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BBW旧七話・学院の騒動、旅人の戦力。

 例えば、どんなに仲の良い友人同士であっても、ふとしたことで小さな苛立ちを覚えるということはある。

 好きな人のここが気になるとか、そういったものはどれほど親密な関係であっても、自分が存在し、同時に他人という存在がある限り、絶対に誰もが持ちうるものだ。

 それが赤の他人となれば――ましてや、周囲を取り巻く環境が激変したり、普段から仲がよくないとくれば、その苛立ち、不満は当然膨れ上がる。距離が離れれば離れるほど、余裕がなくなればなくなるほど、その他人の良いところを知らなければ知らないほど、悪いと思う部分は存在感を増す。

 魔法学院は全寮制だ。基本一人一部屋だが、この学院は入学者の年齢や身分などにもばらつきがあり、一人での生活に抵抗感があったり、何らかの理由でそれが困難であるなどという場合は、許可を得れば相部屋もできる。

 ただ年度が始まって間もない段階で、自分と気が合う人物を探して選ぶ時間などは当然ない。そのためここの相部屋制度は、許可を出した生徒がどういう人物が駄目なのかを事前に最低限チェックし、それさえ通過してしまえば、あとはどのような問題を抱えていようとも相部屋。馬が合わない場合は当人で話し合ってくれ、という丸投げ状態となっている。

 となればまあ当然、軽い気持ちでチェック入れた結果不満たらたら、ということがあるわけだ。

 ……まさしく、今の状況のように。



 昼過ぎのこの時間、授業などないとはいえ、この時期ともなると大半が街のほうへ出かけるため、人通りはある程度まばらになる。校舎の陰に隠れた、寮へ向かう途中の道。むしろ人の通りが多くなりそうな場所ではあったが、少なくとも今に関してはそうとも言えず、また、『そちら』に足をとられている生徒もあまり多くはないようだった。

 足を止めている生徒たちの合間を縫って三人が見たのは、人だかりの中心でがなりあう二人の生徒らしき少年たちの姿だった。

 片方は、中性的な顔立ちをした人間(ホモメディウス)の少年。身長は一六〇に少し届かない程度で、すらりとした体躯の持ち主だ。イグニースよりも頭半分くらいは小さいといったところか。汚れの全くない上等な布で織られた服を見る限り、かなりの裕福層の出身なのだろう。年のころは十四かその前後だろう。首を覆うくらいに伸びた癖っ毛の金髪に、褐色の丸い目をしている。首を上に向けて、これでもかというほどに大声を張り上げている。

 一方の、人間の少年を見下ろして怒鳴っているのは、獣の耳や尻尾などを持つ人々、獣人(ヴェアティーア)の少年だった。同じく十台の半ばくらいに見えるが、こちらは喧嘩の相手と打って変わり、身長は一七〇の後半、下手をすれば一八〇にも届いているかもしれない。体格も、かなり筋肉質でがっしりとしており、向かい合う少年と比べて全体的に一回り大きい。上半身は季節に似合わぬ薄い布一枚で、下半身はダボダボのズボン。尾てい骨のあたりからは灰色のふさふさ尻尾が、尻尾と同じ灰色のツンツン頭からは、狼の耳がピンと伸びている。目は凶悪に釣りあがっていて、今にも小人の少年をとって食いそうだ。

 傍目にはどう見ても狼少年のほうが恫喝しているようだが、やり取りを見る限りでは、両者一歩も引かずに罵り合っている。やれ行動がガサツだの、やれ何かにつけて細かすぎるだの、互いの生活態度に対する文句や、買ったものを壊しただとか、邪魔だとか、そんなことまで。


「何あれ、喧嘩?」

「聞く限り、同室さんでしょうかねぇ? 確か、同室で仲が悪くなった場合は話し合ってくださいね~って、寮監さんに言われましたけどぉ」

「あれは話し合いって言わないわよ。一触即発じゃない」


 正直、このまま殴り合いに発展したとしても、一目みた感じだと不自然とは思えない絵図だった。

 少し観察してみれば、人間の少年のほうは元々手より口のほうが、といった具合だし、獣人の少年は今に拳を振りかぶってもおかしくはなさそうだが、かろうじてそのくらいの理性はありそうにも見えるが。


「きっとアレですよ~、肉体言語とかいう」

「……何、その胡乱な言語」

「うちに居候していたとき、イグニースさんが教えてくれたんですよぉ。男は拳と拳で語り合うときがあるんだそうですよ? それで誰かのために強くなるとか。あと、女も見てるだけじゃはじまらないとかなんとか」

