誕生日のゴチソウ
「ただいまー。」
沙紀は家の鍵を自分であけて、誕生日のごちそうの準備をしているであろうお母さんに声をかけた。
いつもなら、『おかえり』と返事があるはずなのだが、それがない。
「?」
疑問に思いつつも、沙紀は家に入った。
台所に続く廊下を歩いて、台所をを覗く。
しかし、そこに誰もおらず、その代わりに火にかけたままの鍋が沸騰して、蓋が上下している。
沙紀は慌てて火を消した。
「もう。」
と、火をかけたまま放置したであろう母をとがめる言葉漏らした。
その瞬間、沙紀は背後に寒気を感じた。
すかさず振り向くと、包丁を手にした母が自分目掛けて、振り下ろそうとしていた。それを咄嗟によけると、包丁は空を切った。
「お、お母さん!?」
いろんな疑問が頭を駆け巡ったが、うまく言葉にできない。しかし、母は包丁を手にしたまま、こちらをにらんだ。母はこんな顔をしていただろうかと思うぐらい醜い顔だった。
沙紀は体の震えが止まらなかった。
「や、やめて。」
じりじりと母は包丁を手にしたまま沙紀に近寄る。
『こんなトコロに、オニがいたなんてネー。ゴチソウ、ハヤク食べたぁい』
母はやっと言葉を口にしたが、母の声ではなかった。くぐもって、人が出すような声ではない。そして、何より意味不明だ。
ここに鬼なんて、一人もいない。いるはずがない。
再び、母は沙紀めがけて包丁を振り下ろそうとするので、沙紀はダイニングテーブルにぶつかりながらも、刃をよける。その時に、テーブルに置いてあったケーキが落ちてしまったが、そんなのに構ってはいられなかった。
何かの冗談であってほしいと沙紀は思ったが、母は沙紀を追い詰めるのをやめず、その瞳は沙紀をおちょくっているようには見えなかった。
母は、今までと違う動きで包丁を振りかざした。そのせいで、沙紀は少し反応が遅れてしまい、制服に包丁があたる感覚がした。
沙紀はその感覚に血の気が引いてしまったのと、変なよけ方になってしまったことで、体のバランスを崩してしまった。
しりもちをついてしまった沙紀は慌てて立とうとするが、どうにも立つことができない。
沙紀は腰が抜けてしまったのだ。そんな沙紀の状態などおかまいなしに、母は不気味な笑みをもらしながら、近づいてくる。逃げなければいけないが、沙紀は後ずさりするのが精一杯だった。
案の定、部屋の隅に追いやられてしまう。
沙紀の頭には「どうしよう」という言葉が無限にめぐるだけで、脳は機能せず、何の策も思いつかない。沙紀の眼球が、台所の電灯で怪しく光った包丁をとらえた時、沙紀はもうだめだと諦めていた。
『何が起こったのかわからないまま自分は死んでいくのか』と、目を閉じることすらできない恐怖。
沙紀の瞳には振り下ろされる包丁がスローモーションに見えた。