第64話 意外なお誘い
次の日の早朝、本日は日曜日ではあるのだが、俺はというと昨日と同じく神屋家の稽古場で軽く体を動かしていた。
この場にいるのは俺だけでなく――
「まずは受け身から復習。羽衣、頼んだ」
無言で頷き、羽衣はローラの道着の袖を取り、そのまま足を払って地面に転がす。
「わたし……投げられてばっかり……」
「最初はそんなもんだぞ。怪我しないように受け身はきっちり覚えないとな」
少しばかり不満そうなローラではあったのだが、それからしばらく投げられ続けていた。
「すまないな。羽衣が一番ローラと体格が近いからさ」
「構いません。体を動かしたい気分でしたので、丁度よかったです」
何故に羽衣さんは、おっかないオーラをまとってしまっているのか。
「コウー! 今度はあたしと組手しよ!」
「へーい。ねーさん、よく早起きできたな?」
「たまにはね。ローラの稽古もするって言ってたし、あたしも体動かしたい」
その返答と共に、俺とねーさんの両者が同じ構えを取る。
「はっ!!」
ねーさんが接近しながら掌底を放つ。それを受け流しながら、彼女の襟を掴もうと試みるが、ねーさんの右膝が俺の脇腹目掛けて突っ込んできていた。
「なんの!」
その膝蹴りを自分の左腕で防御し、半歩踏み込む。
自身の全体重を乗せた半歩の踏み込みから、力を拳に乗せて放つ。
――バチッ!
何かが炸裂したような音が稽古場内に木霊する。
その俺の拳は、ねーさんの左掌によって止められ、クリーンヒットすることはなかった。
「怖い怖い。あの至近距離で、あんな打撃使えるんだ?」
「ねーさんこそ……、よく察知して防御したな?」
双方が距離を取り、相手を称賛してしまった。
俺ら二人が組手をするのは久々とはいえ、子供の頃とは違うところを見せることができるかとも思っていたが、あちらも成長していたということらしい。
その後、数分間の組み手をして、そろそろ終わろうかと考えていた、その時――
パチパチパチ。
稽古場の入口辺りから、拍手の音が響いていた。その音の方を向くと、アイドル達の付き添いで来ていた無精髭の男性が感心したような表情で佇んでいた。
「あ、社長さんだ」
「社長……?」
「事務所の社長さんらしいよ。昨日お風呂入ってるときに聞いた」
あの人、芸能事務所の社長さんだったらしい。
「稽古の邪魔をしてしまっていたら、ごめんね。しかし……君達二人共、そんなこともできるとは驚いた」
顎に手を当てながら、俺とねーさんを興味深そうな雰囲気で交互に視線を向ける社長さんであった。
「改めて自己紹介するよ。僕はこういう者だ」
彼は俺達に対して名刺を差し出してきていた。
「んっと……。『スマイルプロダクション』代表取締役社長、関口浩平……さん?」
ねーさんが彼の名前を読み上げると、今度はあちらが用件を口にしていた。
「君達……、都心から来たと言っていたね。うちのタレントとして活動してみないかい? アクションなんかもできそうだ」
「いきなりですね?」
「そう言わないで。うちは今、あの娘達が頑張ってくれてるけど、プロダクションとしては弱小なんだ。売れそうな子には、なるべく唾をつけておきたいのさ」
また変な縁ができてしまったもんだ。
そんな愚痴を頭の中で囁いていると、ねーさんからすぐさま返答があった。
「あたしはやめとこっかな〜。もう就職してるしね」
「俺も同じくですね。ライブに行って楽しんでる方が良いです」
特に悩む素振りもなく、きっぱりとお断りした俺達に少しばかりがっかりした表情を浮かべていた社長さんであった。
「まあ……、やるかどうかはともかく……、紹介できそうなのは一人いますが」
稽古場から出てその人物を連れてくる。
「……で? ワシを連れて来たと?」
社長さんからは老婆の姿に見えている偽ロリが、乗り気ではない顔で俺の説明を聞いている。
