BBW旧一話 旅人と少女騎士の出会い。
学術都市リリエントは石造りの大きな城壁で囲まれた街で、外から見ればさながら要塞のような趣を見せる。
だが、ひとたび門を潜ると、向こう側には人の賑わう街が広がっている。
大きな、大きな街だ。畑何十面、という程度ではない。この中に村がいくつ放り込まれてもまだまだ余りある。一体何万、下手をすれば何十万の人がこの場所に暮らしているのだろうか。
行き交う人たちを見れば、その顔には様々な個性がある。希望に顔を輝かせているもの、忙しなく走り回り余裕を失ったもの、客寄せの笑顔を浮かべるもの、この世の終わりといわんばかりに絶望するもの。それらに正負の共通点などはなく、しかし全て、青空の下で非常に生き生きと輝いていた。
「おおー……すげー活気。いい街だなあ」
門を潜って、若い旅の男が呟いた。それを聞き、近くにいた門番兵の一人が笑顔を見せる。
「だろう? いつも活力があふれてるのはこの都市一番の自慢だ。それに、この時期は特にな」
「なるほど確かに」
青い空と緩い風に、町の活気が非常に良く似合っている。物流も活発で、人は飢えず、エネルギーに満ち溢れている。
「この時期にってことは、あんたも例の奴かい?」
「ああ。遠路はるばる、ずっと向こうの山ン中の田舎からさ」
「そりゃあお疲れさん。てことは、一応案内しておくか。えーっと……ああ、そうするまでもねえやな。あそこの集団、あんたと同じくついさっき来たんだが、確か目的地同じなはずだぜ」
兵士が指をさしたその先を見ると、門の真正面にある大通りを歩む、ひとつの大きな集団があった。歳は様々で、精々七、八かそこらの幼子もいれば、二十歳そこそこに達しているであろう青年の姿もある。その数は一〇人よりも少し多いくらいだ。親しげに会話を交わす彼らは、一様に同じ方向を目指して歩いていた。
「ああ、あれか。確かにわかりやすい。あれならあいつらが迷わない限り間違えなさそうだ。ありがとな」
「おう、そんじゃ、入試がんばれよ」
「当然」
頭にかぶった、大きな魔法使い風のとんがり帽子の下で、人懐っこい笑みを浮かべて旅人が歩き出す。前の集団からは確かに、受験だのなんだのという言葉がちらほら出てくる。間違いない。彼は一人ごちて、歩き出した。
その集団の目指す先、そして旅人の視界の奥に一つ、城と見まごうばかりの大きな建物があった。
王立リリエント魔法学院――その施設の名だ。
この大陸で、魔法は非常に重要な要素として扱われる。故に世界中の国々は魔法を求める。奇跡を、能力を、力を。もっと、もっと魔法を求めて。そのために、国は魔法を学ぶ学校を作った。
……そう。
季節は春。気候は温暖で、絶好の魔法日和。今この世界は年に一度の、受験シーズンなのである。
「ィィイイイヨッシャァァアアアアア――――ッ!! みたか天国のおがーぢゃーん!!」
「ひぎぃいいいいい!? 世界なんて滅べぇぇええええええチクショォォオオオオオオオ!」
「その前に手前が滅べ! そこで寝てると邪魔だ邪魔!」
「あ、あ、待ってもう一回、もう一回チャンスを――あべしっ!」
数々の絶叫が響き渡る。
学院の入り口門前の通りは、今まさに人でごった返していた。
この周囲だけ気温が数度上昇していて、人のものとも獣のものともつかぬ奇声や絶叫がそこかしこから聞こえてくる。歓喜の悲鳴もあるにはあるがそれはごく少数で、大半は聞くに堪えない醜いものだ。
学院自体の位置は、街の最北部。そこから、城壁を半分くらい突き抜けて、代わりにこの城の敷地を覆う城壁を設置し、その西と東の両側を町の城壁と合体させている。
街の中にさらに存在する学院の城壁、もしかしてこれを設置した主な理由は、この人ごみをさばくためのものではないのだろうか、と、そんな風に思ってしまうほどの光景がそこにはあった。
「……何この熱気。ていうか、悲鳴が聞こえるっておかしいだろ……」
入試の光景を見て思わずそうもらしたのは、門の前で兵士と話していた旅人だ。