「意味がわからないわよ、何その言語怖い」

「まあ、教えてくれたのがイグニースさんですからね~。で、止めるべきなのでしょうか」

「あいつ、一度話し合ったほうがいいわね……。こんなの、周りが何かしなくともそのうち鎮火するわよ。あまり大事になりそうなら、先生を呼ぶなりすればいいし」


 多分これも、医務室で言われた祭りの一環程度の、ありがちな光景なのだろう。人通りに対しての注目度からのその辺りはなんとなくうかがえる。多分、こうして注目しているのも、大半がこの時期のことを知らない初年度の学生なのではないか。

 正直なところアステリアには、ふたを開けてみればとりたてて騒ぐものでもないようにしか見えなかった。口出しするまでもない。

 今は中心の生徒たちもぎゃんぎゃんと騒いでいるが、そう長続きするものでもあるまい。


「ほら、行くわよマリー、イグニース。買ったもの、さっさと部屋に置きたいし――」


 と、そこで彼女はふと気づいた。

 結構おしゃべりな、さっきまで一緒にいたはずの旅人の姿が見えない。


「あれ、イグニースは?」

「え? ……さあ、さっきまで隣にいたはずですけど……」


 消えた仲間の姿を探して二人できょろきょろしていると、ふいに、怒鳴りあいのほうの空気が変わった。というか、ただでさえでかい声で言い合っていたのが、もっと大きくなっている。

 熱気が高まっている。言い争いがいよいよエスカレートしているのを感じた。なんとも面倒くさそうな空気である。かといって周囲の信用を勝ち取るためにも良い子でいたいアステリアとしては、ここまでくれば止めないのもよろしくない。

 二つの面倒ごとを目の前に、さてどうしようと考えたところで――


「うるさいなッ、おとなしく言うことを聞けよ、この亜人!」


 ――瞬間、確かに場の空気が凍った。


 発せられた言葉に、ざわめきがピタリと止み、周囲が痛いほどの沈黙に包まれる。

 喧嘩腰で人間の少年と退治していた人狼の少年も、表情が失せて黙っている。

 沈黙。停止。すべてがとまった。

 だが、それは決して、人狼少年たちが人間の少年の言葉に対して、感銘を受けたわけではない。当然、悲しみを覚えたわけでもなく、やる気を失ったというわけですらもない。

 嵐だ。嵐の前の静けさ――というやつだ。

 それも、地上にある全てを吹き飛ばすほどの、超特大の大嵐だ。


「……な、何てこと言うのよ、あいつ。信じられない」

「あ、ありえません。いくらなんでも、ありえません」


 アステリアは、小さく、震える声でつぶやいた。イグニースに向けるものとは全く違う、救いようのないバカを見たという顔だ。

 隣のマリネも、顔面を蒼白にし、そこに能面のような無表情を貼り付けている。ただ、よく見れば眉がぴくりと痙攣していて、指先が白くなるほどに力を入れてゴッちんの頭部を掴んでいる。そして、この現実を否定するように、ありえない、ありえないとつぶやいていた。

 プラスにもマイナスにも程度の差はあれど、周囲の生徒たちはみなそのような状況だ。それほどまでに、今少年が言った一言には破壊力があったのだ。


 ――亜人。それは、絶対に言ってはいけない言葉だ。


 様々な特徴、容姿を持つ人々が暮らす、このテラ=メエリタの地。鱗やえらを持つもの、獣の一部を持つもの、小さいもの、大きいもの、そういった全てをひっくるめて、『人』と呼ぶこの土地で。あろうことか亜人などと、『人でないもの(デミヒューマン)』であるなどと。

 例えば妖精人(アールヴ)に対して悪戯者であるとか、人間(ホモメディウス)に対して節操が無いだとか、種族の特徴を揶揄してからかうことはよくある。だが、それは決して彼らを人でなしと呼ばわるものではなく、友人を軽くからかう程度の軽いものだ。

