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7.

「ステージ4?」

 美歩は、冬馬が持ってきた“ナイチンゲールとバラ”の絵本をめくりながら聞き返した。

「そう。医療カプセルに入って眠っているんだ。担当の先生は、聞こえているから話しかけろって言うけど。無反応だしなんだか時々、言葉がブラックホールに吸い込まれていくような気がするけどね」

 それでも、話しかけずにはいられないんだ、と冬馬は心の中でつけたす。

「ブラックホールかぁ」

 美歩はのんびりと言って首をかしげた。冬馬は靴をぬいで、大きなベッドの端にあがって、あぐらをかいている。もう何度目かの訪問で、二人の間にはすっかりくつろいだ雰囲気があった。

「どれくらい眠っているの?」

「もう、一年近くかな」

「一年?」

 美歩が悲しげな顔をして、ぱたんと絵本を閉じた。

「読まないの?」

「後で読む。今はせっかく冬馬が来てくれているし、お話ししたい。次に来てくれる時まで借りていてもいい?」

「あげるために、もってきたんだよ」

「いいの?」

 美歩は、目を輝かせた。

「きっと、好きな話だと思うよ」

「うん、絵もすごく素敵だし」絵本を胸でぎゅっとたきしめる。「ありがとう」

 はしゃいだ声のあと、美歩はふっとためらう顔になる。

「でも、本当にもらっていいのかな」

「なんで?」

「だって、私、何もお返しとかできないし」

 冬馬は笑う。

「あげたいんだから、もらってよ」

「本当に?」

 冬馬がうなずくと、美歩はおずおずと、でも嬉しそうにサイドテーブルに本を置いた。テーブルの上にはタブレットがあり、スクリーンセーバーの3D熱帯魚がひらひらと泳いでいた。

 今日の美歩の腕には、三本の細い針がささり点滴を受けていた。タブレットはこの点滴の量や成分を制御するサーバにつながっている。必要があれば、医者や看護士がログインして、ここから調整を行うこともできる。

「ステージ4ってね、いっぱい夢を見るんだよ」

「え?」

「声をかけてもらうとね、夢に影響がでるの」

 美歩は懐かしそうに目を細めた。

「一回だけ、博士が許可してくれて、ケンがお見舞いに来たんだって。ケンはお見舞いの間、ずっと私に話しかけてくれていたって。目が覚めて、それを聞いた時ね、どの夢の時かってすぐに分かった。私、それまでずっと別な夢を見ていたのに、急に、夜の海の野原に景色が変わったことがあったの。夢だから、野原は実際よりずっと広くて、草は青々と柔らかくて、星が手が届きそうなほど近かった。夜空からはずっと、ささやくような優しい声が降ってきて、ケンとダンと私は、水の中みたいに体を浮かせて、草の海をびゅんびゅん泳いでいだ」

