BBW旧二章第一話・学院の始まり、旅人の習性。
『幾億回太陽と月が駆け巡っても、今を生きる我らは、決して忘れてはならない。
虫のような小さな体で天に昇った我らが始祖を。
我らを光の下に導きたもうた始祖ドヴェルグを。
生涯を塔にささげた、彼らが鍛えたもうた技を。
忘れてはならない。忘れてはならない。始祖の抱いた祈りの光を、永遠に忘れてはならない――ドヴェルグの子の始祖信仰の一説より』
ドヴェルグの子は、鍛冶や製鉄、加工技術に優れた民で、様々な人々の住まうこの大陸『テラ=メエリタ』の各地に集落を作っている。
あるものは森に、あるものは平地に、あるものは山に。それらには一見共通項はないように思えるが、一応、全部が全部、何らかの鉱脈を持ち、かつ太陽を拝める一定以上の高度の場所である。少なくとも地図上に載っているドヴェルグの子の集落は、全て、最低でもそれなりに大きな丘か、それ以上の高度の場所に存在する。人間の間で彼らが『丘小人』と呼ばれるのは、そうした彼らの習性があるからだ。
鋼鉄の製造・加工を得意とする一族イアンシェルも例に漏れず、学術都市リリエントから馬車で一週間弱の距離にある大きな丘陵地帯に居を構えている。露天掘りのために周囲の木々を伐採してできた、遠目にも見える森林のハゲが特徴的な丘だ。
彼らの住居は、近隣地域でも特に大きな丘の頂点付近にあった。広域を囲う分厚い鋼鉄の柵と、四方に配置された見張り櫓。それらに守られて、もくもくと煙を吐き出す石造建築の家が数十ほども散在している。集落の人口はおよそ三、四百人といったところだろうか。
マリネ=イアンシェルの生家も、それらの小さな家々の一つである。
彼女の実家を含むこの丘の家は背がひくく、しかし面積が広い。小人である彼らは家にあまり背の高さを求めず、代わりに工房を作るために敷地面積を多く求めるからである。
そんな家の中の椅子に今、一人の人間が具合悪そうにして座っていた。
「……あの~、イグニースさぁん、大丈夫ですか~?」
大きな魔法使い帽子をかぶった人間種族の旅人にして、『ゲーム』流魔法使い見習いを名乗る魔法使い、イグニース。十数日前からこの家で寝泊りしては、工房見学にいそしんだり、あちこちにフラフラ出歩いたりしている居候だ。
彼は今、尻を押さえてふるふると体を震わせていた。
微妙に爪先立ちで、内股気味。尻は若干宙に浮いている。空気椅子である。
いつもの人懐っこい笑みは消えうせており、目に涙が浮かんでいて、眉間にも深いしわが刻まれている。じっとり浮かぶ脂汗に、ぐるぐる動く瞳、震える口と、引きつる頬。変顔、といっていい形相だ。
「ふ、ふふふふ……いやもう、慣れたもんだよ、うん、ほん、と、ほん……ひぎいっ!」
ちょんと椅子に尾てい骨が当たった瞬間、びくん、と尻が跳ね上がる。ひぎいもらめえも、やってるのが男なので、ひたすら気持ち悪いだけだった。加えて顔も姿勢も気持ち悪い。
そんな誰得光景に相対する幼女――マリネ=イアンシェルは、ごわごわのツナギに薄手のシャツ、そして大きな皮の篭手という格好で、彼の対面に座っている。
今まではツナギオンリー化粧っ気ゼロで暮らしていた彼女であるが、ぼさぼさな膝丈の長髪は一くくりにしてポニーテイルになっており、寝癖らしい毛先の乱れなども多少は矯正され、櫛を通された頭頂部からアホ毛が一筋はねている。
彼らが最初に出会ったときよりも、幾分か女の子らしいと言える格好だった。
余談であるが、初めて身の回りのことに少しでも気を使い出した彼女を見て、その母親が感涙したとか。
「今日は一体、どうしたんですか~? なんだかいつもと違ってすっごい渋面ですよぉ~」
旅人のその尋常ではない様子に、一体どう手をつければいいのかわからず彼女は尋ねた。ぽややんとしたたれ目も、今は困惑の色に染まっている。
