BBW旧一章最終話・少年たちよ、想像力の翼を抱け。
「いやあ、それにしてもほんと、無事に何もかもが終わってよかったよ」
通りの中にあるそこそこ広くて料理のうまい食堂、『大衆食堂・朝陽塔』のテーブルの一つを占拠し、感慨深げにつぶやいたイグニースは、能天気な笑顔を浮かべてジュースを飲んだ。
それは、マリネの無駄に有り余った改造魂によって引き起こされた事件の、数日後の昼間のことである。
この日、イグニース、アステリア、マリネの三人は、試験前にも一度集まったことのあるこの食堂でテーブルを囲んでいた。机の上には山盛りのパンに様々な料理が。まるで祝いか何かの席のようだ。
「その頭でそう言える貴方を尊敬するわ」
向かい側の席に座って、机の上にひじを突いて気だるげにしていたアステリアが、視線を彼の頭にやる。
今日も変わらず旅人の頭上に陣取っている魔法使い帽子が、若干宙に浮いていた。
いや、よく見れば、彼の脳天につみあがったタンコブに引っかかっているのである。髪の毛の合間から見える赤いこぶが痛々しいことこの上ない。
「ははは、何もゲンコツ連発することはないと思うんだけどなー……」
「自業自得よ。そうされる程の身勝手と無茶をしたんだから。……あれだけ怒鳴られて、何で反省の色がないのよこいつ」
「すっごい声でしたよね~、あの先生。私、耳がきぃーんってしてましたよ~」
「……いや、マリーも反省しなさいよ」
笑う彼のそばの席に座る友人の言葉も合わさり、なんだか気分的に疲れた彼女は肩を落として、大きくため息をついた。ちなみに、マリネの頭にもコブはできている。
そんなにコブがあるということはつまり、コブができるようなことを二人がされたということで――しかし、コブを作る前の平素の態度と、彼らの今の態度には全く変わりがない。
――あれだけの剣幕で怒られたのに。
思い返すアステリアの脳内には、未だ、あの厳つい声の男性教師の怒鳴り声が染み付いている。
そう、今日の三人は、そろって学院に呼ばれ、思いっきり怒られてきたところなのである。或いは事後処理とでも言うべきか。
それはもう、爆発がごとき勢いであった。
まずマリネはあんな危険なゴーレムを、勢いだけで安全確認もせず作った挙句に暴走させて学院や他の受験生たちに迷惑をかけたことで。
何でそんなことをしたのかと問えば『何か深夜にインスピレーションがわいてきちゃいまして~。安全とか試運転とか、思いつきませんでした。でも後悔はしてませんっ』である。これはもう、反論のしようがない。むしろ犯罪者扱いされてないのが不思議なくらいだ。アステリアとしては、後悔しろと激しくツッコみたい。
イグニースは、協力はありがたかったが、一人で先行して無茶して戦線を引っ掻き回したことで。
本人は『別にいいじゃん、結果として手早く事件も終わったし。複数人での戦闘はフォローのしあいだろ』とかナメたことを言ったが為にその場で連続ゲンコツを食らった。作戦におけるフォローと、勝手に先行して迷惑をかけるのは全く別物である――という正論とともに。
アステリアもイグニースに近い理由で少しばかり注意を食らったが、二人ほどではない。むしろ学院からは、問題児二人の保護者的な認識をされているようだ。最初の特攻を厳重注意されたくらいで、後はむしろ、協力に感謝された。
アステリアにのみ向けられた感謝に、主にイグニースがじっとりとした視線を向けたが、それが原因で反省の色ナシとされてさらにゲンコツを彼が食らったのは、まあ、余談である。
ともあれ、そうした説教を一時間以上、正座つきで。
しかもそれを、学院の教師が数人取り巻いて見ていた。傍から見ればまさしく、その説教は異様な光景であったことだろう。
――と、それだけ言うとまるで教師たちが暇をしているようだが、実際はそうでもない。今日も魔法学院の入学試験は平常運転だ。
