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旧 月光のサルヴァトーレ  作者: 天宮 悠
3章:それぞれの目的
9/106

01

 それは、黒く深い闇に染められた雨が止むことなく地上を濡らしていた晩のこと。

 暗い、どこまでも暗い雲が空を隠していた。なのに、月だけはまるで手が掴めるほど近く、そしてはっきりと見えていて――


 それから後のことは、よくわからない。

 ただ、真っ暗な場所で体を打ち付ける雨粒に少しずつ手足の感覚が無くなっていくのだけは、瓦礫に埋まる幼い少女も理解できていた。体から体温が抜け落ちていくのを感じながら、少女はいずれ訪れる死を待つ。そう――そのはずだった。


 その時、瓦礫を退けた先にあるものに涙を流す男がいた。まるで我が子を慈しむかのように少女を抱きしめ、少女はその体に温もりを取り戻す。

 男の名はロイド・ブレンナー。この村で起こった惨劇にいち早く駆けつけ、ありとあらゆる手をつくして生存者を探した教会の執行者の一人。


 憮然と佇む執行者達の中でただ一人、彼は少女を抱きかかえ教会に走った。少女を助けるために。多く消えていった命の中に、この小さな命までもを含めてはならぬと。

 それから少女は男からレイナード・ブレンナーという名をもらい――彼の家族となった。




「――ナ――レナッ!」

「ん……」


 突如後頭部を襲う衝撃に、レナは振り返りながら頭を擦る。

 見ればリザが片方の頬を膨らませながら拳を作っている。どうやら軽めに殴られたらしいが、状況を見るにこれはどうにもレナが悪いのだろう。


「どうしたのよ、何度も呼んでるのに全然反応しないんだもん。空に何かある?」

「……うん、月が見ていたの」

「そっか…………が?」


 首を傾げるリザを他所に、レナはゆっくりと立ち上がって皆の元へ歩を進める。

 もうすぐ夕刻。まだ空は青いがすでに白い月が姿を見せ、じきに暗闇が天を覆い通くすことだろう。だから今日は、森の手前で野宿ということになった。


 そういうのに慣れたレナはともかく、他の女性陣から文句が飛んできそうなものだったが思いの外ユーやアティからそういった声は聞こえない。覚悟していたのか、気を使ってくれているのか分からないが不慣れなことには変わりないだろう。いずれ限界がやってくる前に何か対策を講じておいたほうが良さそうだ。そうなる前に決着が付けばいいのだが、まあこれは無理な話だろう。


「お、来たか嬢ちゃん。まあ座れよ」

「うん」


 ルークに言われ、レナは草の上に腰を下ろす。

 焚き火を囲んで皆が座る中、なぜかルークと他の者との距離だけ異様に距離が空いているのにはもう今更何かを言う必要もないだろう。誰も好んで触られに行く者はこの中にはいないのだ。


「しかしいいのか嬢ちゃん、もう最後の報告から結構経ってるんだろ? 急いだほうがいいんじゃねぇか?」


 ルークの疑問は当然のことだ。だが、急いでどうにかなるといえばそういうものではない。少なくともレナは今すぐにでも覚醒者に追いついて決着をつける気はないし、地図や街での情報から考えてもアレが森を抜けるには少なくともあと四日はかかるだろう。まだ時間はある。


 何よりも、闇に包まれた森の中を土地勘も無く街で過ごしてきたような子達に進ませるのは彼女たちどころかレナにまで危険が及ぶのだ。暗黒に包まれた森には音がなく、ただでさえ悪い視界は濃い闇のせいでまるで黒色の霧でもかかったかのように視界を塞ぐ。しかし、森に住まう者達にとってはそれが当たり前の世界。つまりどれだけ森が闇に飲まれても迷うことはなく、侵入者がいれば数キロ先からでもその存在を探知できる。臭いや音で狼に気取られればその遠吠えを聞きつけオークやゴブリン達がやってくる。もし運良く彼らに出くわさなくても、小さな毒虫に気づかず餌食になる可能性だってあるのだ。どちらも日中であるならば回避は容易。夜はあまりにもリスクが多すぎるのだ。


