04
レナは一人暗がりの中へと消えていく。その背中を見送って、ルークは今も迫り来るもう一つの脅威に意識を集中した。
「リザ嬢よぉ、とりあえずここから離れるぞ。ちっぱいちゃんやアティを巻き込めねぇ」
「誰がちっぱいだこら――むぐぅ!?」
ユーが叫びかけると、ルークは人差し指で彼女の口を塞ぐ。睨まれたが今はこうする他無い。今ここで正確な位置を敵に知らせるわけにはいかないのだ。
「わかってる、行くわよおっさん」
「おうさ」
先陣を切ってリザが倒木から飛び出すと、少し離れたところで銃声が二度響いた。それぞれ異なる銃声。恐らくレナと狙撃手はもう戦い始めている。彼女たちの世話を任されたルークとしては心苦しいが、狙撃手という戦場でもかなり厄介なタイプの敵が相手なら、森という場所に慣れ且つ同じ特性を持ったレナが相手をする方が危険は少ない。
あとは、姿も知れぬもう一人の敵をリザと二人で押さえ込めれば大丈夫なはずだ。伏せた駒がいるにしても、エドガーがいれば少なくともアティ達もすぐに殺されはしないだろう。
「分かってると思うけど、私の魔法は殴れなきゃ効果は薄い。どうするおっさん」
待ち構えるように二手に別れ木の影に身を隠しつつ、リザが言う。
リザの魔法は触れた対象に衝撃を加えるもの。それで普段は銃弾底部の雷管に衝撃を加えて発火させ、弾を飛ばす戦法を取る。これがリザが撃鉄の魔女と呼ばれる所以である。
更にこの魔法は直接対象に触れていなくとも物越しか、あるいは一度魔法をかけた物ならば手から離れても発動する。とはいえ一度リザの手から離れた場合は効果が八割減な上コントロールし辛く、リザはもっぱら対象に銃弾の先を触れさせた状態で魔法を使うことにより、銃弾の着弾に合わせて最大出力で衝撃を加える事による一撃必殺の――まあ簡単にいえばとんでもない威力の打撃だ。試した限りでは一撃で城の巨大な鉄の城門を歪め、石積みの家の壁を吹き飛ばすくらいの威力がある。
最大の欠点は、威力を絞れないのと範囲を限定して使用するのが困難なことだ。石なら石、銃弾なら銃弾と物一つそのものにかけるのは問題ない。だが、例えば人間だ。腕を掴んで腕だけに衝撃を、とはいかない。掴んだ人の全身に衝撃を加え、全身の骨どころか体組織を壊滅的な状態に追いやってしまったこともある。そういう局地的な運用ができないのだ。
「俺が敵との近接戦になったらお前さんの腕じゃ俺にぶち当てかねんだろ。そんときゃ一緒にぶっ叩きに行く。相手が遠距離タイプだったらお前さんが弾飛ばして牽制。その間に俺が近づく。いいな?」
「了解、一応指揮官さん」
「何だ一応って」
つかの間の談話。リザも戦闘自体はかなり場数を踏んでいるのだろうし、新兵のように臆することはそうないだろう。こと戦場において実力は持っていても、それを十分に発揮できるかどうかは別の話なのだ。
昔ルークが戦った戦場でも、エリートを育て上げる学校を出た新兵達で組まれた隊の者達は訓練場とは違う実戦の空気や、あるいは教本通りに動かない敵兵に蹂躙され散っていった。
「……リザ」
「ん、なに?」
「無茶すんなよ。死に急ぐな」
きょとん、とルークの言葉にリザは虚を突かれたように目を丸くした。数秒呆けて、やっと言葉の意味を理解したのかリザは顔を逸らして頬を掻く。
「……言ったでしょ、私は死ぬ気はないわ。死にそうになったらアンタら捨てでも逃げるから」