 しかしその言葉だけは違う。人であることを否定するなど、それはあまりにも重い。

 たとえ親友同士であろうとも、そんなことを言われれば一生涯縁を切られても仕方がない。

 法整備の整っていない少し前の時代であれば、或いは今でも治安の悪いところへ行けば、殺されても文句は言えない。

 それほどまでに、亜人という一言は、絶対に言ってはいけないタブーなのに。

 最低最悪の差別用語とまで言われている言葉なのに。 


「……おい、今なんつった」


 真正面からその言葉をたたきつけられた人狼の少年が、目に怒りをたたえて呟いた。

 それに同調するように、周囲の生徒からも一斉に、非難と敵意の視線が放たれる。

 ――あ、やばい。

 アステリアは、その場に殺気が満ちるのを感じた。

 順調に、狭く閉じられた輪ができつつある。変わらず人通りが多い道端であるが、その中で、ここだけが切り離されているようだ。

 場の空気の変質を感じたのか、己の失言を悟ったのか、中央の人間の少年がうろたえて、声を荒げて何事かを言っていた。だが、それはその場の誰にとっても、無いも同然の声であった。知ったことかとばかりに、いっそ呪いとすら呼べるほどの暴力性を持った視線が集中し、少年をひたすら目で殴り続ける。

 その中で唯一、少年のすぐ近くにいた、真正面で言い争いをしていた獣人が――

 殺す、とただ一声呟いて。

 拳を振り上げた。

 その手には、魔法が。

 人間の少年が、それを見て目を見開く。

 渦巻く魔力の刃が、鋭く禍々しい獣の爪を形成していた。小さな悲鳴が上がる。一歩、獣人が距離をつめた。

 止まらない。誰も止めない。敵意の目とその衝動を満たす凶器が、彼に振り下ろされようと、


「そこまでだッ!」


 と――殺意を閉じ込めた円環にまるで不釣合いな、はきはきした大声が、それまでの殺気の滲んだ集中を横合いから蹴り飛ばして散らす。何人かなど、飛び上がらんばかりにビクっと体を震わせている。

 男の声だった。何だかわからないがとにかく自信に満ちた、ヒーローごっこをする子供のような大声。

 先ほどまでの空気がぶち壊され、一斉に、全員の視線が大声のしたほうに向く。

 上空。校舎の二階だ。すぐ傍にある壁の上、学院本城の二階の窓に、アステリアとマリネも釣られて視線を向けた。

 見知った姿が見えた。


「……何やってんのよ、あいつは……」

「あ、イグニースさんだぁ。あんな所にいたんですね~」


 校舎の窓枠に足をかけ、校舎の壁に引っ付いて、学院指定のローブを風にはためかせて仁王立ちしている旅人の姿がそこにあったのだ。

 アステリアがまた、頭痛そうにこめかみのあたりを押さえたのは言うまでもない。次いで、マリネの硬直した表情が少しだけほぐれる。

 何というか、激しく空気が読めていない。いや、おかげで先ほどまでの、今にも処刑が始まりそうなヤバい空気は見事にどっちらけたのだが。そう考えると実にファインプレーと言えるが。


「とうっ!」


 いっそ前時代的とすら言える古典的な掛け声と共に、帽子が飛ばないように手で押さえつつ旅人が跳躍。騒動の中心となっている二人の少年の間にある、ほんの数歩分程度の空間に、無駄に見事なコントロールで降り立った。

 ……どうせこっちに来るのなら、何故わざわざ高いところに上ったのか。果たして上にいた意味はあったのか、さっぱりわからずツッコみたい気持ちで胸中が満たされる。多分、理解できる理由ではないのだろうけれど。目立ちたいとか、そのほうがカッコいいからとか、そんなことを言われるに違いない。


「俺、参上ッ」


 周囲を完全に置き去りにして、地上に降りたイグニースが高らかに叫んだ。



 目の前にいきなり振ってきた自分という存在に、目の前の人狼少年は思わず、うお、と声を出して一歩下がる。後ろの人間の少年のほうも、うわ、と悲鳴に近い声を上げてたたらを踏んでバランスを崩した。

