02
「さて、ではどこから話そうか……」
蒼く染められたマントに描かれた、天を仰ぐ鷲を象ったオスティアの紋章。窓から差し込む光を受け、黄金の鷲は輝く。
「そうだな、とりあえず覚醒者の居所から報告しておこう。最後に確認されたのは、君達がいた場所から北西に五キロ程進んだ森の中心地辺りだ」
「その報告はいつのものですか?」
「三日前だね。君にしてやられたあと、休憩を取りながら北上している。恐らく前線の本隊と合流するつもりなんだろう。残念だがこれ以降の報告はない。偵察隊も森の魔物や獣に手酷くやられてね」
森の中心地。ともすれば人型の魔物の巣があっても不思議ではない。あいにくとレナはこの辺の地理に詳しくないのであそこに何が生息するか把握していないが、森となれば住む魔物や獣の類の種類くらいはおおよそ見当がつく。大方オーク辺りにでもやられたのだろう。普通の兵士は人と戦うことに長けていても、都会育ちなら尚の事魔物と戦う術を知る者は少ないはずだろうから。
「じゃあもう合流してるかもってこと?」
「いえ、それはないわユー。森はそう簡単に抜けられない。魔物もいるなら――いえ、あいつにそれは考慮しなくていいか。それでも空を飛べでもしないかぎり、まだあいつは森の中よ」
「ほう? そう思う根拠は?」
興味ありげに顎をさすりながら、貴族の男が言った。
「森と山に囲まれたところで育ちましたから……ああいうところがどんな場所かは私は十分理解しているつもりです」
「なるほど、資料にあった通りというわけか。その割に田舎娘という風貌でもないが……これもお父君の指導の賜物かな?」
「……どうでしょうね。それよりも、支援の方はどうなっているんです?」
「ああ、それなんだが……」
どうにもばつが悪そうに頭を掻く仕草をする辺り、期待はしないほうがいいと見た。熟練した兵士はみな前線にいっているのだろうし、そもそも覚醒者相手ならそういう者を行かせたところで無駄に消耗する可能性がある。ならエドガー達のような新兵をあてがったほうが向こうとしては痛手は少ない。あとは、レナとの連携やらを考慮した結果こういう編成になったとかそれらしい理由をつければいいだけだ。
「なにせ戦時中だ。割ける戦力は少ない。とはいえ君達だけでは困難な相手だ。ブレンナー君も士官学校を出たわけでもないし、指揮を取れる人間は必要だろう。そこで勝手だが二名ほど私の方で助力を頼んでおいたよ」
「指揮官……ですか?」
「まあそう警戒することはないよ、人格はどうあれ頼りになる御仁だ」
さらっと問題な発言をしたように聞こえたが、決定事項に口を出す面倒はこの際省くとレナは肩を落とした。
ともあれ二人分戦力が加わるのであれば一応は頼もしいか。無論それだけやられた時の被害が増えるということでもあるが。
「二人とも士官の方ですか?」
「いや、もう一人は魔女だよ。そっちの二人はどちらも補助的な魔法を主とする子たちだからね、直接の戦闘に特化した子をアガレスに無理を言って貸してもらった。それほどにアガレスも覚醒者の誕生を危険視しているということでもあるのだがね」
なるほど、と頷いてレナは口を閉ざした。
つまりその魔女を合わせて戦闘できるのはエドガーとレナの三人。あの狂戦士相手では心もとないが、あれほどの相手ともなれば量をいくら増やしたところで無意味だろう。少なくとも戦闘中にレナとエドガーが危険にならない程度の技術を持つ者であってくれさえすればいい。それをまだ知らぬ魔女に期待しつつ、次の話題へと移ろうとする男に目配せした。
「と、戦力はそんなところだね。これでも心細いだろうが、今私にできる限りの全てがこれだけなんだ。わかってほしい」
「構いません」
「すまないね。で、だ。これから君達はオスティアのレンジャー部隊として活動してもらうことになる。その方が一般兵科よりも融通が利く」
レンジャー。たしかオスティアのレンジャーというと、対人戦ではなく魔物の討伐やそういう類の者が集まる場所の探索警備をする役目を担う者達だったか。ちょうどその辺りの事はまだ習っている途中だったのでレナはそれほど詳しく知っているわけではないが、武装もそれなりに自由で国外への出入りも比較的楽にできると聞いた。特にアガレスは他の国のような大規模な軍隊は持っていないので、オスティアとレーベン帝国双方に魔物の討伐依頼を頼むことがあるのだとか。そういう時に出ていくのが、オスティアではレンジャー部隊というわけだ。
