鬼の試験・後編
湯気が立ち上るかのように、何体もの黒い影が二人をあっという間に取り囲んだ。
「なんで、こんなにっ!」
清彦は慌てて刀を構えた。
沙紀も自分の目の前の邪に刀を向けた。
『オイシソウ。』
邪の重低音が耳に届き、沙紀は鳥肌がたった。
「さすがに全部倒すのは無理だから、前方の二体を倒して、ここを突っ切るよ。」
清彦の指示に大きく沙紀が頷くと、清彦は素早く二体を斬った。
斬られた邪が消えると、道が開き、そこに向かって走りこむ。
沙紀たちは全力で走った。
しかし、邪を振り切ることができない。
「ちっ、仕方ないか!」
清彦は急ブレーキをかけて、邪と向かい合う。
すると、刀を持っていない左手を邪に向かって突き出した。
その動きに合わせて、どこからともなく、大量の水が波となり、邪を襲った。
全ての邪があっという間に流された。
「ふう。」
清彦は、安心したように息をつくと、浜に打ち上げられた魚のようにぐったりと倒れている邪に刀を突きさし、消滅させる。
いきなりの出来事に驚く沙紀は、次々と邪を刀で突き刺す清彦に話しかけた。
「今のって、清彦君の特殊能力?」
「そうだよ。僕は、水鬼だから。」
そう、平然と彼は答えた。沙紀よりも歳が下なのに、特殊能力を使いこなしているようだ。
「アンタは?」
清彦の問いかけに、沙紀は首を振った。
それを見た清彦は、沙紀をさらに見下したようだった。
「これで、全部と。それじゃ、行く…よ…。」
邪を刺し終えた清彦だったが、様子がおかしい。
清彦は沙紀の背後を見て固まっていた。
「沙紀たち、遅い…。」
高貴と栄輝はスタート地点で待機していたが、どうにも帰りの遅い沙紀と清彦のことが気になり始めていた。
「とっくに帰ってくる時間だよな。」
栄輝も端末の時間を見て、眉をひそめた。
「様子を見に行くぞ。」
高貴が栄輝にそう言って、沙紀たちの方に向かおうとした時、高貴と栄輝の体には、とてつもない圧迫感が押し寄せた。
「おい、今のなんだよっ!」
その感覚に驚いた栄輝は、高貴に問いかけた。
高貴の顔には冷や汗が垂れた。
「急ぐぞっ!!」
清彦は口を開けたまま、後ずさった。
しかし、清彦が流した水のせいで地面は緩んでいたため、ズルッと足を滑らせ、彼は転倒してしまった。
沙紀は、先程まで冷静だった清彦の動揺に、不安が大きくなった。後ろを見ることが、恐怖のあまりできない。
しかし、清彦がこんな状態で、高貴も栄輝もいない今、自分がどうにかしなくてはと、沙紀は恐る恐る後ろを振り向いた。
すると、大きな大きな黒い腕とその拳が沙紀たちに向かって伸びていた。
どこにその腕の持ち主がいるかは、夕暮れで薄暗い森の中では不明だったが、とにかくその巨大な腕は、沙紀たちを捕らえようと手を伸ばしていた。
沙紀は咄嗟に大声で叫んだ。
「清彦君!!立って!早く!」
その声に、びくっとした清彦は、慌てて立ちあがり、沙紀と走った。
しかし、腕はあっという間に、沙紀と清彦を追い越し、二人の前に、拳を振り下ろした。
ドーンッと地響きがして、沙紀と清彦はその衝撃で後方に吹き飛ばされた。
拳が上に上がると、腕のバケモノが殴ったところには、大きな穴が開いていた。
沙紀は、どうにかしてこの腕から逃げなければと、すぐに立ち上がった。
しかし、清彦は目の前の恐怖に震えあがっていて、腰が抜けていた。
「もう、…無理だ。俺たち、殺される。」
清彦の顔面からは血の気が引き、そこにあったのは絶望だけだった。
確かに、沙紀にも切り抜ける策なんて思い浮かんでいない。この数分に、一体何度、高貴や栄輝がいてくれればと思ったことか。
その時、沙紀は気づいた。
(それじゃ、いつまでも独り立ちなんかできないじゃん。)
沙紀は、のそりと動く腕のバケモノを見据えた。
「清彦君、絶対生きて帰ろう。」
「は?アンタ何言って…。」
清彦は沙紀の横顔に言葉を失った。
いや、その瞳に言葉を失った。
「大丈夫。今度は私に任せて。」
沙紀は、そういうと、腕に立ち向かっていく。
腕は案の定、襲い掛かってきた。
刀を持つ右腕が恐怖に震えたが、左手でも刀の柄を持つと、不思議と震えは止まり、腕に向けて振り下ろした。
腕のバケモノに切り込みが入ったのが、沙紀には見えた。
すると腕のバケモノは、痛みを訴えるように、グネグネと動き回り、森の木々をなぎ倒す。
その巻き添えにならないよう、沙紀は避けながら強く願った。
(お願い、これで、帰って!!)
