03
僅かに体を動かす。ずきりと腹部が痛んだ。
忌まわしげにレナは自分の脇腹に視線を落とすと、その先から突き出たものに目を細める。
周囲に漂うレナの身を案じる視線を意に介さず、脇腹に突き刺さった木片を握るとレナはそれを乱雑に引き抜く。
多少呻き声を上げてしまったが、大して傷を広げることもなく木片はレナ体から離れ、血で赤く染まったその身を放り投げられると別の大樹の幹に当たり四散した。
しかし、体内から溢れんとする血を押さえていたのは紛れもないあの木片。抜いてしまったせいで傷口から溢れる血をポーチから出した包帯を当てて押し留め、レナは顔を苦痛に歪める。
「エイラ、止血だけお願い」
「で、でもちゃんと治療しなきゃ……」
「今は時間無い。血が止まればそれでいいから」
最低限の言葉だけ交わし、エイラが作業を始めるのを見るとレナは視線を敵がいると思わしき方向へと戻した。
エイラの治癒魔法は使用中淡い光を放つ。しかもその効果を上げれば上げるほど光量も上がっていくのだ。こんな月明かりもさほど差さない暗い森の中でそんなことをすれば、居場所を敵に知らせるようなもの。レナ達が隠れている倒木もその大きさこそ巨大であれど、具体的な位置を把握されてしまえばあの巨砲に狙われて全員死ぬしかなくなる。
加え、事態は最悪の方向に転んでいった。
己が存在を隠しもせず、草木を掻き分け地を蹴る音を響かせながら狙撃位置と別方向から誰かがレナ達に迫ってくる。つまり相手はここで決着を着けることを決めたのだ。覚醒者がいる分、向こうが勝利する以外の結果はないと。そう、思ってのことだろう。
「お、終わりました!」
「ありがとエイラ。じゃあ下がってて」
顔は向けずに言葉だけで礼を返し、レナは視線をスコープの向こう側へと向け続ける。
迫り来る脅威への対処もそうだが、そればかりを気にかければそれこそ敵の狙撃手の思う壺だ。乱戦になれば同士討ちを避けるため向こうもそう簡単に撃っては来ないだろうが、アレは人体には一撃必殺以上の力を持った弾丸を使用する銃だ、それに常に狙われた状態で戦えば目の前の敵だけでなく狙撃手にも警戒を続けなくてはならず、結果注意が散漫になりいずれ綻びが生じる。
ならばいっそ、狙撃手と迫り来る敵の二つそれぞれに戦力を割く。敵の力量もわからぬ内にこれは愚策だろう。しかしもとより覚醒者がいる時点で策など意味は無いのだ。ならばまだ0より1の可能性に賭けてみた方が、何かの拍子に命くらいは拾うことができるかもしれない。
「ルークとリザは走ってくる馬鹿の相手お願い。エドガーはユー達を守って。私は……あの狙撃手をやる」
「レナ嬢一人でか!? って、おい!」
「いいから! 疾い奴は任せた!」
ルークが背後から叫ぶ。それを無視してレナは倒木を飛び越え走りだした。
直後、レナの顔のすぐ横を疾風の刃が通り過ぎ、遅れて巨砲の発砲音が轟く。遠く着弾した弾は古い遺跡か何かの岩壁を打ち砕いていた。
間一髪。だがレナはむしろそれを好機とした。闇雲に姿を晒したわけではない。飛び出してなお、レナは弾丸が飛んできた方向から目をそらさなかった。ゆえに、続く第二射により生じる発砲炎、そしてそこに浮かび上がる狙撃手の顔をレナが見逃すことはなかった。
「いた!」
着地と同時に地面を転がり、その場にあった木の根を台にしてモデル700を構える。薬室には既にフルメタルジャケットの通常弾を装填済みだ。
ちら、と狙撃手のシルエットが動いたその瞬間、レナはほぼ一瞬の動作で狙いを定めトリガーを引く。およそあの巨砲とは比べ物にならない小さな銃声。それでもまだ静寂を保った森の中では響き渡り、空気を震わせる。
