第十九話『ふたりはなかよしさん』
セレネアの心配は、チョー杞憂だった。
ジオ=ジンツァーの借家の中で、一組の男女が杯を酌み交わしあっている。
一人は男性、一人は女性。しかし視覚的には男性の方が女性で、女性の方が男性というややこしい人達なのである。二人は先ほどから数本の酒瓶を空けて飲みまくっているのであった。
「……つまり、私は本家の跡継ぎがいないから、男性として育てられる羽目になったんだ……、私だって綺麗な洋服や華やかな衣装を着たいとずっと思っていたのに……!!」
「うんうん、わかるわかる。僕も母上から女装を続けるように遺言を残されてずっとこの格好だ。騎士叙勲受けて先帝陛下のような騎士になりたいのに、そんな事も出来ない……!!」
説明その他事情もろもろのことをすっ飛ばして愚痴をこぼしあう二人は、どちらも周りの都合によって本来の性別を抑圧されているもの同士であった。その抑圧された今までの鬱憤を晴らすかのようにフェルシアとユラの二人は意気投合しているのである。
要するに、ユラは幼い日に重い病にかかり、その際女装すれば生延びられると言われ、それを信じた母親に女装を続けるように遺言を受けたのであったのだ。
で、フェルシア=バルアミー男爵は、兄弟に男児が一人も生まれず、両親も死に絶えたためどこからか養子をもらってこなければならなくなったのだが、他所からの血が入り一族の血が絶えることを嫌った頑迷な祖父に男性として振舞うことを強制されたのである。
「……私は今日、この日を忘れないよ、ユラ!!」
「……それは僕もだよ、フェル!!」
なにやら感極まったのか、ひしっと抱き合う二人。
お互い異性同士、性別的には正常の二人なのだから愛の抱擁に見えないこともない。事情を知らない人が見れば美男美女が抱きしめ合い、愛を確かめ合っているようにも見える。しかし、この二人にあるものは抑圧されてきた者同士の共感であり、燃え盛る炎の如き友情であった。抱きしめあっているのも愛などでは断じてない。熱い友情の発露なのである。
「あうー、ずるいっす!! いきなりお姉さまと抱き合っているなんて!!」
扉を開けて中に入ってくる少女がいる。
一ヵ月後の鉄姫隊入隊試験を控え、鍛錬に余念がない筋肉大好き美少女ミレニア=ジンツァーは、ぷう、と頬を膨らませながら給仕を務めているのであった。今も手には酒瓶を抱えている。
ちなみに先ほどの台詞も嫉妬の言葉ではなく、ユラの筋肉の弾力を楽しむ機会を先にとられているが故の不満の言葉だった。
「まあ、落ち着け妹よ。二人は初めて同種と出会ったのだ。喜ばずにはいられまい」
そんな彼女の後ろから声をかけたのはこの家の主であるジオ=ジンツァーであった。彼は男性女性可愛ければどっちでもいいという主義の人である。だがそんな彼が恋心を抱いているユラが、いきなり現れた人物と抱きしめあっているのだ。少しは不満そうな表情を見せてもよさそうなものだったが、そんなそぶりは微塵も見せていない。
「あんちゃんも、どうしてお姉さまが取られるのを黙って見ているっす!!」
「友情に対して嫉妬を抱くほど俺は狭量ではないよ、妹よ」
不満そうにしているミレニアの頭をぽんぽんと撫でると、抱きしめあっている二人を暖かく見守る。
とりあえず抱擁をといて椅子に腰を下ろしたユラとフェルシアは、酒気で顔を少し赤らめながらすごく楽しそうにしていた。
そんな様を見守りながらジオは、バルアミー男爵の事を思い出す。文官として勤めている彼はその優れた記憶力に彼の、――いや、今となっては彼女――経歴を記憶の端にとどめていた。
実直で誠実、次代の有能な人として将来を期待されている人物。
そしてユラも剣士として将来を(主にご隠居に)期待されている人物。
ひとりひとりは至って普通の良く出来た傑物なのに、二人そろうと化合物のように馬鹿反応を発生させるのだなぁ、とジオは肩を組んで調子の外れた歌を歌うユラとフェルシアを見て、生暖かい目でやさしく見守るのであった。
