BBW旧三話・華の盛り、鋼鉄武曲が始まった。
今日も今日とて辺りに種々様々な絶叫が響き渡る。
歓喜に体を震わし、全力で跳ね回るものの隣で、今にも首をつらんばかりに落ち込んだ輩がひざをつく。あるものは喜びすぎて近くの机に頭から突っ込んで怪我をして、あるものは絶望のあまり床に倒れ、邪魔くさいという理由で試験官に蹴っ飛ばされる。毎年毎年、入試ではよくある光景だ。
「あっちは飽きないよなあ。それに比べてこっちときたら」
「……ならば、手伝ってきたらどうですか? あっちはいつだって人手不足ですよ」
「やだよ、だって生死かけてるくらいの勢いじゃんか」
「わがままな……」
ダレながら放った言葉が、青い空に溶け込んでゆく。
彼らが話している場所は学院の内部。地上四階にある廊下の窓の前だ。目下には、人々の熱い戦いのような何かが繰り広げられている校庭が移っている。
そこは普段なら、危険性のある魔法を練習する際に使われる大型の広場として使われている場所だ。土のグラウンドなら地面がえぐれても簡単にならせるし、屋外ならうっかり魔法を見当違いの方向に放ってしまっても、壁を壊したりなどはしない。学院を囲む城壁は、むしろこの流れ魔法が街の外にいかないようにするためにあったりする。
色々派手なこともできるようにと、このグラウンドだけでも学院の敷地面積の数割を割いているのだが、それが今、人で満杯だった。
それだけ多くの人々が、魔法というものに希望を抱いてこの場所に集っているのである。
ただ、その希望が希望のままで終わるものは大変少ない。
というのも、受講者たちが学院の入学資格を得られるほどの魔法の資質を持っている率が低い――そもそもの魔法使いとしての資質、それを持つもの自体が多いわけでもないのだ。
毎年、学院受験者の中には既にある程度魔法を使えるものがいて、それが大体毎年合格者数の三分の一前後と言われている。
数千数万という全体の数に対して、正式に魔法使いに弟子入りするのでなく、たまたま知り合った魔法使いに軽く教わるだの、何らかのきっかけを経て魔力を発現するだのという幸運に恵まれたものの数は、非常に少ない。資質を問わなければ数百、ふるいにかければ、少ないときは数十人程度から、多いときでも二百を超えることはほぼないくらいだ。合格者総数は大体その三倍、どんなに多い年でも六〇〇人手前くらいで、残り数千数万はみな落第。
というわけで、これらの受験者の大半は夢破れることになるのだが、我こそは、自分だけは大丈夫だと、みなそう信じている。
少なくとも、希望を抱かなければ大丈夫なものすら大丈夫でなくなってしまうのだから。
で、そうなると時折、やる気が有り余りすぎて暴走気味な行動に出るやからもいる。それが学院周辺に事前にかけられた防御魔法で処理できないレベルになる場合、試験官の役をする教員や、看板もちなどの雑事をしているバイト生徒が鎮圧に駆り出されるわけだが――
ここで試験を眺めている彼らが何をしているかといえばまあ、そんなことには一切加担せず、ただ単にダレているだけだった。入学試験に教員が駆り出されたことにより生まれた一週間の休暇を、学校でだらだら過ごすのを至上とする生徒である。
「あー、刺激がほしィー」
そういって、ダレているほうの男は、空を見上げてつぶやいた。
これは、そんな彼らが校庭から飛んできた誘導式魔力爆弾に撃墜される、五分前のことである。
「若干予想はしてましたけど、やっぱり試験は明日になっちゃいましたかぁ」
「そうねえ。でも、あの雑踏を抜けるのに少なからず消耗もあったし、万全の状態で試験に望めるっていう意味では丁度いいわ」
「それもそうですねぇ~。ポジティブシンキング、大事です~」
イグニースたちは今、学院前から宿屋の通りへと引き返しているところだった。
四人の列待ちが終わったとき、既に日は暮れ始めて夕刻に突入していた。
さすがに暗くなると学院側でもあの雑踏を事故なく処理しきれる保証もなくなるのか、夕刻になれば入試は一旦中断される。
無論、入試を求める人々はまだまだたくさんいるので、朝になればまた試験が始まり、夕刻に終わり……と、これが一週間ほど続くのだ。
商店街を初めとするリリエントの各店は、このとき山ほどやってくる受験者や物見遊山の旅行者からしこたま金を絞りとり、稼いだ分だけ品揃えを豪勢にしたり通りを飾って派手な客引きをする。そうなればさらに受験者たちは金を落とし、店もいっそうやる気を出す。この一連の賑わいが俗に言う『リリエント魔法学院入学試験祭』。正式なイベントではなく、その期間中の強烈な活気をしてつけられたあだ名である――