あの日の試験は、さすがにあんな事件があった後のため中止となったが、次の日には何事もなく再開された。壁の崩れたところは立ち入り禁止で、審査に使う部屋を移し変え、校庭も即座に修繕。事件など、そんなもの端からなかったかのような扱いだった。恐るべし魔法学院。
……というか、国の各地からここに人が集まっている一大イベントなのだ。校舎が一部攻撃されたからといって、何日も中止するなんてこともできないのだろう。
では何故、恐ろしく忙しい中で、何人もの教師が説教部屋に集まったのかというと。
「でもほらぁ、それ以上にやっぱり、うれしいじゃないですかぁ。私たち三人、学院の入試合格相当で試験免除だって、言われたんですし~。それってつまり入学できるってことですよねぇ!」
「そうそう! それを考えりゃ、落ち込んでられないのも仕方ないって!」
「……、ええ、確かに、それもまあ、そうなんだけど」
そう――三人がこうしてテーブルを囲んでいるのも。そのテーブルに料理が山と盛られているのも。タンコブだらけの二人がやたらとご機嫌なのも。
一時間にも及ぶ説教の一番最後に付け足された言葉が原因なのだ。最後の最後、殆ど精神攻撃といってもいい言葉の嵐の後の――
『そんな問題だらけのお前たちだが、しかしこの騒動では同時に、魔法使いとしての非常に高い資質も示している。よって、これを入学試験合格相当の評価として――リリエント魔法学院への入学資格を得たものとする。……くれぐれも言っておくが、だからと調子にのるんじゃないぞ、特に二人。特にな』
つまり、三人の魔法資質のことを考えるに、どうしようもない欠点も多々あるがそれを補って有り余るくらい――ぶっちゃけて言えば、普通に暮らさせておくにはもったいないし、何より危なすぎるから、学院で危機管理ができるように教育します、と。
もっと縮めて一言で言えば、スカウトだった。
おそらく、三人がわざわざ呼ばれた本来の目的は、それを伝えることだったのだろう。思えば取り巻きの教師たちの視線からは、好奇心というか、何かを観察するかのような、そんなものを感じていた。今回の騒動の内容は他の教員たちにも知れ渡っているだろうし、それを考えれば好奇の視線がよらないほうがおかしい。
また、これはアステリアとしても、それ自体は非常に嬉しくありがたい。なんとしてでも学院には入学したいと思っていたのだし、願ってもないことだ。
ただ、当初の予定からは激しく乖離しているが。
「一緒に、『お前も二人の友人であるならば、できる範囲でこいつらを見張っておいてくれ』だなんて……保護者扱いされてなければ、万々歳だったんだけどね、本当に……っ」
どうにもアステリアは、学院側から問題児二人の保護者的な立ち居地として見られている様だった。
――どうしてこうなった。
いや、人脈の一つとして、アリだとは思うのだけれど。
アステリアには目的がある。これは、人生をかけてでも、なんとしてでも達成しなければならない大事な問題だ。それに利用するために、数多くの魔法関係者の集うこの学院で、彼女は人脈を形成したいと考えている。
ゴーレム作成の天才(かなりマッドの気があるが)に、謎の多い、しかし腕は確かな旅人。二人とも、繋がりを持っておくに足る実力者であり、できればその技術を盗み学ぶためにも友誼を結んでおきたい。
何より、そうした下心を抜きにしても、二人のことは嫌いではないのだ。
「あっはっは、つまり、入学してからもヨロシク! ってことだろ?」
「そぉですねぇ~。学院に入っても、ステラちゃんやイグニース君と一緒ですぅっ」
ただ、何故だろうか。
信用される人物として、優等生っぽく振舞って――という未来予想図が、この二人といるとどんどん遠ざかっていく気がするのは。
いきなり二人も子供ができてしまった気分だ。
……腹に一物抱えた少女騎士、アステリア=エルソード。
彼女は、能天気な友人一号と二号を見て、深くうなだれてため息をついた。
『ドヴェルグの子』の一部族である『製鉄のイアンシェル』を出自とするマリネは、基本的に女を捨てている幼女だ。