なにより、狩人のレナにはその役職はちょうどいい。
「さて、そこで装備なんだが……君達に希望はあるかな? ある程度は希望に添えるよう努力させてもらうよ。この紙に必要な物品を書いてくれ」
男が差し出したのは、一枚の白紙とペン。それを受け取ると、レナはエドガー達の方へ向き直る。
「何か必要な武器はある?」
「あたしら魔女はそういうのいらないかな。私もこの子もそういうの使う訓練してないしね」
ユーの隣でエイラもこくこくと頷く。まあ最初から彼女達はレナも戦力としては勘定に入れていないので問題はない。
「エドガーはどうする?」
「いつも使ってる武器がいい……が、どうなんだ? それでいいのかレナ」
「なんで私に聞くのよ……いいんじゃない? あ、でも剣か何かは持っておいたほうがいいかもしれないわよ」
慣れ親しんだ地で、しかも最初から狩る対象が決まっている狩りならともかく、森を進むなら魔物との不意の遭遇戦も考慮してしかるべきだ。
とすれば対人用に設計されたオスティアのモデル16ライフルはオークのような強靭な体躯を持つ魔物だと筋肉で弾が止まってしまうので、それ以上に強力な弾丸を使う狩猟用の銃か刀剣の類が必要だ。
「なんでよ? 言っておくけど俺、剣なんざ使えねーぜ」
「魔物は人より数倍頑丈なのよ。軍のライフルじゃ何発も撃たないと倒せないわ。弾も切れたらおしまいだしね。まあ私達の目的はあくまであの覚醒者なんだし、銃はそれでいいと思う。ただ他にももう一つくらいあったほうが安心できるわよってだけよ」
「あーなるほどな。そんじゃあ、あれだ。確か軍用の小さい斧があったよな? あれで」
「はいよ。じゃああとは……ん、よし。えっと、これだけお願いできますか?」
「うむ」
最後にレナの必要分を書いて、男に手渡す。男はそれを受け取ると、紙に視線を這わせる。
「ブレンナー君の物は……これは市販の狩猟ライフルと、ナイフに一世代前の軍用拳銃だね。これだけでいいのかい?」
「ええ、十分です。使い慣れた物が一番なので」
不慣れな銃で痛い目を見るのは、覚醒者との戦闘で嫌というほど見に染みた。加えて、ライフル弾を食らっても素知らぬ顔で襲ってこれる覚醒者相手に現行の軍用拳銃は押し留めることもできるかどうか危うい。そこで、人に使うには無駄に大口径で装弾数が少ないからと捨てられた一世代前の軍用拳銃を選択した。
「それに、剣はそちらがもう用意しているのでしょう?」
レナの視線が男の背後、静かに佇む教会の神父へと向けられる。フードで顔は隠れているが、僅かに見える頬の皺から老人だということが伺えた。そしてその老人の手の先には、一本の細剣が握られている。
鈍く光を放つ黒い鞘には悪目立ちし過ぎない程度に銀の装飾が施され、鞘を見ても分かる刀身の細さから骨を断ち切るよりも刺突や引き切ることに特化したものなのだろう。まあとりあえず、狩った動物を解体するのにはあまり役に立たなそうだ。
「ああ、気づいていたのか。まあなんだ、これから死地へと向かう君へ私からのちょっとした贈り物だよ。神父、それを彼女に」
ゆっくりと近づいてくる神父が、ローブの上からでも分かるほど触れただけで折れそうなほど細く肉の削げた腕を上げその手に握られた物をレナの前へと差し出す。
そこまで近づいて初めて、神父の顔が完全にレナの視界に入り込んだ。その顔に浮かべられた柔和な笑みに、レナは剣ではなくそちらの方に気を取られてしまう。
レナも笑みを返し神父から視線を外さず剣を受け取ると、不意に親父の手がレナの手の平に重ねられた。
「大きくなりましたな。百夜殿に勝るとも劣らないほどに美しく成長なされた」
「どこかでお会いしましたっけ?」
百夜――それはレナの母の名だ。名を聴いただけで過去の記憶が蘇り、不意にレナの鼓動が早くなる。レナが母の百夜と過ごした時間は一年にも満たない。だが、あのどこまでも全てを包み込んでくれる柔らかな微笑みと温かなぬくもりは今でもはっきりと覚えている。
