BBW旧四話・学院の忠告、旅人の旗印。
「忠告?」
何の話だろうかといった様子で目をぱちくりさせるイグニースに、憮然とした表情でノックスはうなずいた。整った青年の顔の眉間に浮かぶしわが、いやに自己主張している。
「然様。ワシとしては、君を放置しておくのはちと面白くないのでな」
「それと、先ほどのことと、関係があるのですか?」
この場における、第三者のイアシスもイグニースに追従した。
示し合わせたわけではないが、イグニースも同じことを疑問に思っている。
普通に考えて、忠告だのというなら、もっとやりようがあるというものだと思うが――
「大有りじゃよ。この大陸で魔法は力。医療や工業もあるし、それだけでもないが、力という面が多くを占めておる」
例えば、騎士には魔法騎士団というものが存在する。大陸の未踏破区域開拓や猛獣・魔物駆除などの依頼を請け負う冒険者にだって、こちらはモグリであったりきちんとしたものだったりと差はあれど、魔法使いの需要がある。往々にして彼らは、魔の法則を統べることにより生み出す異法則によって、時には圧倒的な破壊力を生み出し、時には倒れた兵士を立ち上がらせ、戦場の状況を己の言葉一つで転変させる強力な『力』として世間に認識されていた。それが『テラ=メエリタ』の意識だ。
「とはいっても別に、強くなけりゃ魔法使いになっちゃいかんとは言わん。魔法は所詮魔法でしかなく、力そのものでもない。各々で好きに魔法に価値を見出して、のびのび勉強すりゃええ。自分の道が見つけられりゃ、弱かろうが一向に構わん。犯罪じゃなけりゃ、どんな使い方をしようと問題なかろ。だがな」
一拍の間が空く。
イグニースの目をみる彼の瞳に、より強い力が入る。ドアからもれていたもののように、殺されてしまうのではないかと思うことこそないが、全身にのしかかる威圧感をはっきりと感じた。
「『古き魔法使いのゲーム』だけは別じゃ。誰に語られることもないが、紛れも無く最強の名である。師匠に学んだわれ等だからこそわかることじゃな。……そして、そいつの名をひっさげてきた魔法使いが、あろうことか『弱い』だなど、あってはならん。そうであれば、われ等他の弟子が黙っておらんよ。師の名誉に、そして師の教えを受けたわれ等全員の沽券に関わる問題。断じて許せんのう、これは」
話している最中にも、ノックスの表情が見る見る無表情になってゆく。少し前まで、笑いながら紅茶を入れていたのが嘘のようだ。無表情のようなそれの薄皮一枚下から、気を抜いたら押しつぶされそうなくらいの、重い重い感情がうっすらと滲んでいた。そしてそれは……躊躇無く、ストレートに、自分にぶつけられている。
彼の、師匠に対する思い入れがそれだけ大きい、ということなのだろう。イグニースの真正面に、怖いくらいまっすぐにその目があった。
イグニースは何も言えなかった。ただ、目をはなすこともできずに、じっと向かい合う。カップの中身をかき混ぜる手もとまっている。自分の体が石像になったようだった。
空気が重い。
隣のイアシスが、小さく息を呑む音が聞こえた。
……そうして威圧感に晒されて数秒。脅かすのはそろそろ終わりにしよう、とばかりにノックスが表情と体勢を崩した。とたんに消える威圧感。
「ま、そういうわけで、最初の挑発は君が実際どれほどのもんか、見てみたかったってェことじゃな。ゴーレムのアレを見てはいたが、正直あれだけじゃ何ともいえんし、こういうのは自分で測るのが一番わかりやすい」
――いや、その理屈はどうだろう。
威圧感が消えて、心身を縛っていた重みが消えると、まっさきにイグニースは心中でツッコんだ。
本人は飄々とした様子で言っているが、その台詞は教育者としていっそ見事なほど間違っている。教師が腕試しで殺しにかかるなど、段階を色々と飛び越えている上に踏み外しているというか、人として方向性を間違っている気がしてならない。
それでいいのか聖職者。
