キドク
恋愛青春物語です。
なかなか書かないので、少し変なところがあったらお願いします。
感想お待ちしてまーす!
最後の既読
一
スマートフォンの画面を、もう三十分も見つめていた。
メッセージは送信済みになっている。でも既読はつかない。
倉田柊、十九歳。大学一年の秋。好きだと言えないまま、二年が過ぎていた。
画面の端に、金木犀のスタンプが貼られたトーク画面。去年の秋、美咲が送ってきたものだ。「この匂い、柊に嗅がせたくて」という一文と一緒に。柊はそのとき、「俺も好き」とだけ返した。本当は、もっと別のことを言いたかった。
でも、言えなかった。
それがいつもの柊だった。
二
高嶋美咲と最初に話したのは、高校二年の文化祭だった。
体育館の裏、自販機の隣のベンチ。人波を避けるようにひとりでイヤホンをしている女子がいた。制服の袖が少し長くて、両手でカップのジュースを持っていた。柊が近くのゴミ箱に空き缶を捨てようとして、うっかり彼女の肩にぶつかった。
「ごめん」
「あ、大丈夫です」
それだけで終わるはずだった。でも柊は、彼女のイヤホンから漏れる音楽に気がついた。かすかに聞こえる、アコースティックギターの音。
「それ、誰の曲?」
彼女は少し驚いたような顔をして、それからイヤホンを片方外した。
「……知ってるんですか、この曲」
「知ってるも何も、俺の一番好きなバンドだけど」
美咲は目を丸くして、それから笑った。初めて見た笑顔は、ひどく不意打ちだった。
「同じクラスだよね。倉田くん」
「え、知ってたの」
「席、斜め前だもん」
柊はそのとき初めて、クラスに「高嶋さん」という女子がいたことを思い出した。いつも静かで、目立たない。でもその日から、彼女の存在が急に輪郭を持ち始めた。
その夜からLINEが始まった。最初は「今日の数学の宿題、範囲どこだっけ」という事務的なメッセージだった。でもそれが、いつの間にか毎晩続くようになった。
好きなバンドの話。苦手な先生の話。将来のこと。夢のこと。怖いことも、恥ずかしいことも、なぜか美咲には話せた。
美咲のメッセージはいつも短かった。でも的確で、温かかった。「笑」のひと言でさえ、柊には特別に見えた。
好きだな、と思い始めたのはいつだろう。気がついたときにはもう、取り返しがつかなかった。
三
告白のチャンスは、何度かあった。
高三の冬、受験勉強の合間に駅前のファミレスで一緒に勉強したとき。美咲が参考書から顔を上げて、「柊、合格したら一緒にお祝いしようね」と言った。柊は「うん」と答えながら、心臓が痛くなるほど跳ねた。
卒業式の日、校門の前で桜の花びらが舞う中、美咲が「三月って残酷だよね」とつぶやいた。柊は「どうして」と聞いた。「好きなものが全部、終わる季節だから」と彼女は言った。柊はそのとき、俺はまだ終わらせたくないと思った。でも口から出たのは「春はまたくるよ」という、どこかで聞いたような言葉だった。
美咲は「そうだね」と笑って、それ以上は何も言わなかった。
この笑顔を守りたい。このままでいい。壊したくない。
いつもそう思って、柊は言葉を飲み込んだ。
美咲は春から東京の大学に進んだ。柊は地元の大学に残った。
距離が開いても、メッセージは続いた。ただ、少しずつ間隔が空くようになった。一時間が、半日になった。半日が、三日になった。
柊は気づかないふりをした。
四
転機は、九月の終わりだった。
美咲のインスタグラムに、男と笑っている写真が載った。渋谷の交差点を背景に、ふたりは肩を寄せていた。キャプションには何も書いていなかった。
柊はその写真を、五分間見つめた。
男の顔は知らない。爽やかで、背が高くて、美咲の隣で自然に笑っていた。美咲の笑顔は、柊が文化祭の日に見たものと、同じだった。
ああ。そういうことか。
ため息をついて、アプリを閉じた。閉じてから、また開いた。何度もそれを繰り返した。