が、弾は狙撃手を掠めただけ。撃たれるより先にレナの動きを読んでいたであろう狙撃手は既に回避行動を取っていた。それでも万全な状態ならレナならば当てられただろうが、移動後即座に射撃となると姿が見える距離でも外してしまうのはしかたのないことだ。
「っち、やっぱこうなるか――」
レナは木にモデル700を立て掛けると、そのまま狙撃手の方へと地を蹴り駆ける。
レナのモデル700の7mm弾では、周囲に幾重にもそびえ立つ巨木を貫くのは難しい。長い年月の末に鍛えられた強靭な幹には、対人用の銃弾など小さな針も同然だ。しかし、相手の狙撃手が持つあの巨砲は違う。大樹だろうが、それこそ下手な城壁ならば容易く撃ちぬくであろう砲弾さながらの銃弾の前に、この森の木々は為す術なく薙ぎ倒されてしまう。
つまり、向こうはいくらでも盾にできる物があるのに対して、レナは遮蔽物がまるでない平原にいるも同義の状況なのだ。当然平原とは違い木も身を隠す効果はあるだろうが、それを打ち砕ける力を持った者が相手ではじり貧になり更に距離を離されればレナが不利になるだけだ。
ならばいっそのこと距離を詰めて肉弾戦に持ち込む。現状レナができる唯一の打開策がこれだ。
相手との距離はそう遠くない、直線でレナは駆け抜けていたが、背筋に嫌な悪寒が走り足を止めずに横に飛んだ。
ほんの一瞬前までレナの顔があった位置を、螺旋を描きながら巨大な弾丸が通過する。まだ嫌な予感は収まらない。レナはすぐに手をついて立ち上がると、今度は木々の間を縫うように蛇行して、それでも最短距離を通り狙撃手へと接近する。
再度巨砲の発砲音。樹齢何十年とありそうな野太い大木に穴が開く。
「オートマチック――くっそ!」
吐き捨てるように言いながら、レナはそれでも足を止めることはなかった。
狙撃手の銃は恐らく半自動式の狙撃銃。トリガーを引けば銃が自動で排莢と装填を行い、続く第二射が瞬時に行える機構だ。特大口径の銃は弾の重量のせいでこの機構が上手く働かずに装填不良を起こすことが多く、モデル700のような手動で装填を行うボルトアクション式が主流だったが、近年導入された新しい銃の作動方式によってその問題が解決し、今後は特大口径の狩猟獣でも半自動式が増えるとレナが村にいた頃に購読していた雑誌にも書いてあった。
激しく動き強靭な肉体を持つ魔物に対しては連射が効く即応性の高い銃の方が人気が出るのは当然。愛着の湧いた手動装填式の銃が古風と呼ばれる日も近いか、などと嘆きながらページをめくっていたことを失念していたレナは静かに舌打ちをする。
されど特大口径の銃では装弾数に限りがあるはずだ。その重量から持ち運べる弾の量も限られてくる。とはいえ弾切れを狙うには相手の腕が良すぎる。このまま逃げまわっても恐らくは弾が尽きるより先にレナの首が吹き飛ぶ方が先だろう。多少危険はあっても、懐にさえ潜り込めばいくら連射がきく銃とはいえ狙撃銃であるかぎりはその距離で本領は発揮できない。
やはり接近戦しかないと、レナは足を早めまだ視界に映る狙撃手の元へと急いだ。そして――
「捉えた!」
「っく!?」
木々の枝から無数に広がる緑の天井。その隙間から差し込む月明かりが薄金になびく髪を照らした。
敵の狙撃手は女性のようだ。その細腕に握られた巨砲を自在に操るその実力に敬服の念を抱きながら、レナは腰の拳銃を抜く。
銃口を女性の胸に向ける――が、金髪の女性はレナの手を片手で払い拳銃の銃口を逸らしながらもう一方の手で巨砲をレナへと向ける。
「な!? ――っく!」
しかしここで身を引いては不利になるのはレナの方だ。身を捻るだけで巨砲が撃ちだす弾丸の射線から外れると、次の瞬間吐き出された弾丸がレナの黒いジャケットを穿つ。
