第180話 日常に加わったお嬢様
都内にあるオフィス街の一角。様々な商社が入っているビル群が立ち並ぶ。
つい先日、裏通りから移転した芸能事務所、スマイルプロダクションの本社もそのオフィス街に居を構えていた。
社長である関口氏とそれを支えるスタッフ。そしてタレント達も社長がスカウトし、その素質を開花させた売れっ子が多く、現在では業界からも一目置かれる事務所となっていた。
その事務所の社長室にて、関口社長ともう一人の人物が顔を合わせている。
「この度は父の勝手でご迷惑をかけてしまい、大変ご申し訳ございませんでした」
「いえいえ、芦埜さ……、伊織さんのご実家からも、ご連絡をいただきました。退所の件はなかったことにして欲しいと。何かあったのですか?」
事務所に事情の説明に来ていた柳玄は、どう説明したものかと少しばかり思案して口を開く。
「私や伊織の実家は、かなり固い家でして。私は考えが合わずに距離を置いていたのですが、父……つまりは伊織の祖父ですね。彼は伊織には京都に戻って欲しいと考えてしまったようです。それで、ああいった行動に……」
「そうでしたか。では、その方の説得をしていただいたのですね?」
関口社長からの問いに対して、首を横に振る柳玄であった。
「実はその件ですが、偶然……修学旅行で京都を訪れていた坂城君が、私の実家に乗り込んで父相手に大立ち回りをして、ついには納得するしかなかったらしいです。彼には感謝しかありませんよ」
「彼が……ですか!? それはまた……」
まさかそんな事になっていたとは全く想像していなかった関口社長は驚きを隠せずにいた。
それとは別に社長室の外で聞き耳を立てている女子が数名。
(ちょっと……、あのお兄さん。そんな事をしたの!?)
(伊織ちゃんが辞めちゃうって聞いた時は、どうなるだろって思ったけど……。お兄さんが伊織ちゃんの実家に乗り込んで説得って!?)
(これ、何かのドラマじゃないよね!? 現実にあるの!?)
などなどと、飛ぶ鳥を落とす勢いのアイドルグループ、『キラ☆撫娘』の三人は小声で話しながら、室内の様子を伺っていた。
柳玄は関口社長に対して申し訳なさそうに言葉を続ける。
「ただ……、この経緯は口外しないでいただきたいのです。坂城君は修学旅行中にホテルを抜け出して実家に乗り込みましたから。もしバレたりしたら何らかの処分が下るかもしれません。姪のために尽力してくれた彼がそうなるのは、忍びないので……」
その説明に関口社長は力強く頷いていた。
「分かりました。この件は私の胸の内にしまっておきます。伊織さんも真面目でクライアントからの評判もいい。その彼女が辞める必要がなくなったのが、彼のおかげというのなら、この事務所にとって恩人と言っても過言ではありませんから」
そこまで話すと柳玄は軽く挨拶をして退室しようとドアを開く。すると聞き耳を立てていたアイドル達と顔を合わせることになってしまった。
「君達、伊織と仲良くしてもらっているんだってね。今後とも姪をよろしく頼むよ」
「「「は……はい!」」」
笑顔で事務所から立ち去ろうとしてた柳玄は、彼女らの中の一人について、思い返していた。
(成程……。伊織の言っていた通りだ。アイドルとしては天賦と評していい。あの社長、良い人材を揃えたものだな)
そうして彼は自らの本来の仕事のために、裏路地へと消えて行った。
所変わって対策室の室長の前にて、俺は戦々恐々となってしまっていた。理由は言わずもがな。芦埜家で大暴れした件についてだ。
「さて……、今回の件。屋敷に呼び出されたまでは、まだいいとしよう……。その後の! 戦闘行為と結界干渉について、説明してくれるよなあ……!」
「ええと……。ま、まずはお土産の玉露を飲んで落ち着いてください、師匠……」
俺の返答に師匠にしては珍しく、机をバンッと叩き威圧感満載で立ち上がると、流石にマズいと思ったらしく、近くに控えていた美弥さんが止めに入っていた。
「室長、深呼吸を。それでは功君だって言いたい事も言えませんし……。それに、伊織ちゃんからの証言で、あちらにも非があったことは分かりましたから」
「ああ……。聞いた通りだ。芦埜伊織君の証言で、一般人への被害を事前に防いだこと。そして、柳玄氏が彼女に隠して随行させていた式神に、その会話も録音されていた」
あの人……そんな事をしていたのか。あの当主が伊織さんにちょっかいをかけると思っての備えとしてやってたのか。
「なので、本来なら厳罰に処するところだが……、そこまでするつもりはない……。だがな……」
とってもとっても嫌な予感がする。師匠が俺を睨んで一言。
「お前……随分と元気が有り余っていたんだなあ……。久々に私と心ゆくまで模擬戦をしような?」
「ひっ!?」
「月村とルーシーさんにはもう連絡をしてある。二人が地下演習場の結界を強化してくれているし……、思いっきりやれるぞ?」
「お……おたすけえええええ!?」
抵抗なんぞ一切許さんといった雰囲気の師匠に首根っこを引っ張られ、演習場からは俺の悲鳴が響き渡っていた。
その様子を別室で伺う人物が二人。その両名はお互い顔を見合わせてしまっていた。
「久我さん、すいませんね。色々と尽力していただいたってのに。あの馬鹿が全部台無しにしちまいまして」
「いえいえ、もう政界を引退した人間に、どこまで出来たかは分かりませんからね。むしろ良かったかもしれません」
