第四幕 半纏の中の鯉 其の一
廻船問屋の辺りは静まり返っている。
火事の前は随分大きな構えをしていた店だった。
しかし、店を閉じてからは行きかう客もすっかり途絶えてしまい、その周りは閑散としていた。
おまけにならず者や賊が出入りしているという噂がたってからは、昼間ですらその辺りの道を避けるものが多くなり、余計に人通りが少なくなっていた。
昇吾は店の周りを歩きながら探った。
張り巡らされた板塀は、火事の後に急ごしらえで作られたらしく、まだ新しい木の匂いがした。
泥棒よけのつもりで作ったのだろうが、それが逆に外と内側を遮断してしまって、賊たちには実に住みごごちのよい空間を作り上げてしまったのだ。
むろん捕り物掛りもほったらかしているわけではない。
町方も火盗改めもしょっちゅう出入りをしているのだが、それを察すると蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまう。
やがて捕り物が終わった頃を見計らって舞い戻ってくる。
そうして、ここに現在も居座っているのである。
ふと昇吾は足を止めた。
板塀と板塀の隙間に人が出入りできそうな隙間を見つけたのだ。
賊の棲家と知らないとしたら、お花たちは遊びの途中に、このような隙間から入っていったのかもしれない。
昇吾はつばをごくりと飲み込んだ。
この壁の向こうは別世界だ。
喧嘩には自信がある。
けれど、多くの賊やならず者を相手に、得物もなく戦うことができるだろうか。
「くそっ。なるようになれ、だ」
そういうと、昇吾は気合を入れなおして、隙間に手をかけ体をねじ込んだ。
廻船問屋の庭からは、焼け落ちた家屋や壊れかけた蔵や納屋があちらこちらにそのまま残っていた。
足元にも瓦の破片や燃え落ちた木材が転がっている。
昇吾は慎重に足を進めた。
と、そのとき、賊とおぼしき男達が三人ばかり省吾の目の前に現れた。
「あんだあ?てめえ」
そういうと、男達は懐から匕首を取り出した。
さすがの昇吾も一瞬ひるんだが気を持ち直していった。
「子供を捜してるんだ。この中にはいっていったかもしれねえんだ。探させてくれねえか」
男達は顔を見合わせ、続いてげらげらと笑った。
「ああ、あの餓鬼どもはお前の連れか。悪いがあれは大事な金づるだから返す事はできねえな。それにしても、お前一人で大層勇気があるというか、馬鹿というか」
そういうと、男の一人はぺろりと匕首を舐めた。
昇吾は構えた。
丸腰ではあるが、喧嘩は得意な方だ。
「やっちまえ!」
その言葉を合図に男達は一斉に昇吾に襲い掛かった。
刹那、昇吾は後から襟首を捕まれて後へ引っ張られた。
「お前は下がってろ」
その言葉と同時に、刀を抜く音がした。
「だ、だんなぁ!」
昇吾の前には一真と安次郎が立っていた。
「ふん、いつもの見回りのときには、人っ子一人いないくせに、ちょっと歩いただけで賊と対面するとはな。これは大層な数が隠れていそうだ」
一真がつぶやいた。
「賊狩りにもなるし、一石二鳥だな、こりゃ。さあ、どいつからかかってくるか?俺達は、強いぜ」
安次郎が挑発するように刀を軽く振った。
腰に挿している十手が目に留まったようで、賊たちは一瞬たじろいだが、怒号とともに二人に降りかかって行った。
「だんなっ。あぶねえ!」
昇吾は叫んだ。
その昇吾の肩を軽くぽんと叩いて兵庫が言った。
「あいつらはこんな雑魚にはやられないさ。それよりお花ちゃんたちを探さないと。この広い焼け野原のどこかに隠されているはずだ」
そういって辺りを見渡した。
昇吾も立ち上がってそれに倣う。
その時、一瞬だが煙の匂いをかいだ気がした。
「何してんだよ、片付いたぜ。兵庫、縄貸せ」
安次郎が、伸びきった賊を足でゴロンと仰向けにひっくり返しながら兵庫を呼んだ。
兵庫は慌てて縄を持っていき、賊を縛りあげる。
その後、四人は警戒しながら母屋の方面へ向かった。
見たところ、母屋は半焼ですんでおり、おまけに見通しもあまり良くはない。
そういうところには賊は多く潜んでいる可能性が高い。
「気をひきしめろ。剣斬丸がいるかもしれない」
小声で一真が注意する。
そのとき、昇吾はまたしても煙の匂いを嗅ぎ取った。
「だんな、さっきから煙の匂いを感じるんだ。ひょっとしたらどこか燃えているのかも知れねえ」
昇吾は一真に言った。
「焼け残った物から匂うんじゃないのか」
「そんなんじゃねえ。まだ、新しい煙の匂いだ。どこかが燃えてるって気がしてならねえんだよ」
そういうと昇吾はそわそわと辺りを見渡した。
同時に、一真が足を止めた。
四、五間先にのっそりと大きな隻腕の男がたっている。
「剣斬丸・・・」
一真が苦々しげに呟くと、ゲッゲッと低い笑い声が庭に響いた。
「餓鬼同心ども。ひさしぶりだなあ、会いたかったぞ。この腕のお礼、倍にして返してやるよ」