ナイフ
ずっと使い続けている古い道具には神様が宿るという。ほら、今だって私が原稿を書きながら船を漕いでいると、万年筆が掛け算九九をペン先から小声で唱えて私を起こしてくれた。使い始めてまだ二十年もたたないが大切に使ってきたからか成長が早い。人間でいうと十歳くらいだろうか。
私の祖父は小説家だった。子供の頃に遊びに行くといつも廊下の突き当たりにある書斎の中で何か書いていて、私に気づくと中に入れてくれた。背の高い本棚には本が詰まっていて、広い机には古い万年筆と丁寧に削られた鉛筆が、無造作に重ねられた原稿用紙と一緒に置いてあった。私はあの部屋の黴臭いにおいが好きで、入れてもらうのを楽しみに、祖父が気づくまで磨り硝子がはめ込まれたドアの前にぴったりと張り付いていた。
小学五年生の夏休みのある日、読書感想文を見てもらおうと祖父の家に行くと、ちょうど病院に行くところで
「奥の部屋は本棚が倒れたら危ないから一人で入ってはいけないよ」
と言って出掛けてしまった。祖母は家事で忙しそうだったし、書斎のドアの前に座って本を読みながら祖父の帰りを待っていた。
十分もしないうちに背後の書斎が気になり始めた。本を鞄にしまいドアの磨り硝子越しに何か見えないかと目を凝らしたが何も見えずかえって焦れったくなるばかり。書斎に入ってはいけない、という言いつけを、外から眺めるだけなら問題ない、と都合よく解釈してそっとドアを開けた。ガチャリと鳴った瞬間に中から話し声がもれてきて慌てて手を引っ込めた。会話は続いている。どうやら気づかれていないらしい。会話の内容はよく聞こえないが、子供の高い声と老人の低い声が交互に聞こえる。おじいちゃんの知り合いだろうか――そう思って覗いて見たが人の気配はない。ならラジオかと思い切ってドアを開けるとコトリと音がして静かになった。そのまま呆然と入口に立ち尽くしていると、いつからか祖父が後ろにたっていた。
祖父がどこから見ていたかはわからない。まず彼自身書斎の住人に気づいていたのかも。ただ、何事もなかったかのように私の作文を読んでくれた。
昼御飯を御馳走になって帰ろうとしたとき、祖父は折り畳み式の鉛筆削り用のナイフを私にくれた。鈍色に光るずしりと重い刃物に見入る私に一通り使い方を教えると、「大切にするんだよ」とだけ言って書斎に帰ってしまった。
しかし、すぐにナイフの扱いは雑になった。両親が注意しなければ畳の上にうちやられていることさえあった。
夏休み明けの日の朝、急いで鉛筆を削っているとナイフの刃が勢いよく折り畳まれてばっさりと人差し指の肉を切った。血があふれていたが痛さよりも無能なナイフに対する悔しさと怒りで涙がこぼれた。だからといって危険だからと親に取り上げられたくなくて一人で絆創膏を貼った。大切に使わないから、という低い声が聞こえた気がした。
それ以来、私はナイフを大切に使うようになった。あの不思議な低い声を再び聞いたのは祖父が亡くなった後、高校に入ってからだった。