第179話 自分の価値
龍気を用いての今までとは比べ物にならない程の出力を以って白虎を破壊したのだが、その威力を垣間見て、呆気に取られてしまっていた。
出雲で使った時って……、あのスパルタ神は片手で防いでたよな? 力一杯やらないとダメかなあと思って、できる限りの出力でやってみたんだけど……。
素戔嗚は、ほんの一部だったとはいえ本物の神。白虎は四神のおそらくはレプリカ。その差なのだろが、芦埜の結界まで突き破るとは思わなかったのだ。
「……はっ!? この隙に逃げるぞ、伊織さん!」
「えっ!? ああ!」
幸い、芦埜家の皆さんは少ししたら目覚めるはず。そうなる前に逃げるのが得策なのだ。
そそくさと立ち去ろうとした時に、後ろから声をかけられてしまう。
「待て……」
息も絶え絶えで立ち上がった景久氏から、引き留められる。俺もそちらの方を向き、再度彼と視線を合わせる。
「すいませんが、ここは逃げさせてもらいます。白虎に関しては想定外でしたが、自分でどうにかしたので、大目に見てください」
「そんな事はいい。貴様……、何故あれを儂に使わなかった……。いや、使う素振りすら見せなかった?」
龍気の一撃があれば、自分を倒せていたかも……と言いたいのだろう。
「あのさあ、さっきのって喧嘩でしょ。命の取り合いじゃあるまいし、あんただってかなり加減してたじゃないか。じゃないと俺は一撃目で行動不能にされてるって。それに、あんなおっかないのを人に向けてやれるかよ」
「……」
その返答に対して彼は無言だった。
もう話すことは無いだろうと、俺と伊織さんは全速力で芦埜家の敷地内から立ち去ったのであった。
「いやー! スカッとした! 少しは溜飲が下がったー」
「お前なあ……! 芦埜家に喧嘩を売って、これで終わるはずがないだろ!」
「そん時はそん時だ! 対策室を抜けてでも徹底抗戦してやるさ」
その言葉を放った俺に伊織さんは呆れかえっていた。
「そんなに南木が大好きなのか!」
「ああ! 大好きだ!!」
当然も当然。質問されるまでもないのだよ。
「じゃ、俺はこれで。伊織さんも自分の宿泊先に戻んないと、事務所の人達だって心配するよ」
その場から立ち去ろうとした時、伊織さんが困ったような顔を見せていた。何か引っかかることでもあるのだろうかと、立ち止まってしまう。
「なあ……。ボクはどうすれば良いんだろうな……。お祖父様に逆らって。東京に帰って術者も辞めて表の世界に専念するのもありかな?」
「術者まで辞める必要ないだろ。ってか、別にあの家の後を継ぎたいとかなら、それもあり」
「あんなのやったんだぞ!? お祖父様が許すはずは――」
まあ、普通に考えたら勘当ものだよね、あの騒動。主に俺のせいではあるけど。
「許すとかじゃなくてさ。伊織さんが実力つけて、どうか当主になってくださいって土下座でもさせてやればいいだろ」
「そんなのできるか!?」
自分の力を全否定するような伊織さんの態度に、少しだけ物申したくなってしまう。
「芦埜家の伊織お嬢様じゃなくて、これから修行を積んで芦埜伊織の価値を認めさせてやれよ。そうすれば、あの爺さんだって無視できなくなるって。当主になるかならないかなんて、その時に決めればいい」
「そんな簡単に言うのか!?」
「少なくとも俺はそう言われて、ずっとやって来たからな。ぽっと出ができたんだから、いけるける」
七年前に昏睡状態から目覚めた後、彌永さんから諭された言葉だ。思えばアレが支えになっていたのだと、今更ながら自覚してしまう。
そのやりとりの間に伊織さんが何やら思い返しているようだった。
――なんせ俺、生まれつき魔力なんて無くても霊や怪異は視えるわ、触れるわ、話せるわでガキの頃から死ぬような目に遭ってきましたので。
(何もないところから、あそこまでの実力をつけるのに、どれだけの……)
