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02

 森に入って約二日が経った。最初の一日は皆調子もよくレナのペースで進むことができていたのだが、それも昨日までだ。


 森の湿っぽさとたまに見る毒虫や複雑な地形に苦悩の色を示したのは、見るからにか弱そうなエイラだった。次いでユーに中々頑張っていたアティときて、隠してはいるようだが今日の昼前にはリザも表情に疲れが浮かんできていた。大丈夫そうなのはおっさんことルークと曲がりなりにも兵士であるエドガーのみ。レナもとうに皆の状態を察してペースを落としてはいるのだが、これでは覚醒者に追いつく前に森を抜けられてしまいそうである。まあ現時点でアレを潰せるだけの案はまだ出ていないので、逃げられてしまうならそれはそれでいいともレナは思っているが。


「ん、ちょっと休憩しましょう。エイラ、大丈夫?」

「あぅ……だ、だいじょぶ……ですぅ」


 彼女の可愛らしいツインテールが小さな肩とともに揺れる。とりあえずエイラはマフラーを取れば少しは快適になるのではないかと思ったが、なにかつけている理由があるのかもしれないとレナは出かけた言葉を飲み込んで一同を見渡した。


 エドガーはまだ大丈夫そうだ。ルークに至っては恐らくレナより体力があるのだろう、この森を抜けた時に一番元気なのは恐らく彼だ。問題は他の女性陣である。なによりもアティはまだ小さい。こんな場所で無理をさせていい子ではないのだ。


「アティ、お水飲む?」

「ええ!? だ、だめですよ! それレナさんの分です!」


 レナが差し出した水筒に、はっきりと拒絶の色を示すアティ。だがレナはその小さな手を取ると、水筒を半ば強引に、しかし優しく手渡す。


「いいよ大丈夫。三日くらい飲まず食わずで山に篭ったことあったし、私は心配しないで。アティが倒れちゃうほうが私は心配だもの。だから、ね?」

「うぅ……すみません」


 心なしかアティの白髪までしょんぼりと力を無くして垂れてしまったように見える。そんな彼女の髪を触って精神の補給を済ませたところで、レナは周囲の探索に移行する。と、


「おう、レナ嬢は休まなくていいのか?」

「何よレナ嬢って……いいわよ私は」

「お前さん一人で無理し過ぎだぜ? 俺だって兵士だ、代わりにできることくらいはあると思うぜ」


 この口ぶりからすると、ルークは全てお見通しらしい。一応は歴戦の兵士を名乗るだけはあるということだろうか。


「ん? そういやレナは地図ばっか見たりかとおもいきや土触ったり……いつも一体何してんだ?」


 エドガーも食いつくと、レナが何かを言うよりも先にルークが口を開いた。


「相当難儀な仕事を一度にしてるぜレナ嬢は。俺らの状態を常に確認して、たぶん地図は魔物の巣を迂回するルートを探ってんだろ。土の状態とか果物の食い散らかしとかでどこに何がいるのかってののおおよその目安ってのは分かるって隊の仲間が言ってたしな。それに加えて俺らが狙う連中の追跡と来たもんだ。健康状態の確認、安全なルートの確保に最短で標的に行けるルートの検討だとかその他諸々を一人でやってるんだろうさ」


「げぇ!? まじかよ!」

「他にできる人いないんだからしかたないでしょーが。だからって私辛いわーなんて哀れみを乞うような真似したくないの。それで癒やされるほど単純な心は持ち合わせてないつもりだしね」


 吐き捨てるように言って二人に背を向けると、レナは一人歩きだし――そこで突然エドガーに手を掴まれた。


「なによ?」

「無理すんなよ。もうお前一人の戦いじゃねぇんだ。その、なんだ……そりゃ頼りねぇかもしれないし、何も出来ないかもしれないけどよ。でも何かやってほしいことあんなら手伝うからさ、背負い込むなよな」


 真っ直ぐ、どこまでも澄んだ瞳がレナを見据えた。言動はどうあれ、エドガーも根はいいやつなのだ。

 そんなエドガーの額を軽く手の甲で小突くいてやると、レナは再び背を向ける。


「ぬ……う?」

「近いのよあんたは。別に無理なら無理であんたらに仕事ぶん投げるわよ。今はその時じゃないってだけ。一人で重い荷物背負うほど気概のある女じゃないのよ私はさ。というかぶっ倒れられたらそれこそ迷惑だからあんたも休めるときに休んどきなさいよ」


