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BBW旧五話・学院の朝、旅人の夢。

 暗い、黒い森を走っていた。

 そこは、見慣れたはずの場所だった。昼ごろになると、いつもみんなで駆け回り、イタズラを仕掛けたり、大人をからかっては逃げ込む、村の子供たちみんなの遊び場であるはずの森だった。

 あちこちに目印がついていて、だから、どの場所からどう行けば村に着くかも把握していたはずだったのに、それがちっともわからない。見慣れた目印がない――いや、焦燥に駆られた頭には、目印を把握する余裕すらないだけだ。だが、幼い自分にはそれがわかるはずもない。だから、まるで知らない森に迷い込んでしまったと錯覚してしまった。

 いつも通りの日常のはずだったのだ。

 ただ、その日はいつもよりも少しばかり森が騒がしいとか村の猟師が言っていて、遊び場への立ち入りが禁じられた。まだ子供だった自分は、それを『大人が自分たちの遊び場を奪った』と文句を言って、村の大人たちの目を盗んで、友達と一緒に森に忍び込んだのだ。

 ――その結果、少年たちは森を騒がせていた猛獣に襲われることとなってしまった。

 二メートルもあろうかという大きな熊。しかも、悪いことには悪いことが重なる。ただでさえ人の身に余る猛獣だというのに、そいつはより攻撃的に奇形化した、異形の生物――魔物と化していたのだ。

 血の色に濁った鉄針の毛。体のあちこちからでたらめに生えた、骨肉がむき出しの長い腕。豪腕は森の木々を、たやすくなぎ倒すほどの力を持っている。

 子供たちにとって、否、大人であろうとも、戦うすべのない全ての人間にとって、それはまさしく『死』そのものだった。

 その最初の犠牲者として最初に選ばれたのは、自分。

 自業自得だ。

 そうだ、最初に大人に反感を覚えて、仲間たちを森に誘ったのは自分だから、自分が悪い。

 ごめんなさい、とここにいない大人たちに謝って泣きながら逃げても、死は執拗にこちらをかぎつけて追ってくる。

 肉体の変異によりかえって動きが阻害され、熊の持つ本来の俊足が殺されていたのは救いであっただろう。だからこそ、今の今まで逃げ続けて、生きていられたのだ。たとえ、その所為でかえって長く苦しむことになっても。生きてさえいれば……。

 そうやって逃げ回って、逃げ回って、今が何時であるか、どこにいるのかもわからないほどに、森の中を逃げ回る。

 死が迫ってくる。食い殺してやろうと、四肢を引きちぎってやろうと、後ろから死が追いかけてくる。慣れ親しんだはずの土の温度は冷たく、周囲に立ち上る木々やその香りも、魔物の姿や気配を隠している共犯者のように思えた。

 周囲の全てを死の気配に囲まれて、ついにその心身に限界が訪れた、そんなときだった。

 救いに、『彼』に出会ったのは――


「おや、君は村の少年じゃないか。そんなに血相を変えて、どうしたんだい?」


 などと、後ろから追いすがる死を目前にしながらも、そんな暢気なことを言って。

 その魔法使いは幼いイグニースにとっての『死』を、簡単に殺してしまった。


 ――少年はそのときはじめて、御伽噺の魔法使いを見たのだ。


 ……まあ、そのとき魔法使いは、魔法じゃなくて拳で熊を殴り殺していたけれど。

 その所為でイグニース少年はしばらくの間、魔法使いを格闘家の一種と勘違いしてしまったのだが、それはまた別の話である。



 まず最初に、闇があった。

 その闇はうっすらと白みがかっていて、いやに瞳に刺激を伝えてくる。

 それが朝日なのだと気づいたのは、寝返りを打って、薄目を開けた後のことだ。

 イグニースは、そうしてゆっくりを身を起こす。ずいぶんと長い間、眠りこけていたようだった。


「……ゆめ?」


 寝ている間に見た光景は、未だ脳裏に強くその存在を主張している。

 昔の夢だ。

 子供のころ、村を抜け出して、魔物に襲われた。そして、今は師匠と呼んでいる魔法使いに助けられた、その記憶。もう随分長い間見ることもなかった、魔法使いとしての自分の原点である光景。

 いまさらこんな夢を見たのは、昨日、学院長との話があったからだろうか。

 ――自分が弱いかもしれない。『ゲーム』の名を冠するのにふさわしくないかもしれない。


「……まさか。きっと、今頃学院長もほっとしてるだろ」


 旅人は、自分が不合格であるかもとは、考えない。

 なぜなら強くなったのだから。少なくとも、魔物に追われて泣きながら逃げていた自分などとは比べ物にならないほど。今ならあの魔物だって、軽く殺せる。

 そうだ、強くなったのだ。そして、旅をして、この学校で魔法を学んで、さらに強くなる。あの、迫りくる死をなんてことなく退けて、無力な少年であった自分を救った師匠(ヒーロー)のように、自分もなるのだ。