 楽しげに言った後、美歩は、ふぅっとため息をついた。体調の悪い日は、一気に長く話すと疲れてしまうのだ。

「だから」息をわずかにはずませて、美歩はつぶやく。

「お姉さんに、たくさん話しかけてあげて」

 冬馬は、複雑な表情でうつむいた。少ししてから、

「つまり、美歩は……」

 と、つぶやき、言葉を途切れさせた。

 三春と美歩が同じ病気であることは、出会った日に予想できていた。三階に入院していると聞いた瞬間から。だがまさか……

「そうだよ」美歩は、冬馬の台詞の続きをひきとる。

「私、ステージ5なんだ」

 さらりとした何のこだわりもない声だった。


 ロビーの椅子に深く座り冬馬は身動き一つせずじっとしていた。いつもより早く美歩の部屋をでたのは、彼女の体調があまり優れなかったからだ。

 一呼吸休むように目を閉じたら、美歩はそのまま眠ってしまった。起こすのはかわいそうで静かに病室をでた。

 両親はまだ来ない。本も読む気がしなかった。ただ美歩のことが頭の中をぐるぐるまわっていた。

 ステージ5。病気の最終ステージ。

 いつにも増して青白い頬をしていた美歩。

 その時、

「頼む、頼むから入れてくれ!」

 悲壮な声が聞こえた。冬馬は物思いからさめた。ロビーの先に来院者の受付があり、声はそこからだった。

「許可証がない限り、入っていただくわけにはいきません」

 受付の女性が冷淡に断る。

「頼む、許可証の発行を待っている時間がないんだ、何とかしてくれ」

「困ります」

 と言いながら、彼女には困った様子など全くない。愛想笑いも迷いも一切ない。

 男は悲しげにこちらを振り仰いだ。強化ガラス越しに、冬馬と男の目が合った。とは言っても向こうからは、こちらは見えない。

 政府の援助を受け研究所の役目も兼ねたこの病院のセキュリティは強固だ。

 受付とロビーの間の強化ガラスの中央には幅1mほどの、認証機能付きの危険物探知機が埋め込まれている。ロビーから受付側は透けて見えるが、受付側からは曇りガラスで中は見えない。

 ガラスの横には地獄の門番のような鍛えぬかれた警備員が一人立っている。許可証を認証装置にかざし探知機と警備員の鋭い眼光をくぐりぬけなければ、この施設には足を踏み入れることはできない。この強化ガラスは、病院と外部との明確な境界線なのだ。

 男はもう一度、懇願を口にした。女性は全く同じ言葉を返したあとで、わざとらしいほどゆっくりと顔を警備員へと向けた。いい加減にしないと、力ずくで追いだす、という無言の警告だ。

 彼はもう一度こちらを見る。視線には強い力があった。きっと壁の向こうの誰かへと、届かぬ想いをはせているのだろう。

 男は20代後半くらいだろうか。無精ひげが伸びて目は充血している。憔悴しきっている様子だ。

 冬馬はなぜか彼に見覚えがある気がした。

「何度いらっしゃっても無駄です。お引き取りください」

 最後通告を受付の女性がつきつけた。警備員が一歩前に進み出ると、男はがっくりと肩を落として立ち去った。

 この病院では割とありふれた光景だった。これまでにも何度か同様の騒ぎを見かけたことがある。

 家族といえど許可証がなければ中には入れない。つまり見舞いもできない。毎月、病状の経過報告書が家族にレポートされるだけ。

 これは入院時の契約事項の一つで、その代わり最先端の医療技術の恩恵にあずかることができ、しかも費用は一切かからない。

 冬馬たち一家が三春を自由に見舞えるのは、両親の人脈と財力のおかげだった。

 冬馬は男のうなだれた背中がドアの外に消え去るまで目が離せなかった。

 ”何度いらっしゃっても”と、受付の女性は言った。見覚えがあったのは、以前遭遇した騒ぎのどれかの中に彼がいたのかもしれない。

 今までは病院に入れない人々のことなど、あまり気にも留めていなかった。自分が三春のことで精一杯だったせいもある。だが今は胸の辺りにひっかかって仕方がない。美歩から、ケンが博士の許可を得て一度だけ見舞いに来たという話を聞いたせいだろうか。

