第3話
一週間後、花火大会当日。
待ち合わせ場所に指定した最寄り駅の前では、新太と同じく待ち合わせをする人で賑わっていた。
約束の時間は午後六時ちょうど。しかし美羽は時間になっても来ず、五分過ぎてから現れた。
「待たせてごめんね。着付けに時間かかっちゃって」
美羽は浴衣を着ていた。ピンク色の花柄の浴衣で、浴衣の柄に合う花の髪飾りを付けている。とても女の子らしくて、美羽に似合っていた。
とても似合ってるよ、と褒めると、美羽は照れながらありがとうと言った。
「じゃあ、行こうか」
新太が右手を差し出し、そこに美羽が左手を重ねる。ぎゅっと優しく握り、河川敷へと向かった。
花火が打ち上げられるのは七時からだ。それまでの間、河川敷に並ぶ屋台で夕食でも済まそうと考えていた。
たくさんの屋台が並ぶ中、オニオンリングを売っている屋台を発見した。屋台でオニオンリングとは珍しいなと思いながら、新太はそこに向かった。
「美羽、オニオンリング好きだろ? 買ってやるよ」
「えっ、本当? ありがとう!」
店主に二百円払い、紙コップに入れられたオニオンリングを受け取る。それを美羽に渡した。
「じゃあ、ふたりで分けっこしよっか」
「え? いや、俺は食べないけど……」
「あっ。オニオンリング苦手なんだったっけ?」
「オニオンリングっていうか、玉ねぎ自体が苦手なんだよ。……って、前に言わなかったっけ?」
「ああ、うん。そうだったね」
美羽がオニオンリングを一口齧る。
食べながら歩いていると、異変が起きた。「痛い」美羽が歩くのを止めてその場にしゃがみこんだのだ。見ると、下駄の鼻緒で擦れたのか皮が剥けて赤くなっていた。履き慣れない下駄ではよくあることだ。
「大丈夫か? 歩けるか?」
「ううん、ちょっと痛いかも」
ひとまず近くのベンチに座った。この足で人混みの中を歩くのは辛いだろう。本当は花火がよく見える場所まで行きたかったのだが。
悩んでいると、ある提案を思いついた。
「俺の家来るか? 結構近いんだ。ベランダからなら花火見えるし。ちょうど家族いないし」
新太なりに気を利かせたつもりだったが、美羽は怪訝な顔をした。
「行きたいけど……変なことしないよね?」
「……保障は出来ない」
「じゃあ行かない」
「わ、わかった! 何もしないよ!」
美羽を必死に説得する間、遠くのほうで花火が打ち上がる音が聞こえた。
河川敷から五分もしない場所に新太の家はあった。新興住宅街にある三階建ての一軒家だ。
新太の部屋は三階にあり、ちょうど花火が見える方向にベランダがある。絶好の花火スポットだ。
新太が自分の部屋に異性を入れるのは、家族を除いて小学生のときに鈴を入れて以来だった。
美羽をベランダへ案内する。先ほど自分たちがいた河川敷が見下ろせた。屋台の明かりと、大勢の人々がゆっくり動いているのが見える。河川敷の向こうではすでに花火が打ち上げられた。
打ち上げられる度、花火の色に照らされる美羽の横顔。新太は花火よりも美羽に見惚れていた。とても綺麗だ、と思った。
「ねえ、工藤くん。綺麗だね!」
先ほどとは違い、まったく疑いのない無邪気な表情を見せる美羽。そんな彼女を見て、今しかないと思った。
美羽の腕を掴み、ベランダから部屋へと引っ張る。突然のことで混乱しているのか、抵抗しない美羽をベッドに押し倒す。その勢いで美羽の髪飾りが取れた。
「えっと、工藤くん? これはいったいどういう状況なのかな……?」
「だって、俺たち付き合ってもう一年経つし、そろそろいいんじゃね?」
「で、でも、何もしないって言ったじゃん!」
「いや、確かに言ったけどさ。まさか本当に何もしないと思ってたのか?」
当然、受け入れてくれるだろうと思った。恋人同士であれば当たり前のことだと思っていたのだ。しかし、美羽の反応はよくなく、彼女は悔しそうに、歯を食いしばり目に涙を浮かべた。
「工藤くんの嘘つき」
