第177話 白虎出現
――よし、こいつら潰そう。
俺のこの一言により、芦埜家当主の自室は瞬時に緊張が走る。俺が立ち上がった瞬間、敵対行動だと認識して、後ろで控えていた使用人達も俺に対して術を発動しようとお札を取り出していた。
「ぐっ!?」
颯迅足で、相手の視界から消えたように見せて使用人の一人の腹部に拳をめり込ませてやる。
その人物は腹を抑えて苦悶している。
「坂城君、良いのかね? 今ならば、まだこの無礼は見なかったことにしておくが?」
「俺もいい加減、はらわた煮えくり返ってるんですよ。せっかくの修学旅行は邪魔される。おかしな屋敷に招待される。頑固な爺様に目を付けられる。でもって……」
これだけは絶対に譲れないといった自分の想いを大声で口に出す。
「俺の推し活を邪魔する者は死……半殺しあるのみ!」
「そんな理由で喧嘩売られてるの、この家!?」
伊織さんが俺に対して驚愕しながらツッコミを入れていた。彼女からすれば信じられない理由だろう。
京都の芦埜家にこんな動機で喧嘩をする人間は、おそらく歴史上存在していないはずだ。
「貴様……! 目にもの見せてくれる!!」
仲間の一人がやられたこの場の使用人達、そして騒ぎを聞きつけて、屋敷中から術の心得がある人間達が当主の部屋に集結しつつある。
「火燐塵!」
使用人も五行の心得があるらしい。自分の魔力を火の属性に変え、それを俺に対して放っていた。十数発の小石程度の火がこちらの顔面を捕える間際に颯迅足で躱して距離をとり、そして自由に動くために庭先へと移動する。
「流石は芦埜家。庭も広いこと」
自宅とは比べ物にならない広さに、大きな池まであるような庭に改めて圧倒される。
「相手はたった一人だ! 取り押さえろ!」
「これみんな五行使い? 魔力を火に出来るなら物理干渉とか関係なく攻撃できるよなあ……」
俺を取り囲む人数は、ざっと見て二十人くらい。京都の名門だけあって、使用人でもレベルが高い。
ある者は術で、またある者は近接戦闘での波状攻撃が俺を襲う。普段から鍛錬を積んでいるのがよく分かる練度の人達であった。
(後ろは池。逃げ場はない!)
使用人の一人が俺を捕えようと池を背にする俺に飛び掛かって来ていたが、構わずに俺は前を向いたまま後方へと飛ぶ。
「馬鹿が! 池に落ちてしまえばすぐには動けまい!」
「馬鹿はそっちだ。ばーか」
前を向いたまま池に落ちる刹那、俺は足裏の『風』で水面を滑るように移動。池の反対側に着地する。
「ほう。神風の技は、あのような大道芸もできるのか」
俺の動きを興味深そうに観察している景久氏であったが、使用人達が手玉に取られている光景には思うところがあったらしい。
「どれ、久々に儂が出るとするか」
その宣言と共に、景久氏はゆっくりとこちらに歩み寄っていた。その姿は老いたりとはいえ、この国でもトップに君臨する術者のそれだ。
「小僧、その意気だけは褒めてやる。だがな、この人数に儂を加えてどう立ち回る?」
「はっ。やることなんざ一つ。……とりあえずぶん殴る!」
高速移動を使用して一瞬で間合いを侵略。そのまま顔面に拳を叩き込もうとするが、何やら岩石の様に硬い感触が拳に伝わってくる。
「若手随一というのは、その通りだろう。君と同じ年の儂とて、ここまではできんからな。……だが、まだ青い!」
自分の右拳を掴まれている反対側から、まるで鉄球で殴られたような衝撃が繰り出され、吹っ飛ばされてしまった。
咄嗟に左腕で防御するが、その腕は痺れてしまいうまく動かせない。
「五行の金……か」
「一撃でそれを見透かす君の観察眼も悪くはない。ならばどうするかね? 今ならば謝罪で済ませてやってもよい。若気の至りということでね」
こんのジジイ、性格悪いくせして術者としても超一流じゃねえか。伊織さんとは比べ物にならない五行の属性変化の速度。相殺する隙も無いなんて。
「その謝罪ってのは俺一人の謝罪じゃねえだろうが。師匠達も引っ張り出して、対策室として謝れって話だろ!」
「当然だろう。これでも未成年の君に気を使っての提案なのだ。保護者が謝罪するのは筋が通っているはずだが?」
