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5.

 病室に置かれた顔だけがのぞくカプセル。

 いくつもの計器と配線に囲まれたそれは、かたい繭のように、病室の中央にある。

 見舞いとは言っても、三春は眠っているのだから反応はない。だが母は語りかける。愛しげにカプセルに触れ、じっと三春を見つめる。いつまでもそばにいたがる。

 逆に父親は、三春の痛々しい姿に耐えられず、病室からすぐにでてしまう。冬馬は父親についていく。もう少し三春のそばにいたい気がすることもあるが、母親が三春と語り合う時間を邪魔するようで気が引けた。

「何がほしい?」

 病院の自販機の前で父にきかれる。冬馬はチョコバーとカフェオレを指さす。

「じゃぁ、あとで。多分、今日は」

 父は腕時計を確かめる。

「5時くらいには終わるだろう」

「わかった。じゃぁ、5時にロビーで」

 母が三春との時間を過ごした後、両親は担当医から経過を聞きに行く。その間、冬馬は中庭で過ごす。

 父親の疲れた背中が三春の病室に戻っていく。母親を迎えに行き、それから面談室に向かうのだ。

 一人きりになり冬馬は踵を返す。中庭の入り口がある場所とは逆方向に廊下を進む。

 先日の美歩との出会いから、かっきり一週間が経っていた。その間、二度ほど病院に来て中庭にいたが、美歩は現れなかった。だから今日は中庭には行かない。

 壁に貼られた案内板を確かめながら進む。うろうろしていることを見とがめられないかと心配だったが、患者とも、スタッフともすれ違うことはなかった。

 前から感じていたが、三階には余り人がいない。歩き回ってみるといっそう実感した。倉庫を兼ねた階で、元々、病室の数自体が少ないせいかもしれない。

 数少ない病室の前を通り過ぎると、ドアが開いたままで窓から差し込む自然光が醒めた陰影を落としていた。ベッドはきちんと整えられているが、人の気配はない。

 電気の消えた給湯室を通りかかると、蛇口からぽつんと雫が落ちた。その音が聞こえるほど静かだった。まるで無人の病院に迷い込んだみたいだった。

 いくつかの角を曲がると長い廊下にでた。部屋番号の書かれていない扉が両側に整然と並ぶ。倉庫室だ。ドアはぴったりと閉ざされ、窓もない。心なしか照明も薄暗い。

 どこか息苦しさを感じる廊下を進む。行き止まりまで来て、左を見るとドアには部屋番号がなかった。こっちではない。

 右を向く。

 3018。

 ようやく、探していた数字にたどりついた。


 ドアをノックすると「はい?」と細い声が返ってきた。

 濃い碧のカーテンを背景にして、美歩がベッドに座っていた。冬馬を見ると、痩せた顔をほころばせた。

「来たの?」

 冬馬はチョコバーとカフェオレを、ベッド横の袖机の上に置く。

「お見舞い」

「え、いいの?ありがとう」

 美歩は、目をきらきらさせた。冬馬は、はっとする。

「もしかして食事制限とかある?」

「うん?まぁね」

 自分の間抜けさに腹がたった。三春もそうだったのに思いつかなかった。

「ごめん」

 そう言うと、美歩は首をかしげた。

「なんで謝るの?」

「無神経だったから」

 美歩はきょとんとした顔をした後、クスクス笑いだした。

「ムシンケー?かっこいい」

 かっこいい?今度は冬馬が首をかしげる。

「母さんが父さんと喧嘩する時に、よく使う」

「バカとかアホより大人っぽくていいね」

「どうかな」

「今度、弟と喧嘩したら言ってみよっかな」

 美歩の視線がふっと横に向く。視線を追うと、壁に貼られた何枚かの写真があった。

「弟?」一枚を指さすと、美歩はうなずいた。どこかのありふれた公園の、ありふれたブランコに少年が座っていた。すぐそばに茶色の犬がいた。

「ケンとダン」美歩が言う。

 冬馬は少し考えて「ケンが弟で、ダンが犬?」

「うん」

 ケンは大人しそうな顔をした少年だった。目元が美歩によく似ている。ダンは茶色い小型犬だった。一人と一匹は寄り添うように、写真の中で成長していく。

 ダンは、小さい内はぼさぼさの毛並みと、すべてを疑うような鋭い目をしている。だが大きくなるにつれて、毛並みは柔らかく目は優しく穏やかに変わっていく。

 ケンもダンほどの変化はないが、体が大きくなり顔立ちが大人びていく様子がわかった。

