邪神
空も大地も無い光景が果てしなく続く真っ白な空間があった。
その上も下も無い空間に、千人に届く人影がただ浮かんでいた。
「ここ、何処だ?」
この空間に浮かんでいる者の一人。十代後半の見た目をした少年が呆然とした様子でそう呟いた。
『ここは我々の領域』
【我々の主の御座】
少年が呟いた直後、空間そのものにその言葉がこだました。
「えっ!?」
こだました言葉を受け取った人々は、騒ぎつつ声の主を捜しはじめた。
口々に「我々の領域?」と疑問の声が上がっている。
ただ、もう一つの言葉。「我々の主の御座?」という言葉を口にしているのは、最初に「ここ、何処だ?」と口にした少年だけだった。
どうやら、肉声ではなかった方の言葉は、少年にしか届いていなかったようだ。
少年は、二つの言葉が聞こえて来た方向を見た。
「いた!」
その方向に何かを見つけた少年がそう言うと、ざわめいていた空間が静まりかえり、今までバラけていた千対にのぼる目が、一斉に少年が見ている方向に集まった。
視線の集まる先。
その場所には、虹色のローブを着た長身痩躯の黒人男性が存在していた。
『ようこそさ迷える者達、我々の領域に』
【ようこそ人形達、汝らの主たる我々の主の御前に】
「主の御前に?」
再び少年にだけ肉声で無い声が届いた。他の者達は、全員が最初の言葉ばかりを口にしてざわめいている。
「ほう」
黒人男性は、小さくそう呟くと視線を少年に固定した。
このことに気がついているのは、見つめられている少年だけだ。
少年は、男性が何故自分を見るのかわからず、戸惑いを覚えた。
「お前は誰なんだ?」
少年が戸惑いを覚えているなか、この場にいる内の一人が、男性の正体を尋ねた。
『我々は神。汝らの世界を運営する者』
【眠れる主の意思に従い世界を運営する者】
「神?・・・俺達は死んだのか!?」
男性の正体が神と聞き、聞いた者達がいっそうざわめいた。そして、質問者が更なる質問を重ねた。
『しかり。この場にいる全ての者達は死人だ』
【否。この場にいる全ての者達は主の断片。思いのカケラ】
「主の断片。思いのカケラ?」
周囲の人間達が自分達が死んでいると聞かされてざわめくなか、少年は意味深な言葉の方が気になってしょうがない様子だった。
「なんで俺達はこんな場所にいるんだ!?」
『我々が目的の為に汝らを転生させる為』
【我々の主の眠りを守り、数多の世界を救う為】
『さあ、人間達よ!生きたくば光の先に進むが良い!』
【さあ、人間達よ!我々が主と世界の為に、踊るが良い!】
男性がそう言うと、この空間の一点に光が生まれた。
少年以外の人々は、引き寄せられるように。また、生き足掻くように光に向かって行った。
【汝はそこに留まるが良い】
少年が他の人々と一緒に行こうか、この声の意味を聞こうか悩んでいると、男性がまた少年にだけ聞こえる声でそう言ってきた。
少年は、今はこの場に留まることを選び、他の人々が光の中に消えて行くのを見送った。
【さて、汝以外全員いなくなったな】
「え?」
少年が声のした方を向くと、男性がいつの間にか少年の傍に居た。
【ほう、やはり我々の声が聞こえるか】
男性は、感心したようにそう言った。
少年にはその意味がわからなかったが、何か予感がした。
「あの、この声はいったい?」【我々の本来の言葉だ。先程汝や彼らが聞いていた言葉は、意訳したような感じだな】
「はあ」
【しかし、集めた中に神子がいたとはな。これは好都合だ】
「好都合ですか?」
【ああ。うむ、有象無象がいなくなったことだし、落ち着いて話せる場所に移動するとしよう】
男性がそう言うと、少年は次の瞬間には今までと真逆の場所にいた。
ある程度の広さがある漆黒の空間。空と大地があり、椅子や机が空間の中心にぽつんと置かれていた。
【座りたまえ】
「どうも」
少年は、男性に勧められるままに椅子に腰掛けた。
【さて、まずは自己紹介からといこうか。我々の名はナイアルラトフォテップ。主の眷属にして代行者、主の夢という舞台を演出する存在だ】
「僕は夢現星夜と言います」
男性と少年は、互いにそう名乗りあった。
【夢現星夜か。主に通づる名前だな。汝は主が特別目をかけているキャラクターなのかもしれないな】
「どういう意味です?」
【汝は我々の二つの言葉双方が聞こえていただろう】
「はい」
【つまりはそういうことだ】
「?」
星夜の中では疑問が渦巻いていたが、ナイアルラトフォテップは気にせず本題に移るようだ。
【本題に移ろう。あの光の先で他の者達も手続きをしている。汝にはより詳細な説明と我々からの頼みを聞いてもらいたい】
「えーと?」
神からの頼みという部分に、星夜はどうしようか迷った。
【とりあえず一度聞いてくれ】
「・・・わかりました」
ナイアルラトフォテップにこう言われた星夜は、聞くだけ聞くことにした。
【まずはあちらと同じ説明をしよう。汝には今から十二の世界から一つの世界を選んでもらう】
そう言うとナイアルラトフォテップは、何処からか取り出した紙の束を、星夜に差し出してきた。
【その中から汝が行きたい世界を一つ選べ】
星夜が紙束を受け取ると、ナイアルラトフォテップは次にそう言った。
言われた星夜は、紙に書かれている内容を一つ一つ確認していった。
「じゃあ、ここが良いです」
星夜はそう言うと、一枚の紙を上にして紙束をナイアルラトフォテップに返した。
【ほう、この世界にしたか。ではこの世界で手続きをしておこう。さて、次に我々の頼み事についてだ】
「・・・はい」
星夜は、来たかと身体を硬くした。
【そこまで緊張せずとも良い。我々が汝に頼むことはそんなに難しいことではない。向こうの世界に行ったら、面倒事に巻き込まれたらなるべくその面倒事を放置しないようにしてほしいだけだ】
「どういうことです?」
【汝の行動の一つ一つが主を楽しませる劇の一幕なのだ。故に、主が白ける放置という行動だけを採らないでくれればそれで良い。別に無理をする必要は無い。ただ放置だけはしないでくれ】
「・・・わかりました」
星夜は、真剣な様子で頼み事をしてきたナイアルラトフォテップにそう答えた。
【そうか、ありがとう】
「いえ」
二人は互いに頭を下げあった。
【手続きにはもう少しかかるな。今の内に少しアドバイスをしておこうか?】
「お願いします」
【うむ。それではまず・・・】
それから星夜は、手続きが終わるまでの間、ナイアルラトフォテップのアドバイスを聞き続けた。
【・・・と、いうわけだ。わかったか?】
「はい!」
【うむ、ちょうど手続きも終了したようだな。それではこれを渡しておこう。汝のこれからの旅の助けになるだろう】
ナイアルラトフォテップはそう言うと、紙束の時と同様にいつの間にか手にしていた本を、星夜に渡した。
「ありがとうございます」
【うむ。汝に我々の主の加護があることを祈っている】
「はい」
二人が別れの挨拶をし終えると、星夜の姿が掻き消えた。