苦し紛れに無理やり引き出したかのような言葉。これはルークの予想でしかないが、きっとリザは見捨てて逃げるような真似はしないだろう。かつて戦場で共に戦い、そしてルークを庇い死んでいった仲間達も決まってルークにはそう語っていた。あとはそれなりに歩んできた人生での経験だ。この歳にもなるとなんとなくだが、特に若い手合いの考えていることはなんとなく分かる。言葉を数度交わせばそれとなくだか相手の性格を察することができるのだ。
むろん、中にはまるで感情が読み取れない鉄仮面を被ったかのような人物もいはするが。それで言えばあの中でならレナがそうだ。表面上は――いや、内側に到るまで気の良い人物を演じているが、その心の奥底、根底にある部分はまるで読み取れない。真っ黒な闇の中、あるいは神々しいまでの光に遮られているかのように奥底に秘めるものの存在が掴めない。確実に何かがある、だがそれは厳重に蓋をされ、誰も気づけない、触れない、見れない。あれではもう、当の本人でさえもその存在に気づけているかすら――
「待ち伏せなんて無粋ね。あんたらが隠れてる木ごと消し飛ばしてもいいのよ?」
ルークの思考は少女の声により中断させられた。上手く隠れたつもりだが、それ以上に相手の察しが良かったらしい。
「嬢ちゃんみたいなのに見つかるたぁ、俺も腕が鈍ったみてぇだな」
しぶしぶ木の影から出て敵の姿を確認する。紺色の髪と瞳。体格はユーと同じくらいだろうか、レナよりひと回り小さいくらいだ。シャツのボタンを止めずに、その下に着た黒のタンクトップが体のラインを露わにしている。特に胸のあたりを。そう、それはいうなれば絶壁。いや、可愛らしくまな板と言った方がいいか。これが豊かな膨らみを持つ二つの丘を有した女性――そう、隣りにいるリザくらいあれば今すぐにでもルークは跳びかかっていた。しかしこれはユーですら鼻で笑えるレベルの無乳。ユーでももう少し女性らしい膨らみというものがある。
自分でも知らずに気落ちしていたのか肩を落としたルークの様子に気づいた少女は、その体躯に見合わぬ強大な両刃剣を地面に突き刺し目を細めた。そして、彼女の怒りの感情を表すかのように片側で結った長い髪が揺れ動く。
「あんた今すっごい失礼なこと考えたでしょ。ぶっ殺すわよ」
「い、いやぁ別に胸とか見てねーし? 好みはそれぞれだからそれはそれでアリなんじゃねーの? とか思ってねーし。俺は巨乳派だが」
「おっさんいろいろ漏れてるわよ。てか厄介そうな相手だし挑発すんな」
胸のことを指摘された少女は肩を震わせ一度地面を強く踏みつける。と、ゆっくり深く息を吐いてから両刃剣を地面から引き抜いた。その黒く妙な光沢というか艶のある刀身には、土の汚れは一切付いていない。
「悪いけど、あんた達はここで潰す。あいつをオスティアの連中の好きにさせる訳にはいかないわ」
身の丈の倍はある両刃剣を回転させ、少女が構える。一振り剣が空を裂くだけで、離れたルーク達ですらよろめくほどの剣圧が起こる。一撃でも貰えば致命傷は確実。しかし、それ以上に奇妙な黒色の刀身を持ったあの剣にはなにか特殊な力がありそうだ。でなければ、どう見てもあの少女が扱うには無駄が多すぎる。
仮に何も能力が無かったとしても、巨大な鉄板をそのまま研いだようなあの特大剣の前ではどんな鎧をつけていようともその重量で潰され両断される。ルークが下に着込んでいるシャツは防刃効果があるが、あくまでナイフなど軍人用の装備を考慮したものでこういった特例の手合いに対しては意味を成さない。
どちらにせよ、この少女を倒すには魔法使いであるリザの力が必要だ。