その夜、眠れなかった。天井を見ながら、ずっと考えた。このまま何も言わなければ、また同じだ。また「このままでいい」と言い訳して、後悔する。
高校の文化祭。卒業式。ファミレスでの夜。
あのとき、俺はずっと言えなかった。
でも今言わなければ、もう言えない気がした。
柊は画面を開いて、文字を打った。消して、また打った。それを何度か繰り返して、最終的に残ったのはシンプルな三行だった。
ずっと好きだった。今も好きだよ。遅いのはわかってる。
送信ボタンを押した瞬間、手が震えた。
五
既読がついたのは、翌朝だった。
でも返信は来なかった。
昼になっても。夜になっても。
柊はまた、画面を見つめた。三十分ではなく、今度は何時間も。授業中も、食事中も、スマートフォンが手放せなかった。
既読無視か。そりゃそうだよな。
苦笑いしようとしたけれど、できなかった。
友人の渡辺に「どうした、顔色悪いぞ」と言われた。「なんでもない」と答えた。渡辺は「嘘つけ」と言って、からあげを一個くれた。柊はそれを食べながら、泣きそうになるのをこらえた。
二日が過ぎた。
三日目の朝、柊は諦めることにした。
返信が来なくても、仕方ない。俺が遅すぎたんだ。
そう決めた瞬間、スマートフォンが震えた。
六
美咲からのメッセージは、長かった。
ごめん、ずっと返せなくて。実は入院してた。盲腸で、手術したんだけど、全然たいしたことないから心配しないで。
柊は画面を握りしめた。読み続けた。
柊のメッセージ、手術の前の夜に読んだよ。病室でひとりで読んで、なんか、泣けてきちゃって。ありがとう。
そこで一度、メッセージが途切れた。
数秒後、続きが来た。
あのね、正直に言っていい?
柊の心臓が止まりそうになった。
私もずっと、言えなかった。高校のとき、ずっと好きだったよ。文化祭の日から。
柊は息ができなくなった。
でも柊、全然そういう素振りがなくて。私のこと、友達としか思ってないんだと思ってた。だから東京来るとき、ちゃんと気持ちに蓋して来たつもりだった。
また途切れた。
インスタの写真、見た? あれ、サークルの先輩で、付き合ってるとか全然ないんだけど、柊に誤解させてしまってたなら、ごめん。
柊はスマートフォンを持ったまま、立ち上がれなかった。
ひとつ聞いていい? 今でも、好き?
七
柊は三分間、画面を見つめた。
手が震えていた。さっきとは違う理由で。
返信を打とうとして、何度も消した。「好きだよ」だけじゃ足りない気がした。長文を打とうとして、うまくまとまらなかった。
最終的に、柊が送ったのはこれだった。
今でも好きだよ。てか、ずっと好きだった。文化祭の日から。
送信してから、「かぶった」と思った。
すぐに既読がついた。
そして、美咲からスタンプが来た。
金木犀のスタンプだった。
去年の秋、*「この匂い、柊に嗅がせたくて」*と一緒に送ってきたのと、同じやつだった。
柊はそれを見て、ようやく全部わかった気がした。
去年、美咲がそのスタンプを送ってきたのは、偶然じゃなかったのかもしれない。この匂い、柊に嗅がせたくて——それは、そういう意味だったのかもしれない。
俺は「俺も好き」と返した。
その返信も、もしかしたら美咲には、そういう意味に聞こえたかもしれない。
どこかで、お互いに伝わっていたのかもしれない。言葉にしないまま、ずっと。
八
次のメッセージが来たのは、五分後だった。
退院したら、会える?
柊は即座に返した。
いつでも行く。どこでも行く。
笑 じゃあ来週。東京、来れる?
行く。絶対行く。
柊って、こういうとき素直なんだね。
……ずっと素直じゃなかったから、今更。
しばらく間があって、また通知が来た。
ひとつだけ、正直に教えて。
なに?
卒業式の日、「春はまたくるよ」って言ったじゃん。あのとき、本当は何か言いたかった?