 大声で不意をつき、視線を集中。そしてその心地よい視線にさらされて、颯爽と群衆の中に。


「よし、今の流れはカッコよかったはず……!」


 ガッツポーズをするイグニースの心の声が、口からポロリと漏れていた。

 正面の狼少年から怪訝な視線を向けられ、同時に、あの馬鹿、と後ろから疲れた声が聞こえたが、気にしない。


「な、なんだ……? だ、誰こいつっ」

「いや、仲裁にきてやったのに誰こいつって」


 人間の少年のつぶやき声に、そちらを振り向いたイグニースは不満げに声を漏らす。

 軽くぶーたれるた後で、一体どういう反応をすればいいのかわからなくなっているらしく拳を握ったままこちらを見ている人狼の少年を、正面に見据えた。


「……なんだよ?」


 じっとりとした、敵意の混じった視線が投げかけられる。

 拳に渦巻いた魔力は依然変わらぬまま、爪を形成している。


「いやさ、何で喧嘩してるのかは知らないけど、そろそろやめたらどうかなって。見てて、すっげー空気悪かったぜ? だからここらで、さ」

「……いきなり出てきて、何言ってんだ手前(テメエ)は」


 どうしようもない馬鹿を見る目つきでもあった。

 それでも、さすがに無差別に攻撃を仕掛けるのはやめる理性があったのか、爪を形成していないほうの手で、がしがしと乱暴に自らの頭をかいて言葉を発する。


「いや、何って言われても。今にも処刑でもはじまりそうな空気だったからさ。さすがにそりゃ、やりすぎだろ? だからほら、ここらで喧嘩はやめにして、さ」


 どう考えても空気の読めていないイグニースの言葉に、人狼の少年はため息をついた。


「……あのな。お前、今こいつが言った言葉を、聴いてなかったのか? こいつが何したか、わかってんのか? 何がやりすぎだってんだよ」


 目を細めて、爪を纏う手で後ろの少年を指差す。敵意をダイレクトに向けられてか、小さく悲鳴を漏らしたのが聞こえた。


「何したかなんて、知らないって、そんなもん。今さっきの云々ってのだって、壁面上るのに必死でよく聞いてなかったし。でもさ、集団でよってたかって一人を囲ってリンチまがいの……しかもそんな、下手に当てれば死ぬ可能性もありそうな魔法(モノ)を使うのは、どういう理由があっても駄目だろ。自称カッコイイ魔法使いとして、それは見過ごせない! だから止めに来た! そんだけだッ」


 あまりにも空気を読むことを放棄し、堂々と叫んだ彼に気勢を殺がれたのか、人狼の少年は拳を解いた。爪が消え、腕をだらんと脱力する。

 ついでに、その啖呵に他の生徒たちもいくらかぽかんとしている。


「ああ、そーかいそーかいそーですか……でもな」


 構えを解いた彼の様子に、イグニースがわずかに気を緩めた――瞬間、彼の瞳の中で、チカチカと光が瞬いた。


「――そんで、退くわけねェだろうがッ!」


 人狼の少年の体勢が、深く沈む。

 グンと膝を大きく折り曲げ、溜め込んだ力で大きく、前へ踏み出す。少年の姿がブレて消えた。真正面でそれを見たイグニースが、思わずそう錯覚するほどの速度だ。

 一瞬に生じた間隙の直後、地面に足を強烈にたたきつけた音が。そしてイグニースの腹部から、風船を割ったような衝撃の炸裂音が響いた。


「グェ……ッ」


 腹から打ち込まれた衝撃に肺の空気を一気に吐き出し、イグニースは後ろに吹っ飛んだ。少年の上を飛び越え、その先に立っていた囲いの生徒たちを何人か巻き込む。


「イグニースさんッ。だ、大丈夫ですかっ?」


 かなり派手な音を立てた彼に、全身甲冑(ゴッちん二号)にまたがったマリネが駆け寄って叫ぶ。ゴッちん二号に命じて抱き起こすが、気管に衝撃をうけたからから、激しく咳き込んでいる。

