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第十五話『欲望渦巻く交渉』

 次の日。

 ユラ=イサオミは一人暗い顔をしていた。先日のご隠居ご乱心事件の折、逃走した兄のガラ=イサオミ。その判断自体を責めている訳ではない。自分が兄の立場なら一秒の躊躇いもなくあの場所から逃げていただろう。

 問題はそこではなかった。

 あの日から蹄の音を響かせ逃げ出したガラは連絡もせず結局病院に帰ってこなかったのである。

 帰ってきたのはご隠居の愛馬「岳蝶」のみ。ガラを乗せて行った後、自分の足で馬屋に帰ってきた岳蝶はのんきに干草を食していたらしく、言付けの類は何も預かっていなかった。

 役所への届出は済んでいる。

 行方不明の線で捜索はしてもらっているが、正直見つかるかどうかは不明だ。


「……ユラ君。そう気を落とすな」


 ユラの家で椅子に腰掛けているジオは項垂れているユラに声をかける。ちなみに本気で一日で全快して退院していた。その隣ではその彼の妹ミレニア=ジンツァーが同様に椅子に座っている。


「……でも、兄さんがもう一日帰ってきていないんだ。……もしかしたら物取りにでもやられたのかな……」

「岳蝶は優秀な軍馬だ、主を見捨てて逃げ出すようなことはしないよ」

「お姉様、自分になんかできることあれば言ってほしいっす。添い寝でも膝枕でも抱き枕でも何でもやるっすから……」


 怪しい事を言ってはいるがミレニアは一応ユラを励まそうとはしていた。そんなもちかけをする時点で隣のジオは彼女を注意するべきなのだろうが、「レニが嫌なら俺に添い寝を持ち掛けたまえ」などと言ってレニにとりあえず殴られている。

 

 ちなみに。


 ご隠居も同席はしている。

 だが、先日の自らが行った変態行為をきっちり覚えてしまっている彼は、部屋の片隅で膝を抱えてこの世の終わりが来たような深い落ち込みようを見せていた。時折口元から絶望のうめき声を吐いている。

 



『ユラ、ユラ=イサオミー、失礼するでよー』


 玄関から聞こえてくる声にご隠居を除く三人が顔を上げた。

 あの独特のイントネーションの口調には覚えがある。鍵を掛けているはずの玄関がなぜか開錠される音とともに、中に入ってくる足音が響いてきた。

 すぐに一同がいる広間に入ってくる。見覚えのある顔。ユラの同僚でありセレネア姫に仕える刺姫である女性、ササメ=ヤヒガン。 

 その彼女の登場にユラは首を傾げる。


「あれ? 今日は仕事を休むって連絡をした筈だけども」

「……それを聞いた姫様があたしを遣いににやったんだべな。しかし何事よ、この陰気は」


 顔を顰めたササメはあたりを見回し、部屋の片隅に座ってぶつぶつ独り言をつぶやいているご隠居を見て、「ひっ!!」と軽く悲鳴を上げた。確かに部屋の隅であんな風に心が壊れた廃人を見れば恐怖の呟き位もらすだろう。ユラは彼女が驚いた理由がはるか雲上人の姿を見つけたからだとは気づいていない。


「あーびっくった」


 ご隠居に向けていた視線を別な方に見やり、ササメはおろ? と呟いた。


「おめ、あんときの手篭め少女」

「んな、い、いきなりあんまりな呼び方っす!!」


 流石に犯罪者呼ばわりされた事に憤慨したのかレニはササメの言葉に椅子から立ち上がって睨み付けた。実際のところ弁明の仕様がないぐらいに正しい言葉だったのだが、誰にも知られていないと思っているレニは怒ったように言う。


「いきなりひどい言い草、謝ってほしいっす!!」

「ふふーん? でもそこの美青年捕まえてイヤラシイ事をしようとしたんべな。ちゃんとあたしは見てたでよ」


 その言葉を聞き、隣でジオがユラにごめんなさいと平伏を繰り返していたが言い争う本人たちは気づいていない。


「イヤラシイ事なんてしていないっす!!」

「じゃあ、なにを?」

「ただ筋を触りたかっただけっす!!」


 無言でユラを見るササメ。多分に哀れみのこもった視線を向けられ、ユラはほんの少し目頭が熱くなるのを感じた。さり気無くハンカチを手渡す用意のいい男ジオ。


「なるほど。おめ、要するに筋を触りたいだけなんだべ? 筋肉が好きなだけと」

「そうっす! お姉さまの筋肉だけを自分は愛しているっす!!」


 その言葉を聞いたユラは、それはそれで傷ついたのか、がっくりと項垂れている。

 勝手知ったる他人の家か、ジオは言い争う二人の女性を見やりながらユラと自分のカップに紅茶を注いで見物に回るつもりになったらしい。ユラももうどうでも良くなったのか、兄が行方不明ということを無視してぐいと紅茶をあおった。 