と、そんなことを思いながら視線を向けていたのがばれたか、にやりといたずらっ子の笑みを向けられる。
「いいんじゃよ、別に。本当に殺す気じゃァないし、そもそもうっかりや事故が起きても殺さないくらいの調整はできるわい。そもそも、ワシくらい社会的信用や地位があれば、多少のイタズラは目ェ瞑ってもらえるモンじゃ。基本的に、やるこたやっておるしの」
いっそ清清しいくらいに、教師として、人の上に立つものとして失格な発言であった。さぞや、彼の下にいる教師たちは忌々しいと思っていることだろう。
「……うわ、最低だ」
「……それでいいんですか、この学院……」
「力があるって、ええのう」
呵呵と笑うこの学院の長に、不安を抱かざるを得なかった生徒二人であったという。
先ほどまでの空気は完全に雲散霧消しており、いつのまにか、本当にただの茶会の空気となっていた。とはいえ、心身ともに朗らかな様子なのはノックスただ一人だけであったが。
特に、少し前まで殺気すら向けられていて、今も名誉やら沽券やらの云々のために試されていたイグニースなど、とてもではないが心中穏やかではいられない。尻を蹴られたときほどではないが、顔が青ざめている。
再びガリガリとカップの中身をかき混ぜながら、ノックスにたずねる。砂糖を多く放り込みすぎて、未だ底には大量の顆粒が渦巻いている。
「それで、結局学院長は結局、俺のことを試しに着たんですよね。……結果は?」
「んー、そうじゃなあ。まあ――秘密ってことにしとくかの。言ったら詰まらん」
ええ、何それ。と、文字には書いていないが、イグニースの表情が露骨に語る。
顔がよりいっそう青くなって、カップをかき混ぜる動きがぎこちなくなった。
傍で見ていたイアシスは、それを見て何とも気の毒そうにため息をついていた。机の影で、こっそり成仏的な意味での祈りの動作もしているが、果たしてそれに何か言葉を返すべきか否か。
「不安すぎる……」
「……がんばれ」
同情的なお隣さんからの言葉に、旅人は静かに頷いた。
「ああ、それで、用件がもう一つあってじゃな」
「ま、まだ何か……?」
ここまでで、十分すぎるくらい精神の磨り減っている生徒たちであったが、学院長の言葉に再び身をこわばらせる。
「ああ、身構えるこたァない。ただ、師匠の今の住居を教えてほしいだけじゃよ。あのお人、たまに何も告げずに住居を変えよるからの。久しぶりに会いに行きたいのじゃが、今の居場所がわからんくてなあ」
「……あ、それだけ」
ほっと、思わずため息をついてしまうのをこらえ切れないイグニースである。
ともあれ、であるならば素直に教えればいい。この学院長、少なくともイグニースからすれば、弟子というのは本当のようであるし、そうであるなら、教える分に不都合も何もなさそうだ。
隣の先輩も、この話題に関してはほとんど理解できていない様子――
「用向きはそんなもんじゃな。そいじゃ、あんまし勝手に留守にすると部下たちにどやされるから、ワシはそろそろ行くとしようかの」
と、師のいる場所を教えて少ししたころ。いい加減冷めてきた紅茶を一息に飲み干して、ノックスは静かに立ち上がった。
ここで、実はもう一つ、ということはないだろうかと、二人の視線が強まる中、彼はポットを右手でつかむと、それをローブの広いそでに突っ込む。そして、陶器のそれが完全にローブの影に隠れると、中で手を離したのか右手だけをそでから出した。
ポットにははまだ中身が残っているままだ。イアシスがぎょっとしてそでを見るが、ローブがぬれる様子はまったく無い。どころか、袖の中に何かモノが入っている様子すらない。
「うん? ああ、これも魔法じゃよ。そでの中に物を入れると、それがワシの部屋の戸棚に行くようになっておる。便利じゃろ」
「あー、そういや師匠も似たような魔法使ってたなあ。〝インベントリ〟だっけ」
「……それって、最上位の魔法では」
