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序幕 其の二

草木も眠る丑三つ時、恐ろしいほど音のない深夜である。

お花はそろり、と寝床から抜け出した。


狭い長屋の一部屋で父と母が大きないびきをかいて寝ている。

二人ともお花が土間に降りた事に気付く気配すらない。


お花は頭をそうっとさすった。

夕刻にこしらえた大きなたんこぶは、まだひりひりと痛んでいた。


お花は今年で十三歳となる。

そろそろ女らしくなってもよい年頃である。

しかし、お花の女らしいところといえば、その名前とそこそこ可愛らしい顔立ちのみである。


近所の子供たちからは餓鬼大将と慕われ、いつも泥だらけの丈の短い絣を着て鬼ごっこをしている様は年頃に差し掛かる娘とはとても言いがたい。

このたんこぶにもおよそ年頃の娘らしくない理由があった。


それは昼過ぎの事であった。


お花はいつものように近所の子供達を引き連れて表通りで駆け回って遊んでいた。

その遊びの最中、通りがかった下駄屋の娘のお(とき)と大喧嘩をしたのだ。


お花の父は下駄職人であった。

その下駄はお穐の店にも扱ってもらっている。


つまりは大事な、大事な商売相手の娘である。


だからといって子供にそんな理屈は通用しない。

小さい頃からお花とお穐は寄ると触ると喧嘩を始める、いわゆる犬猿の仲なのである。


この日の喧嘩の原因は、お花達が駆け回って、道を歩いていたお穐とぶつかり、お穐が転んで足をくじいてしまった事が発端だった。


お穐という娘はお花とは正反対に、お洒落で大人びたものを好むませた娘である。


大げさに痛がるお穐にお花はふふん、と鼻で笑って言った。

「そんなぽっくり履いてちょぼちょぼ歩くから簡単にこけちまうんだよ。身の丈にあったもん履けばこんな怪我しねえよ。まるで生まれたばかりの馬の子かってんだ。」


お穐も負けてはいない。くじいた足をさするさえも忘れてお花に噛み付いた。


「何ですって。あんたこそ小さな子ばっかり従えて偉そうに。お山のお猿の大将にでもなったつもりかしら?とってもよく似合ってよ」


ふん、とこちらもあざけると、お花は顔を真っ赤にした。


「なんだとう。馬鹿お穐」


「なによ。阿呆お花」


二人の間に火花が散って、次の瞬間お花はお穐に殴りかかった。


「きゃあ、いったあい!誰か、助けてぇ」

お花に殴られたお穐は、さも自分が被害者のように通りかかる人に助けを求めた。


「へん!お前みたいな性悪、だあれも助けちゃくれないさっ」

お花はお穐に馬乗りになって更に殴りかかろうとした。


そのとき、お花の上に黒い影がぬっと現われた。


「なんだあ?」


上を向くとそこには、娘を心配しておろおろとしている下駄屋の主人と、青筋を立てて閻魔と見まごうような顔をした父親の姿があった。


直後、職人の手をした父親の大きなげんこつがお花の上に落っこちてきて、それが件のたんこぶとなったのである。



土間には初夏の湿った空気がこもっている。

お花はなるべく音をたてないように戸を開けて外に出た。

ぴゅうっと少し強い風がお花の頬を撫でる。


お花がこの時間に起きて外に出ている理由。

それはこの家をでようとしているのだ。


そう。家出である。



げんこつの後の説教は家に帰っても長く長く続いた。

お穐のように女らしくあれという文句は特に長く続き、お花の心を余計にむかむかとさせた。


説教した両親を思い浮かべながら家を睨み、お花は小さく悪態をついた。

「なんだい。女らしくなきゃいけないのかい。性悪でもお穐のほうがいいってのかい、くそっ」


真夜中なので当然、入り口の木戸は閉まっている。


お花は長屋の裏手に向かった。

裏手の塀が壊れてちょうど子供が通れるくらいの穴があいているのだ。


裏手の塀に着くと、お花はねじ込むように体をよじり、穴を抜ける。


穴を抜けたその場所は木材置き場となっていて、いつも大量の木材が積まれている。

父や、職人仲間が使う木材である。


その木材の横を通り過ぎようと歩き出したとき、目の端に赤い光が飛び込んできた。

次の瞬間、木がはぜるパチンッという音が聞こえた。


「なんだろ?」

お花は音の方向を向いた。

刹那、すうっと青ざめる。


「た、大変だ」


赤い炎がゆらゆらと踊り、側の木材を今にも飲み込もうとしている。

風にあおられ、その触手を方々に伸ばし始めていた。


お花は慌てて穴を抜けなおして長屋に戻った。


「か、火事だ!火事だあっ!!」



空をかける心地で走り回り、長屋の戸を端から端までドンドンと叩いてまわり、喉が張り裂けんばかりの声で火事を告げた。


「おう、花坊!火事ってどこだ!?」


程なく長屋中の者が顔を出した。


「う、裏手の材木置き場だ!早く、早く!!」


大人たちは木戸を開け、総出で天水桶の水をかける。


お花が見つけたときには炎はまだ膝丈ほどであったのだが、風にあおられて子供の背丈くらいに炎を上げていた。

それでも全員が一所懸命水をかけ続け火はやっとの思いで消えた。


「ああ、よかったあ・・・」

お花はだらしなくその場にへたり込み、安堵のため息をついた。


「お花ちゃん、ありがとうね。おかげで大変な事にならなくってすんだわね」


長屋の住民は口々にお花を褒めた。


「へへ」

お花は誇らしげに鼻を掻いた。


そのときである。


濃紺の刺し子半纏を纏った若い男達がずかずかと大股にお花たちの元へ寄ってきた。


「火事ってなあ、どこだ」

真ん中の一等いい男が目をぎらつかせながら尋ねた。


「ああ、昇吾さん。来てくだすったんだね。けれどもう火事は消しとめたよ。このお花が教えてくれてなあ。本当にこの子がいなかったら大火事になっていたところだったよ」

そういいながら長屋の大家はお花の頭を撫でた。


昇吾と呼ばれた男は腕組みをしてお花を見下ろした。

いきなりお花の襟首をむんずと掴んで、お花を持ち上げた。


「な、何するんだい」


「決まってんだろ。お前を番所に連れて行くんだよ」

鋭い目つきで昇吾がにらみ、お花は体を強張らせた。


「な、何だってあたしが・・・」


「餓鬼がこんな時間になんで起きてるんだって話だよ。どうせ、火遊びでもしてたんだろ。後は旦那衆にはなすんだな」


お花は息を呑んだ。

「あ、あたしがそんなことするわけないだろっ!はなせ、はなせっ」


しかし、もがくお花を猫でも掴むかのように軽く持ち上げて昇吾は長屋を後にした。


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