01
静かに息を吐く。血がこみ上げてくるような感覚はない。
腹部から流れるのは鮮血。その先には、鋭利に尖った木片。
レナの白い肌を貫いたのは、今まさにレナ達が盾として使っている倒れた巨木の破片だ。まだ天を仰ぐようにそびえ立っていたほんの数分前にこの巨木はその体を砲弾とも見紛う巨大な弾丸に穿たれ、その身を地へと横たえた。その時弾丸が抉った木片の一部が弾け飛び、不運にもそれがレナの腹に直撃したというわけだ。
もっとも、もしそうなっていなかったらユーの頭が硬い床に思い切り叩きつけたスイカよろしく真っ赤なその中身を地表にぶちまけていただろうから、レナが被ったこれも一概に不幸だとは言い切れないだろうか。
「大丈夫……それよりも移動しましょ」
不安げにレナを見つめるユーの紫色の瞳が揺れた。そんなユーに心配するなと声をかけてやると、彼女の頭を撫でてからレナは先陣を切り皆を引き連れて移動する。
とりあえず、狩猟用の特大口径銃に狙われたのは明らかだ。幸いあの銃声のおかげで後ろから迫っていたオークの群れは危機を察知し逃げていったようなので、背後をとられる危険はなくなった。人間と魔物を同時に相手にするには、この面子では少々心もとない。
今もどこかでレナ達をスコープ越しに狙っているであろう狙撃手、レナは皆を朽ちた倒木の裏に避難させてからそれを探るように自らも背中に背負ったオスティアRM社製モデル700ボルトアクションライフルを構える。
10倍率のスコープを覗き、弾丸が飛んできた方角に目を凝らす。相手が持っているのは直径30mm以上の弾を使う対魔物・大型獣専用の狩猟ライフルだろう。
レナが持つモデル700ライフルの使う7mm弾の数倍もの大きさを持つ弾丸を連続で吐き出す化物のような銃。しかしその特大の弾丸を使用するが故に射程や威力には恵まれていても、銃本体の大きさや重量が通常のライフルのそれを軽く上回るので基本的にはバイポッドを使い、その場に固定して使用する。ただでさえ森の中は動より静、つまり動くものより動かないものが多い場所では夜間といえどあの強大な図体を誇る銃を持って走り回れば目立つのは目に見えている。
あんな銃を使う者ならば、よほど驕った者でもない限りそれは理解しているものだろう。
つまり相手はまだ射撃位置から動いていないか、せいぜい数メートル程度しか移動はしていないはずだ。発砲音から判断してもそう遠くはない。おそらくはオークに駆り立てられていたレナ達と不意に鉢合わせてしまい、尚且つそれでレナ達を襲う程度には向こうにはそれ相応の理由を持っているような奴が相手だということだ。
こんな魔物の救う森の中を彷徨い、人間を襲う人間。レナにはちょうど心当たりがあった。
「まさか……こんなに早く会えるなんてね。誤算だわ」
呟くように囁き、レナはライフルの安全装置を解除した。
――数時間前。
レオンに一通りの事情やらを話し終えたトーリャは一息つくと、エルザから水筒を貰い一口水を口に含んで喉を潤した。
「ふう……とまあそういうわけで。遠見の魔女が連れ去られた捕虜の捜索をしていたところ、レオンさんを見つけたというわけで。帝国政府は速やかにあなたを保護しろと。このままだとレオンさんは戦争のまっただ中に自分から突っ込んじゃいましてはそれはもう無双無双で戦場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化してしまうので~」
あっけらかんと言ってのけるトーリャの横では、呆れるレオンとリーシャ。
レオンも大分落ち着いたようで、今のところはトーリャ達に覚醒して危害を加えようとする気配はない。トーリャがかけた魔法の内一つは、人の根源たるものを蝕む呪いの魔法。それを使ってレオンの内に眠り体に植え付けられた覚醒者たる力を出てくる前に削り取り抑えてはいるものの、神の力に等しい覚醒者の力を消失させることは実質不可能なので抑えこむのが精一杯といったところだ。単純な拘束魔法では効果がないに等しく、こんな普通の人間なら数秒も経たない内に心が霧散し抜け殻になるような強力な魔法でですらこうなのだから、ほんとうにもう呆れるか乾いた笑いしか出てこなくなる。
「深いところに入った、もう目視での確認は無理だな。しかし……以外に速いな。森に詳しい者がいるようだ」
さっと、物音も最小限に樹の枝から降りてきたエルザは、双眼鏡を片手に眉を寄せた。どうでもいいが片手に双眼鏡もう片手にあの巨大な銃とエルザは見てくれ以上に筋力があるようだ。もしかしたら少し優男風のレオンよりも力は強いかもしれない。
「わお、エルザさん偵察ご苦労さまです。それにしても困りましたね。今どのへんです?」
自分の髪を指先で弄りながらトーリャが聞くと、鞄に双眼鏡をしまいながらエルザが息を吐く。
「あのペースなら私達が足を止めれば半日もあれば見える場所まで来るだろうね。相当獲物の追跡が上手いやつだ。私と同業者かあるいは……っふ、とんだハンターに狙われたものだな」
「はいそれー、すっごくまずいですからねーちょうまずいですよー。どうしましょうか、都会育ちな私的には休憩無しは辛いんですけどねー」
少しの焦りも感じられない声でトーリャが言う。その隣でリーシャが肩を落とした。
「あんたね……このくらい我慢しなさいよ」
「……実は、黙ってましたけどレオンさんに使ってる魔法の消耗がかなりすごくて。本当はこれでも立ってるのがやっとなんです……」
傍らの木に手をついて、トーリャが胸に手を当て息を荒げた。伏せられた顔から、力なく長い黒髪が垂れ下がる。
「そんな!? トーリャさん大丈夫なの? ごめん……僕のせいだ」
力いっぱいに、爪が肉に食い込むほど拳を握りしめたレオンの肩をリーシャが叩く。その顔には呆れの色が浮かんでいた。
「大丈夫よレオン。だって嘘でしょ」
「ええまあ、そうなんですけどね」
特に何事もなかったかのように顔を上げるトーリャ。その顔色は先程と何ら変わらず、欠片も苦の色を感じない。
「えええ!? 嘘なの!?」
「常時発動しているようなものですから消耗していないわけでもないですけどねぇ……でも私ってほら、特別な存在――的な? あ、でもこんな可憐な美少女の目が曇って辛そうにしている時はそっと肩くらい貸して欲しかったですねぇ?」
言って、寄り添うようにトーリャはレオンに近づき肩を合わせる。吐息がかかる距離まで急接近され、レオンは思わずトーリャから目を逸らすと気を紛らわそうと頬を掻いた。そうしてレオンが海を泳ぐ魚のごとく目を上下左右に面白おかしく動かしていたのを見かね、二人を強引に引き剥がしたのは、やはりリーシャだ。
「あんたの目が曇ってんのはいつものことでしょーが。ほら、くだらないこと言ってる暇あったら足動かす!」
これ以上リーシャの機嫌を損ねるのはまずいと、皆は先導するエルザの背を追いながら森の中を行く。
この時は誰もが思いもしなかった。数時間後に追っ手が死にものぐるいで全力疾走しながらこちらに向かっているなどとは。