家ではゴーレムを自作し改造する日々で、女の子らしい趣味は一つももっていない。
長くのびすぎた髪はぼさぼさで、格好も実用第一のツナギ&皮籠手+工具。本来、小麦色の肌を持っているはずのドヴェルグの子であるが、ずっと引きこもってゴーレム弄りをしていたら、すっかり色が白く(とは言え、人間から見れば健康的な肌色だが)なっていた。
ツナギの下など、何もつけていないと体の一部がこすれて痛いけど、着込むのは暑いからやだ、という理由でぱんつとニプレスのみ、という末期ぶり。オシャレなんて、何それおいしいのと訊きたいくらいだ。
そんな彼女が今、頬を染めて一人の男を見ていた。
今日も魔法使い帽子をかぶっているその男の名前はイグニース。家名はないらしい。まあ、人間の国の田舎の狭い村とかなら、そういうこともよくあるとは聞いている。何でも、そういうところだと人が少ないから、家名というくくりで人を区別する必要がなく、加えて村自体に名前があるわけでもない為、名乗れるものが本人の名前以外にないのだとか。
だが、この際そんなことはどうでもいい。
問題となるのは、齢一六にして女を捨て、ゴーレム一筋に生きてきた幼女が、何故か彼を見ると頬を赤らめるようになった――ということだ。
ここ数日、ずっとそうだった。今日以外でも度々二人と会っているが、彼が視界に写る度に、ついついそちらに目がいってしまう。顔に熱が集中してしまう。胸の鼓動が早くなってしまう。傍にきてしまう。そしてじっと見つめてしまうのだ。
こうなった原因は彼女にもわかっている。自信作のゴーレム『ゴッちん』を、うっかり暴走させてしまったあの日、彼に思いっきり抱きしめられたのが切欠だ。慣れないお姫様抱っこなんかをされたあのときから、この症状が出ているのだ。
ただ、マリネには、そうなった原因はわかっても、これが一体何を意味するのか、それが全くわからない。何故顔が赤らむのだろう。何故ドキドキしてしまうのだろう。傍に行こうと思ってしまうのだろう。
わからない。マリネには全く、わからない。
「っていうか貴方、騒動のときカッコつけるカッコつけるって言ってたけど、何だったのよアレ。ほんとに節々でカッコつけてるし! 貴方そんなキャラだった?」
「でも、実際にカッコよかったですよ~イグニースさん。凄かったです~」
「そう? ありがとっ。いやさ、キャラ隠してたり、カッコつけたがってた理由に関しては、ちょっと長くなるんだけど……」
頭の片隅で悩みながら、それでも二人の友人と行う会話に支障はない。
きっと普段から、ゴーレム改造計画であれもこれもと色々考えているから、考える力が鍛えられたのだろう。
ふいに変わった話題に置いていかれることもなく、カッコつけていたときのイグニースを思い出して言う。いつも頭の中が楽しいことで一杯だから顔は笑顔だが、今はいつにもまして笑顔だと、なんとなくだが自覚はあった。
無論、それが意味するところはわからない。
一方で、頬を赤く染め、どこか熱っぽい目で見るマリネに、しかしイグニースは全く気づく様子がない。多分、鈍感とか云々以前に彼女を幼女扱いしてるのだろう。見た目的に。
人間から見れば、ドヴェルグの子の娘は皆幼女に見えるらしいから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。
「まあ掻い摘んでぶっちゃければ、俺はこの学院に、カッコつけるために入学しようと思ったんだよね」
あごに指を当てて、キランと目を輝かせてみる。そこで指先に小さな魔法陣が描かれているあたり、おそらく目の光は魔法で作ったものなのだろう。無駄に芸が細かい。
幸せな表情のマリネの向かいで、彼女とは対照的に――その瞬間、アステリアからの視線が絶対零度のものへと変じた。
何言ってんだこいつ頭おかしいんじゃねえの。と、目が雄弁に語っている。
