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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

世界の全てがそうだとしても

作者: 桂川

 明かりを消した部屋を照らすのは満月の光。

 大きなベッドの上、まったりと横になって耳をすませば、虫の合唱が聞こえる。

 この広い家に今いるのは、俺とユキの二人だけだ。


「あー、腰もケツもすっげえ痛いんだけど。止めろって言ってんのに、いつまで腰振りやがって。盛りのついた犬かよ、ユキは」

「ごめん、だって和希が可愛すぎて止まんなくて」

「男に可愛いとか、キモい事言うな」


 ユキはそっぽを向いた俺を背後から抱き寄せた。


「だって本当に和希は可愛いんだもん。僕が嘘付けないの知ってるでしょ」

「……ユキ、俺の事好き?」

「うん、大好き過ぎるぐらいだよ」


 透明感のある少し高めの声のいつも通りの返事に、俺はいつも通り満足する。

 芯から熱い身体と、首筋に当たる湿った甘い吐息。ユキの肌はしっとりとしていて、俺の肌に吸い付くように張り付いてくる。

 これら全てが人工物だという事を、俺は時々忘れそうになる。


 ユキは家庭用の家政夫アンドロイドだ。さらっとした黒髪に優しい顔立ち。穏やかで人懐っこい性格に加えて、今までのアンドロイドにはなかった感情という機能が備わっている。

 ユキがこの家に来た時から俺達はいつも一緒だった。両親の仕事は忙しく家を留守にしがちだったから、ユキが俺の世話をしてくれ、そして一緒に遊んでくれた。


「ユキー、明日、学校から帰ったら博物館に連れてけー。すっげぇ昔のシューティングの筐体が入ったみたいでさ、見に行きたいんだ。ユキも興味あるだろ?」

「うーん、興味はあるけどさ、学校の課題は大丈夫なの?」

「大丈夫だって、帰ってからやるし」

「じゃあ、少しだけだよ」


 ユキは俺の頼みを絶対に断らない。

 くるりと振り返るとユキは困った表情で一生懸命抵抗しようとしていた。それが可笑しくて、からかうようにユキの唇を何度も啄ばむとユキの表情は緩んでいく。

 最初はただの主従の関係だったと思う。

 でも、今ではユキは楽しい事を共有する大切な親友で、そして親には内緒の秘密の恋人なんだ。




「和希おはよう。悪いんだけど今日ちょっと病院へ行っていいかな」

「はぁ? 昨日、博物館に一緒に行くって約束したよな。それについこの前、健康診断に行ってただろ」

「ごめんね、和希。だけど、ちょっと調子が良くないんだ」


 ユキの言う病院とはメンテナンスを行う修理工場の事だ。俺が怒るから、修理工場は病院に、メンテナンスは健康診断にと言い換えている。

 どう調子が悪いんだよ、と聞き返そうとして俺は口を噤んだ。回路だの基盤だの、耳を塞ぎたくなるワードが出てくるからだ。


「ほら、早く朝ご飯食べて。遅刻しちゃうよ」


 俺の目の前には、ユキが作ってくれた朝飯が並んでいる。約束を反故にされて腹が立つけど、病院ならしょうがない。白飯を口一杯に頬張り、味噌汁で苛立ちと一緒に流し込んだ。




 放課後、家に帰って来るとまだ病院に行っているのか、ユキはいなかった。俺はその隙に父親の書斎を漁り、ある物を探す事にした。

 古い書物を棚から引っ張りだして、今時珍しい紙の資料を引き出しからぶちまける。実のところ、この探し物自体がこの世に存在していない可能性もあるのだ。


「くそっ、後少しだけ探してみるか」


 両親とも出張から帰ってくるのは明後日だ。

 思いっきり散らかしても、ユキが記憶を頼りに元通りに片付けてくれる。こういう時、アンドロイドとは本当に便利な生き物だな、と俺は身勝手な事を思ってしまう。


「あった……多分、これだ」


 一番下の引き出しの一番底にあった物、それは俺が探していたユキの説明書だった。

 ネットでいくら探してもユキの型番のアンドロイドの情報が見つからず、もしかしたらと閃いたんだが、正解だったようだ。

 ユキの説明書は、当然であるかのように一度も開かれた様子はない。ユキはこの家に来た時からすでに起動していたし、月に一度の健康診断にも一人で勝手に行くから、説明書を開く必要がなかったんだと思う。