 冬馬は、写真にケンとダンだけしか写っていないことに気づく。両親も、美歩自身の姿もない。

「お父さんやお母さんの写真はないの?」

「いないから」さらりと美歩は言う。

「……ごめん。さっきよりずっと無神経だった」

「ぜぇんぜん」美歩は屈託なく笑い、懐かしそうに目を細めた。

「私たちは、夜の海の野原でダンとあったの。」

「夜の海の野原?」

「この公園の奥に広い野原があってね。嫌なことがあると、ケンとよく遊びに行ったんだ。風が吹くと、ざーっと草が一斉に揺れてね、ほら、海の波みたいに。私たち、海ってネットでしか見たことがなかったけど、きっとこんな感じじゃないかなって想像したんだ。だから、夜の海の野原」

「そこにダンがいた?」

「うん。どこかから、変な声がするってケンが気づいた。で、探してみたら野原の真ん中にダンがいた。震えてうずくまって血だらけだった」

「血だらけ?」

「耳が欠けてるでしょ?」写真を見上げながら、美歩が言う。「ナイフで切られたみたいな傷が全身にあった。死なない程度にね、軽くきってある傷だった。きっと頭のおかしい人間にやられて逃げてきたんだろうって、ケンが言ってた」

「あぁ……」

 確かにダンの左耳はいびつな形をしていた。それで小さい頃のダンは、何もかもを疑うような目つきをしているのか。

「ひどいね」

「本当に。犯人を見つけたら絶対許さないってケンと誓ったんだ」

 美歩はきっとした顔になり、ぐっと小さな拳を握る。

「ダンはね、はじめ、私たちにもうなったの。でも、ご飯や水をあげたり、雨の日には濡れないようにケンが小屋を作って持って行ってあげたら、やっとなついてくれたの」

「持って行ったって……。家で飼ってたんじゃないの?」

「違うよ」美歩は首を振る。「夜の海の野原が、ダンのおうち」

「公園だよね?誰かに見つからなかったの?」

 美歩はちょっとだけ、照れくさそうな、それこそ、いたずらを見つかった子供のような顔になる。

「立ち入り禁止区域だったから」とあっさりと言う。「誰も来なかった」

 冬馬は、半ば呆れ半ば感心した。

「よく、もぐりこめたね。立ち入り禁止区域って、監視AIに制御されているはずなのに」

「うーん、よくわかんないけど。平気だったよ」

 それから壁にかかった時計を見上げ

「もうすぐ博士たちが来ちゃう」と言った。

 午後の回診だ。でていった方がいいということだろう。この間の病院のスタッフたちの慌てぶりを思い出しながら、美歩と一緒にいるところを見られるのはよくない気がした。

「冬馬」

 でていこうとすると、おずおずと呼びかけられる。

「博士たちが来るのは、午後のこの時間、一回だけ」

 一瞬、意味が分からなかったが、冬馬はすぐに理解した。

「また来るよ。この時間以外で」

 美歩が顔をほころばせた。


 冬馬は、三春の病室まで戻ることにした。父と母はまだ担当医と一階の面談室で話し込んでいる頃だ。この頃、その時間はますます長くなっている。

 冬馬は、久しぶりに三春と二人きりで向かい合いたくなっていた。医療カプセルの中にも声は届くから、なるべく声をかけてあげてくださいと、担当医は言った。患者の無意識を刺激する可能性があるから、と。

 父が「三春は眠りが深いから聞こえないんじゃないかな」と冗談めかして言ったら、母がきっと目をつりあげて「無神経な人ね!」と怒った。

 以来、見舞いのたびに母は熱心に三春に語りかけるようになった。固い医療カプセルの周囲に、自分と三春だけの世界を築き上げる。そこには冬馬も父親も存在しない。

 三春の病室に入る。誰もいなかった。

 マユのようなカプセルを、冬馬はのぞきこむ。三春は無表情に眠り込んでいる。一年前から髪もほとんど伸びていないし、このマユの中で三春は時間を止めてしまっている。

「いつまで寝てるんだよ?」そうつぶやいて、ふぅっとため息をつく。

「三春が眠っちゃってから、ずっとつまらなかったけど、ちょっと面白い子にあったんだ」

 聞いているか聞いていないかわからない相手に語りかける。まるで、神さまにささげるお祈りみたいだ、と冬馬は思う。でも祈りには希望があり、希望には救いがある。

 言葉は淀みなく口からこぼれ続けた。

 はじめて母の気持ちが分かるような気がした。


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