頭をかかえるイアシスの横で、イグニースが懐かしいものを見る目を向けている。
「そんじゃそろそろ行くが、そっちのカップは返さんでもええよ。いくつも同じのもっておるしの。それに、こんな風に突撃に来たとき、一々回収したり取り出したりするのは面倒じゃ」
懐かしそうな目が、一瞬にして再沈下した。
それはつまり、またくるということなのだろうか。ぽん、と隣の先輩に肩をたたかれる。
「イアシス君、君にもカップを進呈しよう」
「……お返し、できませんか」
「ノーセンキュー、じゃな」
今度は、後輩がイアシスの肩をたたいた。
生徒たちの同情のし合いに小さくニヤニヤと笑うと、ノックスはドアには歩み寄らず、なにやら近くの壁の影のもとまで歩いていく。
「さて、それじゃワシはこれにて。……ああ、しかし最後に一つ」
「はい?」
明らかに、再び視線をイグニースに向けてノックスは意地悪そうな笑みを浮かべて語りかけた。
旅人からの返事は、その笑みにまた何かいやなものでも感じたか、少し硬い。
「のう。少し話が戻っちまうが、君、師のことを好いているかね? 尊敬しておるかい?」
「そ、そりゃ、当然。課す修行はキッツいし色々駄目人間だけど、それはそれとして魔法使いとしてずっと高みにいるすごい人で、色々助けてもらった恩もある。何より、小さいころから世話になってて、もう一人の親みたいなもんだしさ」
「そうか。ならば君にもわかろう。その尊敬する師の顔に、泥を塗るような真似は許せん。ワシにとっても、師は親同然の存在で、大恩がある。師匠のためであればワシはこれからも、教職員としてのあり方すらも捻じ曲げるのはやぶさかではないぞ」
「……えっ。ちょっ、何その不吉な言葉ッ。突然何!? が、学院長!? 帰らないで兄弟子さーんッ」
手を伸ばすが、既に近くの影に足を踏み入れた学院長に、難なくかわされる。
イグニースの叫びもむなしく、ノックスは笑いながら影の中に飲み込まれて消えた。これも、便利な魔法とやらなのだろう。
「……消えた、ね」
「……うん、消えました」
しかも、最後に特大の不安を残して。
虚空に向けて突き出した手をティースプーンの元へ戻して、小さくつぶやくのが旅人の精一杯だった。ガリガリと音を立てて、砂糖が溶けるのは幾分か先になりそうだ。
「……疲れた。人生で五指に入るくらい疲れた……!」
「……今の台風に匹敵するのをさらに四つ挙げられる君の人生はどうなっているんだ。でも、疲れたのは同感だよ……」
そして学院長という名の嵐が消えた数秒後。ようやく平穏が戻ったことを実感し、残された生徒二人はどっと息を吐いて同時に机に突っ伏した。
「こっちきてからほんと、イベントとかが絶えない……何これ、どうなってんの」
「僕からすれば、君自体が一番『どうなってんの』だよ。よくわからない言葉は多いし、何か凄そうな人の話してるし、学院長が一生徒の部屋に挑発茶会で、しかも兄弟弟子? 頭が痛くなってきた……。確かに、僕一人に聞かれたところでどうしようもない話だよ、意味がわからないから……」
イアシスが、テーブルに額をこすりつけた状態のまま頭を抱える。混乱しているからか、言っていることも微妙に支離滅裂である。幻覚か、その頭から煙がぶすぶすと上がっているようにも見えた。
まあ実際、教科書に名前が載っているような超有名人がいきなり自分たちの前に姿を現して、しかも攻撃を仕掛けてきたり、実は同門だった、などと言ってきたり――など、疲れるのも当然だ。
加えてイアシスの場合、当事者でこそないものの、ずっと隣でそれを見て、巻き込まれて、おまけに基本置いてけぼりなわけで。思考回路がショートの一つもするというものだ。
「兄弟弟子の話は俺も始めて知りました。……あれ、もしかして次から学院長の弟弟子ってふれまわるってのもあるんじゃ」
この大陸の歴史的には、賢者として名を連ねる人なのだ。その賢者の弟弟子。賢者の同門。これはこれで、わかりやすくていい名乗りにもなるかもしれない。