「へえ、じゃあマリー、ずいぶん近くに宿とってるのね。偶然」
「そうですねぇ~、どうやらこの分だとぉ、お食事もステラちゃんとご一緒できそうですねぇ~」
「ええ、是非、一緒に食べましょう」
イグニースの前方で続く会話は、昼間の騒動で出会った二人の少女のものだ。方や、突貫系天然騎士アステリア。ステラというのはもう片方につけられた愛称だ。
方や、ドヴェルグ系ぽややん蹂躙幼女。列待ち中に自己紹介をしたのだが、アステリアの呼んだマリーというのはこれまた愛称で、本名をマリネ=イアンシェルと言うそうである。
すっかり意気投合している女の子二人の会話にどうにも挟める気がせず、イグニースは襤褸布巨人のゴッちんと並んで二人の後ろをとぼとぼ歩いている。
鎧と布で素肌すら見れていない彼と、会話は今のところ一つもない。交流らしい交流など、自己紹介のときに、マリネが「はい、ゴッちんも挨拶ですよ~」と言った際、軽くお辞儀されたくらいだ。
何か話しかけるべきだとも思うが、これまでずっと無言を貫き通しているゴッちんを見ると、本当に反応が返ってくるのか、若干の不安があった。というか、そもそもイグニースの存在に彼は気づいているのだろうか。そもそもの問題はそこからな気もする。
緊張。一言で言えば、ゴッちんに対するイグニースの態度はそれであった。
「――それで、貴方はどうなの?」
ゴッちんを横目に見ながら帽子をつかんでうなっていると、ふいに前から声がかかる。
「え、何が?」
気がつくと、前方でずっと話していたはずの二人がそろって彼の方を見ていた。イグニースは何事かと目を丸くした。
「……聞こえてなかった? 貴方、どこに泊まるのかなって、気になって」
「泊まる宿が近ければ、イグニースくんも一緒にお食事いかがですか~? ……という、女の子からのお誘いなのですよ~」
「あ、ああ、夕飯な。行く、行くよ。街まで来て一人メシなんてまっぴらだ。でも宿がさ……」
「宿が、どうしたの? 私とマリーみたいな偶然もあるし、言わなきゃ近さなんてわからないわ」
「それが実は、まだ宿を取ってなくってさ」
そう言った途端、少女二人がいぶかしげな表情を浮かべる。いや、これはむしろ、心配そう、とでも言うべきか。それを見た彼が、何かまずいことでも言っただろうかと内心で首をかしげると、
「それってまずいんじゃない? だってもうどこの宿もいっぱいでしょう」
「……えっ?」
「ですねぇ~。大体の人は、試験前に宿をとっておくものですし~。仮に空いてる宿があっても……今頃戦争状態じゃぁないでしょうか~」
二人の言葉に、イグニースの時が止まった。
季節は春。冬が過ぎて風には温かみがある。が、夜になればとても寒い。宿が取れなければ、旅人は野宿するしかないものである。
――何が悲しくて、街中で野宿なんて。
「……悪いんだけどさ、先に、二人が食べる店の名前と集合時間教えてくれるかな。ちょっと行ってくる……」
悪い未来を想像してしまったか、彼は若干表情を青ざめさせて、ふらりと二人とは別の方向に歩き出す。
「はい~、宿取り合戦、がんばってくださいね~。多少時間すぎても、待っててあげますから~」
「見つかると、いいわね……。じゃあ私たちは先に自分たちの宿に行って、待ってるから。集合場所は――」
アステリアの言葉を聞くなりすぎに、彼はいよいよ動き出す。
イグニースは走り出した。
必ずや、今晩夜を明かす宿をとらねばならぬ――
それから数時間後のことである。
『大衆食堂・朝陽塔』と看板に書かれた料理屋で、三人は同じテーブルを囲んで座っていた。ゴッちんはここにはいない。体躯がでかすぎて、店に入れないのだ。
そんなゴッちんの悲しみを内心に思い浮かべつつも、しかし料理をつつく手の動きが止まることはない。無論、誰が、ではなく全員。
「それで、結局貴方、宿はとれたの? あ、マリー、そのカルボナーラ一口ちょうだい」
「なんとかね。ムグ。通り一つはさんだところにある、ごくっ、宵色の万華鏡亭って言う宿――」
「おお~、それってもしかしなくてもぉ、貴族様御用達の高級宿では~? よく空いてましたねえ、凄い幸運です~。じゃあ代わりにこっちはミネストローネ一口いただきますね~」
「――の、馬小屋の奥の片隅を、そこの主人が快く貸してくれたんだ」