「なら、あたしと寝ねぇか?」


 だがしかし、ササメの一言にユラとジオは仲良く口に含んでいた紅茶を吹き出す。

 一緒に咳き込み、げほげほとむせて死にかける二人に怪訝そうな表情を浮かべた後、レニはササメに目をやった。ふふふ、と妖しい笑みを浮かべるササメ。


「おめえは要は筋肉が好きで好きでたまらない。あたしは可愛い女の子が大好きだ。……こう見えてあたしがかなりの使い手で、四肢もおいしそうに引き締まっている事は見ればわかるべな?」


 ごくり、と生唾を飲み込む音がやたら生々しく響いた。

 スカートをたくし上げ、女官服からこぼれ出る白い生足にレニは目が釘付けになり、唇からよだれがこぼれる。うふーんとワザとらしく微笑を浮かべるササメ。


「……ジオさん」

「なにかね」


 病院から菓子折りを持って帰ってきた観戦モードのユラとジオは仲良くクッキーを頬張りながらかなり馬鹿らしそうに肉欲の駆け引きをする二人を見た。


「止めなくていいの?」

「止めて止まるものならそうするがね」


 それもそうかと頷くユラ。

 そんな中、ユラにきっ、と振り向くレニ。


「お、お姉様!!」

「……なに」


 意を決するように、勇気を振り絞るように、レニは真摯な表情で言う。


「浮気は何回まで許してくれるっすか?!」

「知るか」


 ぼりぼりとクッキーを頬張り、ユラは兄の事をすっかり忘れている自分に気づいた。確かにこいつらがいると兄の詳細ですら些細なことに思えてくるから不思議である。些細な事に思ってはいかんのだが。


「うやあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 ユラのそっけない返事にレニはまるで苦悶の海にその身を沈めるように天を仰いで絶叫した。  

 ついで床に顔面を叩き付ける。


「じ、自分はこんなにもお姉様(の筋肉)を愛しているって言うのに、どうして拗ねたり嫉妬の言葉ぐらい掛けてくれないっすか!!」


 おいおいと嘘泣きを始める彼女をしらけた表情で見守りながらユラは言う。


「ジオさん。この状態で嫉妬しろというほうが無理だよねぇ」

「まったくだ」


 夕食の準備を始めるユラとジオ。二人ともすごくクール&ドライである。


「な、ほら、あんな薄情な奴のことなんて忘れて、いざめくるめく官能と肉欲の世界へダイブするべな」

「うう、すごく心引かれる提案っす!!」


 頭を抱えて煩悶するレニを完璧に見捨ててユラは食事の準備を始めている。隣ではご隠居がお空を見上げていた。まだ毒は抜けきっていないらしい。

 レニはようやく心を決めたのか、叫んだ。


「……やはり、駄目っす!! 自分にはお姉様という心に決めた人(人と書いて『きんにく』と読んでください)がいるっす! お姉さんの提案も魅力的っすが、やはり裏切れないっす!!」

「ユラ!! おのれ姫様についでこの美味しそうな美少女まで虜にしているとは許せねぇべよ!!

 変態二人をもはや完璧に感覚からシャットダウンしているユラはいただきまーすと手を合わせてジオと食事を始めている。目の前では「手料理、ユラ君の手料理……」と感動に震えているジオがいるが、この際だから気にしないことに決めているようだった。



「あ、そうだ」


 思い出したようにササメは自分の懐から手紙を取り出した。

 

「玄関先に引っかかっていたぜよ?」 


 食卓におかれるその手紙。首を傾げるユラは開封してみる。同様に後ろから覗き込むその他一同。

 

 書いてある文面を見る。


 そしてその下にはガラ=イサオミの名前とユラの知らない女性の名前。

 上には、『結婚式披露宴 式場案内』と書かれていた。



 一同、みんな仲良くぶはーと吹き出して後ろにぶっ倒れた。

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