「夜の森を歩きたいならどうぞご勝手に。私は嫌よ、危険だもの」

「田舎育ちに言われると説得力あるな。おっさん、レナは山とか森のことに詳しいし、こいつに従っといたほうがいいぜ」

「お? そうなのか、いや助かるぜ。俺は市街地専門だからな」


 やや不満のある褒められ方だが、皆納得したようで異論を上げるものはいない。

 遅れてリザもやってきてレナの隣に座ると、本格的に今後の方針の確認に移る。その間、ほぼ無意識にレナはリザの髪を触っていたのだが、もう諦めたのか何を言うでもなくリザもされるがままだった。


「で、だ。まず金髪の嬢ちゃんに聞きたいことがある」

「なに?」


 金髪というとエイラもそうだが、彼女はどちらかといえばアッシュブロンドだしここで金髪といえば薄金色のレナのことを指しているのだろう。と、レナが返事をするとルークは一本懐からタバコを取り出しライターで火をつける。


「げぇタバコかぁ。あーあーこれだからおっさんは」

「なんだよいいじゃねーか。お前さんも吸うか?」

「吸うわけないでしょ!」


 これ見よがしに反応するユーにルークが彼女の前にタバコを一本ちらつかせる。ルークが何かするたびにツッコミが入る状況を彼は楽しんでいるらしく、どうやらユーの扱いを覚えてしまったようだ。


「さて本題だ。単刀直入に聞くが、嬢ちゃんは覚醒者と戦って勝つだけの勝算はあるのかい?」


 す、とルークの目が細まる。せっかくユーと彼が和やかにした空気も、この一言だけで凍りついてしまった。

 まあ、いずれは答えなばならない問いなのだ。嘘偽りなく結論を言ってやるしかない。


「そうね、無いといえばないし、あるといえばある……じゃ駄目かしら」

「何よそれ? はは、私の命を預ける人の答えとしちゃまた微妙なの来たわね」


 リザはチョコを一欠片かじりながら笑って肩を揺らす。その言葉には一切の怒気も含まれていない。茶化すわけで言ったのではない事は見透かされているようだ。


「でもそう、今は戦いたくないかな。多分、『今は』負ける」


 一部分強調していったレナの言葉に、リザの口にチョコを運ぶ手が止まる。やや顔を俯かせ一拍置いてから、何事もなかったかのようにリザは最後の一口を口の中に放り込んだ。


「なるほど……あの伝説をそう解釈したか。大体私と同じだね」

「あ……」


 レナが弄っていた髪をリザは奪い返すと、首だけを向けながら薄く笑みを浮かべてレナを正視する。怒るわけでもなく、呆れるわけでもなくただ答えを求めるために向けられた翡翠色の双眸がレナを捉えた。


「つまりそれは、アレを殺すために多くの命を見捨てるという選択だよ。そしてなにより――事が全て終わったあとで仕留めるなら、別に私達じゃなくてもいい。歴史がそう証明しているでしょう? 役目を終えれば、アレは誰かに必ず殺される」

「待て待て、二人で話をすすめるなよ。どういうことだ?」


 怪訝に首を傾げるルーク。それは恐らくユーやエドガーたちも同様だろう。みな揃ってレナとリザを見つめている。


「覚醒者の伝説……多分皆は私よりも知っているでしょう。アレの最後を知ってる?」

「えっと……確か、覚醒者は最後は誰かに殺されてるんだよね」


 自分の頭の中の記憶を必死に手繰り寄せるように指先で頭を突きつつ、ユーが答えた。まあこの答えでも問題はないだろう。


「そう、歴史に大きな変化をもたらしたあと、覚醒者は死んでいる。問題は、必ず歴史に影響を与えた後だってことよ」

「つまり何か? 嬢ちゃんはあいつを放置して、最後の最後でやっちまうって狙いか?」


 恐らくこの答えを予想していたであろうリザ以外の全員が驚愕に顔を染めた。皆が求めていたのは、覚醒者の即時排除なのだから当然だろう。


「今回アレが現れたのは恐らく戦争の終結のためだ……だから戦争おっぱじめてる国に現れた。しかも帝国の方にな。まてよ……ってことは、嬢ちゃんはオスティア軍が敗走するのを知ってて見て見ぬふりするってことか?」