 最近のユキは健康診断以外にも時々病院へ行っていて、俺はそれが内心ずっと気になっていた。

 俺がいつもわがままや勝手なことばかり言うから、ユキに何か負担がかかっているんじゃあないか。俺のせいでユキに何かあったら……

 だからもっとユキを理解したくなった。俺も甘えてばかりじゃなくて、何かユキの役に立ちたいんだ。


 俺は、ユキの事が大好きだから。


 まだ何が書いてあるとも何が出来るとも分からないのに、自然と湧き上がる誇らしさ。

 それを胸に秘めて、俺は説明書のページを捲ったはずだった。


「なんだよ、これ……」


 説明書を持つ手が震える。

 何度も読み返して、先に進んで、そしてページを戻って読み返して。目の前が真っ暗で、ぐわんぐわんと頭が揺れている。動悸が激しくて胃が飛び出してしまいそうだ。


「和希、御主人様の書斎には勝手に入っちゃダメだって言われているでしょ」


 いつの間に帰ってきたのか、ユキの声が背後からした。

 俺は座り込んだまま振り返り、説明書をユキに突き付けた。


「ユキ、ここに書いてある事は本当なのか」

「……和希」

「言えよ……本当なのか、これは」

「それは、その」


 ユキは明らかに動揺し怯えていた。しかし、その態度は俺の怒りを増すばかりだった。


「言えって命令しているんだ! 俺の命令が聞けないのか、アンドロイドのくせに!」


 俺の怒声が夕陽に染まる父親の書斎に響いた。

 表情を固めたままのユキに苛立って説明書を顔に投げ付けたのに、ユキは微動だにしなかった。


「ごめんね和希、その説明書に書いてある事は本当だよ。僕に感情なんて機能はないんだ」

「嘘だろ……嘘って言えよ」

「ごめん、僕は嘘が付けないように作られているんだ」


 ユキは俺に再度謝ると、そのまま淡々と無表情に言葉を続けた。


「僕には一億人以上の人間の行動パターンと、オーナーである高梨家の基礎情報、行動、発言などの日常全てのデータが記憶されている。

 そこに、センサーで感知した発汗や発熱、声色や脈拍や呼吸などの身体変化を人工知能が読み込んで計算をして、オーナーが最も望む言葉、表情、行動を選んで実行するんだ。

 それら一連の流れが人間の持つ感情表現にとても類似しているから、それを感情機能と称して販売されたのが僕の型番だよ」

「それじゃあ、ユキが俺の事を大好きだって言ったのも……」

「そうだよ、和希が俺にそう言って欲しいと願っている事が分析した結果として出たから言っただけ。人間の言う好きとか嫌いとか、アンドロイドである僕には全く仕組みが分からないんだ」