 そんな自分が弱いなんて、ない。あのころから変わっていないなど、ない。旗印を掲げるに足らないなど、考えたくもない。悩みなんて、こんな悩みなど、だから考える必要など――


「……そうだ、強いんだ。俺は強い。俺は強い、俺は強い俺はカッコいい! よっしゃ、来いや太陽! イカした豚が俺にもっと輝けと囁いている!!」


 ベッドの上で、スプリングをきしませて跳ね起きた。

 申し訳程度にあった毛布を吹き飛ばし、窓を開けて叫ぶ。


「うるせえよ朝っぱらから!」

「あ、スミマセン、マジスミマセン」


 そして、お隣さんから壁をたたく音とともに怒られ、反射的にへこへこ頭を下げるのだった。



 目を覚まして、部屋の隅に放り込んだ荷物の中から取り出した布の服と、椅子にかけっぱなしの魔法使い帽子に着替えたイグニースが向かったのは、食堂だった。

 リリエント魔法学院の食堂は、それ自体はそこまで大きくないものの、専用の建物丸々一つという豪華な仕様だ。灰色の校舎とも赤色の寮とも違う、清潔感漂う白色の建物。学院専属の料理人たちが日々休まず、腹を空かした生徒や教師たちに料理を振舞い続けるそこは、一種の戦場である。

 まだ授業が始まっていない今の時点でも食堂は開いており、寮に寝泊りしている生徒たちでごった返している。自炊派や外食派、まだ起きていない生徒などを考慮すればだいぶ少ないのだろうが、それでも百を超える生徒たちが椅子の確保に動きながらも注文に並ぶさまは圧巻で、ほかの街でお目にかかれるものではない。


「……いやまあ、入試のときの混雑と比べたらよっぽどマシだけどな」


 脳裏に浮かんだのは、魔法を使わずに特攻したら案の定押し流されて、ちょっとだけ(彼にとっては、だが)想定外なことに、本気で死を垣間見た人の波。

 それとくらべたらよほど人の数も少ないし、死人が出ることもない。平和な列である。

 頭を半分ぬるま湯に浸らせつつ空いている席を探していると、人ごみの中でも目立つ鎧の姿があった。それに肩車されているツナギ幼女と、安物のパンツルックに身を包み、鎧こそ着けていないが、凛々しい印象は相変わらずの少女の姿も一緒に見える。

 まだそれなりに早い時間だが、いわゆる奇遇というやつだろう。向こうは気づいていない様子だったため、人ごみを掻き分け、こちらから近づいてゆく。近くにはちょうど三人分くらいの空席があるし、丁度いい。


