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「僕は花の中で、いや樹と言った方がいいのかな、その中で一番金木犀が好きなんだ。子どもの頃、家の近くに、よく遊ぶ秘密基地みたいな所があって、そこに大きな、とても大きな金木犀の木があった。その木の下が友達との集合場所だったんだ。『あの木の下に集合な』っていうように。どろけいで捕まった人の檻になるのがそこだったし、だるまさんが転んだを言う人はその木におでこを付けなければいけなかった。とにかくその木は遊びの中心でもあったんだ。しかも秋になるとすごく強烈なにおいがする。あの何とも言えない独特の香りが嫌いな子もいたけど、僕は好きだった。今でもあの香りを嗅ぐと子どもの頃の記憶が蘇る。既視感じゃなくてちゃんとした記憶だよ。全部含めて僕にとって金木犀は特別な木なんだ」
彼は海を見つめたまま言う。私はただ黙って彼の話しを聞いていた。気の効いた言葉が思い浮かばなかった。彼は続けて話し出す。
「大学にも一本だけ金木犀の木があるんだ。図書館の裏の方にあるから誰も知らないと思うけど。正面玄関すぐ隣の木が生い茂っている所を建物に沿って進んでいくと、木々の隙間を縫うように細い道が一本現れる。そこを道なりに進むと、なかなか立派な金木犀があるんだ。僕の思い出のそれと同じくらい、もしかすると少し大きいくらいかもしれない。今度ぜひ見に行ってごらん」
私は短く返事をする。――いっしょに見に行こう――そう言おうとしたが、止めた。彼がそれを望んでいないように何となく感じたから。
そうして私達は大学の方面へ戻ることにした。途中、彼は“付き合わせて悪かった”と言い、また“変な事を言ってしまった、暑さで頭がおかしくなったのかもしれない”とも付け加えた。私は“そんなことはない、いい話が聞けて良かった”とありのままの気持ちを彼に伝えた。
分かれ道に来た所で、金木犀を匂いでしか見分けることができない私は“秋になったらその木を見に行く”とモクに言った。彼は“ぜひ見てほしい”と答える。モクは今までに見せたことのない、満面の笑みだった。