いつもなら頼りになる父母も、今はいない。基本的に、親子三人で暮らしているこの家であるが、日中、父は工房にこもりきり、母も台所にこもりきりなのである。人間に限らず、こういうときに限って頼れそうな人物が誰もいないなど、よくある話だ。
「いや、その……ほら、ここって結構、高いじゃない? だから、習慣で『高いところに上って、疲れて座り込んだ旅人のフリ』、を、してたら……ッ、通りかかったオッチャンに、邪魔だからどけって、思いっきり尻をけられて……っ」
思いのほかそれがクリティカルに効いたらしい、ということだった。
あれはつま先に鉄板が仕込んであったとか、尾てい骨のきしむ音が聞こえたとか言っているが、まごうことなく、阿呆の自業自得である。
「……え~っと、つまり今日は特に大失敗したんですね~。さすがにそろそろやめたらどうですか~?」
「そ、そんな、もうこれをやらない人生なんて、考えられない……」
「まあ、多分イグニースさんらしい、といえばらしいのかもしれませんが~……」
これが、以前自分を暴れ狂う暴走ゴーレムから助けてくれた男なのかと思うと、ため息のとまらないマリネだった。
何を隠そうこの男、後でギャップ効果でカッコよく自分を見せるために、仕込みでわざと魔物に襲われたり大衆に踏まれかけたり馬小屋に泊まったりするような馬鹿であるからして。もはや習性と化したその行動は、旅に出ても居候になっても変わらない。
かくしてイグニースは、イアンシェルの一族の居候となった今も、その『情けないフリ』を続けているのだ。
「ふ、ふ。ら、らしい? 大、失敗? そそ、そんなわけ、な、ない、だろ。そんなこと、言われ、たら、なんの、これしき……」
「ではではどれどれ~、試しにお尻をつんつ~ん」
「つついちゃらめええええええええええっ!? アッー!」
……フリと言ったら、フリなのである。
たとえ泣いていても、イグニースの中ではフリのつもりなのである。
「とりあえず……その様子じゃ明日すぐに馬車に乗れそうにはないですし~、今日明日は大人しくしているといいですよぉ。出発は明後日くらいですかね~?」
「今日もお世話になります……」
まあ、いかにフリとはいえ。
そんなことをやっていれば時折、見極めに失敗してそれが洒落にならない失敗となって、寝込む羽目になることもあるわけで。旅人イグニース、ドM人生一直線。
リリエント魔法学院新年度始動の、およそ十日ほど前のことだ。
いよいよ、学院生活の始まりが近づいてきている――
旅に出る。
その行為を行うにあたって必要なものや、ついてくるものというのは、色々ある。
たとえば、荷物を入れるための背嚢やズタ袋に、寝袋・雨合羽代わりのマント、携帯食料、あと明かりになるものや、マッチや火打石などの火熾し道具も捨てがたい。包帯や薬などは用意できるなら是非欲しく、路銀も絶対必要だし、護身用の道具だっているだろう。他にも目的地で使うもの、この場合は魔法関連の道具やら受験票やら。また、ゴーレム使いのマリネであれば、ドヴェルグ製鋼鉄のアイアンゴーレムを一機。そして最後に――
「それじゃあ、気をつけて行ってらっしゃいね、マリネ。イグニース君も、マリネのことお願いするわ。この子ってば、誰に似たのか、夢中になるといっつも寝食も忘れて熱中しちゃうんだから。しっかり見てやってね」
親の子を思う心も、ついてくるものである。愛がなければついてこないものだろうが、この小言をうっとうしいと思ってしまうのが、子供心というものなのだろう。
幾分かダウンサイジングされ、人間用の鎧と同じ大きさになったゴーレムにまたがるマリネもその例に漏れず、母親からの言葉に頬を膨らました。
「おかーさん、私を何だと思ってるのぉ。あと、何かにつけてイグニースさんに振らないでぇ……」
