第十八話『唐突なる抱擁』
ずっと、偽りを強いられ続けてきた。
望んでいないのに、家のため一族の存続のため、ずっと無理を強いられ続けてきた。
苦しくて、厳しくて、それでも期待を裏切れずずっと頑張り続けてきた。
だから、自分が彼女、いや、彼と出会ったのは、きっと運命に違いない。
――――
先日の騒動より大体一ヵ月後。
この頃ユラ=イサオミは自宅に帰っていない。
と、いうのも。
兄のガラとその恋人であるレティシア女史はすでに結婚することを決めているのであり、そんな二人の新婚いちゃいちゃ生活を間近で邪魔するのも気が引けたからであった。それになぜか義理の姉となる彼女は自分と目をあわすとなにやら頬を高潮させてあさっての方向を向くのである。
どうも嫌われているらしい。そう考えたユラは王宮に一室住み込みの部屋を借りているのであった。
実は男性であるという秘密を守り通さなければならないユラにとってはこれはあまり好ましくないことだったが、それでも兄と義姉の新婚生活を邪魔するわけにはいかない。鍵のついている部屋を特別に用意してもらい、ササメにいろいろ手伝ってもらって生活をしていた。
ちくちくと、自室で刺繍をしながらユラ=イサオミは今後の事を思った。
実家で鍛錬に励むのは、兄の生活の邪魔をするようで悪い。この頃、木刀も振っていないので少し鈍っている気がする。
そう考えたユラは刺繍に一区切りがついたら、とにかくどこか友人に会いに行こうかなと考える。彼の知り合いには王宮で詰めて働いている人もいる。とりあえず自分の性別を知りながらも普通に接してくれている友人の数を声に出して指折り数えてみる。
「ご隠居に、兄さんに、レティシア義姉さんに、ジオさんに、レニに、ササメ」
師匠に、兄に、義姉に、変態に、変態に、変態。
ユラはがっくりと絶望したように項垂れた。重々しい息を吐く。
「……ぱ、パワーアップしてるし……」
前回よりも変態比率が増強されている。一人義姉が増えたが、変態はその三倍増えている。なんてこった、ユラは悲しそうなうめき声を上げた。
女性そのものの外見を有しているが、実は男性という秘密を持つユラには腹を割って話し合える同年代の友達がとことんいない。少年時代には年頃の女の子と仲良くしたいという願望だって十分あるにも拘らず、秘密を護る為、そういった深い付き合いをしないように気をつけなければならなかった。
溜息をつく。
女性として生きていることはまあ仕方がない。そこいらはもう諦めた。
だが、その為に同年代の友達を作ることが出来ないというのはあまりにも辛過ぎる。
ユラは寂しさを抑えられないのか、俯いたまま呟いた。
「……あ~、同年代の友達と猥談したいなぁ……」
兄のガラが聞いたら泣く様な台詞を吐きながらユラは刺繍を再開した。
さっきから何をやっているのかといえば、義姉に送るためのかなり手の込んだ刺繍入りのハンカチを作っているのである。料理も出来、裁縫も一流の趣味的には完璧女性のユラ。この時ばかりは張り切っているのであった。
なにせ兄を選んでくれた人は大貴族に連なる人。そういった人に対して金をかけた物などプレゼントしても何の意味も無いだろう。それなら心の篭った手作りの品の方が喜ばれるに決まっている。木刀を振り回すほうが趣味ではあるが、こういった細かい手作業も十分水準以上の技量を有している乙女な技能の持ち主である漢ユラはとにかく、ちくちく、ちくちくと、細かい手作業に従事しているのであった。
ドーベルトの皇女であるセレネアは、憧れの人がえっちな事を考えているとはつゆ知らず、明るい気分で廊下を歩いていた。目的地は女官のユラ=イサオミの自室。客観的に見てみればむらむらしている野獣の部屋に花も恥らう可憐な乙女が一人で無防備に足を運ぼうとする非常に危険きわまる図式が完成してしまうのである。いかん、また作品連載の危機だ!! どーにかならんのかこいつら!!