別室に控えていた久我と呼ばれていた人物と彌永さんは苦笑するしかなかったらしい。
「流石に功の奴もお咎め無しって訳にもいきませんからね。アレがいい落としどころですよ」
「私も七年前にお見舞いには行きましたが、あの時の子が逞しくなってくれたものです」
「ええ。それもこれも、あの時、我々の声に耳を傾けてくれた久我さんのおかげです」
前室長と国の元重鎮、その二人が俺の様子でそんなのを言っていた頃、月村さんの研究室では、大爆笑が響き渡っていた。
「あの芦埜家が、自分達の内輪揉めに功を巻き込んだ挙句……、あいつが大暴れして、あまつさえ京都の古い結界にアクセスして白虎なんてのまで、よーびーだーしーたー。ぶあははははは!!」
「大笑いするところですか、それ!?」
「しかも、その理由が推し活を邪魔されるからって……。ひー! 腹痛い! あいつのドルヲタぶりで芦埜家がてんやわんやとか。あーはっはっは!!」
月村さん、俺の大暴れっぷりを耳にして、これ以上なく上機嫌となって机をバンバン叩いてしまっている。
「っていうのが……あって。コウは疲れ切って、ごめんなさいごめんなさいってブツブツ独り言を呟いて怖いし、こっちは大変だよお……」
「そ、そう……。けど、大事にならないで良かったわ。功くんもヤンチャしちゃったから、そこは仕方ないか。そっちはもう夜でしょ? そろそろビデオチャット切るわね」
ローラとイリナさんがビデオチャットを終えると、後ろに控えていたお客様、特にミシェルさんが吹き出してしまっていた。
「坂城君……。ブハッ……!? もう我慢できない! 理知的に見えていたが……リュシーの子孫だけはある! 予測不能にもほどがあるよー! はははははっ!」
「なかなか面白い子じゃない。伝え聞くリュシーにそっくり!」
「ミシェル、マリカ。マダムの前だ。少し落ち着け」
以前、団長と呼ばれた人物が二人に注意するも、当の二人は彼を見てニヤニヤしている。
「そういう団長こそ、笑いたいのを堪えているじゃないですか」
「笑ってばかりはいられん。できれば交渉を有利に進めたかったのだが、彼のおかげで半分以上は余計なお世話となってしまった。まったく、頭を悩ませてくれる」
そのお三方の様子を見ながらイリナさんも微妙な表情を浮かべてしまっていたらしい。
(本当にどうにかしちゃったんだ……。良いのやら悪いのやら)
そして当の俺はというと師匠との模擬戦をどうにかクリアし、日常に戻った……。かのように見えた。
「……伊織さん? 君、芸能人だよね? こんな所にいると、こないだのまききちゃんみたいな写真を取られるかも……」
「別にいいだろ。この部屋、怪異関係の色んな資料があって勉強になるんだ。それと姿隠しの術をしながら来てるから、一般人は誰も分からない」
現在、芦埜家のお嬢様、俺の部屋のベッドに寝転がりながら、資料を熟読中。
「それと時間がある時に、あのアメリカの姉さんとか神屋の娘とも組手したいから、調整よろしく」
「ちょっと待て。何でそんな事まで?」
「この家、色んなタイプの術者が揃ってるから」
ナチュラルにこんなの言うのは、絶対にあの爺さんの血のせいだ。間違いない。
「伊織さん、柳玄さんの電話番号を教えてくれませんか?」
伊織さんから電話番号を聞き出し、保護者へと現状を訴えることにした。
「お宅のお嬢様、距離感がおかしくないですか!? 同年代の男子の部屋に臆面もなく入ってきて、ベッドに寝転がって俺の資料本を読み漁ってます!」
「あーそうかい。伊織もあの家の育ちで、しかも通っている高校は女子校でね。男子との接し方がいまいち分かってないんだよ。情操教育の一環だと思って我慢してくれ」
「俺じゃなくても良いでしょうが!」
「そこらの男の子が伊織の相手できると思うかい? 泣かされて逃げ出すだろ。ま、坂城君ならそんな心配ないからね。頼んだよ」
それだけ言うと柳玄さんは、即座に通話を切り、面白い事になってしまったと内心笑ってしまっていた。
「伊織にとって、一番困難な道を何の躊躇もなく提示したんだ。それくらいの責任は取ってもらわないとね」
誰もいない自室でそう呟いていたらしい。
その同時刻、ベッドに寝転がり本を読んでいた伊織さんが真剣な表情で俺へと質問を飛ばして来た。
「なあ? 前に言ってた、薔薇な兄貴達にアッーってなんだ?」
あまりにも真剣な眼差しではあったのだが、俺としては詳細を述べるのを躊躇してしまう。
仕方ないので伊織さんの腕を引っ張り、偽ロリの部屋に連れて行き、お願いしてみる。
「破天荒ロリさんや。この娘の質問に答えてやってはくれまいか?」
それだけ言って、ヤツの部屋から去って十分後――
「ΨШ§ΣΘξЫИ!?」
坂城家全域に伊織さんの声にならない声が響き渡ると同時に、ドタバタと足音を立てて俺の自室に急接近する気配があった。間違いなく伊織さんだろう。
「お前! なんてものを見せてくれるんだ!?」
「いやー……。異性がやるとセクハラかなって……」
「同性でもセクハラだ! あんなの!」
そんな騒ぎの中、元からお家にいた女子達はというと、呆れた様な雰囲気となってしまっていた。
「「コウが……」」
「功にぃが……」
「「「またやってる……」」」
そんなこんなで、芦埜伊織さんが坂城家に入り浸ることになってしまったのだった。




