05
輝く太陽が暖かい日差しを注ぐ昼の平原。しかし空を舞う鳥も草原を走り回る小動物も辺りには見受けられない。
ただ一点、さながら戦場と見紛うその惨状がこの平原の平穏を妨げた理由を物語っていた。
地面が抉れ、緑の平原は所々土の色が浮き出ている。その中心部で、対峙する者がいた。
一人は男。初老の兆しが見える白髪の混じった髪と髭に老いを感じさせる肌。しかし体は筋骨隆々、まさに肉体が武器なのだと主張するそれは鋼のように鍛え上げられた体躯を見せつけるように上半身裸のまま腕を組んで佇んでいる。
もう一方は女性だ。アストライアのように白く美しい髪を風になびかせながら、気品ある佇まいの中に混じる殺気を隠しもせずに男を睨みつけている。
女性が手を振ると、指の隙間から抜け落ちたライフル弾の薬莢が宙を舞った。男はそれに眉を動かし、慎重に女性の動きを見定め次の一手を思案する。女性は腰に吊るしたポーチに手を入れ、再び指の間にライフル弾を収めた。見たこともない使用法だ。本来銃弾は薬莢底部の雷管を叩かなければ発火しない。ゆえに銃にはそれを叩く『撃鉄』と呼ばれる部品があるのだが――
「死ぃぃぃぃねええええ!」
瞬間、女性が叫んだ。一歩踏み込むと同時に繰り出された拳。もし射程内に人がいれば、男性でも吹き飛ばされそうな勢いがある。だが男と女性の距離は十メートルほど。その細腕のリーチに男はいない――が、女性の攻撃は拳そのものにあるのではなかった。火薬の炸裂音を響かせ、ライフル弾はそれを撃ちだす銃もなしに弾丸を飛ばした。
が、男は突如飛来する弾丸を身を捻り回避。そのまま地を蹴っての女性の元へ走る。
素手でライフル弾を発火させる技能こそ評価できるが、女性の最大の欠点は銃と違い再装填を自分自身で行わなければならないことだった。空薬莢を放り投げポーチに手を入れた頃にはもう、男は目の前まで接近。女性の顔ほどもある大きな手の平を伸ばすと、何かを揉むような動作で指を動かした。
「ぎゃー!? やめろ馬鹿変態!」
「おおっと!? あぶねぇなぁ嬢ちゃん、落ち着けって」
男の手が触れるより先に繰り出された女性の上段回し蹴り。一歩身を引いて男が回避するが、女性は空振りした勢いをそのままに軸を右足に変え体を回転させながら左足での回し蹴りに繋げる。
しかし、回避できないと判断した男はそれを腕で受け止める。女性の蹴りは鍛え上げられた筋肉の装甲を貫くだけの威力はなく、片足を上げた状態で止まってしまった。
「うむ! 白!」
「ぎゃー!?」
まあ当然だが、女性はスカートなのでこの体勢だと男から下着が丸見えである。おまけに不安定な姿勢なのをいいことに男が女性の右足を払い、支えるものを失った女性は背中から地面に打ち付けられた。とはいっても下は土と草しかないのでそれほど痛くはないだろう。
度々聞こえた台詞からして深刻な状況ではないことを察したレナ達は巻き込まれないように傍観に徹していたが、正解だったようだ。おおかたあの男に卑猥なことでもされたのだろう。もしもう少し早く合流していれば、レナたちも餌食になっていたかもしれない。
もっとも、女性からすればかなり危機的状況ではあるのだろうが。
「ははは、この距離で俺に勝とうなんざ十年は早いぜ嬢ちゃん。あと次からはもっとエロいパンツ履いてくれよな」
「っく!」
「おっと、もうやめようぜ。待ち人来たる、だ」
男に指さされ、二人の動きに見とれていたレナは我に返る。勘違いならどれほど嬉しいことかと考えていたが、やはりあの二人がオリバーの用意した仲間のようだ。そして、どうやらその実力は申し分ないことも今まさに証明してくれた。勘定に入れてなかった指揮官の方も命令を下すより戦闘向きなのは僥倖だろう。
「……あなた達が例の?」
鋭く尖った翡翠色の瞳がレナに向いた。そこに親しみの色はなく、男に向けられていたのと同じ殺気を放ち威圧する。獣と相対した時と同じだ、牙をむき出し威嚇する狼。まさにあの女性はそれを体現している。
それを以ってレナ達の度胸でも試したのか、あるいは本当に馴れ合いはせぬと威嚇していたのか。もはやそれはどうでもよく、そのような獣の脅しなど――いや、それ以前に女性のあの髪。あんなものを見せられてはレナも黙ってはいられない。
「そうよ。お二人ともよろしく」
「んぁ……よ、よろしく」
気圧されたユー達を捨て置き、表情一つ変えずにレナは平原の坂を滑り降り女性の元へと進む。屈しないレナに目を丸くさせ、女性はただレナが自分の側に寄るのを見つめていた。そして、