「あら、だっていつも『イグニースさぁん、イグニースさぁん』って、言われずともって感じで見られにいってるじゃない」
「おかーさぁん! もう黙ってて!」
それがまあ、男がらみともなればなおさら。
マリネの両親はともにドヴェルグの子であり、当然母親も小さい。せいぜい一三〇センチいっていればいいというくらいの身長で同じく赤毛。ただしこちらはストレートヘアで褐色肌。あと、どことは言わないが体の一部分が大きい。
そして、散々名前が出ているイグニースが無反応であるわけだが――彼は今、そちらにツッコみたくてもツッコめない状況であった。
「……いいか、小僧。お前がまあ、近頃のガキにしちゃ威勢がよくて、根性もあるってなァ、まあみとめてやらんでもねえ。一応男して認めてやる。だがな、いいか? だ・が・な! 二人旅をいいことに娘に不必要に近づこうってンなら、どこまでも手前を追いかけてそのドタマたたき割ってやッからな! いいな!」
彼もまた、怒れる親父に詰め寄られている最中であった。
念のために記しておくが、滞在中にイグニースとマリネの間には特に何も起きていない。事件らしきものはあっても、色恋の気配は何もない。が、理屈ではないのだ。
親父が娘に近づく虫の気配を警戒するのに、理屈など必要ないのである。
「いや、あのー、そもそも俺、そういうつもりないから。っていうか、そんな特殊な趣味してないし」
「手前そりゃ、俺の娘に魅力がねェってのか、あァ!? こんなにもちまっこくてめんこいじゃねェか! それでもタマァついてんのか、男なら襲うだろ!」
「あんたどっちなんだよ発言が支離滅裂じゃねえか!?」
……まあ、お約束である。
この後、男二人の言い争いは喧嘩にまで発展し、出発はまた延びた。
「――それで、始業式に間に合わなかった、と」
魔法学院の廊下の一角に、重々しい少女の声が響く。
何事かと道行く生徒たちの視線にさらされながら、顔を青くして立ちすくむイグニースの帽子頭に、アステリアの白い視線が突き刺さった。
実に、手紙のやり取り意外では一月ぶりとなる会話であり、再会もであるというのに、情け容赦の類は一切ない。
どこまでも果てしなく、何考えてんだこいつ馬鹿じゃねえの的なことを目で語りながら、その視線の威力に縮こまるイグニースを、視線で攻撃し続ける。
「うっ……い、いやほら、だって、仕方ないだろ?」
「どこがよ。全部貴方の自業自得で、マリーは完全にとばっちりじゃないの」
「ま、まぁ~、イグニースさんの習慣はもはや矯正のしようがない、と考えればぁ、一応事故といえなくもないですが~」
「ほら、ほらっ、マリネもこう言ってるぜっ」
「それはフォローして言ってるんじゃないわよ、この大ボケッ!」
縮こまるイグニースを気の毒に思ったか、動く人間用フルプレートメイルこと『ゴッちん二号』に肩車してもらっているマリネが思わず口を挟む。無論、実質上それは追撃でしかなかったわけだが。
すぱーん、と思わずアステリアは平手で彼の頭を帽子越しにぶったたいた。ハリセンでたたいたとき並のいい音が鳴る。
さて、そんなこんなで現在地、魔法学院である。
イアンシェルの集落から学術都市リリエントまで、馬車で一週間弱。
最初に出発が延びたのが始業式十日前で、そこから二日休み。さらにマリネ父との喧嘩で一日のびて、ギリギリかオーバーかという瀬戸際で、二人は見事に賭けに負けた。
かくしてイグニースとマリネは、見事にリリエント魔法学院の入学式に遅刻したのだった。
そして今現在、ここまできてしまったならいっそのんびり登校しよう、というお気楽極楽思考でふらりとやってきた彼らに、どうやらずっと二人のことを待っていたらしいアステリアが、その姿を見つけて絡んできた、という状況だ。