 それだけ言い残して、レナは周囲の探索に入る。

 この場所で皆を休ませたのは、しばらくそういったことが許される状況はなくなるからだ。昨日の夜辺りから周辺に動物の骨や乱雑にへし折られた木々が散見するようになった。樹木に稀にだが付いていた爪痕や狼の骨の何か棍棒のようなもので殴打され粉砕された痕から見ても、この近くにオークがいるのは間違いない。彼らは人間ほどではないが知性を持ち、自らの拠点を構えそこで暮らす。狩りの際は罠か集団から選抜された数名が拠点の外に出るが、そう遠くにはいかないはずだ。あまり長い間獲物を捕らえたままでいると、貪欲な彼らは本能のままに家に着く前につまみ食いしてしまう。それを防ぐための彼らなりのルールだろう。


 ともあれ、そんな奴らがいるかも知れない区域でのうのうと食っちゃ寝する訳にはいかない。速やかに突破したいので、この休憩が最後とは言わずとも暫くの間はおあずけだ。


 気がかりなのはそれだけではない。あの覚醒者は、恐らくだが同行の者を得たようなのだ。途中から足跡が数名分増え、そのせいか向こうのペースが少し落ちている。これでは早期に接敵、下手をすればこのオークの集落近くで戦闘になる可能性すらもある。戦闘の余波でオーク達の逆鱗に触れ、挟み撃ちにあってしまえばレナ達は為す術なく数の暴力に飲まれてしまうだろう。オークは人間を奴隷にするだの生きたまま皮を剥ぐだの女を孕ませるだの良くない噂も沢山聞くし、やられるにしても相手は選びたいところだ。というかレナ一人ならそれで諦めもつくが、ことアティやユーたちにまでそんな卑劣な所業を受けさせるわけにもいかない。ここから先は十分に気を張って今まで以上を望まねばなるまい。


「……やっぱ、おかしいわね」


 レナは足を止めその場にしゃがみ込む。視線の先には、数名分の足跡。それも人間のものだ。

 一つは軍用ブーツの足跡。まだこの土を踏みつけてそう時間は経っていない。これは十中八九覚醒者の男のものだ。最初はまるででたらめにふらふらと歩き続けていたようだが――と、そこでその隣に連なる別の足跡にレナは視線を移す。途中から混ざったこの足跡の主に出会ってから、覚醒者の足取りがちゃんとした人間のそれに戻っている。何かされたのであろうが、それよりも問題なのはこの同行者たちだ。


 足跡の大きさからして全員女性。やけに覚醒者にひっつくように歩いている一人は別として、他の二人が問題だ。レナの思い違いならいいが、よほど体重がアレでない限り、靴の沈み方がおかしい。はっきりと靴底の型をとれるほどの足跡で、詳しい物なら靴の品種まで当てられそうだ。

 自分の体重以上の何かを持っているのに間違いはない。多量の荷物を持っているだけと楽観していれば、恐らくは食われる。


 レナは踵を返すと、再びルーク達の元へとやって来た。専門知識には、専門家が必要だ。ルークならば帝国の武器にも知識があるだろう。


「ねぇおっさん、帝国軍の武器で歩兵が携行できる最大重量の武器って何?」

「ん? 何だぁいきなり。まあいいか、帝国っつーとレーベンの方でいいんだよな? まさかヴァイスのなんて俺でも知らないぜ」

「オスティアとやりあってる方のよ。ヴァイスなんて私らは行く予定すらもないっての」


 ヴァイス帝国。レーベンと同じ帝国を名乗るが、その性質はまるで違う。

 この大陸には、七天(しちてん)と呼ばれる七つの国がある。七天の土地は、この世界に存在する七属性それぞれの精霊王が住まい、その加護を受ける。ゆえに七天はその恩恵を受け繁栄を続けてきた。

 ことヴァイス帝国は水、風、土、火、無の五属性より上位にある光の精霊王が加護を受ける地。その恩恵に預かり、溢れんばかりに満ちる魔力を利用する魔法使いもいれば精霊の加護を受けた人間など、オスティアでは見られないような規格外の人間がたくさんいる地だと父からレナは聞いている。そして何よりも、この大陸において最強の五人とまで称される帝国の聖剣と呼ばれる者達があの国にはいるらしい。誰もが皆一人で国を落とせるほどの実力を持つだのと信じがたいことを父は言っていたが、どこまでが本当かわからない。もしそんな奴らがほんとうにいるのなら、今協力を頼めればどれだけ頼もしいことだろうか。