くすんだ茶色のミディアムヘアに茶色い瞳、この国では一般的な色だ。安物の長袖長ズボンの上からなめし皮の鎧、さらにその上にローブを羽織り、ズタ袋を背負ったいでたちで、大きなとんがり帽子が特徴的。
彼もまた受験生であり、門で見つけた集団についていって、初めて来たこの広大な街で、特に迷うこともなくここにたどり着いたのである。
もはや学院の入り口など見えやしない。
あまりの人の多さに、そんなもの全く映りやしないのだ。
それも当然、この国で腕のいい魔法使いはどの職場でも引く手あまた。魔法学院に入って卒業までいければ、その後の出世はほとんど約束されているといっても過言ではないのだ。それでいて、入学に必要な資格に身分の貴賎は問われない。魔法を使えなくとも資質さえあればいい。卒業できなくとも、ここである程度魔法を学んで帰れば地元の星になれる。とくれば、人は国中から集まるものである。
この場の群集も、国に何箇所か設置されている魔法学院に分散された、入学資格を求める人々の一部だった。
一体何百何千という人がいるかわからない雑踏ではあるが、不思議と最低限の秩序は保たれている。つまるところ、列待ちだ。
人ごみの中でも列の最後尾が確認できるように、学院の教員であろうローブ姿の人物が各列に一人ずつ、大きな看板を掲げている。
「まるで祭典か何かだなあ。いや、ある意味間違っちゃいないけど。年一回のイベントだし」
しかしやはりこの熱気や絶叫だけを抽出してみると、とてもではないがこれが魔法使い育成機関の入試の光景とは思えない。明らかにもっと体育会系の、乱痴気騒ぎじみた派手なお祭り騒ぎだ。
かといって、ここでしり込みもしていては、いつまでたっても入試など受けられない。人ごみの中掲げられた看板の内一枚、受験票を求める列を探しだして、そちらに向かい歩き出す。
「ちょっと失礼――う、わっ」
案外すぐに見つかった案内板を目指してきちんと歩けたのは最初数歩だけだ。最低限の秩序があったのはどうやら、列をすでに形成できている部分だけらしく、旅人は横合いから入ってきた集団に流されて、あっというまに列の最後尾を見失ってしまう。
「ちょ、ちょっ、そこ通してくれっ、あ、おい、列が、列がっ! れ、列はどこだ畜生! あ、アーッ!」
一度目的地を失えば、迷走までは早かった。
次々人がぶつかってきては、人ごみの外へ外へと、そして門から遠くに旅人の体を押しやる。一瞬尻を触られた気がしたが、きっと気のせいだ。やけにガタイのいい入学志望者は確かにいるが……。
変なことを考えたその瞬間、横からひときわ大きい衝撃が伝わった。バランスが崩れて、足がもつれる。
やばい!
頭の中で絶叫する。こんな熱狂した雑踏の中で転んだら、いったい何人もの人に踏まれる羽目になるか、わかったものではない。下手すると、死ねる。
「ヒイッ……」
「――危ないッ!」
その場にしりもちをついて、そして人々の靴が間近に見えた丁度その時だった。
凛々しい印象を受ける女性の声が聞こえて、彼の襟首が一気に後ろに引かれる。
信じられないほどの怪力だ。大人とまではいえないが、既に少年の域からも脱しつつある旅人の体が、軽々と宙を舞う。
「む……」
周囲の光景が急激に流れてゆく。投げられた勢いが思いのほか強い。
空中で姿勢が反転したせいか、頭上に見える大地に、こちらを見る一対の赤い瞳があった。
声の印象にたがわぬ凛々しい顔つきの少女だった。
黒い髪を、首元でばっさりと切った、ボブカットの頭。ゆったりとしたパンツルックの服の上から金属製の防具をつけていて、背中に大きな盾と片手剣を背負っている。さながら、少女騎士とでもいった風情だ。
景色はどんどん流れてゆく。雑踏に、命の恩人である少女騎士。飛んでいく体は人ごみの上から軽くはずれて、このままいけば踏まれる心配もないだろう。
だが、今まさにひっくりかえった姿勢で落ちゆく彼の口からは、ただ悲痛な叫びが出てくるばかりだった。