そこでようやく女性の使っている銃の正体が確認出来た。あれは帝国CCAT社のMPBR mkⅣ。同社MPBRシリーズでも破格の巨躯、そして専用の特大口径43mm弾を使用する、極少数だけが生産された半自動猟銃。
確か重量は5発入る弾倉に弾を目一杯詰めた状態で32キロだったか、それを片手で操るなど並大抵の者じゃない。
だが武器さえ知れれば攻略のしようはある。レナが得てきた猟銃の知識も無駄ではないということだ。何よりも、さほど民間では人気のない対魔物用の狩猟獣の記事を書き連ねてくれたレナの愛読書に感謝せねばなるまい。
レナは拳銃では分が悪いとホルスターに戻し即座にナイフを引き抜くと同時に女性へ接近し斬りつける。艶消された黒色の刃は空を切るが、女性も回避に専念し体勢を崩した。
極至近距離。ここまでくればさすがにあの巨砲はただの文鎮も同然だ。女性もそれを理解すると腰に手を入れナイフを抜く。が、銃は持ったままだ。
「強いな……君は」
凛とした、透き通る声。女性が口を開くと同時に、ナイフの一閃がレナの肩口を襲う。
「どっちが――よっ!」
身を引いてレナは回避。だがレナが距離を離した途端、巨砲の銃口が向く。
「――ッ!?」
反射で横に飛んで回避行動をとるが、まるで女性はその動きを誘ったかのように、絶妙な位置に立っていた木がレナの動きを阻まんとし思い切り肩をぶつけ、回避に十分な距離を稼げず撃ち出された弾丸はレナの右肩を僅かに掠める。
痛みに少しだけ顔を歪めるが、怯めば隙を生む。レナは苦痛に耐えながら踏み留まり、再度女性に接近。
これは窮地であり、同時に好機だ。あの巨砲、MPBRが少数しか量産されなかった理由。重大な欠陥――そこを突くには今しかない。
互いに肌が触れ合う距離、そこまで近づいてレナは身を捻り――女性のMPBRに回し蹴りを食らわせる。
「なっ!?」
顔を驚愕の色に染めたのは女性。本人を狙う事もできたが、ナイフは受け流される可能性もあるし格闘術では一撃で倒しうるだけの威力をレナは出せない。だから、確実に武器を封じる手を選んだ。
MPBR mkⅣは大口径弾を自動で装填排莢する。が、機構上の欠陥で装填中、銃本体に強い衝撃が加わると確実に途中で弾が引っかかり、分解整備を要する装弾不良を起こす。これが後継のMPBR mkVなら、今頃地面に転がっているのはレナの方だ。機構そのものを改善し装填時のラグも短縮されたあの銃の発売が来月よりも更に早まっていたら、きっとレナは近づくことさえできなかったに違いない。
「なるほど私と同類は君か。いや、獲物の追跡は君の方が上手そうだ――な!」
言いながら女性が振りぬいたナイフをレナは飛び退いて回避。銃が無くなった以上、距離を離せば拳銃があるレナに分がある。ナイフを左手に持ち替えてホルスターから拳銃を取り出すと、間髪入れずに発砲。だが木を盾にして女性は銃弾を防ぎきる。大口径ではあるが装弾数が少ない拳銃を選んだのが災いして、すぐに弾倉の弾を撃ち尽くすとレナは舌打ちしてそれをホルスターに戻した。と、その時。
「なっ!?」
「なに!?」
そう遠くない場所で何かが爆発したような轟音が聞こえた。視線だけをレナが送ると、呆然とするルークとリザの目の前一体がペンキでもこぼしたかのように真っ赤に染まっていた。
だが、いまはそれどころではない。女性が立て直す暇を与える訳にはいかないのだ。あの爆発が互いの注意を反らし、先に意識を目前の敵へと戻したレナは好機を逃さず、腰にぶら下げた細剣――ノブレスオブリージュといっただろうか、それを抜いてナイフと合わせ二刀を持ち地面を蹴る。
「これで――」
「させ――るかああああ!」
細剣の切先が、驚愕する女性の喉元へと向く。その瞬間、どこからか青年の声が響いた。