いかなごのくぎに
エントランスで靴を中履きに履き替えることさえ面倒だった。身体中を鈍い疲れが覆い被さっている。
大学を卒業して一年。就職浪人しそうになったが、卒業直前になんとか今の会社で内定が取れた。決して大きな会社とは言えないかもしれないが、上場会社の一次下請で、社員の福利厚生も厚い。大学の就職課の職員にも、「良い会社で内定が取れて良かったな」などと言われ、自分も内心ではとても浮かれていた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
最初の配属先だった営業部では、いつも取引先の機嫌を伺わねばならず、コミュニケーションの苦手な自分には向かない職種だった。製品の知識もなかなか身につかず、ミスばかりを繰り返して部長の激しい怒りを買った。
次に配属された総務では雑用ばかりで、大卒なのに何故こんなつまらない仕事をしなければならないのかと鬱屈とした不満だけが全身を包み、いつそれを爆発させようか悶々と考える日々を過ごした。
ある日、専務に呼ばれ、製造ラインに異動を命じられた。鉄屑や油、汗でドロドロになるなんてごめんだと思ったが、「嫌なら退職してもらうしかない」と言われ、渋々応じるしかなかった。
製造ラインでは、工業高校卒の同期が数人配属されていた。皆、基本的な知識が備わっており、既にある程度仕事を覚えて作業を任されていた。大学では経済学を専攻していた自分に基礎知識があるはずもなく、高卒の彼らを見下していた根拠の無い自尊心は木っ端微塵に砕け散った。プライドだけは異様に高いド素人を一から教育する羽目になった班長や主任が、工場長に散々愚痴をこぼしているという噂も耳に入った。
結局、社内ではどこへ行っても役立たずらしい。自分の居場所はどこにも無かった。
もう辞めてしまいたい。ここじゃなければどこでも良い。毎日そればかり考えている。
寮監室の前を通り過ぎようとした時、管理人に声をかけられた。実家から宅急便が届いていた。
受け取りのサインを書いて、自室に向かって重い体を動かした。荷物には母親の名前と「いかなご」という文字。
……ああ、もうそんな時期か。
自室に入ってデイバッグを放り出し、宅急便の荷物を机の上に置いた。ガムテープをビリビリと勢いよくはがす。
中にはプラスチックの容器が二つ。片方の蓋を開けると、醤油と生姜の匂いがふわっと鼻腔をくすぐった。中には煮込まれて黒い釘のようになったいかなごが詰められていた。容器の大きさから考えて、二キログラムくらいか。
地元では、三月になると主婦がこぞっていかなごの稚魚を買いに走り、醤油、さとう、みりん、生姜と一緒に煮込む「いかなごのくぎに」を作る。どの家庭も醤油臭くなり、外までその匂いが漂ってくる。季節の風物詩だ。
指で一掴みして、口の中へ放り込む。醤油、砂糖、みりんの甘辛さの中に、生姜のピリッとした辛味。いつも母が作るあの味だった。
「……旨い」
脳裏に実家の様子が思い浮かぶ。
玄関を開けたら醤油の匂いがして。
居間に行くと、父が必死で鍋をひっくり返していて。母は鍋の様子を見ながら、出来上がったものを一キログラムずつ容器に詰める。
ああ、懐かしい……。
そう思ったら、涙が勝手に溢れ出して止まらなくなった。
ぐいっと袖で力強く涙を拭いたが、それくらいでは零れ落ちるのを止められるはずも無い。
容器を両方とも取り出すと、白い封筒が容器と箱の隙間から出て来た。
お世辞にも綺麗とはとても言えない母の字が並んでいた。
『隆一へ
いかなごのくぎに 送ります
余るようなら寮の人と分けてください
頑張って 体に気を付けて 母より』
短い文章だが、手紙には母が書いた文字以外にも筆跡がある。母は筆圧が強いから、便箋に書いた文章が、その下の便箋に跡を残した。おそらくは、いろいろ書こうとしてはしっくりこず、何度も何度も書き直したのだ。
この手紙には、母の愛情がたくさん詰まっている。そう思うと、さらに涙が止まらなくなった。手紙の上にはポタポタと涙の雫がいくつも落ちた。
参考までに。
いかなごの釘煮
いかなごとは、東日本では小女子、西日本では新子と呼ばれる魚。いかなごの釘煮とは稚魚を煮て佃煮の様にした物です。
兵庫県の神戸、明石付近では三月上旬から一ヶ月間だけ明石海峡付近でいかなご漁が解禁になります。
この間に取れたいかなごの稚魚はその日のうちに魚屋やスーパーでkg単位で売られ、主婦が10kgとか20kgとか買って、醤油、砂糖、みりん、生姜と一緒に煮込みます。ご飯のお供に最適の一品です。