6.
冬馬は物心ついた頃には、神童や天才と呼ばれていた。一度でも見たり聞いたりしたことは正確に記憶したし、8桁程度の数字については瞬時に暗算ができた。
だが冬馬の通う私立学校には、同じようなことを1学年に1人か2人はできる子供がいた。冬馬をもっと特別な存在にしたきっかけは仮想プログラミングのスキルだった。
ある日、友達につきあって学校のゲームクラブに立ち寄ると、上級生がオリジナルのVRゲームを構築中だった。彼はゲーム上で走らせる車の仮想プログラムをかいていて、その内の基礎的な部分を冬馬たちに説明してくれた。ゲームは作るものというより遊ぶものと思っている友達は、その難解さと複雑さに退屈しきってあくびをこらえていた。冬馬はそばにあった仮想プログラミングの本と、上級生の入力するモニターをじっと見比べていた。
「どう?分かった?これで車体のデザインが決まった。従来のプログラミングよりずっと早くリアリティのあるものができあがった、仮想プログラミングの可能性を感じるだろ」上級生が興奮気味に言った。「きみたちもやってみないか?」
「え、いえ……」
曖昧に友達が答える中、冬馬はぶつぶつとつぶやきながら、吸い寄せられるようにキーボードに手を伸ばした。そして流れるようにたたきはじめた。不思議なほど、冬馬には仮想プログラミングの仕組みが分かっていた。まるで生まれつきのピアニストが音階の仕組みを瞬時に理解し音楽を奏でてしまうように冬馬はプログラムを組みあげていた。
数分後。
画面上には、一台の車がエンジンをうならせていた。車体は艶やかな黒で、最近人気のイギリスの復刻クラシックカー。
友達も上級生も唖然としていた。
少し間をおいて「わぉ」と上級生は感嘆の声をもらしてVRゴーグルをはめた。画面上に彼らしきアバターが現れて車に乗り込んだ。すべらかにクラシックカーは走り出す。
「わぉ」
もう一度上級生はつぶやいた。
それから独学でいくつもの仮想プログラミング言語を操るようになるまでに時間はかからなかった。情報システムに興味を持った冬馬は、ネットワークや、ハード、ハッキング技術についても学んだ。いくらでも水を吸い込む砂のようにスキルを積み重ねていった。
一年後、冬馬はあるゲームプログラムのコンテストに、最年少で入賞した。
それは、一羽のウサギが主役のミニゲームだった。場所は雪原の広がる冬山で、ウサギはすみかの穴をほり、食べ物を探し、キツネから逃げまわる。
春を迎えるところで、自動的にゲームは終了する。ウサギは飢えて弱ることもあり、キツネに噛まれてケガをすることはあっても死なない設定で、どんな形でも春というエンディングを迎える。
この設定については賛否両論あったが、若干10歳の少年が作ったものとして話題になったし、造りこまれた雪山の美しさや、ウサギの動きの精密さが評価された。冬馬の希望もあってゲームは無料配布され、そこそこの配信数を記録した。
入賞は学校でも発表され、いくつかの専門誌から取材を受けた。冬馬はちょっとした有名人になった。大人たちは「へぇ、この子が」と珍獣でも見るように冬馬を見た。子供たちはもう少し複雑で、尊敬を込めて遠巻きに見守るものが三分の一、やっかむものが三分の一、積極的に近づいてくるものが三分の一位だった。
「何でウサギは死なないの?」と、よく聞かれた。冬馬はいつも適当に答えた。
「その方が平和だし」「ゲームのコンセプトにあわないから」
本当の理由は、だれも気づかなかったし、冬馬も話さなかった。
だが、三春はプレイして数分後にこう言った。
「このウサギ、パンダロン?」
パンダロンは学校の飼育ケージで飼われていたウサギだった。野ウサギの血が入っているとかで俊敏で体が大きかった。目の周りが黒かったので、ウサギなのにパンダロンと呼ばれていた。
冬馬が入学したときには、既に大分年をとっていて、毛並みには艶がなく目は濁っていた。だが、いつも毅然としていた。
学校の飼育ケージは6畳ほどの広さがあり水のみ場と土の地面にわかれていた。飼われているのはパンダロンだけだった。人に全くなつかなくて、近づくと体当たりをしてきたり、後ろ足で砂をかけるとかで不人気だった。
だが、そんなパンダロンも年のせいで大分弱っていた。元気のない様子でいることや、足をひきずることもあり、獣医の元に連れていかれる回数が増えていた。
「何で分かった?」
冬馬は三春に聞いた。
ゲームの中のウサギは、パンダ模様ではなく真っ白な冬毛に身を包む。パンダロンには似ていない。
「だって飛びはねかたも、どっか悟りきったように遠くを見る目もそっくりだもの」
分からないわけがないよ、と、ごく当然のように三春は言って「そっか」と納得したようにうなずく。
「だから死なないんだね」
モニタの中で、ウサギは雪原を楽しげにはねまわっていた。
「この山自体が、パンダロンの天国だから」
三春の台詞に、冬馬は短くうなずく。
パンダロンはある冬を越せずに死んだ。寒い朝だった。飼育ゲージ内は空調がきいているはずだったが、その日は切られていた。