一月ぶりに会う友人たちがなぜか大事な日になっても一向に来ず、挙句にのんびり歩いてやってきたら、そりゃ誰でも怒るというものだろう。
「大体貴方、こんな小さな子にすがって情けないと思わないの? 以前、カッコつけたいだのなんだの言っていたけど。よりにもよってこんなバカ遅刻に巻き込むなんて」
「……はっ!? そういえばそうだ! マリネごめんッ」
ため息混じりにつぶやかれた言葉に、イグニースは目を見開いた。
今の彼の状況を客観的に見ると、今回ばかりは何の罪もない幼女(年齢自体はそう変わらないが)を巻き込んで大事な晴れの日に欠席、堂々遅刻の開き直りに、さらにそれについて言われれば、その巻き込んだ小さな少女の言葉にすがって自己正当化を図る――中々ハイレベルなゲス男っぷりである。
そのことに彼も気づいたか、顔を青ざめさせて、土下座でもせんばかりの勢いで隣の幼女に全力で頭を下げた。視線もゆれて一定ではなく、なんだか今にも卒倒しそうだ。
どうやら、思った以上にアステリアの言葉が効いているようだった。一月前には保護者役にはあまり乗り気でないアステリアであったが、久々に会ってみれば、早々のお説教といい、まさにそんな調子である。確かに、目的のためにいい子でいようとはしているが、それ以上に元々そういう性分なのかもしれない。
「え……えっ? いやあの、私は別にいいですけどぉ……」
まさかそこで自分に矛先が来るとは予想してなかったか、マリネは言葉に詰まって思わず一歩引く。
適当に流そうとするも、しかしすっかり感情に火がついてしまった彼は、その肩をつかんで熱弁をはじめた。
「いや、ぜんぜんよくないッ。いくらカッコつけるために普段カッコ悪いフリをしてるとはいえ、それでもやっちゃいけない境界線ってのがあってだな……!」
「は、はあ」
「今回のこれに関して言えば、そりゃもうアウトだ! ギャップカッコいい魔法使いっていうのは、確かにルーズだったり自分のことに無頓着だったりはする。何か汚れてたり、普段頼りなかったり、約束は守らなかったり、行き倒れていたりっていう自分の面倒をあまり見れていないパターンもある。アウトローであったりもするだろう。でも! でもだ。他人のために土壇場で強く正しくあるのが、そういう自分のことでは駄目な魔法使いの、絶対の条件なんだよ。女の子を巻き込んで盾にするのは違う。今回は特に、俺だけじゃなく、マリネにとっても大事な日だったわけで、もしかしたら一生の思い出になったかもしれないのにこれって大失敗どころじゃうわああああああああああ俺を全力でぶん殴ってくれマリネーッ!?」
「ちょ、おち、落ち着いてぇっ!? イグニースさん、何か顔怖いですよぉ!」
イグニースは、錯乱している。
顔面蒼白のまま幼女に詰め寄る図は、誰が見てもまさしく変態だ。
「殴ってやるから黙って離れなさいこのおバカ! 変顔して詰め寄ってくんなァッ!」
「ヤッダーバァアア!?」
どうやら彼の中で、入学初日で遅刻した、とかそのあたりはカッコつけるためのフリとしてアリらしい、というあたりは置いておいて。
目の前でどこまでも負の方向にヒートしていく男を、幼女ではなく保護者の方が彼の言ったとおりに全力で殴りつけた。
拳に光の文様がまきついていたあたり、勢いあまって強化魔法も使っていたのかもしれない。まさに全力だ。
そういえば、殴れと言われたら殴る人だったねこの子、とイグニースがアステリアのそういう部分について思い出す間もない。
で、一メートル四方の鉄塊を防御魔法込みとはいえ受け止めきれる少女の拳が、決してやわなわけはなく――
旅人は学院初日にして、医務室送りとなったのだった。
ちなみに、怪我のほどはというと、一時間後にはもうピンピンしていられた程度であったとか。加減がうまかったのか、旅人が頑丈だったのかは不明である。