普段ならあまり見せない可憐な容姿に花のような笑みを浮かべている理由はその憧れの人であるユラ=イサオミにあった。
なんでも実の兄がこのたび結婚するらしく、その邪魔にならないよう自宅から私物一室持ち出して王宮の一室に居を構えているであった。
自宅へと帰らなければならない為、彼女はよほど特別なことが無いと泊りがけで王宮にいるということがまず無かったのである。ただ単純にユラと一緒にいる時間が多いというのはセレネアにとって純粋な喜びであった。
颯爽と現れて凄まじい武技を以って彼女を救って見せた白馬の女剣士。その凛々しさ、強さは、引っ込み思案で人と話すことが苦手な彼女にとって憧れそのものだった。自分より二つ違うだけなのにあれほどの剣力。それがどれほど大変か。それは祖父であるバッカニアスと話をした時の話で十分に理解できる。
自分が憧れて姉であるアンゼリカに話せばそのアンゼリカは憧れの人を連れてきてくれたのだ。迷惑を掛けたという思いはあったが、それ以上に彼女自身の喜びの方が大きかった。
そんな彼女の罪の無い喜びの影で、一人の男が胃痛で入院した事は幸せなことに知らない。まあ、その騒動の後結婚が決まったので一概に悪いとはいえないのであるが。
「セレネア様」
幸せそうな表情でユラの自室を目指す彼女に声が掛けられた。
振り向けばそこには、見知った麗人の顔がある。
「フェル、お久しぶりですね」
にっこりと微笑む先には美麗の青年の姿がある。
フェルシア=バルアミー男爵。セネレアが気兼ねなく話すことの出来る数少ない一人で、彼女の乳母兄妹でもあった。
赤い髪を一括りに束ねた青い目の美麗の貴公子。バルアミーといえばかなりの大貴族であり、彼も十八で既に領地持ちの男爵だ。優しげな微笑が印象的な凛々しい青年は、乳母兄妹の女性の嬉しそうな表情に首を傾げる。内気で大人しげな印象の強いこの人がこんなにも嬉しそうな表情をするのは珍しかった。ああ、そういえばと思い出す。
「ササメから聞きましたよ。この頃姫様をユラという一人の女官に奪われて楽しくないと」
ササメの場合、それが目一杯本気なのでたちが悪いのであるが、変態という言葉から一万光年は離れたすがすがしい世界の住人の二人はそんなことなどまるで知らない、想像もしなかった。
セレネアはほんの少し頬に朱を散らし恥ずかしそうに俯く。多少強引でも話題を変えるために乳兄弟について聞いていた事を口にした。
「そういえばフェル、今度お見合いすると聞きましたが?」
その言葉に苦笑いを浮かべるフぇルシア。
「……うちの叔父貴の趣味ですからね。なんとか今回もお断りしたいのですが……」
そう言っているうちに目的の場所であるユラの部屋の前に到着したセレネアは、こんこん、とノックした。
「ユラ様? いらっしゃいますか? セレネアです」
『え、は、はい、姫様、少々お待ちを!!』
中から多少狼狽したような声とともに、物音が聞こえてくる。慌てて中を片付けているのだろう。しばらくして音がやみ、呼吸を整える音と共にユラの声が返ってくる。
『はい、姫様、お待たせして申し訳ございませんでした、どうぞ』
しずしずと中に入るセレネアは、そこでユラの自室の机の上においてある作りかけの刺繍道具に気づいた。実の兄が結婚するというのだからきっとそのプレゼントなのだろう。
その彼女の後ろからフェルシアは扉の中に入る。よく見れば二人とも同じ程度の身長なのだな、と思うセネレア。
そこで彼女は、ようやく二人の男女の異変に気づいた。
動かない。
美麗な男性と女性、ユラとフェルシアはまるで落雷に打たれたかのように表情を固めている。