冬馬はたまたま何かの当番で、早い時間に学校に来ていた。死んでいるパンダロンを一番に見つけた。白い息の向こうで、パンダロンは目を開けたままひっそりと動かなくなっていた。
「かっこよくて好きだったんだ。草食動物なのに妙に気が強いところとか」
「うん、私も。みんなは嫌っていたけど、ああいうウサギがいたっていいよね」
数日後、空調を切った犯人は飼育委員の一人だと判明した。委員になってみたもののパンダロンはなつかないし、当番が面倒くさくなって腹立ちまぎれについ、というのが動機だった。
パンダロンの死因が凍死だったかはわからない。ただの寿命だった可能性もあるし、飼育委員のせいとは言い切れなかった。
学校側は当初、空調の故障として生徒たちに説明した。だが裏サイトで犯人の名前がさらされ、いじめに近いような状況が発生し彼は転校した。
二人はじっと画面を見つめる。キツネがあらわれる。三春がゲームパッドをタップすると、パンダロンは風のように素早くキツネに体当たりをする。キツネがひるんだ隙にパンダロンは走りだす。高く飛び上がり、雪が舞い上がり空にピカピカと散らばった。
「生き生きしてる」
三春がふふっと笑い、ゲームを一時停止してキツネを指さした。
「これは転校したあの子がモデル?」
冬馬はぎょっとした。さらに追い打ちをかけるように、
「裏サイトにあの子の名前を書いたの、冬馬でしょ?」と言われた。
「なんでそう思うの?」
「あの子が転校した後、冬馬の元気がなかったから。学年も違うし別に仲良くもなかったのに」
「……うちのクラスにあいつと同じ部活のやつがいて、パンダロンを殺したって自慢してるって聞いたんだ。許せなかった」
「そう」
「このキツネがあいつのモデルのつもりはなかったけど」
でも言われてみれば、細面で目が吊り上がっているところが似ている。
「パンダロンを思い浮かべる時、あいつのことも思い出す。だから似ちゃったのかな」
「友達でこのゲームをやっている子がいてね」
三春がゲームを再開する。パンダロンが走り出し、キツネの姿が遠ざかる。
「キツネとウサギが仲良しになって春を迎えるエンディングがあるって聞いたけど本当?」
冬馬はうなずいた。
「そっか、いいエンディングだね。私も見たいな」
「相当やりこまないと見られないよ。三春の友達はゲーマーかなんか?」
「どっちかっていうと冬馬のファンみたい」
「なにそれ」
照れたように顔をそらす冬馬を、三春がクスっと笑う。
冬馬は三春のゲームパッドを自分の方に引き寄せる。
「……あいつにやったこと、後悔はしていないんだ。だけど、他の方法があったかもしれないって時々考える」
ゲームを再開し、ある規則性に沿ってパッドを叩く。パンダロンが高速で走り出す。
「冬馬は、反省はしても後悔はしない主義だもんね」
「後悔は時間の無駄だからね。でも……」
「もやもやする?」
「少しだけ」
無意識にゲームで消化しようとしていたのかもしれない、と冬馬は気づく。
「あ」三春が画面を見てにこりと笑う。「冬馬、ずるしたでしょ?」
「製作者特権だよ」
画面には春の緑の山が広がり、キツネとウサギが並んで走っていた。
三春との思い出をたどる時、冬馬はいつもこの出来事を思い出す。
三春は冬馬以上に冬馬のことをわかっていた。驚くことも多かったが少しも嫌な気はしなかった。むしろ、三春だけは自分を分かってくれるという安心感があった。
もの心ついた頃から天才と呼ばれ、周囲から特別視されて育った冬馬は、時々、耐え難いほど孤独だった。
幼い肉体に成熟した精神が宿っているために、自分が何者なのか分からなくなった。子供でも大人でもないどっちつかずの存在。学校でも家でも、ここにいていいのかと疑問を感じることがあった。
だから、殻を作った。子供らしくふるまう方法を身につけ、実際にかなりうまくやった。頭がよくて、性格は穏やかで、だけど、毅然とすべき時には毅然とふるまった。
結果、冬馬は学校で尊敬され慕われた。友達と呼べる相手もたくさんできた。だが本当の意味での友達は一人もいなかった。
家族は、特に母親は、冬馬を自慢の種にした。でも、一番かわいいのは三春だった。
冬馬のことも愛していないわけではない。ただ、三春が特別なのだ。母としては公平に接しているつもりなのだろうが、少し観察力のあるものならば表情や仕草からすぐに分かる位、明らかだった。
でも、冬馬は少しも嫉妬は感じなかった。なぜなら、自分も母親より三春を心のよりどころにしていたからだ。
三春は、どちらかと言えば無口で、自分がしゃべるよりはじっと人の話を聞くタイプだった。三春には、人の心を柔らかくする何かがあった。
自分よりも他人を優先する優しさ、あるいは、すべてを受け止めてくれるような包容力を子供ながらに持っていた。多分、天性のものだろう。だから友達は多くないが、いつも崇拝者が必ず数人いて三春を取り囲んでいた。
冬馬はその崇拝者たちが、自分と同種類の生きることに違和感を覚えずにはいられない子供たちだと知っていた。