伊織さん、俺を見ながら悲しそうな表情を浮かべている。同情されてるのか憐れんでいるのか判断に迷ってしまう。
「できると思うか?」
「やれるやれないは、実際にやってみてから判断。できなきゃ、その時に考える」
「お前って……、やっぱ馬鹿だろ。良いこと言ってるみたいで向こう見ずだし。あーあ。話してたら馬鹿らしくなった。ボクはもう行くから、お前も早く戻れよ。教員に抜け出したことバレたらヤバいんだろ?」
なんか知らんが、伊織さんがすっきりした顔をして自分が泊っているホテルへ向かって行くのを少しばかり見送っていたのであった。
俺の修学旅行が終わって少し後、京都の芦埜家には慌ただしい気配となってしまっていた。
「景久様、政府からの書状でございます……。その……」
「失礼します。その……外務省からも……連絡がありまして、対策室には手出し無用……と」
芦埜家に届いているのは、各方面からの苦言であった。国内の勢力だけでなく、海外からも外務省を通じてフランスから外圧が掛かってきたことには、使用人達も驚きを隠せていないようである。
「落ち着かんか! まったく、順に寄越せ。儂が対応しよう」
「なんだ。若いのに一杯食わされて、しょぼくれた親父殿が見れると思っていたんだがね」
突然、当主の部屋の外に現れた気配と聞き覚えのある声に、景久氏の表情は険しくなる。
「この放蕩者めが。何をしに来た」
「そんな怖い顔をしなさんな。せっかく面白いものを持って来てやったんだから」
かつて袂を分かった息子の突然の帰省。そんなものはどうでもいいと考えていた景久氏であったが、柳玄から投げ渡された資料で目の色が変わる。
「伊織が言っていたよ。あの少年、自分自身の価値を証明しろと言われて鍛えられたとね」
「あの連中も子供に酷な要求する。十で瀕死、それからは修業と任務に明け暮れる日々。一歩ずつだが着実に力を伸ばしているのが見てとれる。この資料は?」
「どこぞの狸が対策室に圧力かけるなんて言い出して、政府のお偉方を説得するために作ったものだとさ。どこから入手したかは秘密だがね」
その資料には彼の経歴から任務実績が事細かに、しかし分かりやすく記載されていた。彼が単独で当たった任務についても、彼がギリギリ達成できるものを選出して担当させたというのが、この場の両名の見解として一致していた。
――ああ。俺の場合、今の時代で生きていくために、術者としての修業が必要だっただけですから。
(その結果がこれというのならば……仕方あるまい)
景久氏は数秒だけ目を閉じ、静かに口を開く。
「同世代で、ここまでの人間が身近にいるのならば、伊織も堕落することはなかろう。柳玄、引き続き伊織の修業を頼む」
「言われなくても、そのつもりさ。私はこの家を継ぐ気なんてないからね。伊織には頑張ってもらわないと」
「まったく……貴様という奴は、姪を何だと思っている。……それと……だ」
どことなくバツが悪そうな雰囲気になってしまった景久氏は、少しばかり目を逸らしつつ、言葉を紡ぐ。
「泰白にも……、たまには顔を見せろと伝えてくれ」
「自分で言えよ、頑固親父殿。兄貴なら、親父殿より怖いのなんていないって、表の仕事もバリバリやってる。アレでも伊織の学費の工面や自分の生活を守らなきゃだからな。ま、会えたら言っておく」
「ああ。頼んだ」
歴史ある家系の当主として、これ以上を言葉にするのは、憚られると景久氏は考えてしまったらしく、その後は無言となってしまっていた。
柳玄が屋敷を立ち合った後、彼は一言を発する。
「芦埜の初代も……あのような人物だったのかもしれんな。我らが久しく忘れていた事を思い出させてくれた。それには礼を言おう」
その言の葉は京都に吹く風の中に誰にも聞かれることは無く消えて行った。