次の日の朝。
ユラ=イサオミは、布団もかぶらずに寝たが故の体の冷えに気付いた。。
昨日、あんまり楽しくて仕方なかったのでついついお酒が進んで酔いつぶれてあのまま寝てしまったのだろう。よく見れば横にはフェルシアが胸元を少し緩めて隣で肩を組んで眠っていた。
覗く胸元からかすかに谷間が見える。
その胸元の谷間の陰影を結構気恥ずかしく思いながらユラは立ち上がって背を伸ばした。体の屈伸運動を行い、全身の稼動を確かめておく。武を必要とする急な場面が存在するとは思えなかったが、ユラは目覚めた直後の屈伸運動を欠かす気は無かった。実用性は二の次。要はいつでも戦えるようにしておくという気組みの問題である。
「やあ、ユラ君。目は覚めたかね?」
扉が開いて中に入ってきたジオ=ジンツァーは、目を覚ましたユラを見つけて微笑んだ。群塔の如く突き立つ酒瓶の山とまだまどろみの中に居るフェルシアを見ながら苦笑する。
「あ、ジオさん。昨日は御免、いきなり押しかけて酒盛り始めて……」
「構わんよ。君にとってとても目出度い日だったのだろう?」
とりあえず近くに空いていた椅子を引き寄せ、ジオはユラを見た。全身の屈伸を終わらせ、間接の稼動を確かめるように一通り動く。
「……おや? ユラ、君もう起きていたのか?」
遅れて目を覚ましたのか、目頭を擦りながら小さく欠伸するフェルシアにユラは頷いた。
「親友、もう少し寝ていても良いよ、先に朝ごはんの支度するから」
「……いや、親友。私もなにか手伝える事があるなら……」
「バルアミー男爵殿が料理にも長けていることは過分にして存じませんでしたな」
親友の手伝いをしたいという一心から出たであろうその言葉に、ジオは軽く苦笑を漏らす。その言葉にフェルシアはあ、と呻く。考えてもみれば彼女にとっては見知らぬ他人の家に上がりこんで酒瓶を積んだのだ。そんな言葉よりももっと先に出るべき言葉があったはず。深々と頭を下げる。
「……申し訳ございません、ジオ殿。昨日はいきなりお邪魔して……」
「そこいらは気にしないで下さい。私はそこのユラ君に懸想しておりましてね。彼の言う事なら何でもほいほい聞く節操無しなのです。ちなみにうちの妹も恋愛感情とは別ですが、そこの彼に既にめろめろ」
ジオのその真実の言葉にフェルシアは一瞬沈黙し、次いでユラを見た。あきれたように呟く。
「……兄妹両方ともか? 鬼畜だな、親友」
「それより先に気にすべき点があると思うんだけどね、親友」
ジオが男の癖に男好きという点を綺麗さっぱりスルーしたフェルシアの言葉に、ユラは運動を切り上げ、流石に嫌そうに眉を顰めた。フェルシアはとても楽しげに微笑む。立ち上がってユラの傍に寄った。
「それは仕方がないと思うぞ? 親友、君はとても可愛い。私が男ならば邪念を抱く程度にはな。例え男であっても君に懸想するのは至極当然だと思う」
フェルシアが自分の黒髪一房を摘んで指先で弄る様を、されるがままに見つめながらユラはかなり本格的に嫌そうに顔を顰めた。好意を向けられるのは有難いと想う。しかし自分は普通に綺麗で可愛い女の子が好きなノーマルな人間だ。絶対に好きになってもらえない相手を好きと言い続けるのはとても大変な事なんじゃなかろうか。ユラは兄の親友を少し申し訳無さそうに見た。
だが、変態ジオ=ジンツァーはそんなユラのシリアスな心中など完璧に無視してフェルシアに歩み寄る。結構目がマジっぽい。
「そうだとも、君もそう思うか?!」
フェルシアは、一瞬何を問われたのかわからなかったが、次いで自分の言動を思い出して納得する。
「ええ、当然ですとも。性別の違いなど愛の炎の前にはまるで無意味です、あなたもあなたの想いを貫いてください!!」
「こら」
ジオと握手するフェルシアの後頭部にチョップをかますユラ。