「むしろこっちのが怖いわーっ!?」
ちょっとしたノーロープバンジー状態である――
そのまま旅人は頭から地面に落っこちて、カエルのつぶれたようなうめき声をあげた。
「あっ」
引き続き、少女の声がした。あの勢いで投げられたらそれはそれで死にかねない。そのことをまるで失念していたと言わんばかりの、〝やっちゃったテヘペロ〟的な一言だ。
「……だ、大丈夫!?」
「ほ、ほしが……ほしがチカチカまたたいてるれ……」
「何かダメっぽい!? し、しっかりッ。ええと、こういう時は……」
慌てた少女騎士が旅人のもとに駆け寄るが、妙なうわごとをこぼしていて、なんともいえぬ状態である。とりあえず、頭は強打してそうだ。
語りかけてもあまりいい反応はない。あせった彼女はひとまず彼を背負って、適当な場所につれて休ませることにしたのだった。
「ほんっとーにごめんなさいっ」
旅人と騎士の二人が入ったのは、学院入り口の喧騒からそう遠くない場所にある、しかしながら落ち着いた雰囲気のカフェだった。
店長に言って借りた濡れタオルを頭に乗せ、いすに座って休む旅人に、少女騎士は彼の正面にちょこんとかわいらしく座った状態から、申し訳なさそうに頭を下げる。
きりっとした顔の似合う凛々しい騎士風の子が、しょんぼりとした顔で縮こまる。その謝る様は真摯さに満ちており、なんだか早く顔を上げさせてあげないと、旅人は自分のほうが悪い気がしてきた。
「いや、確かに怖かったけど、でも助けてくれたんだろ? そんな謝ることじゃないって。むしろ感謝してるよ」
「あ、そう? じゃ、そういうことで、感謝しなさい」
「うっわあ、いい性格だなオイ」
すでに少女の顔は無駄にえらそうな笑顔だ。
あまりにもあまりな速さの変わり身に、思わず一言漏らす。
「…………? でもそう言ったの貴方でしょう?」
「まあ、そうだけどさ。にしても、変わり身早すぎだろ」
「え?」
「……うん、なんでもない」
――ああ、この子天然だ。
首をかしげた彼女を見て、旅人は即座に確信した。そして、これ以上この話をしても疲れるだけという気もする。
「ま、まあとにかく、痛かったが助かったよ。えーっと」
「……あ、名前? アステリアよ。アステリア=エルソード」
「ん、アステリアな。ああ、それと俺はイグニースだ。名乗られたからにゃ名乗りかえさなきゃな」
「わかったわ、イグニース。よろしく」
「ああ、よろしく。で、不躾かもしれないけど、アステリアも受験に来たのか?」
「ええ、そうだけど……」
話題の変え方が強引だったか、と内心で思いつつも、頬杖をついて少女――改め、アステリアの格好を見る。
胸や肩を守る鎧に、腰当と、ガントレットや脛あて。とてもではないが、魔法を使うという風には見えない。
「……女の子の体をなめるように見るのは、マナー違反じゃない?」
「うぇっ!? わ、悪い! で、でもこれはそうじゃなくてだな、あんまりそうは見えないなーって思っただけで!」
ガクンとひじを崩してあわてるイグニースを尻目に、彼女は腕で胸元や腰をガードした。
確かに、下手に鎧できっちり守っている所為で、注視すると微妙に体の各所のラインが締め具によって見えてきてしまう。意識してしまうとなおさら。
体の細さの割りに、おっぱい大きいですね。
とは、とてもではないが言えない彼だった。
「そうは見えない?」
「あ、あんまり魔法使いっぽくはないって話。鎧に盾って、むしろ騎士っぽい子だなーって思ってたっていうか」
「ああ、そういうことね。そりゃあ、基本的に私は騎士であるつもりだもの。それに得意な魔法、強化魔法だから。学院に入ったら、魔法戦士系の過程に進むつもりよ」
なるほど、道理で馬鹿力なわけだ――心の中で頷く。
身体能力や、道具の性能を強化する魔法。前に出て武器を振るう戦士などと相性のいい分野だ。おそらく、さっき群集の中から引っ張り出されたときも、それを使っていたからあんなに派手に吹っ飛んだのだろう。
