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1.

 赤いフェンスの向こうに野原が広がっていた。密集した草は膝位の高さまで青々と伸びて風に一斉に吹き揺れ、優しいささやきのような音をたてる。

 フェンスは長く野原は広大だ。かなりの敷地面積が立入禁止区域として指定されている。

 隣接する公園のベンチに座り、冬馬はフェンスの内側について想像する。

 もし自分があそこに立っていたら。

 歩いていたら。

「おい、こら!こんなところで一人でぼーっとしてんじゃねーよ」

 怒鳴り声で我に返った。いつの間にか斜め後ろに治安維持局の先輩である才我が立っていた。

「どうしてここに?」

「GPS」

 冬馬は苦笑する。

「昼休みくらい好きにさせてください。監視されているみたいで落ち着きません」

「入局したばかりの新人くんの癖に生意気だな?教育係の俺にはお前の安全のためにGPSを見る権限があるんだよ、残念でした」

 才我はにやりと笑った。

「それに三春に頼まれてんだよ。お前のことよろしく頼むって」

 三春は冬馬の姉で同じく治安維持局員だ。課は違うが才我とも知り合いだった。

「社交辞令をまともに受け取られても」

「あぁん?」

 その時、遠くで女の叫び声が聞こえた。二人は全神経を尖らせる。冬馬はポケットの携帯型タイプの警棒に触れる。才我は鋭い視線を周囲にはしらせ、獲物にとびかかる直前の獣のような緊張感をまとう。

「どこだ」才我がつぶやく。

 だが次の瞬間、女の叫び声は笑い声にかわった。底抜けの明るい笑い声。

「ジャンキーかな」

 冬馬が言うと才蛾は舌打をする。もし笑い声が聞こえなかったら才蛾は走り出して女を探しに向かっただろう。所轄に通報するだけで自分が動く必要はないのに。

 先日の事件を思い出す。

 高齢者の女性がひったくりにあう場面に遭遇した時のことだ。才我は迷わずひったくり犯を追いかけて捕まえた。

 女性には感謝されたが、警察署の手続きでは冷遇された。担当の警察官は素っ気ない態度で、何時間も待たされた。

 ようやく治安維持局に戻ると、今度は課長に呼び出され叱られた。

『無駄なことをするな、所轄に任せろ、治安維持局員がやるべき仕事は他にある』と。

 課長のいうことはもっともだった。リソースは有限だ。やる必要のないことで、やるべきことができなくなるのは本末転倒だ。

 だが才我は仏頂面で『いや、でも見て見ぬ振りとかできねーし。絶対やっちゃダメってことでもないでしょ』と言ってのけた。

 治安維持局は警察組織の上に立ち、名目上は管轄を気にする必要はない。だが現実は違う。

 課長は深いため息をつき、もう一度同じ話を繰り返した。

 後に、そのひったくり犯が高齢者を狙う常習犯で、荷物を奪われる際にケガを負って亡くなった人もいたということを耳にした。

 才我が捕まえなければ新たな犠牲者が出ていたかもしれない。才我の行動は社会的に利益のある行動だった。

 だが組織内ではマイナスの評価しか受けない。

 馬鹿みたいだな、と冬馬は思った。でも、そういう馬鹿なことができる人間は嫌いじゃない。

 短気でお節介で正義感の強い職場の先輩を、冬馬は実は結構気に入っている。

「やっぱり東京のはずれともなると、すさんでますね」

 冬馬は周囲を見渡しながら言った。

 才我がつぶやく。

「ひっでーとこだよ」

 いくつもの崩れかけた廃屋が目につく。人が住めるようには思えないが、洗濯物やゴミなどの生活感は濃厚だから誰かが住んでいるのだろう。

 公園も荒れていた。遊具でまともな状態で残っているものは一つもない。ブランコの鎖は片方がはずれて地面を這っている。滑り台はさびつき、階段は歯抜けで子供がのぼるには危険すぎる。

「お前みたいなよわっちい坊ちゃん風のやつが、こんなスラム街に一人でいたら、あっという間につかまって身ぐるみはがされて殺される。しかも死体はばらばらに解体され、髪の毛から内臓まであますところなく売り飛ばされるぜ」

「詳しいですね」

「前にそんな事件があったんだよ。ったく人身売買とか冗談じゃないっつーの」

「ご心配をおかけしてすみません」

 ふん、と才我は鼻を鳴らし、

「で、なんでこんなとこに来たんだ?」

「今日、あの先生にあったら色々と思い出してしまって。先生の事務所から近かったし、ついでに見ておきたくなりました」

「あの政治家のおっさん、クソむかつくよな」

 才我は忌々し気に言った。

「脅迫状が届いたっていうから調査に行ってやってんのにさ。偉そうにふんぞり返りやがって。挙句にパシリ扱いかよ。俺たち治安維持局員は国民の平和を守るのが仕事であって、お前個人の奴隷じゃないっつーの」

「コーヒー買って来いって言われたこと怒っているんですか」

 才我が冬馬をにらむ。

「お前、いそいそと買いに行きやがって。パパのお友達だからってご機嫌とってんじゃねーよ」

「あれは先生なりの信頼の証なんですよ」

「はぁ?」

「先生は何度か命を狙われていて、食事に毒をもられたこともある。飲食には相当気をつけていて、知らない人間の手を通った物を摂取しないことは有名ですから」

「なんだそりゃ。知るか」

 才我は顔をしかめる。

「そう言えば、あのおっさん、確か10年前にも結構有名なテロリストに狙われて家を爆破されていたな」

「先生は微妙な法案を通してきた実績がありますから。10年前はこの国の管理体制をより強固にする愛国法を追加しようとしていました」

「あーそれは反対するやつら多そうだな」

「結局、法案は通りましたけどね」

 おっさんのことはいいや、と才我は言って冬馬の横に勢いよく腰かけた。

「で?結局、お前は何でこんなとこに来てんだよ」

 冬馬は目を細めフェンスの向こうを眺める。

「色々と思い出したからです」

「だから、いろいろってなんだよ?」

「色々は色々ですよ」

「ごまかすなよ、俺達はこれから命を預け合って仕事するんだ、言え」

「そういう距離の詰め方、嫌がる人もいるから気をつけたほうがいいですよ」

「はぁ?うっせーよ」

 才我は顔を真っ赤にして立ち上がる。

「でもぼくは嫌いじゃありません」

「何でお前、そんなに上から目線なの?」

「すみません、悪い癖ですね。気をつけます。もしよければ座っていただけますか」

 舌打ち交じりに才我はベンチに座り直す。

「この“色々”は、少々、長い話です。三春も関わっています」

「三春が?」

 才我が身を乗りだす。関心が一層、強まったようだ。

「でも三春の知らない出来事が含まれます。ぼくは、この件を絶対に三春に知られたくありません。才我さんは秘密を守れますか?」

 間が空く。

 才我は真剣な顔で考え込んだあと「話せよ」と言った。

「秘密は墓場まで持ってってやる」

「わぁ、かっこいい」

「おまっ、人が真剣に言ってんのに、バカにしてんの?」

「いえ、まさか」

 冬馬は首を振る。

「久々に人を信頼しようと思いました」

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