「来るぞ、撃鉄の魔女の噂くらいは俺も聞いてらぁ。期待していいんだろ?」
ルークが言うと、リザは鼻で笑って親指を立てた。
「――当然」
瞬間、先に動いたのは両刃剣の少女だった。
十メートルは離れていたであろう距離を一瞬で詰めると、ルークの胴くらいはありそうな幅広で長い刀身を活かし横に薙ぐようにしてリザとルーク両方を一斬の下に切り捨てようと振り切った。ルークは飛びのき、リザは屈むことでそれを回避。
「大振りすぎるのよ、あんた」
囁くように言って、リザは片膝を付いたまま地を蹴って少女の懐に飛び込む。その拳、指の間には、オスティア軍が採用するモデル16の5mm弾が挟まれていた。
その強大さからどうしても大振りになりがちな両刃剣の欠点を付いた攻撃、しかし少女も素人ではない。振り切った勢いを保ちつつ、足を軸にして体全体を回転させ剣を振り二撃目。
防御手段を持たないリザではな防ぎようもない一撃。が、刃は水平に一の字を描くように横に薙ぎ払われ、それが逆に回避を容易とさせる。リザはその場で飛び両刃剣を回避すると空中で拳を構え、銃弾と打撃の合わさった魔法を起動する。右手の指に挟んだ銃弾が、仄かに輝きを放ったような気がした。
「ッ――速!?」
「ぶっ飛べ!」
空から打ち下ろされる一撃必殺の拳。
舌打ちしながらもなんとか少女は剣を振りきる前に盾になるよう自分の前に持ってくると、彼女の体を覆い隠すほどの幅広の刀身がリザの拳を受け止めた。
瞬間、大砲が着弾したかのような轟音と粉塵が巻き起こる。
「くぅ――ぁ」
「くっそ、硬い!」
両刃剣も合わせれば百キロ近いであろう少女を剣ごと最初に立っていた位置まで押し戻し、リザは火薬の匂いを漂わせる空薬莢を投げ捨てた。少女の剣に傷はない。まともに当てたはずだが、あの剣もどうやらただの無骨な鉄の板というわけではなさそうだ。
「おっさん、行ける?」
「おうさ、二人でかかればやれそうだな」
ルークも前に出る。二人でなら、倒せないほどではない。少女の練度自体はそれほど高くないようだが、あの剣にだけは注意を払っておく必要がありそうだ。
「……ムカつく。あんたら……よくも」
少女の方も今ので火が付いたようで、剣を持ち直し切先をルークたちへと向ける。その瞳に先ほどのような遊びはなく、次以降の一撃は本気で受けねばそれすなわち死を意味することとなるだろう。
先に仕掛けたのは、またも両刃剣の少女。両刃剣の刃は大振りでこそあれ当たれば致命傷は避けられない。いかに回避を行うかが重要だ。
最初に狙われたのはリザ。幅広の刀身を垂直に立てての突きが高速で迫る。それをリザは横に数歩分動いて回避し、その隙にルークが仕掛ける。大木のような豪腕を振るい、少女に殴りかからんとするが、ルークの拳は少女の細腕で容易く止められてしまった。
驚愕に目を見開くルークを見上げ、少女は呟く。
「馬鹿ね、私みたいなのが普通にこの剣を持てると思ったの? 舐められるのは好きじゃないわ……あんた達はここで私が潰す」
なんとか少女の手を振り払うルーク。それに合わせてリザも腕を振るうが、それが体に触れるより先に少女は飛び退いて距離を取る。
「我は請う。七天が一柱、炎の精霊よ」
誰にいうでもなく、少女は囁くようにそう言った。
僅かに、周囲の空気が重くなる。それを歴戦の経験から肌で感じ取ると、ルークは直感でなにかまずいものが来ることを予感した。
「まずい。リザ、一気に攻めるぞ!」
「え? ああ、う、うん!」