「あれ、てことはアステリア、もう魔法使えるの?」
「ええ、別に、もう魔法使いだからって入学資格がないわけじゃないでしょう。むしろ、入学者の三分の一くらいは既にある程度魔法を使えるっていうし」
「そりゃまあ、そうだけど。てことは、アステリアもその三分の一になるのかな。強化魔法をきちんと使えるほどなら入学資格としては充分だろうし」
「そういうこと。そういう貴方も、結構見た目それっぽいけど? 特にその帽子にマント」
そこでいったんアステリアの言葉が途切れ、懐かしいものでもみるような笑顔が浮かぶ。
「絵本に出てくる魔法使いみたい。あとは、白いひげがもじゃーって生えたら……」
完璧。そう言う彼女の頭の中では、きっと既に白髪にフサフサひげを生やしたイグニースの姿が再生されているのだろう。そして、想像がツボにでもはいったか、笑いの質が次第に忍び笑いに変化した。
「お、おい、そんな笑うなよ、え、おかしいとこでもあったのかっ? 何か不安になってくるんだけどっ!?」
「ご、ごめん、でも、その、今想像したのが……っ結構、クル、ものがっ」
突然始まった笑いに、イグニースの顔が不安げに曇る。
彼女の返答も要領を得ない所為で、彼にはさっぱり意味がわからない。やはりこの子、天然である。
それからしばらくの時間を経て、水を一気飲みして無理やり落ち着いたアステリアが、話を再開した。
「そう。それで、その見た目からして、やっぱり貴方も既に魔法使いだったりするのかしら?」
「威厳ありげにいってももう遅いからな?」
いすに浅く座って足を組み、キリっとした表情を浮かべた少女騎士の姿はまあまあえらそうで風格が漂っていなくもなかったが、残念かな、既に彼女にそういうものを感じられる段階など、とっくに過ぎている。
「…………っ」
「いや、睨むなよ。それより、魔法の話だったろ?」
「……そうね」
「もちろん使えるぜ。ここにも、師匠に修行の一環として来るように言われたからでさ」
「あら、師匠までいるのね。地元の魔法使いからちょっと習ったとかじゃなくて」
珍しいこともあるものだ、とアステリアは目をしばたかせた。
師弟としての関係を結んだちゃんとした魔法使いがいるなら、大抵は学院になどわざわざ行かずに、師から魔法を学んだ後に、直接仕官するなり師の後をついで研究するなりするものだ。
治安だって、この国はそう悪くもないが、決して易々と町の外をぶらつけるほどでもない。わざわざ大事な弟子を、どんな危険が待ち構えているかわからない外の世界に放り出そうという師など、ましてや自分と同じ分野の教育機関にわざわざ預けようとするなど、そうあるものではない。
とくれば、アステリアの考えることは単純。
もしかして、師に見込みなしとでもされたのだろうか――それで、マントに皮の鎧などという旅人ルックで外に。
イグニースの見ている前で、彼女の表情が見る見る曇ってゆく。同情とか哀れみとか、そんなものすら感じる視線を向けられて、彼は妙な居心地の悪さを感じた。
「……なんか、ムカつくこと考えてる気がする」
「いえ、私はイグニースの味方よ? 大丈夫、役に立たないからって放り投げるのは、騎士道に反するわ」
「絶対なんか変なこと考えてるだろ! 目が憐憫含んでるんだけど!? ていうか、役に立たないって何が!」
「大丈夫、これから先はまだわからないけど、少なくとも今は私がついていってあげるわ! 一緒に入試、がんばりましょう!」
「話を聞けよ!?」
「そうと決まれば、二人に入試に突撃ね!」
ひじを突いていないほうの手が彼女にがっちりとつかまれる。目が妙に輝いていて、簡単に離れそうにはない。どうやら、彼女の中でイグニースはすっかり、師匠に見捨てられた落ちこぼれ魔法使いということにされたようである。
その日妙な誤解によって、学術都市リリエントに奇妙な即席コンビが(かなり一方的に)作られた――それが、この後に起こる様々な騒乱にかかわる彼らの物語の始まりであったと知るものは、まだいない。