「や、おはよう。マリネ、アステリア」

「あ~、イグニースしゃぁん、おふぁよ~ございまぁす」

「おはよう、意外と早いのね」


 アステリアは既にはきはきとした様子で挨拶を返すが、マリネはいつにもまして声が間延びしている。目も半分閉じていて、今にも二度寝しそうだ。


「マリネ、また夜更かし? ……を、したにしては、起きるの早いけど」


 一応、半月くらい一緒に暮らしていた身である。マリネという女の子の生活サイクルは、イグニースもある程度把握していた。

 この幼女、見た目とは裏腹に、かなり夜更かしをする子だ。主にゴーレムいじり的な意味で。その所為でか、朝はかなり弱いはずなのだが。


「私が起こしたのよ。後で一緒に買い物も行くんだし、少し早めに出たほうがよさそうだったから」

「買い物? こんな早くから?」

「ええ。学院指定のローブとか、教科書の基本的なものとかね。本当は昨日にでも買うつもりだったんだけど、店に人が多くて……」


 その光景を思い出したのだろうか、アステリアは、ふう、と軽くため息を一つついて額に手を当てる。よっぽど大変そうな光景だったのだろう。


「そっか、やっぱここ、人多いもんなあ。ていうか、買い物行くんなら誘ってくれればよかったのに」

「誘おうと思った時にはもういなかったから。寮に行った後、私たちしばらく校舎を歩いてたりしたのに、どこにも姿を見せなかったし」

「……あーっと」


 そりゃ、眠っていれば姿を見せるなんてできるわけがない。阿呆である。

 何気なく言った言葉が、とんだ薮蛇だった。赤いつり目に、じーっと半目でこちらの顔をのぞかれて、イグニースは思わず目をそらす。


「そ、そういえば、アステリア、入学式の時にはもう来てたのに、学院指定のローブ持ってないみたいだったもんなあ。いやあ、よっぽど混んで――」

「一昨日は、貴方たちを待っていて買う余裕が無かっただけよ」

「……スミマセン、いやほんと、マジすみません」


 ギラリと輝く赤い目から発せられた圧力に、昨日のこともあって若干神経質になっていたのだろう――もはや条件反射の領域でペコペコ謝る。

 今日はきっと、頭を下げる日なのだ。どたま記念日とかそんなんだ。

 そうとでも思わなければ納得できないくらい、なんだかおきぬけから頭を下げてばかりの彼である。


「……よし、そろそろふざけるのもよして、朝食を注文しましょうか」

「あ、おふざけだったんデスね……」

「ほらほらマリー、いつまでも寝てないでおきなさい」


 うなだれる旅人をおいといて、ぽんと、アステリアは鉄人にまたがる小人の頭を軽くなでた。

 眠気が再び臨界に来ているのか、先ほどから反応がない。


「ねむねむ~……すぴゅ~、イグニースしゃぁん、えへへ、今晩も、じゅぅっと、わらしと、いっしょにぃ」

「……今晩もずっと……え、幼児性愛?」

「いや、待って、アステリア、待ってくれ、不穏な単語を言うな。思考の飛躍だ。アステリアは誤解をしているんだ、ほんと、あの、誤解なんだよマジで」


 ゴッちん二号の上でいよいよ二度寝をはじめたマリネの寝言を聞いて、視線の圧力が強まった。


「えへぇ……いぐにぃすしゃん、かたくてあったかいれすねぇ」


 と、その後ろに、ゴッちんの頭部に移った体温を肌に感じてだろう、幸せそうな笑みを浮かべている幼女の寝姿。


「誤解ねえ……?」


 果てしなく、疑いの視線であった。


「俺、ロリコンじゃないからな!? よおっし、それよっかメシ注文しに行こうか! ほら、ここはゴッちんと俺で席とっとくから! マリネを起こして、さ! ほらほら起きろマリネー、さもなきゃ工具を棚の上に置くぞー」

「ふなっ!? だ、だめですよぅ、そうやって、すぐ身長で意地悪するのは人間たちの悪い癖ですよう!」

「よーし、じゃあそうされないためにもまず起きて、列にならぼうか」

「…………」


 無言で視線をよこすアステリアに背を向け、イグニースはマリネを勝手にだっこしてゴッちん二号から下ろし、声をかけた。空中で揺らして軽い覚醒を促して、特定ワードをつぶやく。この手法は、イアンシェルの集落に居候していたときに身に着けたスキルであったが、きっと、これも後ろの少女騎士からすれば、ロリコンの業に見えてしまうのだろう。

 ちなみにゴッちん二号に関してだが、初号機の反省を生かして安全管理はきちんとできているため、暴れたりはしない。集落で最初にこれを見たときは、彼も最初若干ビビリが入っていたが、今となってはすっかり平気である。

 ともあれ、起こして立たせて、そして列に並ばせる。小さな体が人ごみに紛れていくのは、何とも不安を掻き立てられる光景だった。


「ささ、アステリア、マリネが流されないうちにゴー!」

「ひ、卑怯者……!? こいつ、最低だわ!?」

「何とでもどうぞーっと」

「卑怯者最低卑怯者最低卑怯者最低卑怯者最低卑怯者最低卑怯者最低卑怯者最低卑怯者最低卑怯者最低幼児性愛不潔カッコワルイ」

「いや、何度でも言われても。あと最後らへんのは余計だ! いや、カッコワルイに関しては俺も不安ではある行為だったけど!」

「甘んじて受けなさい、幼児性愛者!」


 マリネを見失わないうちにと列に駆け寄るアステリアが残していった台詞に、悪い意味で視線が集中していくのを感じるイグニースであった。


「いやだから、ロリコンは違うから!?」


 この後、彼が学院で初めて食べた食事は、ろくに味も感じられなかったという。

 こうして前日の出来事も、そこから生まれた微かな疑問も周囲に感じさせぬまま。思わぬ疑惑に耐えつつ、旅人の二日目が始まる。

 それでも、友人たちと話していても、何故だか旅人の頭のどこかで、何とも言い表しがたいモヤモヤがあったのは――気のせいなのだと、信じたい。

 イグニースは、それを振り払うように、小さく頭を振る。


 ――自分は、強いはずだ。


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