「おお……ふわもふでさらつやだ。ふわもふさらつや……」
「おおわぁ!? ななななに!?」
しゃがみ込むと同時に髪を掴んでは感触を確かめるように弄くり回すレナに驚愕し、女性は跳ねるように立ち上がり身を反転させレナの方を向くと身構えた。明らかに異質な行動に警戒させてしまったようだ。
「あ、ごめんなさい。私、白い髪を見るとつい……」
「いや、どういう性癖してんのよ!?」
ぺしん、と女性の手がレナの頭を軽めに叩く。ノリは良さそうな人だ。
「はぁ……まあいいわ、こんなことしてる場合じゃないしね。私はリザ・H・ドール、それとこのおっさんは――れ?」
白髮の魔女――リザが指で示した先に、先程までいたはずの男がいない。二メートルはあろうかという巨体をこの平原で見失うはずもないが――と、その場にいた誰もが油断した時だった。
「隙アリィ!」
どこからともなく聞こえた男の声。それは、レナの背後から聞こえたような気がした。
「うしろうしろぉ!」
半狂乱気味に叫ぶリザはレナの背後を指差すやいなや戦闘の構えを取る。そこでレナも何事だと振り返ったところで――まあ、なんというかそこでレナが何をされたかといえば、がっしりと男の手がレナの胸を包み込んでいたわけだ。こう、もにゅっと。
「――ひぇっ!?」
「おお!? こいつァ意外と……」
「あ……あな、たは……」
肩を震わせ、レナは爪が食い込む勢いで拳を握る。男の相手は代わり、静かに第二ラウンド開始の合図が鳴らされたのだ。
「うおっと!? こっちの嬢ちゃんもやべぇなおい」
体を男の方へと向かせながら、レナは同時に腰の鞘からコンバットナイフを取り出し振りぬく。さすがに刃の部分を向けはしないが、ナイフの背でも肉厚の刃は叩くだけで十分な威力がある。灸を据えるには十分な威力のはずだ。
「あんたホントいい加減にしなさいよ!?」
「げぇ、二対一かよ!」
当然のようにリザが参戦。レナと二人で男を挟むように攻撃を仕掛けるが、戦闘経験は豊富なのか男はレナのナイフを手で受け流し、同時にリザの拳を避ける。
あと一歩のところで距離を離され、レナとリザは決定打を入れきれずにいた。この距離で俺に、などと先ほどの言葉はどうやら嘘ではないらしい。どうにもこの男の実力は近接戦闘においてレナとリザのそれを上回っていた。
胸を揉まれた怒りだけで勝つには難しい相手。ならば実戦のように振る舞えばいいだけのことだ。レナはナイフを振りながらもゆっくりと息を吐き一度自分を落ちつかせる。冷静になれば活路も見えてこよう。だが、
「ああああもう! 一発くらい入りなさいよ!」
「あ、駄目!」
レナが注意するが、功を焦ったリザが不用意に踏み込んだ。その先では、明らかに何かを揉むような動作で今まさに手を伸ばそうとしている男の腕。
「もう一揉み――貰ったぜェェ!」
「――そこだ」
それは、二度訪れるかもわからぬ好機。一瞬、完全に男の注意はリザへと向けられた。それは瞬く間すらにも満たない僅かな時間。だが確実に、その時男はレナから注意が逸れていた。
レナはナイフを振る腕を止め、屈んで足を伸ばしそれを男の軌道上に置く。突然出来た障害物に男の足は取られ、前のめりになってリザの胸を捉えたはずの手は空を掴んだ。
「うぉ!? ちょ、待てお前――」
レナが役目を終え顔を上げると、視界には止めと言わんばかりにリザが放ったアッパーが体勢を崩した男の顎を貫いていた。
前のめりになりかけていた男はリザの拳により後方へ倒れ、そのまま転がって勢いが弱まった頃には緑の床に大の字で倒れこむ。
「へっへーん! 大勝利! 死ね変態! あ、そうそうナイスフォロー。私ら結構息合ってるね」
「え、ええ……ありがと」
どうでもいいが、リザはそうだがあの男も仲間のはずだ。激情に任せてやってしまったものの、リザの拳の威力は反省の二文字をあの男から吐き出させる前に死を見せそうで怖い。
まあ治療のためにエイラが駆け寄っているし、大事にはならないだろう。たぶん。
だが最後まで警戒は怠らず、だ。エイラが犠牲になるのを防ぐために、レナは彼女の元へと歩き出した。
「皆元気そうで何よりだな! ははは!」
レナはおろか、エドガーですら隣に並べば子供と見紛う巨体を揺らし男は笑う。
男の名はルーク・ランバート。オスティア軍強襲部隊の大尉らしい。つまり、この人がレナ達の指揮官ということになる。
「はぁ……それはそれとしてランバート大尉、その手を止めてもらえると助かります。エイラが私の後ろから離れないので」