「だってさ……。現役Vtuberだろ。しかも人気チェンネルの」
「まあ……そうではあるのじゃが……」
困った顔をしてしまった偽ロリではあったのだが、社長さんはそのチェンネルの事を知っていたようだ。
「まさか……、『良い子の知らない世界』の配信者の方だったとは……」
「ワシもこの年じゃから……子供達に遺産の一つでもと思ってやっておるのじゃよ」
「いやー。頭が下がります。まさに生涯現役を体現していらっしゃる」
ぜってー嘘っぱちな事情を聞かされている社長さんは、偽ロリに対してまるで大先輩に接するかのように姿勢を正して一礼していた。
(あたし……ルーからクリスマスプレゼント貰ったことない)
(俺も……。ついでにお年玉もだな)
思わず、ねーさんと俺が小声でツッコみを入れてしまっていた。
「ところで……、お婆さんには霊感が?」
「なぜそうなったのかは、ワシにもよう分からんのじゃよ……。子や孫に先立たれてしもうたのが原因かもしれん……」
社長さんから目を逸らし、悲し気な顔をしてしまった偽ロリである。
実際、嘘は言っていない。御年200歳オーバーである偽ロリの子や孫世代はとっくの昔にあの世に行っている。相手を信用させるには嘘の中に真実を織り交ぜることとはよく言ったものだ。
「まあなんじゃ。こうして会えたのも縁と思って、困ったことがあれば、うちの小僧達を貸すのも良いぞ? あやつの都合が良ければじゃが」
「おい待て。何でこっちに振ってくる!? 俺はさっき断ったぞ!」
「別にタレントをやれとは言うとらん。裏方や必要に応じて通訳でもええじゃろ?」
……と、そんな提案をしてしまった偽ロリの言葉を聞き、俺の方を再び向いた社長さんであった。
「通訳?」
「こやつらが幼少の頃、ワシと一緒に欧州あたりを周っていてな。その辺の言語なら大体は話せるぞい」
「ほう……。なかなか多芸ですね……」
「ま、これはワシのスマホの番号とメアドじゃから、必要があれば連絡せい」
そう答えると、偽ロリと社長さんは連絡先を交換しあっていた。
「あまりしつこいと嫌われそうですし、今日はこの辺にしておきます。連絡先、ありがとうございました」
ペコリと頭を下げて、稽古場を後にする社長さんを見送っていた。しかし思わず偽ロリへと文句を零してしまう。
「……何のつもりだ? 俺、下手に関わる気はねーんだけど?」
「そうですよ! 兄様は確かに強くて格好良くて勉強もできて術者としても優秀ですけど、あんなのに関わる必要は無いと思います!」
「羽衣……? あんなのは言いすぎな気がするよ?」
ねーさんが羽衣に対して注意をしている。それを尻目に偽ロリは俺に諭すように語りかけてきていた。
「なに、ワシとしても全く気にならないというわけではないからの。もしもの時のための縁を作ったまでじゃよ」
「コウ? 何でそんなに不満げなの?」
俺がむくれた表情になっているのが気になったらしいローラが首を傾げている。
「何でもない。さて、朝食作りでも手伝うかな。のじゃロリのせいで大人数になっちまったし」
「兄様はお気になさらなくても良いのですが……」
「今日も予定が詰まってるから、手早くやった方が良いだろ?」
羽衣としては客人を台所に立たせるのは、あまり良い気分ではないのかもしれない。とはいえ、俺としても師匠の家で上げ膳据え膳というのはどうかと感じてしまうのだ。
「では……、遠慮くなくリクエストするからの。日本酒の風味を利かせた……だし巻き卵でも作ってくれい」
「あー。偽ロリ秘蔵の純米大吟醸を隠し味にして、泣いて喜ぶのを作ってやる」
「……それ、嬉し泣きか、悲しすぎて号泣してしまうか判断に迷うのじゃが?」
悩まし気なルーシーと共に、稽古場を後にして台所へと向かって行ったのであった。