気のせいではなく、冷気のようなものが確かに彼女から流れ出てきている。何故だか恨めしげな気配である。『私は苦労してるのに、能天気にしてやがってこの野郎』みたいな、若干理不尽な電波を感じた気がして、思わずマリネも脳みそが冴えてきてしまった。
隣の旅人の顔を見上げれば、しかし自分の世界に半ば入りかけているのだろう。暢気にドヤ顔なんぞ浮かべている彼は、それに気づく気配がない。
――どうしましょう。
とっさに話題をそらそうとしたものの、そうポンといい話題も思い浮かばない。結果、
「え、えーと、かっこつけに、ですかぁ? それはまた、どうして」
……マリネは祈った。
せめて、彼がカッコつけたがる理由が、まともなものであるようにと。
「俺の目標なんだ、カッコいい魔法使いってさ。普段は世捨て人みたいに山にいたり、みすぼらしさすら感じるような格好でふらっと放浪してたりして……しかし、実は凄腕だった! 立ち寄った場所で助けを求められればあっという間に事件解決! みたいなっ」
ぐぐっと拳を握り、まるで子供のように目を輝かせた。
立ち上がって椅子に足を乗せて、すっかり自分の世界に没入している。
「それって、絵本に出てくるような……偉大な魔法使いみたいなです?」
「そう! ……昔さ、本当にそういう、ふらりとやってきた魔法使いに、ピンチのところを助けられたことがあったんだよ。そういうのがあって、昔から魔法使いに憧れてて。その人みたいにカッコいい魔法使いになりたいって、ずっと、それを目標にしてたんだ」
そして、満面の笑みを浮かべた。それは、この国の誰もが一度は浮かべる、偉大な魔法使いに思いをはせる顔で――そして、絵本の中で、魔法使いに助けられた人々が見せる、尊敬のまなざしでもあった。
彼の語った理由に思うところでもあったか、向かいのアステリアの視線もほんの少しだけ弱まる。
同時に、マリネ自身も。
何か、心にすとんと落ちるものがあった。
嗚呼、そうだ。彼を見るたびに感じた胸の高鳴り。顔の熱。
何でイグニースをついつい視線で追ってしまうのか。
――きっと自分も、彼がその魔法使いに感じているのと、同じものをイグニースに感じたのではないだろうか。
イグニースがマリネを抱きかかえて天高く跳んだあのとき、信じられない魔法の数々とともに手をとったとき。自分の大好きなものが友達を傷つけてゆくあの騒乱の中で、彼女にとってこの旅人は、そうした偉大な魔法使いのような、そう、ヒーローのようなものとして写ったのではないか。
そう考えれば納得がいく。
なるほど、自分の格好は、そういう凄い人の前に出るには、いささか不精すぎるものだ。きっと、彼の前でこういう格好をするのを、自分自身、気づかぬうちに恥じていたのだろう。
傍にいたがるのも、こんな素敵な友達と離れたくないあまりに。
なるほど、と少女は心の中で頷く。
人に言わせればこの感情をなんというのかはわからないが、自分なりの納得できる答えは見つかった。
「でもそれって、最初カッコつけてなかった理由にはなってないですよねぇ~。そっちも何か理由あるんですかぁ?」
「あ、うん。以前、最初みすぼらしく見せたり情けないフリしておけば、ギャップ効果でよりカッコつくって話を聞いてさ。それ以来、いつも自分からわざと魔物に襲われにいったりして、常にカッコつけのタイミング狙ってるぜっ。で、もちろん最大限カッコつけられそうな瞬間がきたら、取り合えず高いところに登って、誰も周囲にいなくともそれらしいこと言うのも忘れない! 何故なら、誰かが偶然見てるかもしれないからだっ!」
と、イグニースは満面のドヤ顔でサムズアップした。
……その、あんまりにもあんまりな理由に、再び向かいからの白い視線が強まったことは言うまでもない。
マリネも思わず、何でこの人にヒーローなんて感じたんだろうかと一瞬だけ思ったが、まあ、すぐに気にしないことにした。
ちょっと引いたけど――それでも鼓動の高鳴りが収まる気配がなく、傍にいたいと思ったからだ。
その日、時折妙な空気になったり、怒鳴られたり騒いだりしながらも、三人の祝いは続いた。