 もっとも、ヴァイス帝国は大陸の半分から上、つまり濃霧に覆われた魔の森を超えねば辿り着けぬ場所にある。徒歩以外の移動手段を使えば行けなくはないが、仮に行ったとしてもただの田舎娘のレナが乗り込んだところで協力を得られる保証などどこにもない。


「レーベンの武器でっつーとなぁ……確か対魔物用の携帯できる火砲があったはずだぜ。それか機関銃じゃねぇのか? 7mmだったかのやつ」

「こういう銃とかはレナのほうが知ってるんじゃないのか?」


 ルークの横で携帯食を齧るエドガーがいう。たしかにレナも知識がないわけではないが、その範囲に偏りがある。


「私は民間用の拳銃とか狩猟用ライフル専門だから。あんたが持ってるそれみたいな最近の銃は知らないし興味ないわ。複雑すぎて好きじゃないの」


 最新式のモデル16ライフルといえば、扱いに慣れておらず覚醒者との戦いで安全装置を外し忘れるというミスを犯した苦い記憶がある。それにアレは部品もほとんど鉄と樹脂で出来ていて、狩猟ライフルのような木の色が欠片もない。まるで暖かさも何も感じられない機械みたいで、レナはやっぱり好きになれなかった。


「なぁーるほどねぇ。で? レナ嬢はなんでそんなこと聞くんだ?」

「覚醒者に合流した奴らがいるのは話したわよね? 多分全員女だろうけど、二人くらいやばい武器持った奴がいるかもしれない」

「ふぅんむ、そいつぁちとやっかいだな。いくら俺でも何人も相手はできねぇし。てか今仕掛ける気はないんだっけか?」


 レナはそれには答えず押し黙ると、自らも樹の幹に背を預けて腰を下ろした。

 やがて日も完全に落ち、周囲には闇が満ちるだろう。そうなればこれ以上移動するのは危険だ。この先はオークの拠点もあるだろう。夜闇に紛れればレナたちも見つかりにくいだろうが、鼻が利く彼らの目は誤魔化せても接近されれば臭いで気づかれる。ことアティとリザはレナが近寄っただけでもいい匂いがするのが人間のレナでもはっきりと分かるので、オークなら尚の事だ。


 とはいえぐずぐずしていれば奴らは森を抜ける。その前にこれからどうするかの答えを出さねばならない。森に入ってしまった以上、あとはレナだけでやるからとアティ達を置いていくのは逆に彼女たちを危険に晒すこととなる。

 アティ達を引き連れつつ、最悪レナだけでも覚醒者と戦わなければ――

 と、そこでレナは疑問を抱いた。むしろなぜ今まで何も思わなかったのか不思議なほどに。


「あ……なんでだろ」

「どうしたレナ嬢」

「あ、ううん。なんでもない」


 首を振ってレナは顔を空に向けた。

 なぜこれほどまでにレナは覚醒者に固着するのか。やられたからやり返す。そんな単純なものなのだろうか。

 たしかにレナは負けず嫌いな気はある。だがどう考えても自殺しに行くようなものだ。それを理解している。レナは理解しているはずだ。だが、『アレ(覚醒者)はレナが倒さなければならない』。そう、だってレナは――


「…………」


 レナは空の上に浮かぶ月を見る。今日も月は、青く輝いていた。






「――ッ!?」


 声を押し殺して、レナは目を開けると同時に傍らにおいてあったモデル700ライフルを握る。

 いつの間にか寝てしまっていた。既に周囲は闇に染まり、虫の囁きと風に揺れる木の葉の音だけが耳に入ってくる。

 だが、この場に存在しているのは必ずしもそれだけではない。その気配を山で幾重にも重ねた経験から感じたがゆえに、レナはまどろみの中から覚醒した直後にあっても、その意識をはっきりとさせ銃を握っていた。


「おう、すげぇなレナ嬢。気づいたのか」


 そっと横で耳打ちするルークを横目に、レナも声を抑えて口を開く。


「そういうあんたこそ。みんなは?」

「まだ寝てるぜ。どうする?」

「そっと起こして、音は立てないでね」


 レナと同じく、ルークも周囲に存在する気配には気づいていたようだ。そう、間違いなくいる。とてつもなく強大で、暴虐の限りを尽くす悪鬼が。

 その巨体に似つかわしくない軽やかかつ慎重な動きでルークは皆を起こし始めると、レナはモデル700ライフルを倒木に乗せてスコープを覗き込んだ。


 いくら遠くが見渡せるスコープでも、月の明かり以外に光源のないこの場所では機能を十分に発揮できない。その欠落した部分は、レナの経験と技術で補うしかないのだ。

 レナはゆっくりと少しずつ息を吐きながら、スコープを覗く目と反対側の目の両方を使い周囲と遠方の状況を確認していく。僅かばかりの音も見逃さぬように神経を集中させ、姿勢をそのままに左手で腰のポーチを開くいた。視線は索敵に、指先から伝わる先端部の感触だけで目当ての物を抜き取ると、それを倒木の上に並べる。


