第十話『戦慄!! 新たなる脅威、マッスルマニア現る!!』
がちゃ
鍵のかかる音が響いた。
昼下がり、城門前に居た少女を無理やりベッドのある医務室に連れ込み、逃げ出す事を許さないように部屋に鍵をかける。やっていることは立派な犯罪行為である。もっとも世間一般に比べて違っているのは誘拐犯であるユラが焦燥した表情をしているのに対して、怯えるべき誘拐された相手は、わーここで奪われるんすね、自分、と暢気に騒いでいる。
(……あああ、めちゃくちゃ犯罪じゃないかこれ)
変態の汚名は着せられても、実際には犯罪行為に手を出さなかった煙草もすわない健康青年ユラ=イサオミだったが、どうやら無事故無違反の人生はここで終わりを告げ、非行青年のイケナイ青春録が始まるようであった。
だが、些少な犯罪を犯してでもユラはこの少女に口封じしなければならない。でなければ変態確定だ。
兎に角、とにかく。呟きながらユラはベッドに腰掛ける少女に厳しい視線を向けた。
「……あのさ。何で僕が男って判ったの? 僕はこう見えても女装暦長いんだ、そう簡単に見破れるわけが……ううっ」
自分で言って勝手に切なくなったらしいユラは目頭から零れる涙を抑えながらあさっての方向を向いた。追求しないことが武士の情けと思ったらしい少女はその溢れる涙を見なかったことにした。背を向けて慟哭するユラ。
「別に大した事じゃないっす」
「いや、凄いと思う。今まで僕の性別を初見で見抜いた人は君が初めてだよ」
赤く泣き腫らした目を、『どぞ、使って下さいっす』と言って差し出された情けと言う名のハンカチで押さえながらユラは訊ねた。
彼女が男性と気付いたその点を知る事が出来れば更なる女装の完璧化に繋がる。目的がどうしようもなく涙を誘うとはユラも思ったが、そんな些細な事を気にする心は遠い昔に捨ててしまった。
少女は、少しはにかみながら答える。
「いやほんと、自分。ただ筋肉が好きなだけっすから」
「…………なぬ?」
しばしの沈黙、そして思わず呟く。
なにかとても嫌な台詞を聞いた気がしたユラは、目を瞬かせた。
「男性と女性の体の筋肉の構造の差は大体理解できているっす。変装でたくみに見た目を偽装しても、筋繊維構造で理解できたっすよ」
「……筋肉マニア?」
今となってはユラの性別を言い当てたその原因よりも少女が告げた驚愕の一言にユラの意識は向けられていた。ユラの質問の言葉に少女は嬉しそうにユラの手を取った。片腕を覆う服の袖の肘の辺りまで押し上げ、武術で練り上げた彼の腕をさする。
どことなく、手つきがいやらしい気がしたのは気のせいか。
「うふふ、さっきは気付かなかったすけども、お兄さん、良い体しているっすね」
ユラの腕の上腕筋を撫でながら少女はどこか陶然とした表情を浮かべる。唇から一筋涎が漏れた。
(きゃ、きゃー、やばい人だこの子!!)