ゴッちんのスクラップが今、寒空の下で修理を待っているなどと聞かされて、人形であると知ってもなお彼に同情したり、いつの間にか全面的にアステリアがツッコミに回っていたり、話のネタにも事欠かない。
パーティの解散は、夜になってからだった。回転率を悪くしまくったことで店員からたまににらまれつつ、追加注文で何とかごまかし、そこまで粘ったのだ。
そう何度も利用している店ではなかったが、イグニースとしてはこの店は結構好きだ。雰囲気はいいし、程よい値段で料理もうまい。これと言った見所があるわけではなく、個性という観点では微妙だが、基本的に旅人の彼は、食えてうまければ問題ない派だ。店に特別な面白みなんてあまり求めていない。
これで、店員さんたちから睨まれることがなければ言うことなし、だろう。どうも、粘りすぎた様子である。明日以降、果たして普通にこの店を使うことができるのだろうか。
「そういえば私たち、もう無理にこの町に留まる必要はないわけだけど……二人はどうするの?」
帰り道の最中で、ふとアステリアが思い出したようにたずねた。
「どうする~……ですか?」
「ああ、そっか。もう受験の結果も出てるんだから、わざわざ金払ってこっちに泊まる意味ないよな。学院の授業が始まるのは、あと一月くらい先だっけ? それまでは故郷に帰るなり、どっかぶらっとするなり、か」
「そういうことよ。私は……家があまりお金ないから、無駄な出費を避けるためにも、一度実家に帰らなきゃ、なのよね」
「そうなんですか? 立派な格好ですし、あんまり見えないですねぇ~、ステラちゃん」
「確かに、意外って言うか――じいやがどうとか前言ってたし、てっきり貴族の人かと思ってた」
二人からの意外そうという顔に、うんまあ、と彼女は適当にあいまいな返事を返す。
はっきりとした物言いの多い彼女だけに、その言葉の濁し方もまた、意外な風に見えてしまう。
「……アレ、もしかして地雷? 言いたくなさそうな空気」
「さあ……? でも、避けたほうがいい気は、しますねぇ~」
この三人で移動するときは、大体左から順にアステリア、マリネ、イグニースの順だ。ひそひそと隣り合う二人で話すのは割と容易である。
アステリアの様子に何か妙なものを感じ取ってか、二人はひそかに、もしかしなくともこの話題は変えたほうがいいのでは、と話し合う。
「わ、私も家に戻らなきゃ~、ですねぇ! ゴッちんも大破しちゃいましたし、家の工房で作り直してあげなきゃですよ」
その第一弾が、マリネの家の事情であったわけだが、声が微妙に上ずっていた。何故か無意味に手もぶんぶんと動かしたりして、微妙に挙動不審である。
もしかして彼女、ごまかしとかが意外と苦手なのだろうか。
「へえ、工房のある家なんだ。さすが丘小人――じゃなくて、ドヴェルグの子、なのか?」
「はい~、うちの部族だと、一家に一つ工房があるといっても過言じゃないんですよ~。でも、どうせなら独り立ちして自分だけの工房が欲しいな~、とか思ってたりしましてぇ」
「い、一家に一工房……ッ? 何それ凄い」
「……。いや、それも凄いけど、マリー、貴女今度はきちんと安全確認しなさいよ? っていうか、自重しなさいよ?」
と、二人の会話に再びアステリアが混ざった。ぱっと見普通に会話していながら、二人が裏でほっと一息ついていたのは、ここだけの話。
「…………。……そうですねぇ、きちんと考えてつくりまぁ~す」
「待ちなさい、今の間は何ッ? 今の間はッ!」
そしてマリネはひらりとイグニースの背の後ろに逃げた。幼女サイズのミニマムボディを生かした、無駄に身軽な動作だ。
思わず、隣にいた彼女に向かってぱっと手を伸ばしたアステリアは、標的に回避されて行き場をなくした手をイグニースに向けた。邪魔立てするなら切捨て御免、とか言わんばかりのノリである。
なんだか本当に後ろのマリネに巻き込まれて一緒に粛清される気がして、思わずストップの声をかける。