嘘つき。美羽が放ったその一言を聞いて、新太の心の奥にあった糸が切れた。
「嘘ついてんのは美羽だろ」
「えっ?」
「俺、知ってんだからな。恵人のことまだ諦めてないことも、恵人に近づくために俺と付き合ってることも。お前は本当は俺のこと好きじゃないんだ。だからしたくないんだろ!」
そこまで言って新太は我に返った。こんなことを言うつもりなどなかった。こんな証拠もない鈴の言葉を鵜呑みにするなんて。
美羽がどんな反応をするのかが恐ろしかった。怒るだろうか、泣くだろうか。新太が何も言えないでいると、美羽は意味深な笑みを浮かべ、言った。
「あんただって、私のことそんなに好きじゃないくせに」
「!?」
その言葉は新太を酷く激昂させた。新太は一年生のときから美羽のことを一途に想ってきたのだ。その気持ちを踏みにじられた気がした。
「そんなことない! 俺はずっとお前のこと……」
「好きなんだったら! ……いい加減気付いてよ。私が美羽じゃないってこと」
「はあ? 何言って……」
そう言われて、新太はあることに気が付いた。自分が掴んでいる美羽の色白の細い腕。暗いところではよくわからなかったが、明るいところで見ると複数の痣が目立った。
新太はこの痣の正体が一瞬でわかった。剣道をしているとよくあるのだと、彼女自身が言っていたのだ。
「そうか。お前、美羽じゃなくて、翼か」
翼。白鳥翼。新太と恵人の友人で、そして白鳥美羽の双子の姉である。
一卵性双生児の美羽と翼は、外見だけでは区別がつかないほどそっくりな容姿をしている。顔や体型、髪の長さ、声までも、まったくといっていいほどそっくりだ。それでも美羽が美羽で、翼が翼だと区別が出来るのは、ふたりの性格や雰囲気、格好がまったく違うからである。
美羽は女の子らしくお淑やかな文化系の女子だが、翼は一人称が僕であるようにボーイッシュでクールな体育会系の女子だ。翼は、外見は美羽と同じく可愛らしい顔をしているのだが、スカートを穿きたくないという理由でいつもジャージを着ていたり、邪魔だからとセミロングの黒髪を後ろでまとめていたりと、女の子らしくする意識がまったくない。
このように普段、美羽と翼は双子らしくない振る舞いをする。そのお陰で区別がつけられているというのに、それを意図的に変えられてしまっては、いくら新太が美羽の恋人であろうと、翼の友人であろうと、気付けるわけがない。しかし、あんなに美羽が好きだと言った以上、気付くべきなのだろう。
「美羽は今頃、僕の振りをして高嶺と会っているよ」
愕然として放心状態になっている新太に対し、翼は淡々とこれまでの経緯について語った。
「もともと僕は高嶺と花火を見に行く予定だったんだ。そのことを昨日言ったら美羽は嬉しそうに『じゃあ入れ替わってよ』って言ってきたよ。お前のことなんて微塵も考えてなかった。僕の振りをしてまで高嶺と一緒にいたいんだよ、美羽は」
「何で……そうまでして美羽は恵人を……」
「さあ? 双子だからって何もかも似ているわけじゃない。僕は高嶺とよく一緒にいるけど異性として意識したことはないし、だから美羽が高嶺を好きな理由は知らないしわからない。……ああ、でも。これは双子の僕だからわかることだけど、美羽はお前が思っているほど淑やかな女じゃないぞ。自分が欲しいものを手に入れるためには手段を選ばない、傲慢な女だよ」
乱れた髪と直し、翼は立ち上がった。帰るのだろう。
「僕はこの件を黙っている。普通にふたりで花火を見ていたことにする。だから、ここから先はお前次第だ、工藤。これまでと同じように美羽と恋人でいたいなら、今日のことも自分の本音も黙っていろ。でも、どんなに頑張ったって、今のお前に美羽の気持ちが向くことはない。それに耐えられないようだったら、さっさと縁を切るんだな」
部屋を出ていく際、そういえば、と最後に言い残す。
「僕はあんまり好きじゃないよ、オニオンリング」
次で完結します。
全4話構成です。