「むおっ? こりゃ失敬。癖でな」
ルークが意味深に動かしていた指を止めると、やっとエイラがレナの背後から姿を現す。ルークの一挙一動で肩を震わせてしまうエイラはもう彼がトラウマになってしまったようだ。
「最低な癖ねそれ!? ほんともう死んでくんない!?」
もう反射的に口が出るようになってしまったリザをとりあえず置いて、レナは顔を後ろに向けて背中にぴったりとくっついたエイラを見る。ルークはあろうことか顎の治療をしたエイラのお尻を触ったのだ。というかあれはあれで当たりこそしたもののリザの渾身の一撃も効いていなかったようで、ルークは派手に転がりやられたふりをしていただけらしい。その餌食になったのがエイラである。さすがのレナもエイラがルークの側に寄ってすぐに手を出すとは思わず対応が遅れてしまった。
「はは、何だか癖のある連中だな。さて、時間もないし歩きながら話すとするか」
「了解です、ランバート大尉」
「あー、それ止めだ止め。堅苦しいから好きに呼んでいいぜ」
「はぁ……じゃあルークさんで」
「おう! 揉みがいのある乳のねーちゃんよろしくな――ぐお!?」
リザのことも言えないな、と思いながらレナは反射的にルークの脇腹に肘打ちを食らわせる。今度はまともに入った。油断していたというわけでもないし、わざと貰ってくれたような感じがする。
「レナだっけ? このおっさん置いていこう、ヤバい」
「はわわ、それはさすがに可哀想ですよリザさん」
レナの目の前で揺れ動く二つの白い髪。ふわふわでもふっとしてそうなアティと、サラサラで艶のあるリザ。どちらの白髪も甲乙付け難い。気づかれないように凝視して堪能しているレナに、リザの言葉は欠片も聞こえていない。
「んでもさぁ……私らはともかくこの子みたいな小さい子にまで手を出したら……」
「おいおいさすがに俺もお前さん方がギリギリ……ふむ」
言って、ルークがアティの体を足から順に腰と来て、胸で視線が止まる。そのまま顎を手で擦りながら顔を近づけるルークの頬を、アティが思い切り引っ叩いた。それはもう平原中に響くほどの音を立てながら。
「いてぇ!?」
「きゃーどこ見てるんですか!」
腕を体に回して明らかにルークを警戒するようにアティはユーの後ろにつく。そこはエイラの特等席だったのだが、先ほどの戦闘でレナの方が盾として機能するとわかったのかずっとレナの背にくっついている。
「ちょっと、アティ怖がらせないでよ」
冷ややかにレナが目を細め、懐疑の視線をルークに向ける。
「わりぃわりぃ。ちゃんと嬢ちゃんのことも……まあなんだその、頑張れ」
「今どこ見て言った? ねぇ今どこ見て言ったコンチクショウ」
憐れむ視線をユー――の胸に向けるルークに殴りかからんとするユー。そう、ユーの胸は後ろのアティより小さい。アティがあの年頃の子より少し発育が良いのを考慮した上でも、年上であるはずのユーのものは少しばかり出来がよろしくないのは誰が見ても明らかだった。
「レナこいつぶっ飛ばして! この変態を!」
「…………」
声を荒げて叫ぶユーだが、その声はレナには届かない。当のレナは、リザの髪を愛でるように触っている。
「レナー!」
「うおう、なに?」
「何じゃないわよ何してんの!」
「いや、白い髪を見るとつい」
「つい、じゃないわよ馬鹿! あーもーなんで変なのしかいないのここは」
一人地団駄を踏むユー。まあこれはこれで空気は悪くない。むしろ良い方だろう。これから先に事を考えると、これくらい余裕のあるメンバーで良かったと心底思える。と、レナは一人納得するとアティに駆け寄り、本人の意志を聞かず髪を弄り始める。
「わわわっ!? レナさん!?」
そんな光景を後ろから距離をとって見ていたエドガーは独りごちる。
「なんか俺が常識人みたいに思えてくるなこれ」
大方間違ってはいない。エドガーがそれを理解するのは、もう少し先の話。
ともあれ、こうして覚醒者を追うレンジャー部隊のメンバーは集まった。
『治癒』の魔女、エイラ・ヘーゼルダイン。『強化』の魔女、ユリアナ・グリント。そしてアガレス共和国からの助っ人であり、『撃鉄の魔女』としてその名を馳せるリザ・ドール。
それを率いるはオスティア軍特務強襲部隊所属、ルーク・ランバート大尉。そして、仲間思いの軍人エドガー・ワイズマンと謎の少女アストライア・シンシア。
彼らと共に、孤高の狩人レイナード・ブレンナーは伝説に挑む。その果てに、何が待ち受けていようとも――