沙紀の腕は、腕のバケモノを斬った衝撃でしびれていて、これ以上刀を振るえないのだ。
沙紀の願いが通じたのか、腕のバケモノはのたうち回りながら森の奥へと、引っ込んでいった。
沙紀はほっと肩をなでおろした。
その時、待ちわびた声がした。
「大丈夫か!沙紀っ!!」
高貴たちが、木々をかき分けて沙紀たちのところへ駆けつけてきた。
沙紀の瞳から涙があふれていた。
「沙紀!?」
高貴は心配そうに沙紀の顔を覗き込んだ。
すると、安心した沙紀は、わんわんと泣き出した。
一方で、栄輝は腰を抜かしていた清彦に手を差し出し、立ち上がらせた。
「一体、何があったんだ?」
栄輝が見渡す限り、森の木々は倒れ、地面は濡れ、とんだ惨状になっていた。
その質問に、清彦は怒りを含んだ瞳を向けた。
「何があったって、栄輝は知ってるんでしょ?短刀と簪に憑りついていた邪のこと。」
「は?」
「は?って、僕らが短刀と簪を取った途端、いっぱいの邪に襲われた挙句、見たこともない聞いたこともないバケモノみたいな邪に襲われたんだよ!」
清彦は、不満をぶちまけた。
「あんなの、ハードル高すぎ。下手したら死んでた!」
そう言った清彦は栄輝に謝罪でも求めようと、栄輝の顔を見た。
しかし、栄輝は本当に知らないといった顔だった。
「ちょっと、何だよ、その顔。」
「いや、あれ冗談だぞ。短刀と簪に邪が取り憑いてるなんて。」
「は?」
「簡単すぎる試験を盛り上げるための恒例行事。俺たちだって、すごい気配を感じたから慌てて駆けつけたところで、はっきり言って何がなんだか。」
「嘘でしょ。」
「こんな状況で嘘なんかつかねーよ。つーか、気配からすると、俺たちでもヤバいレベルだと思ったんだが、どうやって倒したんだよ?」
清彦はその言葉を聞いて、泣くのが少し落ち着いた沙紀を見た。
そして、清彦は栄輝の質問には答えず、沙紀に近づいた。
「アンタがいなきゃ死んでた。ありがとう。」
清彦は少しバツが悪そうな感じでそう言った。
しかし、沙紀は高貴がいる手前、清彦は無理に沙紀に礼を言っているのではないかと少し疑ってしまっていた。
そんなことを知って知らずか、清彦はつづけた。
「今度は僕が助けるから。これからよろしくね、沙紀姉ちゃん。」
そういうと、清彦は再び栄輝の所へ戻った。
沙紀姉ちゃんという新しい呼び方にどうしたのだろうと、泣いたばかりで、ぼうっとする頭で沙紀が考えていると、高貴が少し驚いていた。
「沙紀、いつの間に清彦と仲良くなったの?」
「え?」
「清彦は少し気難しいところがあってさ、尊敬してないと『姉ちゃん』とか『兄ちゃん』とか言わないんだよ。栄輝なんか呼び捨てだし。」
「そ、そうなんですか。」
沙紀は、清彦の本心を疑ってしまった自分が少し恥ずかしくなった。さっきのお礼も清彦の本心だったのだ。
「そういや、試験の方はどうするんだ?高貴。」
栄輝が高貴に話しかけた。
沙紀はあまりのことに忘れていたが、そう今は試験の最中だったのだ。
「そうだな。とりあえず、試験は中断して、菊さまに判断を仰ぐしかいな。こんなことは今まで無かったことだし。」
「じゃあ、これは?」
沙紀は持っていた簪を高貴に差し出した。
試験を中断するなら、試験の小道具というべきこの品はどうするべきか迷ったからだ。
「ああ、それな。」
そう言って、高貴は簪を沙紀から受け取った。
やっぱり回収するのかと、沙紀は少し切なくなった。
なぜなら、簪のデザインが気に入っていたからだ。もう少しよく見ておけばよかったと思った。
高貴は受け取った簪を持って、沙紀の髪を触った。
いきなり、髪を触られて、沙紀は固まってしまった。高貴は髪を触って何かしているが、沙紀はドキドキと心臓が鳴りやまない。そうこうしているうちに、沙紀の長い髪はいつの間にかお団子にされていて、そこにスッと簪が刺された。
「うん、やっぱり似合ってる。」
そう、高貴は満足そうに頷いた。
金粉が施された赤い簪は、沙紀の黒い髪に映えた。
「え?」
「これね、プレゼント。」
「もらっていいんですか?」
「うん、というか、沙紀のために俺が選んだ物だから。気に入ってくれた?」
高貴は少し照れた様子でそう言った。
「はい!とっても、気に入ってます!!」
沙紀は、ぱあっと笑顔を見せた。
その様子を見て、高貴も笑顔になった。
「ということは、この短刀は栄輝から?」
少し離れたところで、清彦は不服そうに栄輝にきいた。
「そうだぜ。村の伝統だろ?師匠が弟子に短刀を送るってのは。刀鬼さんにつくってもらった特注品だぜ!」
「ちっ、高貴兄ちゃんからがよかった。」
「は?嫌なら返せ!。」
「何言ってんのさ。これは、もう僕のだから!」
短刀を渡すの渡さないので揉めている栄輝と清彦に、高貴が声をかける。
「今回の件を菊さまに報告しに行くよ。」
すると、清彦は栄輝との取っ組み合いをやめ、すぐさまこちらへやってくる。
「はーい、高貴兄ちゃん!」
みんなで、村の方へ歩き出す。
沙紀はふと空を仰いだ。
先程までうっすらとあったオレンジも、闇に飲み込まれた。
そんな光景に胸騒ぎがした。




