先に置く。そうするとその馬は、まるでユラの言葉に反応するかのように歯茎をむき出しにして笑った後、早速がぶがぶと水を飲み始めたのである。


 ユラが水をやっている『岳蝶』という馬は、龍馬と呼ばれる古今無双の名馬の一族に連なる馬だ。

 龍馬とは東方の龍蛇と馬の間に出来た稀な馬である。その身には薄くウロコがあり、しなやかな筋肉は比喩ではなく一日に千里を駆け続けることが出来た。人との意思疎通も出来るかと思えるほど利口であり、武人ならばまさしく千金を積んでも手に入れたいと誰もが願う名馬なのであった。


 しかし、実際に千金を積んだからといって誰もが龍馬を得られる訳ではない。

 なにせ馬としては桁外れに気位が高く、自分が認めた人間でなければ触れることすら許さないのだ。彼らを従えようとすれば無理やり背に乗っかって暴れる龍馬を力ずくで屈服させなければならない。若年の騎士が、龍馬を求めて彼らの生息地へと足を運び惨敗してきたという話はよく耳にする話でもある。


 故に、龍馬を駆る人はそれだけで尊敬に値する人なのだ。


 そんな馬に乗っている爺がただの爺であるはずが無い。龍馬を駆り戦場を駆けた人といえば、もっとも有名な人はやはり大陸の統一を成し遂げた偉大なる英雄の喪装皇バッカニアスである。恐らく『ご隠居』も喪装皇の傘下の名のある武将の一人であり、暇つぶしに自分に武術を教えてくれているのだろう、ユラはそう見当をつけているのであった。


「なあ、岳蝶。お前のご主人、なんて名前なの?」


 水を飲む岳蝶の背中の銀色の鬣を撫でてやりながらユラは馬に訊ねてみた。その彼の言葉を知ってか知らずか、岳蝶は知らん振りでがぶがぶと水を飲み続ける。

 だが、全部を飲み干しはしない。ある程度で満足したのか、岳蝶は水を飲むことをやめてその場に座りこんだ。たらふく水を飲めば早く走れなくなる。

 相変わらず賢い馬だなぁと思ってユラは岳蝶の鼻面を撫でる。もしあまりにも利口なこの馬に人語を発する機関があったらきっちり自分の疑問に答えてくれるかもしれない。


「……ま、いいか」


 ユラはそこまで考えて呟いた。少なくとも自分はご隠居の本名を詮索できる立場でもないと思った。

 女の出で立ちをしているオカマ疑惑の男に剣を教えてくれる人間はごく稀であり、感謝こそすれ相手の事情を無理に知ろうとする気にもならなかったのである。



「先帝陛下」

「わしは『エ・チーゴ』のちりめん問屋の主の座を息子に譲った楽隠居のジジイじゃよ」

「バッカニアス様」


 その名前に老人は、否定をやめてずず、と茶を啜った。

 ユラは馬に水をやった後、お茶菓子を持ってくるために席を外して今はここにいない。

 ガラが口にしたその名が示す人物。

 それは偉大なる英雄王の名、

 大陸の全土統一を果たした武人、

 東方半月の国との国交を回復させた冒険者、

 かつて六大選王家に滅亡させられた第七の選王家の血を引く唯一の男児。

 子は皇帝、孫は皇孫、帝国を築きあげた初代皇帝。


「なぜ、弟の武術の指導をしてくださるのですか?」

「熱心な若者を見れば手助けしたくなるのは年配者として当然のものじゃろうに」


 ありがたい話であるとはガラも思う。

 バッカニアス=フォン=ドーベルト。

 この地上に彼以上の師は望むべくも無い今生の世に要る最高の戦士なのだから。

 だが、ガラにとってはそれは同時に胃痛の原因にもなっていた。

 

 なにせ先帝陛下。

 もし、彼に皮一枚でも傷をつければ即座に処刑部隊が隊をなして前進してくるような雲上人であり、ガラが仕える人だ。めきめきと実力を伸ばしつつある弟がもし彼に傷でもつけようものなら、この不始末を腹を切って詫びねばならないのである。

 で、本人にその事を言い、せめて防具をつけて師事してくれと言ったら

『ほぅ、おぬしはまだ二十歳にもならぬ若造にこの喪装の騎士が手傷を負うというのかね?』と非常に意地の悪そうな笑みと共に言い返された。ガラとしてはひたすら平謝りするしかなく、恐縮で胃が縮まる思いである。

  

 弟に優れた師が付き、実力をめきめきと伸ばしてくれる事は兄として実に喜ばしいことだ。

 しっかし、優れすぎた師というのも考えもんであった。ご隠居が弟に施した訓練は厳しいものであったが、このままでは兄の方が現状の厳しさに先に悶絶死しそうな味わいである。

 いっそ弟に事実を全部ぶちまけてやろうとも思わなくも無かったが、ご隠居に許可無くそんな事をすればどうなるか、あまり考えたくもない。 

 茶菓子を抱えて帰ってきたであろう弟の足音を聞きながら、ガラ=イサオミは溜息を漏らして胃薬の追加を弟に頼むのであった。

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