 それは弾頭の形状が異なるライフルの弾丸。レナは狩猟時に限っては常にライフルの薬室及び弾倉は空にし、標的を補足してから必要な弾薬を選択し装填する。

 今レナが探している相手に、モデル700が使用する7mmの通常弾では効果が薄い。硬い皮膚を突破出来ても、強固な頭蓋に弾かれ逸れるのが落ちだろう。

 だが――この弾ならあるいは。


 レナは横目に、倒木に並べられた弾丸の内一つを見やる。月の明かりを僅かに拾い、鈍く金色に輝く長い薬莢の先端部、銅で被甲された弾頭に一見すると絵にも見えるような複雑な形をとる文字が刻まれていた。これは簡易ながら、物を貫くという術式を彫り込んであるものだ。

 これならばそれ自体に魔力がある言葉を声に出さなくてはならない詠唱と違い、魔法を発動するのに必要な術式、あるいは詠唱に使う言葉を予め描くか彫り込んでおくことで、あとは起動するための鍵を設定しておけば即座に魔法が発動される。しかし複雑な魔法になればなるほど描く術式も比例して複雑なものになり、あるいは触媒やその他魔力源になり得るものを要さなければならないので、こういったものは根城に入り込まれるのを好まない魔法使いがトラップとして設置するか、レナのように道具に簡単な魔法効果を付与する程度の使い方が一般的だ。


 森を進む中、レナが即席で用意したのは貫通弾。彫り込んだ術式はこの世界に存在するありとあらゆるものを穿つ槍の力の一端を得る魔法だが、本来何人もの魔法使いが何工程にも及ぶ術式の構築と高位の魔力触媒を使用してやっと槍の力の半分を引き出すのがやっとの代物。レナとて、父がフラガラックの刀身に彫り込んだものを見よう見まねで模写しただけなのだ。当然、魔法の効力は十分の一にも満たないだろう。


 加えて、現在この術式を彫り込んだ弾は三発。通常のフルメタルジャケット弾をベースに使用しているので、あまり生産し過ぎるとこちらの数がなくなるのと、レナでは一つ彫り込むのに要する時間がかかりすぎる。恐らくもう覚醒者達と顔を合わせるまでの時間はそう長くはない。レナの生産速度ではこれ以上作れるかどうかもわからない。覚醒者と相対した時に最低二つは用意しておきたいので、使えても一発が限度だ。


「な、なに!? 何が起こったの!?」

「し……静かに」


 横で飛び起きたユーが声を上げると、レナが自分の人差し指を唇に当てた。

 途端に両手で口を覆い目を見開くユー。慎重に地面を這ってレナの隣に来ると、ベレー帽を深めに被って目線まで顔を出すとしきりに上下左右に紫色の瞳を動かしていた。


「敵? 魔物? 幽霊?」

「多分魔物」

「ひええ……」


 囁くようにレナが言ってやると、ユーは地面にうずくまるようにして体を隠した。


「ごめんレナ。状況は?」


 リザも起きたようで、既に彼女の手にはエドガーが使うモデル16にも使用する5mm弾が握られていた。

 そういえば、リザは銃なしで弾丸を飛ばすことができるのだったか。


「リザ、あなたの魔法の威力は?」

「距離でだいぶ変わる。弾を飛ばすだけなら銃身を介さない分威力は大分弱まる。私が触れてる間……これ()持って殴れるんなら50口径のライフル弾以上は出せると思う」

「なるほどね、オークとか魔物との戦闘は?」


 リザは目を伏せると首を横に振る。


「ごめんなさい、もっぱら人相手がほとんどだったから」

「おーけい、じゃあリザは最終手段だ。でもいつでも戦えるように」


 魔物との戦闘経験がない者に魔物の相手はさせられない。アレとの戦いは人のそれとは勝手が違いすぎる。ことリザは最強の矛を持っているが、その真価を発揮するのは目先の敵のみ。加えて体そのものはか弱い女性のそれなのだから、オークの大木に勝るとも劣らない巨腕から繰り出される一撃を凌ぐのはレナ以上に難がある。