「馬小屋っ!?」
「困ったときの最終手段だっ」
オムライスを食べながら、グッとサムズアップしてみせるイグニースであったが、女の子二人としてはむしろ、思わず交換した食べ物を手元の皿によそう手が止まるくらいドン引きだった。金のない初期旅人のお約束である、と聞かせたところでその対応は変わらないことであろう。
「とりあえず、明日会うときは変な臭いだけはつけてこないでね? 臭うようなら、半径二メートル以内に近づかないこと」
「イグニースくぅん……明日、もし変な臭いがするようでしたらぁ、できる限り近づかないでくださいね~?」
「ひ、ひでえ……もご」
「当然よ」
「しかたありませんねぇ~」
食事中ゆえ、具体的に何の臭いか、とか食事どきらしからぬことを連想してしまうようなことは言わないが――いつの世も、異臭を放つ男に女の子はきついのだ。
「そもそも、馬小屋って休めるの?」
「慣れればそれなりに。旅してるとそういうことってたまにあったし」
「わあ、旅人って感じのセリフですねぇ~。旅って大変そぉです~」
「優雅な旅なんてそうそうあるもんじゃないよ。それに、休めるのかっていったら……ゴッちんもでしょ」
と、ここにはいない襤褸布巨人のことを脳裏に浮かべる。体のサイズのせいでお留守番となったらしいゴッちんは、おかげで宿に入ることもできないのだとか。街中で野宿のそれと比べれば、馬小屋でも屋根とわらがあるだけまだマシだ。相方は慣れた様子で『ゴッちんはお外でお留守番でぇす』と笑顔で言ったが、イグニースからすればそれは、なんとも残酷な話である。
「だいじょぉぶですよぉ、だって、いつものことですしぃ」
--ゴッちん……。
二人は初春の寒空の下に放置されたゴッちんに黙祷をささげた。
いくらなんでも、そりゃあんまりだ。
「よくそれでコンビ解消とかにならないわね……」
「そりゃぁ大丈夫ですよ~。ゴッちんはちょっとの寒さくらいでどうにかなるよぉな、やわなつくりはしてませんから~」
マリネの浮かべる顔は飽く迄も、ゴッちんがどうこうするなんて一切考えていない、子供のように純粋な笑みだった。
よく言えば全幅の信頼というやつである。よく言えば。
イグニースとアステリアは、もしかしてマリネたちの間には何か特別なものでもあるのか、とちょっと勘繰りたくなったくらいである。
幼女×巨人。色々無茶だ。
オムライスの最後の一口を平らげるとともに、ひとまずその妄想はおしまいということにする。何か、開いてはいけない扉が見えた気がしたのだ。
「ていうか、コンビ組むのって、入試的にアリなのか? 個人の資質を計るためのものだろ、入試って」
「普通に考えたらダメだけど……」
と、彼は試験に思いをはせた。
学院の入試は個人個人の魔法の資質・技量を測って、選別するための試験だといわれている。二人でがんばる、なんて許されるものなのだろうか。
「ふふ~、私とゴッちんは一心同体なのですよ~、だから問題ありませぇん」
「……そういう問題なのか?」
「そういう問題ですよぉ~。第一、それを言うならイグニースくんとステラちゃんも、コンビを組んでるじゃないですかぁ」
口のはじっこについたホワイトソースを片手でぬぐいながら、マリネも負けじと指摘する。ついでにその際、スプーンで指差してしまって、それをアステリアにたしなめられつつ。
「いや、俺たちの場合はそういうのじゃなくて……なんていうか、成り行き? 今日たまたま一緒になっただけっていうか、目をつけられたっていうか――あ、ウェイターさん、オムライスもいっこ追加でー」
「目をつけたって何よ、全部、助けてあげたんじゃない。……見るたびに危機に陥ってる彼が見てて危なっかしすぎて、放っておけなかったのよ。出会ってからはまだ一日目ね。あ、こっちにもカットレット一つお願いするわ」
なにやら二人で言っていることが微妙に食い違っているが、そこは主観の問題であろう。
「そうなんですか~? それにしてはぁ、ずいぶんと息もあってますし~」
「そう見えたなら、たまたま波長が合った……とかじゃない?」
「そうね。第一、本当に組んでたなら、彼だけ宿をとってないのは変じゃない」
「あぁ、それもそうですねぇ~。それに、さすがにこの入試前でしたら、元々の相方なら無理を承知で同じ部屋に泊めるくらいもしますかぁ。野宿で不調にでもなったら、大変ですしねぇ」