百夜がいなくなってからは、レナは父であるロイド・ブレンナーに育てられた。いや、それでもまだ違う。ロイドもまた、レナと二年の歳月を共に過ごしたあとに百夜が失踪したという報告を受け村を立ってしまった。それ以降の十二年間は村で良くしてくれた狩人の老人の下で育ったので、むし他人から見ればあの人の方がレナにとっては親とも言えるかもしれない。
だが、ロイド・ブレンナーと如月百夜はレナにとって大切な人なのだ。彼らとともに過ごした時間は限りなく短い。それでもレナにとってはこの二人と――そしてあの村の記憶こそが全てなのだ。
「覚えておらんでも当然じゃろうな。あの雨の晩……君を抱いたロイド君がこの場所に駆け込んだ。そして君は、伝説に立ち向かうためこの場所を訪れた。これもまた、運命なのかもしれんの」
「父さんが……」
目を伏せるレナの手に、神父はもう一振り布に包まれた何かを手渡す。布の上から振れても分かるほどの金属質の硬さ、そして形状からしてこれは短剣だろうか。
「これは儂から君への贈り物じゃ。百夜君を追ってここを立つ前の晩、ロイド君が置いていった神剣じゃよ。これは、今後君が持っていたほうがいいじゃろう」
「父さんの神剣……じゃあこれはフラガラック」
「うむ。ロイド君がこれを向かってきた敵に投げると、鎧を着た兵士はその体を貫かれ、その背後にいた兵士の胸をも穿ち、更に刃は反転して隣の兵士の背中を突き刺したとされる……持ち主の意のままに動き敵を穿つ神剣じゃ。きっと君の助けになるだろう」
「ありがとう……ございます」
こうして、細剣と短剣の二振りを貰ったのはいいが、問題はレナに才がないことだ。というより、禄に訓練していないといったほうがいいだろうか。
「ご老人も人が悪い。そんなものがあるなら、私もオスティアの城から宝剣を引っ張り出してきたものだが……まあいい、その剣の名はノブレスオブリージュ。近衛騎士団が使っている剣だ。教会の祝福を受けただけの……まあ、その短剣と比べれば取るに足らない凡庸な剣だよ」
「ええっと、こっちもありがとうございます。でもその……」
レナは気まずそうに言い淀む。貰っておいてなんだが、使えないものは使えないのだ。
「なんだね?」
「私、剣って使ったことないですよ」
瞬間、神父と貴族の男は揃って同じ顔を作り口を開けた。まさか――まさにそんなことを思っているのを上手く表現出来ていると思う。
「き、君はロイド・ブレンナーに育てられた。間違いないんだね?」
「はい、でもそれってすごく短い時間で……あとの十二年位は村のおじさんに銃習ってました」
「はは……皮肉なものだな。真性の銃嫌いだった彼の娘が銃使いか……まあそれもいいだろう。その剣は刀身がミスリル銀で出来ている。教会の祝福もされているからただの武器として使う以外にも使い道はあるはずだ」
「ええまあ、くれるなら貰っておきます」
手に持った感じでは、二振りともそれほど重量はないように思える。というよりフラガラッハは鳥の羽根のように軽い。細剣も丈こそ中々だがこれくらいならばそれほど重量を圧迫はしないだろう。できるだけ身軽でいたいレナにはちょうどいい。
「これが私が君にしてやれる精一杯だ。敵は伝説、今の君達には大きすぎる相手だ。だが、わかってほしい。もう私たちは、君のような可能性に縋るしかないということを」
「……はい」
それが覚醒者。一度姿を現せば、全てを破壊し蹂躙する伝説。覚醒者になった過程、素質を問わず、そうなった者は時代に変革をもたらす。かつて王の圧政に苦しんでいた国に現れた覚醒者は王とその軍を屠り、大戦争に現れた者は付いた陣営に必ず勝利をもたらし、もう一方には確実なる敗北を。絶対に抗えない力の具現化とでもいえばいいだろうか、これはもうそういう類の現象だ。
「必要な装備と先に言った二名の協力者との合流場所は使者を使い追って知らせよう。とはいえ時間がない、早くて明日、最低でも明後日には覚醒者追撃に出てもらう。いいね?」
貴族の男に答える声はない。だが、その場にいたレナとその仲間達の瞳は、言葉に出さずともはっきりと意思を伝えるように真っ直ぐで、そして輝いていた。