柊は苦笑いした。
画面に文字を打った。
「好きだ」って言いたかった。
少しの間があって、返信が来た。
知ってた。
え。
顔に出てたよ、柊。ずっと。
柊は天井を見上げた。
窓の外から、金木犀の匂いがした。
去年と同じ、秋の匂い。でも去年とは何かが違う。空気が、少し軽かった。
来週、東京に行く。美咲に会いに行く。
二年分の「言えなかった」を、今度は言葉にして。
柊はスマートフォンをベッドに置いて、初めてちゃんと、笑った。
九
来週、と決めた翌日から、柊は東京行きの計画を立て始めた。
新幹線の時刻を調べて、美咲の最寄り駅を聞いて、どこで会うか相談した。美咲は「退院してすぐだから、近所でいい?」と言った。柊は「どこでもいい」と返した。本当に、どこでもよかった。公園のベンチでも、コンビニの前でも。美咲がいれば、それでよかった。
その週は、妙に時間が早く過ぎた。
授業中も、食事中も、眠る前も、来週のことばかり考えていた。何を話そうか。何を着ていこうか。改札を出たとき、美咲はどんな顔をしているだろうか。
渡辺に「急に顔色よくなったな」と言われた。「なんでもない」と答えた。渡辺は「どうせ女がらみだろ」と笑って、からあげをまた一個くれた。
木曜日の夜、美咲からメッセージが来た。
ねえ、柊。ひとつ聞いていい?
なに?
日曜日、友達も連れてきていい? ひとりで柊と会うの、なんか緊張してきた。
柊は少し笑った。
俺もちょっと緊張してる。いいよ。
ありがとう。じゃあ三人で。
友達って誰?
……会ったらわかるよ。
その返信が、少し引っかかった。
でも柊は「そっか」とだけ返して、気にしないことにした。
十
日曜日の朝、柊は六時に目が覚めた。
新幹線は十時発だった。それでも眠れなくて、シャワーを浴びて、服を三回着替えた。鏡を見るたびに「落ち着け」と思った。全然落ち着けなかった。
駅に向かう途中、金木犀の木の前を通った。秋の匂いが、鼻を刺した。
美咲が去年、あのスタンプを送ってきた日も、こんな匂いがしていたんだろうか。
東京に着いたのは正午前だった。
待ち合わせは、美咲の最寄り駅の改札前。十二時半。
柊は改札の前に立って、スマートフォンを握りしめた。人の波が、ひっきりなしに行き来していた。
十二時二十八分。
改札の向こうに、美咲が見えた。
白いニットを着て、少し髪を短くして、退院したばかりとは思えないくらい、普通に歩いていた。柊の姿を見つけて、手を振った。
柊は思わず、大きく息を吸った。
美咲の隣に、男がいた。
十一
爽やかで、背が高くて、自然に笑っている。
インスタグラムで見た、あの男だった。
「柊、久しぶり!」
美咲が笑顔で言った。二年ぶりに聞く声は、変わっていなかった。
「久しぶり」
柊は笑い返した。自分でも驚くくらい、自然に。
「紹介するね。田中先輩。同じサークルで、お世話になってる人。先輩、こちら地元の友達の倉田くん」
「どうも、田中です。美咲ちゃんからよく聞いてますよ」
田中は気持ちの良い声で言って、手を差し出した。柊は握手した。手のひらが少し、冷たかった。
「よく聞いてるって、なんか言いましたか」と柊は聞いた。
「一番仲良い幼馴染、って」
柊は「ああ」と答えた。
幼馴染。
その言葉が、静かに胸に刺さった。
十二
三人で近所のカフェに入った。
美咲と田中は、隣同士に座った。柊はひとり、向かいに座った。
話は弾んだ。美咲のサークルの話、田中の就活の話、柊の大学の話。田中は話が上手で、場を盛り上げるのが得意だった。美咲はよく笑った。その笑い方が、文化祭の日に初めて見た笑顔と、同じだった。
柊はコーヒーを飲みながら、ずっと観察していた。
美咲が何かを言うとき、田中の方を向く。田中が笑うと、美咲も笑う。田中が立ち上がってトイレに行くとき、「すみません、すぐ戻ります」と言って美咲の肩に軽く手を置いた。美咲は特に何も言わなかった。でも、避けなかった。
ああ。
柊はカップをソーサーに置いた。
そういうことか。
十三
田中が席を外した隙間に、美咲が言った。
「先輩、いい人でしょ」
「うん」と柊は答えた。「すごくいい人だね」
「柊と仲良くなれそうで、よかった」
柊は美咲を見た。
美咲は微笑んでいた。屈託がなかった。何かを隠しているようには、見えなかった。
「美咲」と柊は言った。
「なに?」
「田中先輩と、付き合ってる?」
