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八月の上旬頃、私は二週間程国内を一人旅した(何となくそんな気分になったためである)。資金は約一年分のバイト代が丸々あったので問題ない(日常生活は仕送りだけで十分だった)。特にどこへ行こうとした訳でもなく、行ったことがない所を転々とした(その時の私はほとんどの県を訪れたことがなかったため、どこへ行っても未知の場所であった)。
日常にとっくに飽きてしまった私には、初めて見る景色は何かとても新鮮なものに感じた。しかも周囲には私を知っている人はいない。文字通りの孤独を味わえた(いつも感じていた精神的な孤独とはまた少し違う種類のものを)。
目的もなく本当にぶらぶらしていただけであったが、ある海岸線を歩いていた時、例の既視感に襲われた。時刻は間もなく日が暮れようとしていた時である。
夕日が名残惜しそうに沈んでいる時、私はどこまで続くのかわからない直線の道路を歩きながらそろそろ宿を探そうと思っていた。右側には赤く染まった海が、左側には松の木だろうか防風林がそびえたっている。近くに海水浴場がないためか、車はあまり走っていない。私は道路の端を大きなリュックを背負って、ずっとひたすらに歩いていた。そんな時、突如私の記憶は混乱しだした。このような道を歩いたことはないはずだが(少なくとも私はそう思っていた)、どうしてだか始めて見る感じがしない(大学は海に面していたが、このような景色とはまったく趣が違っていた。また私には子どもの頃に海に行った思い出がない。ついでに言うと私の故郷は内陸にあるからこのような風景とは無縁であるはずであった)。だが、ふと今見ている景色の中を、どこか昔、本当に大昔に歩いたことがあるようなそんな気分に襲われた(《ような》では不十分かもしれない。私は確かにここを《歩いた》)。私の頭は必至にその記憶を探した。過去二十年間、いやそれ以前の記憶も引っぱり出しているかもしれない。私は立っているのが困難になった。身体にうまく指令が回らない。それは記憶の検索に全神経が使われているような感じである。私はすぐ隣にあったテトラポットになんとか座り、落ち着くのを待った。
夕日がまもなく完全に姿を消し去ろうとしていたが、私の混乱はまだ続いていた(こんなに長く意識が定まらないのは初めてだった)。しばらくしてようやく私という存在が核を成した(記憶の検索は終わったみたいだったが、一致する記録は少なくとも私が生きてきた世界にはなかった)。
その後は宿がありそうな所へまっすぐ向かった(既視感に襲われた後、どっと疲れが出たからだ)。その日は、なかなか良い宿に泊まった(落ち着いた和風の部屋で、少し高い場所にあったので海が見渡せた)。そして夜は珍しく夢を見た。夢の中の私は小説を書いている。まずまず立派な書斎の中で、ノートパソコンと睨めっこをしている。第三者として夢の中にいて自分の表情も見ることができたから、次から次へといろいろな表情に変化する私の顔は、本当に睨めっこという表現がぴったりであった。パソコンの画面の方を見ると、そこにはなにやら小説が描かれていた(どんな物語かは忘れてしまったが、その時はまさか自分が小説家になるとは思ってもいなかった)。
旅についての思い出はそんな所である。そして夏休みも終わり、またいつもの(退屈な)大学生活に戻ってしまった。私の奇妙な既視感や読んだ本の見解をモクに聞きたいと思ったが、自発的に彼を探し出そうとは思わなかった(携帯の番号は交換していないし、アパートも大体の場所しかわからない。文学部のある棟に行けば、会えるかもしれなかったが、他学部の棟に入るのは勇気がいる。経験したことのある人はあのアウェー感がわかるであろう)。
次に彼とまた偶然出会うのは、冬休みが明けた一月の終わり頃である。