世界最強の魔法使いの弟子イグニース。学院の賢者の同門イグニース。いい易さ、世間一般に対するわかりやすさでは、後者のほうが上だろう。ただ、字面のカッコよさでは前者か。少なくとも、イグニース的には。
「ないよ。絶対ないよ。もう一度言うけどないからね」
「そんな、大事なことじゃあるまいに、二回……いや、三回も言わなくても」
「ないからね」
「四回目。……二倍大事っすか」
「なんだったら、五倍でも六倍でも言おうかい?」
ため息と一緒に吐き出された先輩からの言葉に、イグニースは顔面をテーブルにくっつけたまま、ぐぬぬとうめいた。この旅人のたくましさも、大概である。
「ていうか、仮にも学院長がじきじきに殴りこみって、あるのか、普通……」
「妖精人なんて、基本は自由でイタズラ好きだからね。学院長、たまに校舎でも他の先生とも追いかけっこしてるし」
その光景を思い出してか、薄ら笑いを浮かべる学院上回生。
しかし、唐突に消えては現れるあの学院長の追いかけっこなど、想像もつかない。想像つかないならつかないなりに、きっと想像もできないような光景なのだろう――と思うことで、イグニースは考えるのをやめた。
「……魔法学院、さすがすぎる。あと、『なんて』って先輩も妖精人なんじゃ」
「いいんだよ、僕は生真面目な人間とのハーフアールヴだから」
「……そういう問題?」
テーブルに頬をくっつけたまま、その先輩は首肯した。
そして、それよりも――と前置きをつけて、顔をなんとかテーブルから引き剥がす。
「僕からも一つ質問。というか、たくさん疑問があるけど、聞いても問題なさそうなのがそこしかないっていうか。……君の師匠の、魔王軍とか神官とかいうのって、何?」
「ああ、あれ。師匠って以前、演劇のバイトしてたらしくって。たしか、ナントカクエストって」
「へえ……聞いたことない話だなあ。本屋にいけば、見つかるのかな」
「でも師匠、長命種から多分かなり古い話だろうし、それに『ゲーム』の……えっと、師匠の故郷の方での話らしいから、こっちじゃ誰も知らないと思いますよ」
だよねえ、と先輩は静かに頷く。
その後で、演劇でよかった。この二人の師匠だなんて、ほんとにありえそうで怖いし――などとつぶやいていたが、イグニースにはほとんど聞こえていない。
ともあれ、そうして本当に一休みした後、イアシスは疲れた体を休めるために自室に戻った。
イグニースも、いつまでもテーブルの上に突っ伏しているよりいいだろうと、備え付けのベッドの上に体を寝転がす。寮はそこそこであったが、家具まではあまり至らなかったのだろう。クッションが固めのベッドだったが、元々根無し草の生活をしていた身だ。さして苦にもならない。
まだ外は明るいが、疲れがじんわりとベッドに溶け出していく感覚を感じた。
だんだん体が無気力によって重くなる。
学院長とは大して長い時間話したりしていたわけでもないが、体にたまった疲労は、十分すぎるほど眠りにつくのに足るようである。
それに明日は、家具や筆記用具などを買ったりと、色々忙しくなるのだし――これは、つまるところ充電だ。別に、少し前に別れた二人の少女ともなんら約束をしていたわけでもない。今日、これからしばらくほったらかしにするのも何だと思わないでもないが、それでもさすがに一日くらいは。
誰にというわけでもなく、そんな言い訳をつぶやきながら、まどろみの中に意識を落としてゆく。
旅人が眠りについた昼下がり。瞬間移動の魔法で何気なく仕事部屋に戻ってきた学院長が、つぶやいていたことを彼は知る由も無い。
「イグニース君、個人的には今のところ不合格、と。まあでも、だからといってつれなくするのもなんじゃ、初めての弟弟子でもあるし、かるーく、もんでやるかのお」
ひそかに、他の学院生徒と比べて明らかに苦難が潜んでいる道に自分が強制的に連れ込まれようとしていることに、旅人は気づかない。気づけるはずもなかった。