本編 1
本編を進める前に一つ言っておきたいことがある。大学生の頃の私は、いささか奇妙な感覚に襲われていた。それは既視感である。読者には既視感という言葉よりも、デジャヴと言ったほうが通じるであろうか。初めてする体験が、今までにどこかで経験したように感じることである。おそらく多くの人がこの感覚を一度ならずは経験していることだと思う。それだけなら問題ないが、当時の私はこの感覚に陥った時、意識が遠くなり、思考が完全に停止してしまう状態に陥《おちい》っていた。ひどい時は、立っているのが困難になったほどだ。目眩とはまた違った種類だと思う。私はそれまで貧血を起こしたことはなく、意識が遠のく前は必ずと言っていいほど、既視感に襲われたから。
例を一つ挙げると、大学の講義室のある席(もちろん初めて入った時である)に座ろうとしたところ、目の前に広がる黒板や席、時計といったものの配置がどうにも見覚えがあるように思え、頭の中が混乱した。この時意識を失いかけたが、机に肘をついた所で、思考が戻り、倒れることはなかった。また肘をついた際、大きな音を立ててしまったように思えたが、幸い周りはざわついていたために誰も私の異常には気付かなかった。
他にも私が体験した既視感はいくつもあるが、それが起こるのは数カ月に一度あるかないかといった程度で、日常生活に特に影響は及ぼさなかった。従って、病院に行ったりということはせず、あまり気にしないようにしていた。この不思議な感覚は大学生の間しばらく続いた。今ではすっかり無くなったが、あの時は不思議でならなかった。
ここで本編に戻るとする。彼、つまりモクと初めて出会ったのは大学生活に慣れ始めた六月頃、前日までの雨が嘘のような、ある晴れた日のことであった。