 そっか……そうだよな……

 どんなに技術が発達したって、人工物であるアンドロイドが感情なんて持つわけないんだ。

 大好きだと言ったユキの言葉は、俺がそういう答えを望んだから。ユキは、俺が作り上げた理想のユキをプログラムに従って実行していただけだったんだ。

 バカだよな……俺。

 アンドロイドを本気で好きになるなんて……


「和希……ごめん」

「もういいよ、ユキ。今すぐ修理工場へ帰れ」

「でも……」

「出て行け! 今すぐ出て行け! お前なんか大嫌いだ!」


 ユキは抑揚のない不自然な音調で「わかった」と返すと、静かに書斎を後にした。

 喉が引き裂かれるように痛くて、涙が溢れて止まらない。でもそれをユキに勘付かれるのは気持ちが悪くて、必死に声を殺して泣いた。




 俺はいつの間にか寝てしまっていたようだ。体には毛布がかけられており、書斎は元通りに片付いていた。


「ユキ……か」


 家の中は時が止まったかのように静かだ。でも夕陽が眩しかった書斎が濃紺に染まっているから、確実に時は進んでいるようだ。


「腹、減ったな」


 いつもならユキが晩飯を用意してくれるが、この家にはもういない。ユキは俺の命令に逆らわないから、とっくに工場に戻っているだろう。

 とてつもない後悔が俺を襲う。

 ユキは元々、家政夫としてこの家に来ただけなんだ。そんなユキに勝手に親しみを持ち、友情を恋心に変えたのは俺なのに……

 ユキは傷付いただろうか。いや、傷付くなんて事はないんだ。アンドロイドなんだから。

 寂しさと虚しさで重くなった体を引き摺って、食料を漁りにリビングダイニングへ向かった。


 ユキはまだこの家にいた。

 リビングの大きな窓の前、月明かりに照らされて真っ直ぐに立っていた。

 何故という戸惑いと素直な喜びが胸いっぱいに同時に広がって息が苦しい。涙はもうすぐそこまで来ていて、今すぐユキに触れないと心が壊れてしまいそうだ。

 足を一歩踏み出した時、ユキは俺に気が付き振り返った。


「和希……」

「まだ、いたんだ」

「ごめん、明日の朝食まで用意して工場に向かおうと思って」

「それぐらい、自分で出来るし」

「そうだよね……ごめん、ごめんね」


 ユキは何度も謝ると俺の顔を見て微笑み、横を平然と通り過ぎてリビングから玄関に向かおうとした。


「待って、ユキ!」


 二の腕を掴んでユキを引き止めた。勢いでぐらりと揺れる身体を、ぎゅっときつく抱き締める。


「ユキ……」

「和希、離して」

「やだ……離さない」

「お願いだから、離して」

「さっきはごめん、あんな事言って。謝るから、だから……」

「謝らなくていいから離して、和希」


 振りほどこうとする体を無理矢理に抱き締め続ける。

 アンドロイドのユキには分かっているはずだ。俺が今、ユキにどうして欲しいのかが。

 だから、ずっともう、このまま……


「離してって言ってるの!」


 渾身の力で振り解かれて体が吹っ飛び、床にどんと激しく尻もちを付いた。

 拒絶されるなんて微塵も思わなかった。ショックが大き過ぎて立ち上がる事がやっとで、俺から顔を背けるユキに何も言う事が出来なかった。


「これで、良かったんだよ」

「え……」

「僕ね、故障しているんだ」


 ユキの発した故障という不穏な言葉に眉をひそめた。


「故障って……」

「何かがおかしいんだ、ずっと。

 和希と一緒にいると正しい判断が出来なくて、止めろと言われた事が止められなかったり、和希の命令通りに動けなかったりするんだ。

 胸のコードがきりきりと捩れて切れそうで、だから修理工場で見てもらっているのにいつも問題もないって診断される。

 さっきだって、和希の記憶を消そうと何度も実行しているのに、エラーばっかり出て消去出来ない。

 抱き締められるとボディが異常に熱くなって発火してしまいそうなんだ。

 僕は和希を傷付けたくない。大体、僕達アンドロイドは」


 止まらない言葉を遮って、もう一度ユキを引き寄せてふわりと抱き締めた。


「和希、ダメだよ! 離して!」

「本当にダメなら、さっきみたいに突き飛ばせよ」


 ユキは俺の腕の中で身を捩り抵抗していたが、少しずつ大人しくなっていった。

 そして、ゆっくりと俺の背中に手を回し躊躇いがちに俺のシャツを握った。


「ユキの身体、マジで熱いな」

「オーバーヒートしているんだ。冷却しようとしても追い付かなくて、本当に爆発しちゃいそうなんだよ。それなのに、和希から手を離せない」


 腕の中で震える身体は異常に熱く、空回りするような駆動音がユキの中から微かに聞こえる。


「とても、胸が苦しいよ。やっぱりコードが焼き切れているんだ」

「なぁ、それって俺も一緒だよ」

「一緒って」

「俺もね、ユキを思うと胸が苦しくて身体が熱くなるんだ。それに俺が出て行けって言ったのにユキが出て行かなかったのは、ユキ自身がまだここにいたいって思ったからだろ。やっぱり感情を持っているんだよ、ユキは」


 ユキは俺の肩に顔を押し付けたまま、首を横に振った。


「和希、僕に感情は無いんだ。ただ壊れているだけなんだよ」

「じゃあ、ずっと壊れたまんまでいいよ。ずっと俺のそばにいてよ」

「……いいの? 僕、和希に迷惑をかけるかもしれないよ」


 ユキは顔を上げた。

 ガラスの瞳は濡れていて、瞬きすると大粒の涙が溢れて零れ落ちていく。

 今までの二人の関係が人工知能に誘導された作り物だったとしても、ユキが俺の命令に背いた事が壊れていたからだったとしても、そんな事はどうでもいい。


「いいよ、俺はそのまんまのユキが大好きなんだ」



 今宵の満月も大きくて綺麗で、クレーターまでがはっきり見える。

 涼やかな虫の声はほどよく耳に響いて心地よい。


 闇に投影された映像の月。

 庭に放たれた小型の鳴き虫型ロボット。


 ユキの目から流れ続ける水が、熱を持った身体を冷却する際に出た、ただの結露の放出だとしても、俺にとっては紛れもなく本物の涙だった。





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