その表情はまるで信じられないものを見たかのように驚愕でこわばっていた。
ユラは、ユラ=イサオミは、その18年間の生涯の中で夢にまで見ていたものと出会った事を直感で感じていた。
目の前の青年を見た時、一瞬で理解したのである。
同じだ、彼は。周りの都合でその本来の性別を抑圧され、本当の自分を常に封じ込められてきた人間。
わかる、理解できる、理屈も説明もその他もろもろもすべてすっ飛ばして二人はお互いが自分の鏡のような存在であることを抑圧され続けてきたもの同士の本能で理解した。
彼は。
否、彼女も、同様に強張らせている。だが、それは次第に喜びに変わっていった。群れとはぐれた旅人鳥が、寂しさに耐え切れないと思っているさなか見つけた同胞と出会った様に。顔を喜色で染めたユラとフェルシアは、無言のまま歩み寄り
「え、ええ??!!」
驚きの声をあげるセレネアを完璧に無視してがしっと熱い抱擁を交わしたのであった。
しばらくの後。
セレネア=フォン=ドーベルトは気がつけば彼女の自室で椅子に腰掛けていた。
覚えていない、完全にあの光景を見た後自分が何か激しい精神的な衝動を受け、その後どういった行動をとったのか覚えていなかったのである。
彼女の憧れの女性であったユラ=イサオミと、彼女の乳兄弟であるフェルシア=バルアミーはお互い初対面であるにも関わらず、いきなり熱い抱擁を交わしたのだ。
恋である、じゃなかった、変である。
彼女の知識では初対面の男女がいきなり自分という人目を憚らず抱きしめあうのは、あまりまともな事態ではなかった。
では、あの二人の行動はいったい何なのだろう。そう思った彼女は、近くで給仕を務めているササメに聞いてみることにした。
「ねえ、ササメ」
「はい、なんでしょう、姫様」
にっこりと微笑みながら振り向く女官ササメ=ヤヒガン。実は美少女大好きのアブナイ人だが、自分の使える姫君には忠誠心と憧憬の入り混じった感情を抱いているらしくそういった行為には及んでいない。やっていることといえば姫君のお残しになった食事をひとり夜半に姫君使用後のスプーンで食す程度である。……いや、十分ヤバイか。
ユラにはかなりテキトーでやる気のない受け答えしかしない彼女だが、セレネアには懇切丁寧な反応を返す彼女は給仕の手を止める。
「ねえ、聞いていい? ……もし、初対面の男女が初めて会ったにも関わらず、いきなり抱きしめうって……どういう状況が考えられるのかしら?」
「そうですわね……」
あごに手をやり天井を見るササメ。少しの思案の後、思いついたらしく答えた。
「たぶん、一目惚れというものでしょう」
「ひと……めぼれ……?」
その単語は彼女も知っていた。初対面の男女が初めて会ったにも関わらず、運命的に恋に落ちるという奴だ。
ササメの言葉にセレネアは自分が見た光景を反芻する。確かに言われてみればそう思える。初対面であるにも関わらず抱きしめあうなどそういった特別な事態しか考えられない。
息を呑んだ。
突然に胸を締め付けるような痛みが走る。バルアミー男爵も、ユラも、彼女にとって大切な人だ。一人は乳兄弟、もう一人は彼女の憧れの人。その二人がお互いを好き合ったというのなら、それは祝福すべき事の筈だった。
なのに、何故だろう。
どうして二人が幸せそうに微笑む姿を思い浮かべて想像するだけで胸が苦しくなるのだろう。ほんの少し前、ユラの自室に行くまで自分は明るい気分でいた筈なのにどうして急に胸が苦しくなるのだろう。
祝福すべきはずなのに、理屈や道理を超えて嫌だった。
ぽろぽろと瞳から真珠のような涙が零れた。