あ、そう思うのにこの状況でゴッちんには野宿をさせるんだ――と、ひそかに二人は思ったとか思わなかったとか。確かに、出会って一日目とは思えない息の合いようではあった。
ただまあ、既にゴッちんに対する姿勢はだいぶ前から見ているのである。いまさら、わざわざ言うことでもないのかもしれない。多分、ここで何か言ったところで、そう簡単にゴッちんに対する対応が変わるとも思えない。
「ちなみに、今日一日一緒に行動したよしみで……ってのは、なし?」
「なしね。さすがにそれは自己責任というものよ。第一、女一人なのに男を連れ込むなんて冗談じゃないわ」
「私も、そうですね~。さすがに男の人と一つ屋根の下はだめですよぉ」
「まあ、そうだよな……。せめて、食べるだけ食べて英気を養おう……」
イグニースはわずかに肩を落としたが、さすがにそう言われるであろうことはわかっていたのだろう。視線を運ばれてきたオムライスに移し、スプーンを刺し込む。
明日の入試で何をやることになるのか、詳しい情報はわからないが、なにぶん魔法学院である。魔法使いを育成するための施設である。とくれば、魔法に関する何がしかをやることになるのだろう。ついでに、使えるものは魔法を使ってみろとか言われるかもしれない。
ならば少しでもエネルギーをとって、明日は全力で魔法を使えるようにするべきだろう。
「その意気ですね~。私も、食べ終わったらゴッちんの調子を見なきゃ~ですねぇ」
「是非そうしてやりなさい……」
アステリアがため息混じりに言った。
イグニースも、同調して頷く。
「本番で失敗するわけにもいかないしな。よーく、入念に調子整えなきゃ」
「はい~。明日は大事な日ですからね~。全力以上が出せるように、気合を入れていきますよ~!」
えいえいおー、とどこか気の抜けた印象を受ける声が食堂に響き渡った。
この時期では割とよくあることなので、周囲は誰も気にしない。
誰もが、何かの目標をもって学院の門をたたく。やる気満々の彼らがそのとき、そのエネルギーを爆発させるなんてよくある話だ。
「うふふ……明日はみんながびっくりするくらい、入~念に準備しなきゃですね~」
割と、よくある話である。
そして迎えた翌日の朝は誰一人体調不良を起こすことなく(幸い、ゴッちんも昨日と変わらぬ様子だ)、イグニースから異臭がすることもなく迎えられた。
学院前に着いてみれば、例の人だかりは、まだ朝だというのに相変わらずだ。一体この人ごみは、何時から現れたのだろうか。そこはかとなく気になるところではある。
ともあれ無事集合した四人であるが、彼は昨日の旅装に加えて杖とグローブを装備し、アステリアとマリネは初日と変わらぬ姿。
最後に、ゴッちんは、昨日よりも巨大化していた。
「……でっかくなってない?」
「ええ……とくに、肩と背中が立派になって……」
イグニースが搾るように声を出して、アステリアが一歩引く。すっかり、息のあったリアクションだ。
襤褸布の下に鎧のようなものが見え隠れしていて、重武装であることがうかがい知れたゴッちんであるが、今日はさらにその体躯が大きい。
肩がこんもりと盛り上がって、背中は巨人サイズの背嚢を襤褸布の下で背負っているのだろうか、というような有様だ。もはや、山が歩いているとすら形容できる。
「ふっふっふ、今日のゴッちんは全力モードなんですよぉ?」
「そういう問題……なの……?」
「うふふふふ~、今日は皆さんの度肝を抜くんです!」
マリネもなにやら気合十分といった様子だ――しかし、初対面で、人を何人かつぶそうとしたのを祭りの華と言い切れるダイナミックな感性を持つ彼女だけに、彼はなにやら不安な気がした。
果たして、この不安が間違いであればいいのだが。
彼らの受験はそうして始まった。
ゴッちんの先導で雑踏をかき分け、朝であるにも関わらず形成されている列に並ぶ。あとは時間が来れば、各々の試験が始まる。
「それじゃあみんな、ここから先は一緒には行けないけど、全員受かるようにがんばりましょう」
「はい~、もちろんですよ~。学院に通うことになっても、皆さんと会えることを祈ってます~」
「二人とも、自分が合格するって完全に確信してるなあ……。まあ、俺も落ちるつもりはないよ。それじゃあ、また後で!」
そうして、四人が学院の門をくぐった、わずか数分後。
試験会場と学院の一角が、文字通りに吹っ飛んだ。主な凶器は誘導式魔力爆弾と呼ばれる兵器。
主犯の名は――マリネ=イアンシェル。
新年度前の最後の事件にして、新年度最初の事件が、始まった。