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      半纏の中の鯉 其の三


お花は蔵だっ!


一真の声は昇吾に届いていた。


庭には大量の煙が流れ込み、視界を遮る。

足元も瓦礫がところどころ散乱しており、進むこともままならない。


しかし、昇吾は離れたところに壁の焦げた建物を見つけた。

窓のない、分厚い壁の建物である。


「蔵、ここか!」

昇吾はかかっていた大きな閂をはずして重い戸をあけた。


煙の匂いが鼻をかすめた。

昇吾はその暗闇に目を凝らした。


小さな着物の裾が見え、かすかに動いた気がした。


「お花っ。お穐お嬢さんっ」

昇吾は慌てて飛び込んだ。


二人はぐったりとしている。

すぐ側まで火が迫っており、二人は熱気と煙で気を失っているようだった。


「しっかりしろ、助けに来たぞ!」

昇吾は二人の頬を軽く叩いた。


「う・・・ん」

お花はうっすらと目を開けた。


「う、うわっ!昇吾」

お花は昇吾が目に入ると慌てて飛び起きた。


昇吾はお花の元気な様子を見てほっとする。

「なんでえ、元気じゃねえか。心配させやがって。でも、もう大丈夫だ。旦那衆がやっつけてくれて賊はもういない。さっさとずらかろうぜ」


昇吾はお花の頭をポンポンと叩いた。


遅れて、お穐も目を覚ました。


「あっ、昇吾さん!助けに来てくれたのね」

そういうなり、昇吾の首にしがみついて泣き出した。


昇吾は昇吾で振り払うことなく背中をさすって、お穐をなだめる。


「お穐お嬢さんもよく頑張りましたね。さ、家へ帰りましょう」

お花はその様子に少しだけ胸がチクリ、と痛んだ。


「お花、歩けるか」


「うん」


「俺はお穐お嬢さんをおぶるからお前はしっかりついてこいよ」


「・・・うん」

お花は少しうつむいた。


婚約者である昇吾が恐怖で泣きじゃくるお穐をおんぶすることは至極当たり前だ。

けれどお花だって、この火事が怖くないわけではない。


なおも不安でいると昇吾は刺し子半纏を脱いだ。


「これを被っとけ。水の神様がお前を守ってくれる」

昇吾はお花に半纏をかけた。


美しい錦鯉の模様がお花の目の前にふりかかってくる。

何故だかお花の胸に安堵感が広がっていった。


昇吾はお穐を背負うとお花の手をしっかりと掴んだ。


「行けそうか?」


「うん」

お花はうなずいた。


「いいか、離れるんじゃねえぞ」

昇吾はお花の手を強く握った。


「うん」

お花も強く握り返しながら大きくうなずくと、まっすぐと前を見た。


やたらと明るい蔵の外では、時折真っ赤な火の粉が舞い上がっている。


火はあきらかに大きくなっており、お花たちのいる蔵に近づいていた。


「行くぞ!」


昇吾が叫ぶと同時にお花も駆け出した。



煙の合間に赤い炎がいくつも見える。

お花の頬を熱い風と乾いた空気が頬を掠めた。


負けるもんか。

お花は歯を食いしばって足に力をこめた。


逃げる三人の前に、突然瓦礫が倒れてきて道をふさいだ。

昇吾が、間一髪でお花の腕を引っ張りお花は瓦礫に押しつぶされずにすんだ。


「くそ、他に通れそうなところは」


今度は昇吾の手をお花がひく。


「こっちだ。まだ火が回っていない」


お花は目ざとく見つけた経路へ昇吾を引っ張っていく。


この道はお花が逃げようとして失敗した道だ。

出口へは、そう遠くない。


振り返れば逃げてきた道は炎で真っ赤であった。

しかし、お花はその火事の炎と煙の隙間から夕日を見たのだ。

それは一瞬の事だったが、美しく、そして明るかった。


焼け残っていた建物は崩れ落ち、ガラガラと激しい音を江戸の町にこだまさせた。

遠くから、同心二人の声が聞こえた。


出口が近づいてきて、お花は意外にもほんの少し、寂しく思った。


こんなに昇吾を近くに感じるのはこれが最後かもしれない。

お花はそう感じたのだ。


大股で瓦礫を飛び越え、煤や泥は相変わらず体のあちこちについてるし、そうでなくても生来のお転婆者で連れて歩いて恥ずかしい女には間違いない。



しかも、ここを出てしまえば昇吾は人気高い火消し、お花はただの長屋の餓鬼大将だ。

もう何の接点もない。


この思いは今しか伝える事ができないのだ。


お花は勇気を振り絞って言った。


「昇吾、助かったら少しは女らしくするよ。そしたらさ、一度でいいからさ、あたしと一緒に・・・」


突然、側の瓦礫の山が大きな音をたてて崩れた。


昇吾は何も答えない。

おそらく聞こえていないのだろう。


お花は首を振り、再び力をこめて出口を目指した。



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