「――伏せて!」


 スコープの端に写った黒いシルエット。それに反応しレナは周囲にだけ聞こえる音量で、しかし声を強張らせつつ叫んだ。

 こなくてもいいタイミング出現した影に舌打ちし、レナは一度かぶりを振ってスコープの中にだけ集中しすぎた頭を切り替え、再び周囲を警戒しつつスコープで標的を捉える。

 間違いない、オークだ。それも二匹。


 レナ達からの距離はざっと三十メートルといったところか。体にまとわりつく枝木を鬱陶しげにへし折りながら、何かを探すようにしきりに頭を動かしている。武装はところどころに捻じ曲げられ鉄線が棘のように突き出た鉄のワイヤー、軍でも使う有刺鉄線のようなものが張り巡らされた棍棒と、人間から奪ったであろうその巨体では使いにくそうな斧。ただの棒ですらその巨腕から振るわれれば一撃必殺と成り得るものだが、今回は更に殺傷力に秀でた武器であり、あんなものはレナ達なら一撃でもまともに貰えば致命傷以上は確実。


 しかし幸運な事に向こうはまだこちらに気づいておらず、進むルートから見てもレナ達が誘わないかぎりこのままやり過ごすことも可能なはずだ。

 レナは一度標的の動きを確認し、次いで両脇と背後にいる仲間達に視線を移す。みな騒がず大人しくしてくれているのは幸いだが、ここで戦闘経験の差か魔女の二人――エイラとユーがひどく動揺している。都会育ちなのだろうし、恐らくは魔物を見るのすらも初めてだろう。それがあんな動物とは違って意思を持ち且つ見るからに凶悪そうな外観を持った生き物に対して恐怖を覚えないはずがない。レナも最初は自分の腰ほどの身長しかない小さなゴブリンたちにも怯えていた頃があった。


「大丈夫よ、このまま通りすぎてくれればそれで済むから」


 視線はオーク達へ。しかしできるだけ固くならず声の調子を軽くしてユーに言う。


「あ、う、うん……そう、そだよね」


 少しだけ安心して、ユーは肩に入っていた力を抜いて思い切り息を吐いた。

 だが、いまだ敵が周囲にいる状況で気を抜くべきではなかったのだ。ほんの些細なことで、状況というものは一変する。


 ぱきん――と、レナの背後で乾いた音が響いた。


 それを注意してやれるほどレナにも余裕がなかったのと、ルークとリザもエイラの方を見ていてユーにまで気が回っていなかったこと。その二つが重なり、事態は急激に変化した。

 たまたまユーが地面に手をついた先に、小ぶりな小枝が一本。たったそれだけのこと。だがそれは静寂に満ちた夜の森で、はっきりと生物の存在を伝える合図となった。


「――っち」


 そこからレナの動作は速かった。ユーを咎めるわけでもなく、オークがこちらの方へ視線を向けたことに狼狽するわけでもなく、流れるような自然な動作でモデル700の遊底を右手で引き開放。倒木に並べた弾薬の内一つ、先端部が尖った鉛の弾頭に銅被甲を施したフルメタルジャケット弾を掴みとると、それを排莢口へと放り込み遊底を戻して薬室へ装填。


 索敵を始めた手前側のオークの顔面、そこでぎらぎらと生理的な嫌悪感を催させる黒い二つの球体にレナは標準を合わせた。一度獲物を探し始めれば、もうやり過ごすことは不可能。アティ達の、そしてエドガーの持つ銃から香る油など人工的な臭いは森の状態を常に把握している者ならば本気で探そうとすれば感じ取ることなど容易い。自然が身を覆い隠していても、その中に紛れ込んだ異質な存在そのものを完全に溶け込ませることは出来ないのだ。


 ならばここから先は先手必勝。切り札を使わずとも、標的の柔らかい部分さえ撃ち抜けば通常の弾でも十分に効果はある。それができるのは、まだ完全に姿を発見されていない今だけだ。

 足を止め周囲の気配、臭い、空気の流れを感じ取るオーク。その無防備に見開かれた眼球に狙いを定め、レナはモデル700を構える。

 狙撃に最適な姿勢を構築し、一度その位置を決めたならばライフルと体からあらゆる動きを排除し、停止させる。この瞬間からレナはライフルを固定し、弾を撃ち出させるだけの機械へと変貌するのだ。