 レナは口を閉じ、静かに首肯した。もっと希望のあるやり方があるものだと期待していたのであろう、皆ショックを隠せずに言葉を失い各々が気を沈める。まあリザは相変わらず特に関心がないといった感じだが。


「しかしよ……そいつぁあんまりじゃねぇか」

「でも死にに行くよりはましじゃないかしらね。もしレナの案を無視して正義感だけで無策に突っ込むつもりなら、私は降りるわよ。これでも無駄にできるほど安い命じゃないのよ、私は。そこの魔女さんたちもアガレス出身なら、分かるでしょ?」

「撃鉄の……魔女」


 重々しくユーが口を開いた。そういえばリザはそれなりに名の通った魔女らしいとキャンプを張る前にユーが言っていた気がする。


「そう、まだアガレスには私がいないとね。だから死ぬと分かってるようなところに行くつもりはないわ。それに、これは別に私に限った話でもないでしょう? アティなんかまだ小さいんだし」


 皆レナのやり方に理解はできても納得はできない、そんな様子だ。無理もないが、これが最善なのだ。

 だが、そこで付け足すようにリザが言う。


「でも――それ以外の選択肢を期待して、わざわざ私まで呼んだ上であなた達を集めたんじゃないの? 私を呼んだ奴は、少なくともそれを望んでいるようだったけれど?」


 リザの視線が再びレナに向けられた。いや、リザだけでなく皆の視線が。

 しかし、レナにはこれ以上の策など考え付きもしない。何かを試すにしても、圧倒的にレナの技量が足りなさすぎるのだ。


「そもそもそれが間違いよ。あのオリバーとかいう奴は一度退けたからって何か私に特別な力があるみたいにさ。私はただの……」

「違う。そうだよ! あの貴族のおっさんはレナが魔法使いだって!」


 目を輝かせながら、ユーが声を荒げてレナの肩を掴んだ。しかしその情報は間違っている。


「いや、それは……」

「そうだ! 俺も教会での話は気になってたんだよ。お前も魔女なのか?」


 エドガーからも追求するような視線を受け、これは言い逃れも出来ないと判断したレナは観念したように両手を大袈裟に広げた。あのまま有耶無耶になってくれればそれでいいとも思っていたが、これもおそらくは遅かれ早かれ結局語ることになっていただろう。


「違うわよ。私は生まれも育ちもオスティア。魔女じゃないし、そもそも魔女なんてのがいるのはつい先日知ったのよ私」

「つまり、私ら魔女みたいなのとは違うってことだよね?」


 ユーの問いにどう答えるべきかと、レナは首を傾げる。レナ自身もそれほど魔法について知っているわけではなく、その知識は全て父であるロイド・ブレンナーから得たもので、教えられた以上のことは殆ど知らないと言ってもいい。それはレナ自身が魔法について学ぶことをせず、今まで銃のことに全てを注いできたからというのもある。

 知らないからと咎められるわけではないだろうし、とにかく知っていることを話せば誰かが妙案を思いつくかもしれない。ともかく言ってみるだけ言ってみよう。


「魔女ちゃん達が使ってるのも魔法だし、それそのものがどんなものかはわかってるわよね?」

「そこまではね。本来人間には魔力がないから魔法は使えない。だけど、特別な処置を施した魔女という存在だけが人でありながら魔法を使える。……一応、それが今の世界の常識よ」


 リザが補足する。概ねこれはレナが思っていた通りだ。魔法自体は知っているが、恐らく漠然としてしかそれを理解していないのだろう。


「魔法ってのは簡単にいえば、普通できないことを可能にする力。物理の法則に縛られないでね。ただしそれを行使するには魔力が必要不可欠。だから体内でそれを生成できる魔物や、魔力そのものを生み出してる精霊なんかが使うのが普通よね。……でも、人間だって手順さえ踏めば使えなくはないのよ。要は魔力をどうにかすればいいわけだから、魔力を帯びたものを触媒にしたり、周辺から魔力を集めたりそれそのものが魔力を帯びた言葉を含む詠唱なんかを使えばね。まあこれが真っ当な魔法の使い方よ」


 百聞は一見にしかず、だ。レナは腰の鞘から一振りの短剣、神剣フラガラックを取り出す。


「一番人が使うので簡単なのは、魔力を帯びていて且つ最初から魔法の術式を埋め込まれている物ね。それの効果を理解した上で起動するように念じてやれば発動する。そこの木、見てて」