ジオが想いを貫いたら、自分と彼はカップルになってしまうのである。そんな応援をされてはたまらない。そんなカップルが誕生すれば兄のガラはきっと嘆きのあまり……。そこまで考えて、いや待てよこんちきしょうと呟く。一ヶ月前病院内でジオとの関係を誤解したガラは、星になった父上母上に報告をしていた事を思い出した。案外止めないかもしれない。
なにやらかなりイヤな未来予想図を思い浮かべたらしいユラは絶望したようにうめき声を上げた。くらりとよろめく。そのままきりきりばたーんと体をひとひねりさせながらそのままソファーにぶっ倒れ気絶してしまった。
「うー、朝練終了っす。疲れたのでお姉さまに抱きついてマッスルエナジーを補給するっす!」
一ヵ月後の鉄姫隊入隊試験に備えて熱心に鍛錬を積んで扉を開けて出てきた変態美少女ミレニア=ジンツァー。彼女はソファーに前のめりで倒れ込んでいるユラを見つけると真っ先にやたら早い大また歩きで彼の近くに歩み寄った。握手してなにやら意気投合している兄とフェルシアは無視である。
そこまで来て、前のめりにぶっ倒れて呼吸が苦しそうなユラが自分に何の反応も示さない事をいぶかしんだ。腕の筋を撫で擦る彼女の所業を不気味に想う彼は大抵嫌がって、巧みな体捌きで逃げるのであるが今日は逃走のそぶりも見せなかった。
どうしたことかしら? と首を傾げながらもレニはユラの片腕に両の手を伸ばした。
がっちりホールド完了。
「あり?」
あまりのあっけなさにますます首を傾げるレニ。おかしい、おかしい、おかしすぎると想う。
が、そんな疑問は星の彼方にうっちゃって、へへへと笑いながらユラの腕を撫で擦る。やはり、心を得るよりも肉欲を得るほうが重要らしいミレニア=ジンツァー、イヤな十七歳の春であった。
しばし意識を失っていたユラ=イサオミが目を覚ましたのは、なぜか自分が気付けば半裸にされていた後だった。というかそうなる前に正気に戻れである。
隣には鼻血を出して血の海に沈むジオがいた。恋焦がれる人の半裸の姿を見たゆえか、うつ伏せで超満足そうに微笑みながら死にかけている。フェルシアはなぜかどきどきわくわくしながら「わー……」とか言いつつ見ている。
そして上、マウントポジションには「へへへ、やりたい放題、やりたい放題っす……」と肉欲に爛れた淫蕩の笑みを浮かべるレニがいた。涎が一筋垂れる。
瞬時にかなり本気の戦闘態勢に入るユラ。以前とは違って両手足は自由。
よし。闘える事を即座に理解し、ユラはレニの両腰に両足を差し入れ、マウントポジションから脱出する為の実際の試合ではめったに使われない幻のプロレス技TKシザースで体勢を入れ替える。マウントポジションを取られていたユラは、見事に体勢を入れ替え逆にマウントポジションを奪い、ユラ=イサオミ貞操の危機からミレニア=ジンツァー純潔の危機へと立場を逆転させた。見事な判断、見事な技である。
……あれ? なんか変だぞ? とユラはレニの両足を抱えたまま今度はスコーピオンデスロックを仕掛けようと考え、そこでふと止まり首を傾げた。
そんな彼を押し倒された体勢のまま見上げて、きゃー、と気の抜けた悲鳴を上げるレニ。
「どうしましょう、自分お姉さまに襲われているっす!!」
「て、そんなわけないだろうがこんちきしょう!!」」
ユラは絶叫しながらレニの腰を両側からぐわしと掴むと、そのままちゃぶ台返しの要領で掬い上げるように投げ飛ばした。
両手を伸ばして受身を取り、次いでにやりと笑うレニ。
「やはり脈動しない筋肉など意味がないっす!! お姉さま、思う存分動いて暴れて欲しいっす! 自分もそれにあわせて動くっすぅぅぅぅ!!」
くそ、舌打ち一つ。ユラはこの一ヶ月間で彼女の危険性を甘く見ていたことを死ぬほど後悔した。飛び掛ってくるレニに対して迎撃体勢。かなり本気で無手での殺し技の構えに入る。
早朝の、死闘が始まった。




