04
部屋を出たレナ達は、待ち合わせの場所へと向かうためアパルトメントの玄関へとやって来た。
軽く受付の者に挨拶を済ませ、レナ達は大通りへと繰り出す。と、一歩外へ足を運んだ先で、妙なものが視界に映る。
いや、そう言っては失礼にあたるだろうか。だがそう言っても差し支えないほど、その『少女』はこの場所において異質な存在だった。
彼女が首を動かすたびに揺れる雪原のような白い髪は見た者全ての心を奪い、誰かを探すように揺れ動く赤と青の瞳はこの場においてそこだけ別次元的な特別な存在感を放っていた。
「オッドアイかぁ、珍しいね。って、あれ?」
「うーん、あの子……」
白いワンピースを翻し、オッドアイの少女は目当ての人物が見つかったのか手を振りながらレナ達の方へ走ってくる。
「あ……」
そこでようやくレナとユーは思い出した。あの子はあの時基地で助けた少女だ、と。
つまり探し人とはレナ達だろう。レナの顔を見るやいなや少女の顔は笑顔で一杯になり――そこから油断したレナの胸に少女が飛び込んでくるまでの時間は、覚醒者が飛びかかってきた時のそれ以上に速かった。
「おうっ……っとと」
「わぁー! レイナさんですよね? 会いたかったです!」
「はは、その呼ばれ方は初めてだ。うん、私だよ」
その子を一言で言うならそう、犬だ。村にいたおばあちゃんの犬にそっくり。それがレナが抱いた少女への印象だった。
人懐っこくて、すぐに擦り寄ってくる。つい頭を撫でてやりたくなるような――何よりもこの少女の白い髪が、
「ふわふわもふもふだ……」
恍惚な表情でレナは一心に少女の髪を撫で続ける。まんざらでもないのか少女もそれを許し、ただ一人ユーだけが奇異なものでも見るように呆れ果てていた。
「こらこらレナ何してんのよ」
「っは!? そ、そうだ。なんで君がここに?」
我に返ったレナが視線を少女の顔に落とす。ちょうど少女とレナの身長差は顔ひとつ分違っていた。
「あ、そうでした! えっと……まずは自己紹介からですよね私はアストライア“ヘックス”シンシア。えーっと、魔女……でしたっけ。そういう人らしいです。オリバーさんに言われて、レイナさんたちに付いて行けって言われました!」
眉を吊り上げ敬礼するアストライア。しかしオリバーという名は初耳だ。
「オリバー?」
「えっと、こう目がつり上がってておヒゲがあって……」
ぎこちなくジェスチャーで容姿を説明するアストライアは見ていて滑稽な動きをし、神秘的な容姿と反しておかしな行動に道行く人の顔に笑みがこぼれていた。当然、それを目の当たりにしているレナたちも同様だ。
「あっはは、なるほどあの人ね。わかった分かった。そっか……でも大丈夫? 私達は怖い人を追いかけることになるんだけど」
アストライアが言っているのが昨日の貴族の男だというのはわかったが、レナ以上に若い少女を連れて行くべきか迷うのは人として当然だ。もしかしたら死ぬかもしれない、そんな結末があり得る世界に連れて行くには彼女はまだ若すぎる。むろん、それはレナ達も同様ではあるのだが。
「はい! それに、オリバーさんが言うには私はここにいたほうが危険だって」
「……あなたが?」
「はい。なぜかは教えてくれませんでしたけど……」
今一度レナは彼女のことを思い出してみる。帝国の基地で何かの実験をされていた少女。そして同時にあの場で目覚めた覚醒者。結び付きがあるかどうかは分からないが、少なくとも帝国の実験体というだけでも十分に怪しい子なのだ、たしかに軍の連中ならこの子を利用して帝国に交渉を仕掛けたり、とにかく良くないことに利用されかねないのはレナでも分かる。
「うん、そうだね。まあ魔女なら……ユーはどう思う?」
「私は別に。それにリーダーは実質レナなんだし、レナの好きにしていいよ」
「私が?」
リーダーという言葉に違和感を覚え、レナが聞き返す。
「そうでしょ? だってアレを倒せるかもしれないのはレナだけなんだし」
「……」
「何よ変な顔して」
呆けた顔をしてユーを見つめる。と、不満そうに頬を膨らませたユーに鼻をつままれた。
「いたた」
「しっかりしてよもう」
「えぇ……いやいやそうじゃなくて。私がリーダー?」
「そうでしょうよ、あなたしかアレと戦えないんだから」
「うーん……」
貴族の男――オリバーというらしいが、彼が言うにはレナが覚醒者に対抗する希望らしい。覚醒者の伝承はレナもこの一週間の間に本を読んで知ったが、知識を得れば得るほど抗ってどうなるものでもないのだと、それは歴史が証明している。
相対する者すべてを壊す。それが覚醒者。レナは確かにアレと打ち合い生き残ったが、それだけだ。
そんなただの少女に大層な願いをかけてくれたものだと、レナは嘆息する。
もっとも、レナとて最初から勝負が決まっている者に挑むほど愚かではない。何よりそれではレナはともかくユー達があまりにも可哀想過ぎる。死ぬと分かっていてそれに付き合わせるようなはた迷惑な自殺はレナだってしたくはない。これも一応算段あっての行動なのだ。