 言い切ると、レナはフラガラッハを真上に放り投げた。寸分の狂いなくレナ達の直上で回転しながら空に上がっていく神剣。そして一同の視線はレナが指差した五メートルほど先にある樹木に集中する。


「って、なに上に投げてるのよ!? わああああ!?」


 一番最初に反応したのはユーだ。飛び退くように身を引いて、重力に従い次第に落ちてくるであろう短剣から逃げるためレナ達から遠ざかっていく。


「ふぅん……面白いね」


 やはりというか、リザだけはみなと違い動揺せずフラガラッハを見つめていた。

 目一杯上に上がったフラガラッハは、重力に引かれレナに落ちてくる――はずだったが、突如その軌道を変えまるで誰かが空中でもう一度投げたかのように勢いを更に増し、レナが指した木――の、すぐ横の地面に突き刺さる。


「ま、私じゃこんなもんよ。当然、使用者の適性とか練度で魔法の効果は上下するわ」


 レナはフラガラッハに手の平を向ける。と、戻って来いと頭の中で強く念じた。それだけでフラガラッハは次第に揺れ始め、ひとりでに地面から抜ける。瞬間、


「うおう!?」


 投げた時とは打って変わって銀色の軌跡を描き、弾丸さながらに銀の閃光を放ちながら顔面に飛来したフラガラッハをレナは既の所で柄を掴み取ることに成功。だが危うく脳天に刺さりかけたことに動揺を隠しきれるはずもなく、レナは大きく息を吐いた。


「やっぱり私じゃただの短剣として使った方がよさそうね。とてもじゃないけど父さんのようには出来ないわ」

「あら? それあなたの両親の物なの?」

「ええ、元々はね」


 レナはリザとの会話をそこで区切ってフラガラッハを鞘にしまう。心なしかユーの顔が曇った気がしたが、まだレナの過去を気にしているのだろうか。


「とまあこれが普通の魔法。それを行使するのが魔法使い。今の世間がどうなってるかはわかんないけど、魔法使いからすればあんたら魔女のほうが異常よ。そもそも魔法使いって秘密主義だし。あいつらが魔法を公開したとは考えにくいから、どっかのイカれた国の組織が実験でもして作ったものじゃないの? 薬、使ってるんでしょう」


 とはいえ魔女は全てアガレス共和国で生まれるという。あの国で後ろ暗い話は聞いたことがないとユーも言っていたので、その線は薄いだろう。もっとも、一介の魔女が知る由もないところで行っている場合は別なのだが。


「そうね、たしかにそうだわ。それと、あなたの話を聞く限りじゃたぶん魔法使いは複数の魔法を使えるのよね? 魔女は一つだけ。やっぱり私達が使う魔法は本来の魔法とは違うのかしら? 触媒とかもなしに発動できるし」


 レナは顎に手を当て思案する。それに関しては一概に魔女が使うものが魔法ではないとは言い切れないからだ。実際病院で治療してもらった時に見た彼女たちが使う魔法が魔力を帯びていたのは確かだし、呪術や方術の類とも違う気がする。であればレナなりに出せる答えとして、一つの可能性は提示できる。


「いえ、多分あなた達が使うのも本当の魔法よ。一つだけなのは……多分刻印の力を強制的に引き出してるから……だと思う」

「刻印?」


 リザの疑問にレナが首肯する。

 魔女の特徴は、魔力の消費なしに触媒や詠唱を介さず魔法を一つだけ行使することができるという点だ。いや、恐らく魔女は対価となる魔力を消費している。それに気づいていないだけだろう。レナの仮説が正しければ、恐らくそうのはずだ。


「人にはね、生まれた瞬間から持っている自分だけの魔法が一つだけあるのよ。それはその人自身を表し、その人たらしめるもの。魔法使いはそれを刻印って呼んでる」

「一つだけ……あ」


 何かに気づいたように、リザが手を打った。

 人が生まれ持つ刻印。それは持ち主自身を表す、世界に一つだけの魔法。そして魔女が使う魔法も、たった一つだけ。考えられることは一つだ。


「魔女の魔法ってのは、薬とかで刻印の力の一部を切り取ってを強制的に発動させるものだと思う。刻印はその人自身であり、それそのものが膨大な魔力を持った魔法そのもの。魔力源は自分という存在そのものよ」

