第16話「白星の記憶」
夜のビニールハウスは静かだった。菜月は小さなLEDライトの明かりで、発芽トレイを見回っていた。湿度は保たれている。温度も理想値を保っている。でも、白星の芽はまだ出てこない。
「やっぱり、無理だったのかな……」
思わず漏れたつぶやきに、「そんなことないよ」と背後から声がした。志帆だった。
「芽が出るまで、どれだけかかるかなんて、誰にもわからない。大事なのは、諦めないってこと」
志帆の言葉は、過去の自分に向けられているようだった。
彼女もまた、たくさんの失敗と、迷いを抱えてここまで来たのだ。
「ありがとう……志帆さん」
菜月がうつむきかけたときだった。
小さな発芽トレイのひとつで、ほんのわずかに土が盛り上がっているのに気づいた。
「……これ、もしかして!」
翌朝、農ガールズ全員が駆けつけた。
トレイの中には、確かに一本だけ、白くて小さな芽が顔をのぞかせていた。まるで、土の中から過去が今へと手を伸ばしてきたかのように。
「出た……! 白星……!」
菜月は涙をこぼしながら、そっとその芽に指を伸ばした。
「ひいおばあちゃん、見ててくれたのかな」
「きっと、菜月ちゃんの想いが届いたんだよ」
みのりの言葉に、皆の目も潤んだ。
その日の午後、みのりのもとに一本の電話が入った。
相手は、地元の農業技術センターに勤める、古参の苺研究員・安西。
「白星、という苺について調べていると聞きました。少し、気になることがあって……よろしければ、直接お話しできますか?」
翌日、志帆と菜月、みのりの三人で技術センターを訪れると、安西は古い書類の束を持って現れた。
「この“白星”という品種……実は、戦前に存在した“静岡1号”と非常に近い特徴を持っています。色素が薄く、果肉に透明感があり、香りが極めて強い。記録には、“幻の香苺”とも……」
「じゃあ、私のひいおばあちゃんが育てていたのは……」
「おそらく、“静岡1号”を祖に持つ在来系統。戦後の混乱で消えたと思われていたものです」
菜月の瞳が輝いた。
「もしこの系統が生きていたとしたら、それだけで研究対象になります。今後、栽培記録をつけていただけませんか?」
志帆は菜月の肩に手を置いた。
「やろう、菜月ちゃん。“幻”じゃなく、“未来”にしよう、この苺を」
その夜、ビニールハウスの小さな苗床には、育苗ラベルが一本、丁寧に差し込まれた。
そこにはこう書かれていた。
「白星 - ShiraHoshi / 菜月 No.1」
それは菜月の夢であり、農ガールズの新たな物語のはじまりだった。