 ついに始まった暴行に場が騒然とした。吹っ飛んだ旅人を見る群衆の中で、人狼少年は再び、先ほどまで言い争いをしていたはずの人間の少年をにらみつけた。

 もともと、暴力を振るわれることまでは想定していなかったのだろう、睨みつけられて少年はヒッと、小さく悲鳴を漏らした。

 再び拳に魔力が渦巻く。地面に軽いひびを入れるほどの、爆発的な踏み込み。人狼少年の姿がブレ、刃を纏うその拳が突き出された。

 人間の少年は動かない。突き出された拳を前に目を瞑ることもできず、恐怖で動けない。そして、誰も彼を助けようとはしないし、誰も彼を見てすらもいない。

 しかし代わりに、がつん、という甲高い金属音が響く。

 中心にあってしかし注目などされていないはずの二人の間に、横合いから、光の壁(シールドマジック)を構えた女生徒が突進してきたのだ。


「ああもう、何やってんのよイグニースッ。ほんっと、バカじゃないの? バカじゃないの!?」


 突如割って入り、光の壁越しに人狼の少年と対峙した女生徒――アステリアが、誰の味方なんだかよくわからない言葉を吐き出した。

 いつも装備している長方形の大盾(ラージシールド)はないから、代わりに腕から盾の魔法(シールドマジック)を発生させての防御だ。

 爪を盾の表面でいなしてかわし、いよいよ二人の少年の間に入り込む。

 力を受け流されて僅かに上体がぐらついた人狼少年の隙をついて、アステリアは上半身を捻り腕を大きく回して、盾の側面でフルスイングする。

 至近距離での、側面を使った盾殴り(シールドバッシュ)だ。表面積が大きくて振りのすばやい、よけるのはかなり難しいはずのそれを、しかし人狼少年はまたも急加速を行って一気に退がり、回避する。イグニースに殴りかかったときもだったが、すさまじい速度だ。


「てめ、何しやがるッ」

「決まってるでしょ、そんなもの」


 大きく距離を開けて、少年が身構える。怒りに任せて怒鳴るのを、アステリアは静かに受け流して睨み返した。


「……さっきまでは仕方ないって思ってたんけどね。でも、考えてみれば確かにこれ、今時じゃ殺していいってほどのことでもないわ。差別用語使ったから死刑だなんて、野蛮すぎよ。第一、困ってる人を見過ごさず、人を助けるときは迷わない、そう親に教えられててね」

「あー、そーかい。つまり手前(テメエ)も後ろのやつと同じってか」


 互いに、魔力の爪と盾を構えた。それ以上言うことなどない、とばかりに。

 一瞬、向き合う二人の視線が交錯し、そこに、先ほど吹っ飛ばした旅人の声が、再び聞こえた。


「イ、ナ、ズ、マ」


 人狼少年の上空に影が差し、それが次第に濃く、近くなる。

 上を見れば、器用にもムーンサルト回転を加えてジャンプするイグニースの姿。後ろには、ボレーの容量で旅人の体を打ち上げた全身甲冑。


「キーック!」


 という名の、それはただの派手なとび蹴りだった。

 特に回転する意味は無いし、掛け声の所為で不意打ちにしても中途半端な攻撃は、軽く横に跳ぶだけでたやすく回避されてしまう。


「仲裁に出たやつが蹴るかよッ」

「そうでもなきゃ落ち着きそうにないだろッ」


 怒鳴りあいながら、ちらりと横目で人間の少年を見た。

 腰を抜かしているのかその場で半泣きになって、ぷるぷる震えている。なんともまあ、テンプレートな金持ちの坊ちゃんみたいな態度というべきか。

 ともあれ、この少年をかばってしまったことでアステリアともども、完全に人狼の少年からは敵対認定をされてしまっただろう。やはり師匠直伝必殺技、イナ○マキックはまずかったか。

 しかし周囲の生徒までもが襲い掛かってこないのは助かった。彼にはわからないが、場の空気からして、下手を打てば周りの生徒も敵に回る恐れすらあるのだから。

 旅人イグニース、場の空気を読めないのでなく、意図的に読まない男である。

 対立はもはや完全なものだ。なだめるどころの話ではなくなった。

 人狼の少年は舌打ちを一つすると、周囲の生徒たちを見る。


「――ムカつくよな」


 三度、空気が変わった。

 今度は、場の空気を動かしたのは後ろの少年でもなく、空気を読まない旅人でもない。人狼の少年の一言で、元々周りのオーディエンスが秘めていた暴力性が肯定されただけだ。

 もともと、後ろの少年に対して明らかな敵意を抱いていたなのだ。今になって、ようやくそれが観客から当事者に変わる。

 とは言っても、全員が全員というわけでもない。

 イグニースやアステリアの言った理屈に流れるものもいる。生徒たちが、互いに互いを見て、どう行動したものかと動きを止める。当初の二人だけの規模など目ではない規模の、いつ大爆発を起こすともしれない火薬倉庫のような状況。混沌が、そこにあふれていた。


「……マリネ、後ろのやつ頼む。放置するのもまずいだろ」


 何せ切欠となった言葉が言葉だ。野蛮だの殺すほどでもないだのと言いはしたが、やはり何が起こってもおかしくはない。きちんと守らねば、どうなることやら、である。


「合点ですよ~、今度は暴走させませんっ」


 金属音を立てて、具足部分を残して鎧が分離し、主人と少年を守るべく浮遊して取り巻いた。

 それを見届けてから、視線を少年へ。

 狼の獣人から、空気が外側へ外側へと押し出されていくような、見えない圧力を感じた。魔法使いが臨戦態勢をとったときに発生する威圧感だ。爪の魔法といいこれといい、よりにもよって、既にいっぱしの魔法使いのようである。