「じゃあつまり、私らは使えば使うほど寿命とかが短くなるとか?」


 レナはゆっくりと首を振る。重苦しいレナの態度に、自然と魔女達の表情が強張った。皆、自分が何者でどういう存在なのかを理解し、それによってもたらされる悲劇的な結末をそれぞれの頭の中で想像していることだろう。

 レナは顔を伏せ、囁くように言う。


「違うわ。刻印を酷使するのは肉体だけに負荷をかけるわけじゃない。あなた達の精神、肉体……そして、自分という個を形作る根源的なものを蝕まれる。いずれにせよ、あなた達の果てにあるのは……」

「あ、あるの……は?」


 ユーが身を乗り出し、レナに顔を寄せた。紫色の瞳が揺れ、今にも泣き出しそうなほど沈んだ色のまま輝いている。ごくりと唾を飲み込む音が聞こえてきて、レナは肩を震わせながら堪えるように手に力を入れ拳を作る。


「何の苦労もなく、平穏で幸せな老後じゃない? ふふっ」

「はぁ!?」


 何故か魔女以外の男陣までもが揃って同じを顔しながら声を上げた。レナも堪えきれずに吹き出してしまうと、肩を揺らして笑う。目を丸くして驚愕する魔女達は一体どんな想像を働かせていたのかと、一人ひとり聞いてみたくなるほど滑稽だった。


「あなた達ねぇ……人一人分の存在の力ってどれだけのものか分かる? 何十人って魔法使いが幾つもの工程を重ねて発動させるような大規模な魔法ならともかく、リザみたいなのなら一生使ったってお釣りが来るくらいには刻印の力は余ってるわよ」


 そもそもそんな危険なものなら、ここまで魔女という存在が広まる前に魔法使いたちが禁忌として淘汰しているはずだ。そうしていないということは、それほどの脅威は無いという証明だろう。ただ厳格な魔法使いたちは魔女などという存在を忌み嫌うはずだが、目立った邪魔もされていないようだし、アガレス共和国にはそういった手合いの連中を黙らせるだけの何かがあるのだろう。


「意地が悪いなぁ……でも安心したわ。じゃあ変態を何度ぶっ飛ばしてもいいってことね」


 リザが意味深にルークを見つめた。ただでさえもう半分以上使いきっているであろう寿命をルークはリザのせいで更に削ることになるだろう。自業自得なのでレナも擁護する気はないが。


「で、でもよかった……そっか、大丈夫なんだ」

「ええ。ごめんね、ちょっと意地が悪すぎたかも」


 目尻に薄っすら涙を浮かべていたユーの頭を撫でてやると、ベレー帽の両端を持って深く被り、ユーは僅かに頬を赤くしながら俯く。一応ユーもレナより少し年下らしいので、あまりからかうのは大人げないので控えよう。


「ねぇ、じゃあその刻印ってどんなものなのかレナはわかったりするの?」


 興味ありげに聞いてきたのは、やはりリザだ。彼女はこういったことに対して関心があるのだろうか、ユーたちより積極的に魔法について知ろうとしてくる。ルークとのやり取りで見た粗暴な言葉遣いとは裏腹に、理知的な人なのだろう。


「いいえ、刻印ははいこれです、って見せられるものじゃないから。自分の精神というかなんかよくわからん深いところにあるものらしいし。だからあなた達みたいに外部から何かを加えないかぎり、魔力源として使うことも出来ない。引き出しの中にあってもそれを開ける鍵がない状態ね。だから人間は魔法を使えるだけの魔力がない。たまに刻印の効果が勝手に発動してる子もいるようだけど。あと刻印に関してはまぁ、調べてくれる鑑定士がいるはずだけど生憎とその伝手は無いわ。私が知ってることは、刻印には形状と性質っていう二つの要素があって、形はだいたい三つ、魔法か神秘それか神聖。イレギュラーもあるみたいだけどだいたいこの三つで、普通の人の形状はたいてい魔法。この形状ってのは生まれた瞬間に決定するものだから、よほどのことがない限り変わらない。逆に性質はその人の境遇や歩んだ人生で変質していく、これがあなた達をあなた達たらしめるもの。それぞれ個人個人で変わってくるものね」