俺の短気で喧嘩して負けた挙句、師匠に謝らせるとか顔向けできないどころじゃない。
「嫌なこった。やるなら俺を好きなだけボコれよ」
それを聞いて、溜息をつきながら接近してくる景久氏と俺の間に伊織さんが割って入ってくれた。俺に背を向けて自分の祖父と対峙している。
「伊織、何のつもりだ?」
「お祖父様、ボクだって黙って見ていられません! ボクを戻したいなら、裏でコソコソ工作しないで首根っこ引っ張るくらいしろ!」
それは彼女なりの精一杯の抵抗だったのだろう。自分を好きにしたいのなら、実力で黙らせろと。東京の仕事仲間には手を出させないとの宣言だ。
「だ、そうですよ、ご当主様。お孫さんも喧嘩する気満々みたいです」
とはいえ、この化け物みたいな実力の爺さんと、周りには使用人が沢山。質も量も俺達を上回っているとか、打開策が見つからない。
「なあ、あの魔力封じは使えないのか?」
「無空界鎖? 使えるけど、俺を含めて全員が術が使えなくなるからな。多勢に無勢だと結局のところ、不利は変わらないんだよ」
伊織さんも無空界鎖を一度見ているので、そういった案を出したのだろうが、この状況ではまったくの無意味なのだ。
「じゃあどうする? はっきり言って、お祖父様にはボクとお前の二人がかりだって勝てないぞ?」
そんなのは分かり切っているのだ。打開策がない。俺達のこの状況ではどうしようもない。
そんな一秒にも満たない思考の中、俺の目に視えていたのは平安京だった頃、当時の高名な術者によって張られた、現代でも稼働している結界であった。
「……どうせ、どうにもならないなら……、あとは野となれ山となれ……だ」
その一言と共に、地面に膝をつく。
京都の内部にあるこの芦埜邸も、あの結界の中に存在しているのだ。そこからあのブラックボックス結界に無理矢理なアクセスを試みる。
「ふざけてる。ふざけ過ぎてる!? 何をどうしたら、こんなおかしな結界を構築できるんだよ!?」
海を目指していたのに、いつの間にか近くの山いたなんてのは優しい例えで、何でか知らないがエベレスト山頂にでも迷い込んでしまった様な理解不能な結界だ。
「坂城、どうした!?」
伊織さんもいきなり膝をついておかしな言葉を発してしまった俺を心配していた。
「けどな……、いきなり干渉されたら、なんかあるだろ、これは!」
結界を構築している魔力に自分の魔力を無理矢理に流してやる。
それに呼応するように、芦埜家の庭の空間に裂け目が生じていた。その光景に俺達だけでなく、景久氏も使用人達も見入っている。
「白い……虎?」
伊織さんがその姿を確認して、思わず呟いてしまっていた。俺だって、こんな大物が現れるなんて思ってもみなかった。
「四神……、それとも十二天将か? 術者が作り出したレプリカだろうけど、白虎が出てくるのかよ」
目の前の白虎からは出雲で出会った素戔嗚ほどの威圧感は感じない。だが、千年前に存在したとされる凄腕の術者が作り出した式神の一体には違いないため、この場の誰よりもその力は上回っている。
「グルルルルッ!」
出現した白虎は周囲を見渡し、唸り声を上げながら近くにいた使用人達に襲いかかっていた。
「何だこれ……ガッ!?」
「来るな! 来るなあ!?」
白虎の牙や爪は容赦なく使用人達に突き立てられる。彼らも術で対抗してはいるが、そんなものは塵芥に等しいとばかりに効果はない。
白虎の攻撃対象はこの場の全員であるらしく、俺達に対しても向かってきていた。
「よっと。伊織さん、捕まって。高速移動で何とか回避は出来る」
どうやら白虎の攻撃は物理干渉というよりは、精神に作用して傷つけられた感覚を再現するものであるらしく、使用人達に死者は出ていない。
だが、それはあくまで普通の人間の話。俺の生来の体質には最悪の相性となる。
「これ、俺が喰らったら一発で即死するヤツだ」
とりあえず盤面を混乱させることには成功したが、今まで以上に厄介になってしまったこの状況をどうするか、白虎から距離を取りつつ、その策を考えるしかなかった。