 美歩は、とても嬉しそうだった。

 眠っていても声は聞こえたという。目覚めているなら、なお逢いたいだろう。

 冬馬は立ち上がりほとんど反射的に走り出していた。探知機の間を通り抜け病院のドアを乱暴に押し開けて外にでる。

 彼がいた。

 憔悴しきった横顔とうなだれた背中で、病院前の駐車場にぼんやりと立ちつくしていた。

「あの」と、冬馬は声をかける。彼はいぶかしげに振り返る。

「受付けでの話しが聞こえました。ぼくの家族がこの病院に入院しているんですが、ぼくは中にはいる許可証を持っています」

 彼は冬馬の話の意味をはかりかねるように目を細めた。その表情に、冬馬は再びデジャブを覚えながら、

「だから、もし、伝言とか手紙とかがあれば渡します」と言った。

 強い風の吹く日だった。彼の履いている紺色のスニーカーに、紅い落ち葉が鮮やかにまとわりついた。ケヤキの葉だった。中庭の木が、ここまで舞わせたのだろうか。

 彼は靴についた葉に気づきもせず、突然の申し出に混乱しているようだった。

「ありがとう」と、ぽつんと言った。「姉が入院しているんだけど、もうずいぶん長くあっていないんだ」

 姉。冬馬は三春のことを考え自分と彼とを重ねる。

「手紙を渡してほしいけど、あいにく書くものがないし、それに何を書けばいいか、すぐには思いつかないな。えっと、きみは次にいつここに来る?」

「明日きます」

「時間は?」彼は、遠慮がちな口調で聞いた。

「3時なら」

「良かった」と、ほっとした顔をする。「実は、ぼくは3日後に日本を出るんだ。そして、もう二度と戻らない。だから明日ならとても助かるよ」

「二度と戻らない?」

「色々あってね」と曖昧に笑う。「じゃぁ明日、3時に」

 彼は、レンタカーらしき黄色い車に向かう。その歩き方と車への乗りこみ方に冬馬はかすかに違和感を覚える。

 彼は窓越しに冬馬に軽く右手を振って見せた。冬馬は、その右手が義手であることに気付く。ずいぶん精巧に作られている。歩き方や動作に違和感を覚えなければ気づかなかっただろう。

 黄色い車は駐車場をでていった。


 その夜、冬馬は父の書斎に呼ばれた。母はすでに眠ってしまっていて、冬馬は久しぶりに父と二人きりで向かい合った。父はいつになく真剣な顔をしていて、

「手紙が来ていた」

 と、静かに切り出した。冬馬は、話の内容に見当がついて顔をわずかにゆがめた。

「"先日、学校経由でお断りの連絡をいただきましたが、ご子息の資質と才能には目をみはるものがあり、ぜひとも国立大付属中学への飛び級編入をすすめたく思います”」

 父が読み上げた。透かし入りの今時古風な紙媒体の郵便物。まさか、こんなアナログな方法をとられるとは予想していなかった。

 沈黙が続いた後「ごめんなさい」冬馬はあきらめて謝った。父にごまかしはきかない。

「”お断り”を、勝手にメールしたことか?」

「うん……」

 冬馬は言いよどむ。

「それだけじゃないだろう?」

 父は手紙をたたんで机の上に置いた。

「調べたら、父さんと母さんのメールソフトにウィルスが潜伏していた。ある特定のメールアドレスからメールがきた場合だけ誰かのメールボックスに転送される。しかも元メールは何の痕跡もなく削除する」

「……」

「心当たりは?」

「……ごめんなさい」

 冬馬はもう一度謝った。

「別に謝らなくていい。だけどどうして相談してくれなかった?」

 冬馬は黙りこむ。父だけなら相談して、自分の意思を伝えられたかもしれない。だが、父に相談するということは、母にも知られれるということだ。母が冬馬の意思を通してくれないことは分かっていた。あっさりと自分を国立大付属中学に進級させただろう。

「母さんは、このことは知ってるの?」

 おそるおそるたずねると、父は冬馬がこの件をだまっていた理由を察したようだった。

「言ってないよ」

 冬馬はほっとした。父と目が合った。ふっと父の表情がゆるんだ。冬馬も少し口の端をつりあげた。共犯的な笑いだった。

「だけど本当にいいのか。国立大付属中学に行けば、色々なことをもっと早く学べる」

「そんなに急ぎたくないんだ。しかも全寮制だから三春の見舞いにもいけなくなるし。それに……」

「それに?」

「国立大付属の学校は、政府のために働く人間の予備校みたいなものでしょう?将来が決めつけられるみたいで、なんか嫌なんだ」

 校長には言わなかった本音だった。

「政府のためじゃない」

 父は穏やかに訂正した。

「国立学校はこの国のために働く人間を育成する場所なんだ。だから他の学校よりも、ずっと高度なことを学べる。悪いことじゃないし、選ばれた人間にしかできない。そのチャンスを棒にふることになるが本当にいいのか」

「いい」

 きっぱりとした冬馬の答えに、父は深くうなずいた。

「冬馬の決めたことを尊重するよ」

 父は手紙を引き出しにしまい鍵をかけた。

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