美咲は少し目を丸くして、それから視線を落とした。
「……うん」
一秒の間があった。
「先週、告白してもらって」
柊はゆっくりと、息を吐いた。
「そっか」
「柊のメッセージ読んで、私、ちゃんと気持ちを整理しようと思って。ずっとぐるぐるしてたから。それで……先輩のことを、ちゃんと考えて。前から気にかけてもらってたし、真剣だって伝わったから」
美咲の声は、穏やかだった。
「ごめんね、柊。変なメッセージ送っちゃって」
柊は顔を上げた。
「変じゃないよ」
「でも、柊を傷つけた」
「傷つけてない」
嘘だった。でも、嘘じゃなかった。
十四
田中が戻ってきて、三人の会話はまた戻った。
柊は笑った。相槌を打った。コーヒーのおかわりを頼んだ。普通にしていた。
ただ、ときどき窓の外を見た。
カフェの前に金木犀の木があって、風が吹くたびに花が揺れていた。匂いはガラス越しでも、かすかにわかった。
この匂い、柊に嗅がせたくて。
去年の秋、美咲はそう送ってきた。
あれは何だったんだろう、と柊は思った。好意だったのか。それとも、友達だからこその親しさだったのか。
どちらでも、もう同じことだと思った。
十五
二時間ほどで、お開きになった。
カフェを出たところで、田中が「先に行ってるね」と言って、コンビニの方に歩いていった。気を遣ってくれたのかもしれなかった。
美咲と柊は、並んで少しだけ歩いた。
「来てくれてありがとう」と美咲が言った。
「来てよかった」と柊は言った。
「また地元に帰ったとき、会おうよ」
「うん」
短い沈黙があった。秋風が、ふたりの間を通り過ぎた。
「柊」と美咲が言った。
「なに」
「あのメッセージ、ちゃんと嬉しかった。本当に。だから……ちゃんと伝えたかった」
柊は美咲を見た。
美咲の目が、少しだけ赤かった。
「俺も、ちゃんと伝えられてよかった」
それは本当のことだった。
「幸せになってね」と柊は言った。
「柊も」と美咲は言った。
それ以上は何も言わなかった。言う必要がなかった。
美咲が田中の待つコンビニの方へ歩いていく。柊は駅の方へ歩き始めた。
振り返らなかった。
振り返ったら、きっと駄目だと思ったから。
十六
新幹線の中で、柊は窓の外をずっと見ていた。
流れていく景色。田んぼ。川。住宅街。夕焼けに染まる雲。
スマートフォンを開いた。美咲とのトーク画面。一番下に、自分が送ったメッセージが見えた。
今でも好きだよ。てか、ずっと好きだった。文化祭の日から。
その下に、美咲からの金木犀のスタンプ。
柊はそのスタンプを、しばらく見つめた。
それから、そっとスマートフォンを伏せた。
目を閉じた。
まぶたの裏に、いくつかの場面が浮かんだ。
文化祭の日の美咲の笑顔。ファミレスで向かいに座った夜。卒業式の日、桜の花びらの中で「三月って残酷だよね」とつぶやいた声。去年の秋、金木犀のスタンプが届いた夜。
そして今日。白いニットを着た美咲が、改札の向こうから手を振った瞬間。
好きだったな。
心の中でそう言った。
過去形で言えた自分に、少しだけ驚いた。
新幹線は速度を上げた。窓の外の景色が、どんどん後ろへ流れていく。
柊は目を開けて、また窓の外を見た。
夕暮れの空が、橙から紫へと変わっていくところだった。きれいだと思った。それだけだった。
終章
家に帰ったのは、夜の八時だった。
部屋に入ると、窓を開けていたせいで、金木犀の匂いが部屋に満ちていた。
柊はしばらく、そのまま立っていた。
それから窓を閉めた。
ベッドに横になって、天井を見た。
泣くかと思ったけれど、泣けなかった。悲しいというより、なんだか静かだった。嵐の後みたいに、ただ静かだった。
スマートフォンを手に取った。美咲とのトーク画面は開かなかった。
代わりに、新しいトーク画面を開いた。渡辺に、短いメッセージを送った。
明日、飯行かない。
すぐに返信が来た。
おう。からあげの店でいいか。
いい。
どうした、なんかあったか。
柊は少し考えて、打った。
なんでもない。
送信してから、少しだけ笑った。
いつかは、話せるかもしれない。でも今日はまだ、自分の中だけにしまっておきたかった。
好きだったこと。言えなかったこと。最後に言えたこと。
それで十分だと、思いたかった。
窓の外で、風が鳴った。
金木犀の季節は、もうすぐ終わる。
どうでしたか?
あなたの心に残ったらよかったです(笑)