「で、この状況、どう落ち着かせるのよ?」


 視線は前方の敵から一切そらさない。

 しかし、ただ二人がかりであの少年を殴りかかれば終わるという問題でもあるまい。

 警戒と、細心の注意をはらいながら口を動かす。


「こんな物騒な空気振りまいてるんだ。そのうち先生がくるだろうから、それまで身を守るのが一番だろ。まあ、医務室祭りのこともあるし、いつ来るか、本当に来るのか、激しく不安だけど。あの学院長が学院長やってる学院だし……」

「じゃあ、いっそ誰か一人が、輪を抜けて先生を呼びに行く? こんなの、すぐにでも止めるべきだろうし」

「賛成。一番言いつけるのが早いのは、連続跳躍ができる俺なんだろうけど……」


 一歩動かすと、人狼の少年もまた体をピクリと動かす。

 わずかに後ずさると、その分だけ少年も距離をつめた。

 ぎらぎらと光のちらつく視線は、一心にイグニースを向いていた。


「……いの一番のターゲットにされてるって感じね」

「多分、背中向けた瞬間ブスッていかれるよなあ、あれ。……割って入れる?」

「無理よ、あんな速さ。さっきの時は、向こうが特に早く動こうともしてなかったから防げただけ」


 イグニースとアステリアは小さく頷きあい――


「んじゃよろしく!」

「しっかり逃げ回りなさいよ!」


 少女騎士が背を向けて、輪の外へ走り出した。防御魔法と、こっそり発動した強化魔法で盾を振り回して群集を蹴散らし、校舎へと消える。

 同じくして、旅人がワンドを取り出し、圧縮詠唱(プレスキャスト)の文字として表現できない奇妙な声を発する。

 ほんの一秒足らずのうちに、魔法陣が描かれる。

 一重、強化なしの矢の魔法。けん制程度の威力だが、これくらいでないと詠唱が間に合わない。

 既に、人狼の少年は大きく一歩を踏み出し、爪をまとった拳を振りかぶっている。


「〝矢の魔法(アローマジック)!〟」


 しかし少年の一撃よりも僅かに早く、中空に描かれた魔法陣が白い輝きを放ち、その中央に、衝撃(エネルギー)の塊に変換された魔力の弾丸が形成され――なかった。

 本来あるべき光景が成りえず、居を突かれたイグニースに、もろに人狼からの一撃があたる。


「あ、あれ――へぶっ!?」


 刃の拳を胸元に食らって、旅人が大きく体勢を崩す。今日買ったばかりの学院ローブのおかげで刃が刺さることは無かったが、胸を思い切り定規の先端で突かれたような痛みが走る。

 生じた隙を見逃さずに、人狼はイグニースのあごをかち上げ、とどめとばかりに、その腹部に側刀蹴りを放った。


「……ッ!」


 ギリギリのところで体を捻り、あごを揺らされ、腹にモロに食らうのをなんとか防ぐ。が、あの加速を生み出す脚力の蹴りだ。衝撃が全身をビリビリと駆け抜けて、軽く一メートルほど後ろに吹っ飛んだ。


「イグニースさんッ!? どうしたんですか、魔法はッ?」

「い、いやその……」


 もう一度、奇妙な発声の詠唱で魔法陣を描くが、やはり、最後の段階で何故か魔法が消える。

 真正面から突き出された爪を、上体を捻って紙一重で回避し――イグニースは叫んだ。


「ま、ま、魔力がないッ!? 切れてる、何でかわからないけど、いつのまにか魔力切れしてる!?」

「え、えええええッ!?」


 敵対者一名、近接特化魔法使い。

 対する戦力、アステリア、校舎行き。マリネ、防御専念、後ろの少年のかばい中。交代の余裕なし。

 そして……イグニース、魔力切れ。魔法使いとして無能状態。

 つまり、今のこの瞬間の旅人は、昔襲われた魔物にも勝てない、獣の爪牙に恐れる人々と同じ立場の存在であり――


「あ……アステリア早く戻ってきてーっ!?」


 旅人の絶叫が学院の片隅に響き渡った。

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