二人合わせての同時攻撃。ルークとリザ、二人共打撃が主体の攻撃のため、自然と少女の懐に入ることになりあの両刃剣も思うように触れないのか近づくたびに少女は下がりながら一定の距離を保ち、適切な位置を見つけるとそこで最小限の隙で斬撃を放つ。そう、大振りだった攻撃は全て隙の少ないものに置き換えられ、リザ達を近づけまいとする動きに変わっていた。どれも避けるのは容易く、しかし距離を詰めることが出来ない攻撃。これはまるで、何かをするための時間稼ぎのような。
「その身に纏いし紅蓮の炎、その力にて憐れな我らに普く厄を払い給え」
そして再び紡がれる少女の言葉。これはそう、お伽話に出てくる呪文のような――
「灼熱の海は全てを焦がし、融かして灰へと変える。起きろ獄炎の剣。灼けろ我が敵よ」
――そこでルークは理解する。少女が今まさに何をしようとしているのかを。
そこで逡巡するは、ここで更に攻めるか退くか、だ。攻勢に出たからとアレを止めさせられるとは限らない。退いたからとて避けられるとは限らない。この賭けに、己の命だけでなくリザの命までおも乗せねばならぬ状況。だがルークは迷いつつも決断する。答えを出さぬは最悪の結果しか生み出さない。確率は五分と五分。ルークは答えを選択し実行する。
「リザ退け! まずい!」
「今更――っち!」
反抗するリザだが、少女の両刃剣の黒く輝く刀身が熱を帯びた鉄のように橙色の色を纏うのを見ると、彼女もまた経験からまずいと察したのかすぐに距離を取るとルークとともに少女と反対側に走りだした。
その時だった――
「焦がせ灼熱の炎、全て燒き消す猛火の陣!《ヴォルカニックフレア》」
それを一言で表すなら火山の噴火。少女の足元から湧きだした赤く燃えたぎる岩漿が、さながら間欠泉のように噴出し周囲の空間を一瞬で赤く染め上げる。近くにいるだけで肌が焼け焦げるほどの熱気は幻ではないことを意味し、触れれば人間など容易く壊してしまうことをその姿、そして力で本能的に理解させる。
灼熱の炎は全てを飲み込み、森の一帯をマグマの海へと変えた。その規模こそせいぜい小さい家ひとつ分ではあるが、それだけの範囲をこうして一瞬の内に変化させてしまったのはまさに奇跡の所業。先にレナが見せた剣を操るそれの比ではない。
むろん、それに驚きを隠せるわけもなく、ルークは視界に広がる火の海に呆然と口を開けたまま立ち尽くしていた。それは、リザも同様だ。
「なんだよ……こりゃあ」
「これが、本当の魔法……なの?」
その圧倒的な力に、二人は足に重しでもつけられたかのようにその場から動かず、いや動けずにいた。あんなものを使えるものが相手なら、ただの人間が到底勝てるはずもない。
「くそっ」
ルークが声を上げる。どうしようもない。さすがの魔女もこんなモノ相手は手が余るだろう。と、そこで――ちりちりと焼け付いた土と木が音を立てる中、もう一人この場で叫ぶ者がいた。
「う熱っち!? 熱!? なにこれ熱い!」
それは両刃剣の少女。岩漿の池の真ん中で、地に剣を突き刺し天を向いた柄に器用に登り手をぶんぶんと振っていた。
それを見、再度ルークは呆然と口を開ける。
「ね、ねぇおっさん……」
「言うな。その、なんだ……何も言うな」
アレについてなにか言ったらその時点で負けなのだろうと。いや、何に負けるかはともかく突っ込んだ時点でいろいろ台無しなのは確か。
とにかく剣の上で自分が生み出したマグマから必死に逃げようとしている少女に対して何かを言っては駄目なのだ。
「ひぃ……やっ、ちょ!? や、焼け――熱、熱い! ひぇ」
ともあれ、敵は自滅した。