「ふむ……つまり、マークはみんな似たようなものだけど、そこに込められた意味は違う。刻印ってのはそんな感じの解釈でいいのかな?」

「理解が早くて助かるわ。私も魔法に関しては父さんに教えられた限りしか知らないから、こういう説明とか苦手なのよ」


 リザが差し出してきたチョコを一切れかじりながら、レナは一息ついて地面に倒れ込んだ。とりあえず魔女達には満足出来るだけの情報を与えてやったつもりだ。というか、これ以上はレナだって知らない。


「むむむ……待って、じゃあ私ら魔女は使う魔法イコール自分の刻印ってことなのかな? じゃ、じゃあ私は……おぅ」


 ユーが勝手に落ち込んでしまった。そういえば、結局彼女の魔法はまだレナも知らない。というかエイラの治癒しかわからないと言ってもいい。覚醒者と戦った時はお互い余裕がなかったので魔法をかける暇もかけられる余裕もなかったが、今後のことも踏まえて事前に味方の能力を知っておくことは大切だ。


「そういやユーはどんな魔法が使えるの?」

「えぅ……今、それ聞く?」


 ついにベレー帽を顔の前まで持ってきて覆い隠す。最初は魔法で助けてやると言っておきながらなんだ、と半目でレナは見据えながらもユーに詰め寄った。


「だって、知らないままってわけにもいかないでしょうよ。別に補助魔法だからって恥じることはないと思うけど?」


 レナが知っているのは、ユーの魔法は直接攻撃を加えるものではないということだけだ。だが下手に遠距離魔法で援護され背中にぶち当てられるなどという事態を起こされるよりは補助的なものの方がよっぽどましだ。


「――か」

「え?」

「強化……身体能力を上げる魔法よ」


 ベレー帽の端から目をちらっとみせて、ユーがしぶしぶといった感じに言った。たしかにありがちといえばそうだが、どこに恥じる要素があるというのだろうか。


「え? え!? それ恥ずかしがるところある!?」

「だ、だって! 私たちは刻印の性質が私達が使う魔法なんでしょ? 私の存在が強化って意味分かんないし……」

「あ、あー……」


 なるほど、とレナは頬を掻く。それからしばし顎に手を当てながら考えて、一つの結論を出すことに成功した。


「いやぁ、魔法が刻印の性質そのものってわけじゃないと思うけどなぁ。結構性質は漠然としてるのが多いらしいから、ユーの場合はみんなを助ける! とかそういう性質が強化って形で魔法になってるのかも」

「そ、そうなの!?」

「いやだって、強化って意味分かんないし。ユーが自分の体鍛えることが人生唯一の楽しみです! ってんならそれでもわかるけど」

「そ、そっかぁ……よかった」


ほっとユーは胸を撫で下ろす。それを見てレナは笑うと、ついに地面に寝転んで瞼を閉じた。

 明日からは森の中を進む。そうなると休む時も気を張らねばならないし、しばらくはゆっくりと休養を取ることは出来ない。これが最後の安寧の時間となるだろう。


「まあとりあえず、さっきのとは違う選択肢も考えてみるわよ。けど期待はしないで、私は魔法使いと呼べるほどのもんじゃないんだし。リザもそれでいい?」

「ええ、あなたがちゃんとした答えを出してくれるまでは一緒にいてあげるわ。って、もう寝るの?」

「うん。リザ達も今のうちに休んでおいたほうがいいわよ。森の中ではゆっくり休んでいられないから。男どもは交代で見張りしててね。特におっさん」

「俺かよ。はは、まあいいさ。若けぇのは今のうちにたっぷり休んどきな」


 きっと目が覚めれば戦闘が続く毎日だ。森の心得を知っているのはレナのみ。戦力はリザとルーク、そしてエドガーとレナの四人。相手が覚醒者となればこれでも貧弱極まりない編成。どう動くかが鍵となる。


 とはいえ、あれが世界の法則に縛られ不死となっているのならば、現状で倒す手段は世界の法則に縛られぬ武装か魔法を使うくらいしかないのだが――

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