第18話「東京アグリシティ」
菜月と志帆は、東京・渋谷にほど近い再開発ビルに降り立った。
地上30階のスマート農業複合施設「アグリシティ」の中核にあるのが、農業ベンチャー企業・アグリノートのオフィスだ。
「うわ……まるでIT企業みたい」
壁一面のガラス窓、最新のAI分析モニター、土ではなくLEDに照らされた葉物野菜の実験栽培ゾーン。
志帆が口元を引き締める。
「こういうところも、農業なんだよね。時代の“今”が、ここにある」
二人を出迎えたのは、白衣にタブレットを抱えた若き女性研究者だった。
「初めまして。アグリノート研究開発部の滝沢です。お会いできて嬉しいです」
ハキハキとした口調。知的で落ち着いた印象。
菜月は少しだけ圧倒されながらも、深く頭を下げた。
ミーティングルームに通されると、滝沢はさっそく本題に入った。
「菜月さんが育てている“白星”について、私たちは非常に注目しています。香り、糖度、果皮の薄さ……どれをとっても、市場価値は高い。特に、“幻の在来系統”という物語性も加われば、プレミアムブランドとして成り立ちます」
菜月は言葉を探した。
「私は……その、ブランドとか、まだ全然分からなくて。ただ、おばあちゃんや曾祖母が守ってきた苺が、ほんとに美味しくて。誰かに伝えたくて……」
「その気持ちが、何より大事なんです」
滝沢はやさしく微笑んだ。「でも、いまの時代、それだけじゃ広がらない。味と物語、そして“管理と知的財産”──この三本柱が揃わなければ、ブランドは守れません」
志帆が警戒気味に口を挟んだ。
「つまり、知財として“白星”を囲い込むってことですか?」
滝沢は少し間を置いて答えた。
「囲い込む、とは考えていません。ただ、今後“白星”が品種として拡大する可能性があるなら、誰かが管理しなければならない。その管理の一翼を、私たちが担えればと思っています」
菜月は思った。この人たちは決して悪いわけじゃない。ただ、私たちとは“見ている未来”が違う。
滝沢は資料を差し出した。
「これは試験的な共同研究提案です。苗の分株とDNA解析、それから一部試験栽培の委託。正式にブランド登録を目指すプロセスも含めています」
紙にびっしりと並ぶ専門用語と数字。菜月はその重みに、一瞬だけ息を呑んだ。
志帆がその書類に目を通しながら、小さくつぶやいた。
「悪くない。でも……これを進めたら、菜月ちゃんの苺じゃなくなるかもしれない」
沈黙が流れた。
その夜、二人は東京のビジネスホテルに宿を取った。部屋の窓から見える無数の光。菜月はその眩しさを見つめながら、小さくつぶやいた。
「どうしたらいいんだろう。私は……守りたい。だけど、広めたい」
志帆は黙って隣に座り、窓の外を見た。
「農業って、いつも“選択”の連続だよ。どっちの苗を残すか、どの道を耕すか。今回も、同じ。自分で決めるしかない」
そして、菜月は決意する。
「明日、返事をしよう。だけど、その前に……ひとつ、頼みたいことがあるの」