 少しずつ息を吐きながら、体から余分な力を抜く。と、そこでぴたりと息を止めた。


 ほんの数秒。だが間違いなくレナの体は完全に停止した。

 闇夜の狩人。そんな名前でどこかの美術展の壁にでも飾ってある一枚絵をそのまま持ってきたかのように、レナの周囲全てが止まっている。しかしレナの指先だけが、僅かながらに動くとモデル700のトリガーを数センチ分後退させた。


 静寂を打ち破ったライフルの発砲音。銃口から迸った白い閃光は瞬きする間に掻き消え、遠く、闇の中で耳を塞ぎたくなるほどおぞましい呻き声があがった。

 レナはスコープの中の視界が揺れてぼやけ、それが直る頃にもう一度その奥に見えるものを確認してから遊底を引く。役目を終え白い煙を吐きながら宙を舞う7mm弾の薬莢。それが地面に転がるより先にレナは倒木からお手製の切り札を握りモデル700の排莢口から装填。


「立って、みんな! 逃げるわよ!」


 そうレナが叫ぶがいなや、オークのけたたましい叫び声が森中をつんざき、どこか奥の方で似た声が響いた。これで拠点のオークたちにも気づかれた。いよいよもってまずい状況。しかしレナは冷静にスコープを覗き狙いを定める。今度はもう片方のオーク。その頭部に。


 位置もばれている以上、オークの対応も早い。獲物を見つけ、尋常ではない速度でレナ達に迫る。それに腰を抜かしたエイラとユーをなんとかリザが立たせようとするが、これではオークが到達する方が早いだろう。

 だからレナは撃つ。今度の弾は特別製だ。どこに当てようが硬さに関係なく標的を穿つ魔法の弾丸を。


「行け――模造術式固定・神槍擬似(ペネトレイトブリット)展開天穿つ破魔ノ弾丸!」


 火薬によって押し出された弾丸は銃身の中で速度を上げ、螺旋を描きながら標的へと突き進む。銃口から吐き出された弾丸は刻まれた術式から淡い光を放ち、青白い閃光となって音速を超えオークの頭部へと突き刺さる。


 悲鳴を上げる間もなくオークは重剣の重い一撃にも耐え切る強固な皮膚を裂かれ、その堅牢さから鎧の素材にも使われる頭蓋を砕いた弾丸はオークの脳内を掻き回してから後頭部を突き抜け地面に落ちていった。多少心配はしていたが、十分な威力は引き出せたようだ。


 そのまま力を失い、足をもつれさせて転がり迫るオークの進路上に座り込んでいたエイラの腕を掴みレナは引き上げながら緑色の巨体を避ける。

 それとほぼ同時に、まだ遠くだが何本かの木が折れるような音と重い地響きにも似た足音がいくつもレナの耳に届いた。思ったより拠点は近くにあったのだろう。これ以上ここに留まればまずい。もう切り札が使えない以上、逃げる以外の選択肢はない。


「みんな逃げるよ! 走って! 早く!」


 特に反応の遅れそうなエイラとユーの手を取りながら、レナは走る。その後ろにリザとルーク、アティにエドガーと続き、なんとかその場から動くことには成功した。


「離れないで! 夜の森ではぐれたら一生会えないわよ!」

「は、はいぃ!」


 後ろでアティが切羽詰まった声で返事を返しながら、レナは前方と後方を同時に警戒しつつ手を繋いだ二人が木の根に足を引っ掛けないように進むルートを瞬時に計算しながら走り続けた。


 ――そうして、三十分ほどだろうか。一度も足を止めずに連続で走り続けては、さすがのレナも息が上がってきた。男衆は大丈夫そうだが、レナは周囲の警戒と逃走ルートの構築、そのどちらもを一人で行っているので、思考もフル回転状態で余計に疲弊する。


 そして、それこそが通常起こさないようなミスを、そして油断を誘う。ほんの一瞬、レナの思考がとまったその一瞬に、それは不意にやってきた。


 レナの前方、黒く染まった闇の中に僅かな閃光が走る。それに気づいた時、もうレナにはどうしようもなく。ただせめても、と手を繋いでいたエイラとユーを地面に突き飛ばすのが精一杯だった。

 脳髄まで揺さぶる空気の振動。轟音とともに放たれた巨銃の弾丸。それはレナの横の大木の幹を砕き、弾丸が抉った幹は鋭利に尖った無数の槍となり――レナへと突き刺さった。

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