「ま、まあまあ、あんなことがあった後だし、マリネだって言われなくともちょっとは自重するだろ。……だよな?」
「はぃ~、またゴッちんをスクラップにされるのもいやですしね~」
「じゃあ、最初から普通にそう言いなさいよ。変な間を作るとか、やめなさいよね……」
「はぁい、ごめんなさぁ~い」
謝るマリネの顔は、いたずらに笑っていたが。
さすがに、これにツッコんでもキリがないと思い至ったのだろう、アステリアも距離を測ってジリジリと手を伸ばそうとするのはやめにした様子である。
「……しょうがないわね。とりあえず、次また騒動起こしたら、私からも愛のムチをするとして……。あ、そういえばイグニースのほうはどうするのかしら。私たちは実家に帰るわけだけど、貴方は、旅人……なのよね? やっぱり?」
「んー、そうだなあ。故郷に帰るって選択肢もあるっちゃあるけど、学院が始まるまではまたふらっと旅してようかなあ」
――と、最後に話題のスポットが当てられたのは彼自身。
適当に答えつつも、イグニースは心中で、さてどうしよう、と考える。
路銀は十分にあるから、しばらくフラっとそこいらを旅できる。が、ここらで一旦故郷の村に帰って、魔法学院に入学すると報告するもよし。
旅人という身分であり、普段から放浪をしてきた彼には、実家に帰らなければ、などという縛りがない。
人生の自由度が高いが、入学までの一月というこの時間をどうするか、その指針もなく、することが浮かばなかったのだ。
「といっても、一月かあ。でも、ここに戻ってくるのを考えると、半月でいけるとこまでしかフラつけないんだよな。んー、結構悩ましいぞ、これ……」
「……旅人にも、旅人なりに考えることがあるのね」
その場ですっかり頭を抱えてしまったイグニースを、今度はアステリアが意外そうに見る。もてあました時間をどう使うか、などとまるで貴族の子息のような悩みだ。
「あ、それじゃ~、私の家にきません? 助けてもらったお礼、ぜんぜんしてませんから~」
「んー? えーっと……んー、どうしよう。ありがたい気もするけど、うーん。別に、お礼目当てに助けたわけでもないし……」
「別にいいんじゃない? そういうのも。ていうか、私がお呼ばれされたいわ、マリーの実家」
「ステラちゃんも、来ますかぁ? お父さんとお母さんも、二人なら歓迎してくれると思いますよぅ」
「うっ、い、行きたい。こっちの実家そっちのけで、行きたいけど……!」
「……うわあ、何か悩み方がマジだなあ」
ひとまずの、今日の宿にたどり着くまで、そんな調子で会話は続く。一人の少女の実家に泊まるか否か、それだけの話が、何故か妙に悩ましいものになったり、何故かまた言い争いに近いツッコミの嵐になったりと、三人の様子は平和に忙しないままである。
二人は宿に。旅人は馬小屋に。分かれ道に差し掛かるまで、町を出てからの話は途切れることがなく――
魔法学院入学試験祭の雑踏の中で、そうやってその日も夜は更けていく。
旅人たちの足音を大地に響かせて。
――今となっては数百年もの昔の話。
とある異世界から迷い込んだその男は、自らがやっていたゲームの化身の姿になっていた。
生ける者はやがて死に、その死が新たなる生をはぐくむ。
当たり前のような輪廻の輪に、しかし『ゲーム』の世界で不老不死となっていた彼は入れなかった。彼だけが、ゲーム時代のように不老不死のままだった。
時は流れ、不老不死の男はやがて、世界の隅っこで老魔法使いのように静かに過ごすようになった。
ただ――物語の中の古き魔法使いがそうするように、彼の元には弟子がいた。
眩い意思を持った、弟子がいた。
それをより輝かせたくて、古き魔法使いとなった男は、弟子の一人に言ったのだ。
世界を見て来い。様々な人と、出会って来い、と。
見識を広め、世界を学び、自分だけの輝ける想像力の翼を手に入れて来い――と。
それから少しの時を経て旅人となった少年は、魔法の街の夜の中、新しく一歩を踏み出したのだった。