こいつはマジもんの変態さんだ、警鐘を鳴らしまくる第六感に従って色々と危機を感じたユラは兎に角距離を置こうと後ろにのけぞった。
「ああん!! 何で逃げるっすか」
「だ、誰でも逃げるわ!! あのまま撫でるに任せていたら君、服の袖から手をいれて胸筋を触っただろう!! えっち!!」
どっきーん、と少女は図星を突かれたようにひるんだ。心なしか少女の頬は紅潮し、動悸が荒くなっている。ええマジで図星かよ?! 大ピーンチ!! まさか正解だったとは思わなかったユラは戦慄の言葉を早口で口走りながら更に後退する。
「安心してくださいっす!! 自分は貴方の筋肉以外に興味がないっす!! 自分が欲しいのは貴方の肉体だけっす!! 貴方の筋を愛でたいだけっす!!」
「それでOKといったら人として色々と負けだろう!!」
体が欲しい、愛でたい、やろうとしている行為自体はわりと色気に溢れているはずなのに、どうしてここまで変態的な臭いがするのだろう。作者も首を捻りながらキーを叩くのである。
男子として貞節の危機というのは歓迎すべき事態のはずなのだが、いくらなんでも変態はいやだ、そんな一生の思い出はごめんこうむる。ユラは真剣に自分の身を護る為、習い覚えた武術の全てを駆使するつもりでいた。
わきわきと両腕の指を芋虫のようにイヤラシクくねらせながら、少女はへっへっへと笑ってよだれを拭った。さきほど、『わーここで奪われるんすね、自分』と言っていたが、今では自分が奪う気満々である。これで少女の性別が男性だった場合、美しい黒髪の女性を手篭めにしようとする不埒な男という絵が完成するだろう。なんか色々と間違ってる気はするけど。
少女は間合いをつめる為一歩二歩と進む。
「……こ、ここで犯罪行為を行ったら、二ヵ月後の鉄姫隊入隊試験に参加できなくなりますよ? 良いんですか?」
少女の実力は未知数。だが、その足運びから察するにかなりの修練を積んでいる事は間違いない。容易く負けるつもりは無いが、楽勝できるほど甘い相手でもなさそうだ。ユラは交渉で戦いが避けられるのなら、と思った。
だが、少女の返答はその考えを裏切るもので。
「鉄姫隊に入隊したかったのは、綺麗な筋肉をした人たちの中で仕事をしたかったからっす。しかし今は人生を棒に振ってもやりたいことが出来たっす!!」
破滅してでも変態行為に耽溺したいとは。いっそ天晴れな変態と言うべきか。なんてヤツだ、ユラはくらくらする頭を自覚した。
「……さあ、綺麗なお兄さん。覚悟してその引き締まった大腿筋で自分に膝枕をしてもらうっす!! 硬く鍛えられた上腕二頭筋を枕代わりにお昼寝するっす!!」
本格的に色々と危機を感じまくったユラは、獲物を前に舌なめずりするような少女に戦慄した。なんとか、何とかしなければ、思わず叫ぶ。
「待った!!」
「なんすか?」
わりと素直に答える少女。
「君は確か、入隊試験前に強い相手と戦いたいといったよね?! それなら僕が相手になる!!」
「生憎と今ではそんなことどうでもいいっす。今はただ、繰り広げたいだけっす!!」
何をだ。質問の言葉を気合を入れて噛み殺すユラ。
「でも戦う事は君にとってプラスになるはずだ!! そして僕が勝ったら何もしないで! 清らかなままでいさせて!! そして君が勝ったら……」
「勝ったら?」
「僕を遥かに上回るマッスルボディさんを紹介してあげる!!」
な、なにぃ?! と驚愕する少女。
この時、ユラ=イサオミは師匠を売る決心をした。
その決断は実はドーベルトの偉大なる前皇帝を生贄に捧げるという大変恐れ多い行為だったが、ユラはもちろんそんなこと知るよしもなかった。案外ご隠居が前皇帝であると知っていても言ったかもしれない。
ご隠居は今では第一線を退いているが、その実力は自分と桁が違う。長い戦いの人生の中で練り上げられたその四肢は今でも衰えない驚くべき強固さを誇っている。
「ほ、ホントっすか?! 本当にお兄さんよりも凄い体なんすか?!」
「うん、もの凄いよ!!」
ユラの断言に少女は興奮しすぎたのか、鼻血のアーチを吹き出しながら物凄く幸せそうな笑みを浮かべて後ろにぶっ倒れた。
あ、どこかで見たリアクションだ、と思う。
ところで。
作者も忘れかけていたりするが、ユラの当初の目的は少女に対して自分の本当の性別を黙ってもらうためだったのである。だが、話しているうちになんか追い詰められたユラは、もはやそんな目的など遥か彼方に蹴飛ばしていた。
もう、身を護るだけで精一杯だったのである。




