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十月になってはいたが、この日はまだ夏を忘れさせない程に暑かった。私は必要な教科書を買うため、同じ学科の友人と大学校内にある書籍店まで行ったが、その帰りにベンチで一人座っているモクを発見した。モクは木陰になっている所で、文庫本を読んでいた。足元にはリュックが置いてある。モクはその日もいつもと同じ服装だった。例のジーンズとTシャツといったファッションである(たまたま私が見かける日にそのような服を着ているのか、三着くらいのその組み合わせを代わる代わる着ているのかは分からない)。私は友人達に用事があると嘘をついて、その場で別れた。彼らの姿が見えなくなると私はモクの所に向かった。
私が彼の目の前に来た所でモクは顔を上げた。彼は表情を変えずに読んでいる本を閉じ、ベンチの左側に少し腰をずらした(ここに座れという意味らしい)。私はその様子を見て、顔が少しにやけてしまった(食堂で初めて会った時と、逆だと思ったからだ)。モクも私の顔を見ると、そのことに気付いたのか同じく表情を崩した(ほんの少しだけであったが)。
ベンチに座った後は、お互いのことを少し話し合った。名前や学科、出身地など、普通は初めて会った時に話すであろう事柄を聞きあった(モクと会ったのは、この時すでに三回目であったが)。彼は文学部で出身は九州の方だと言った。九州からこの大学まではかなり離れているので、私は“どうしてここに来たのか”と彼に尋ねた。その答えは“気付いたらここにいた”だった。私はその解答を聞き、ますます彼に興味を持ち、そしていろいろと質問した(彼の〈人はどうして誕生したと思う〉という異質な質問に答えたのだから、今度は私が彼に色々聞く権利があるように思えた)。
たくさん聞いたように思うが、一番印象に残っているのは、その日聞いた最後の質問の際、彼に言われた言葉である(私の人生を大きく変えた事の一つだ。最もモクと出会ったこと自体が私の人生を変えた一番の出来事なのだが)。私は何の深い意味も持たずに“夏休みは何をしていた?”とモクに聞いた。彼は“本を読んでいた”と言う。私が“ずっと?”とまたしても尋ねると彼は“そうだ”と答える。私が“さすが文学部だな”と言うと“君は読まないのか”と逆に彼の方が聞いてきた。私は、本には興味がないということを彼に伝えると《君は本を読んだ方がいい人間だ》とモクはまたしても突飛なことを言い出した。私がその理由を問うと彼は“そのまんまの意味だ”と口をぼそりと動かして、本をリュックにしまう。そして立ち上がると、どこかへ歩き出してしまった。私は彼を追うようなことはせず、訳がわからないまましばらく彼の言葉を反芻した。