覚醒者は例外なく世界のバランスを変えた後、人間に討たれ死亡している。つまりアレの無敵っぷりは期間限定ということだ。
アレがなぜ現れるのか、それは誰にもわからない。もしかしたら神様が人の在り方を変えるためにわざと送りつけてくる裁きの執行者かもしれないし、この世界のどこかに人を監視する賢者みたいな者がいて、そいつが魔法を使って生み出した兵隊かもしれない。
そんなことは誰にもわからないが、とにかく役目を終えた覚醒者は死ぬ。それだけは事実だ。
だからレナは待つ。アレが役目を終えるその瞬間を。
なるべく被害が出ないように急げとオリバーは言った。だが、それでは駄目なのだ。狩人は狩人らしく、獲物が見せる一瞬の隙、それだけを狙いそれが来るのをただひたすら待つ。もしかしたら倒せるかもしれない、そんな焦りが失敗を誘う。急いては事を仕損じるのだ。
きっと多くの人がアレの手にかかり命を落とすだろう。レナとてそれを許容できるほど非情ではない。拾えそうな命はできるだけ拾う、だが己が力を超えた範疇で無理をすることだけは絶対にしない。それは自分を殺すだけでなく、これから先自分が助ける命すら踏みにじり、自分を待つ者を苦しませることだということをレナは知っているから――
「レイナさん?」
「ああうん、なんでもないなんでもない」
不安そうにレナを見上げるアストライアの頭を再度撫でる。無垢な少女の笑顔がレナの心にかかりかけた霧を払ってくれた。
「それじゃあ行きましょうか。他の人を待たせてもいけないし」
オスティア首都シュテルン。その西側の門からは数キロにもわたる平原が広がり、水平線の向こうでは例の森が鎮座している。
ここからずっと北に行ったところでは戦争をしているなど、到底思えない平穏さだ。それがこのシュテルンを囲む強固な石壁のお陰か、あるいは民が単に意識していないせいかなのは分からないが。
しかしそんな静寂も、一つの怒号によってかき消される。
「おっせーんだよ! 今何時だと思ってる!」
「えっと……一時半、ですぅ」
「はいそこー! まじめに答えなくていいからねー! しかもこいつらに言ってるんだし」
律儀に隣で背伸びしながら遠くに見える時計塔の文字盤を確認するエイラに突っ込みながら、エドガーが地団駄を踏んだ。
待ち合わせの時間は一時だったのだが、突然のアストライアの参入と思いの外道に迷ってしまったのでレナ達は結局三十分の遅刻である。
「まあまあ、女の子連れてきたんだし許してよ」
「小さすぎんだろ! 手出したら犯罪じゃねーか!」
「手出すつもりなの……」
「わわわっ!?」
さり気なくアストライアを抱いて、レナが庇いながら後ずさる。
「出さねーよ例えだろ! このクソ女がぁ!」
「ああぁ? 別にエドガーみたいな雑魚なんぞ来なくてもいーんだぞ」
「わっわ!? ね? お、落ち着きましょ二人とも?」
結局そのままレナとエドガーのやり取りは続き、間に入ってなだめようとするアストライアが涙目になりそれを見かねたユーが介入してくるまで終わることはなかった。
そんなことで十分くらい無駄に浪費してやっと本題に入ったレナ達だが、悲しいことにこの時既に他に二名ほど仲間がいることを覚えている者はいない。それが逆に幸を呼ぶなど、誰もこの時知る由はなかったのだが。
「で、つまりアストライアちゃんも一緒に連れてくのか」
「そういうこと。まあエドガーよりは使えるでしょ」
「てめぇ……」
「わー!? わー! よろしくおねがいしますね、エドガーさん!」
これ以上争われてはたまらないと思ったのか、アストライアが間に入ってエドガーの手を無理やり取る。それでエドガーも落ち着きを取り戻したようで、これ以上レナに突っかかることはなかった。
「おお、こっちこそよろしくなアストライアちゃん」
「お、そういや名前ちょっと長いねぇ。アストライアはニックネームとかなんかないの?」
ユーの提案にアストライアは腕を組み人差し指を顎に当てて思案する。その姿も愛らしくてレナはついアストライアの頭を撫でてしまう。エドガーとユーから冷ややかな目で見られたのは言うまでもない。
「あ! そういえばオリバーさんがアティって呼んでくれてました! うん、響きもいいし……アティって呼んでください!」
「そうか、じゃあよろしくなアティちゃん」
「よろしくアティ。あとレナはいい加減アティから離れなさいよ」
「えー……」
しぶしぶレナがアストライアから離れる。と、それまでアティにかまけて気付かなかったが何やらエイラが慌てている。
「あれ? エイラどうしたの?」
「あわわ、皆さん皆さん。もうお二人……その、お会いしなくちゃいけないんじゃ」
「あ……」
そこでやっとレナも仲間があと二人いた事を思い出す。確か待ち合わせは一時半。さすがに初対面の相手を待たせるのはまずい。
「急ごう。もう手遅れだけど」
だが、この遅れがレナ達にとっての幸運だったのだ。少なくとも、ユーとエイラにとっては。