第175話 当主との対面
京都、芦埜邸――郊外に存在する広大な森林の中心に存在する、京都でも有数の歴史を誇る家系であり、現代においてもなお政財界に影響力を持つ一族の本拠地である。
所在地だけは有名なので、京都にはあまり縁が無かった俺でさえ森の入口に辿り着くのは難しくはなかった。そこまでは……だが。
「この家の人間は代々性悪なのか? この土地全部、侵入者を迷わせる結界じゃねえか!」
自宅の結界は怪異や霊に対してだけ、敷地内に立ち入った存在に重圧をかける。
だが、この芦埜家は土地そのものを利用した迷路として機能するものだ。正しい道順を選ばなければ、同じ場所をグルグル回ってしまうとかの類のものなのだ。
「俺だって、同じようなことは個人でするけどさあ……。戦闘とか市街地の建物使って。けど、広大過ぎないか、これ……」
迎えも寄越さず、こちらに足を運ばせて、こんなのを見せびらかそうとする辺り、今までのやりとりで分かってはいたが、あの爺さん絶対に性格が歪んでる。
「これは……、アレだな。ここで帰ったら嫌味。結界突破できなかったら嫌味。しかも俺だけじゃなく対策室含めて批判されるヤツだ」
もうここまで来たなら仕方ない。覚悟を決めて結界を突破するしかない。
これから起こるであろう物事を想像すると、絶対に足を踏み入れたくはないが、そこは我慢して、重い一歩を踏み出すしかなかった。
森へ入って数分後、すぐさま違和感に襲われる。自分の方向感覚と距離感が信じられなくなる感覚。この手の結界にありがちな対象者の五感を狂わせている状態だ。
「富士の樹海じゃないんだからさあ。どんだけ敵が多いの、この家」
さて、そんな文句を言っても始まらない。結界の解析をしてもいいが、それだと時間が掛かるうえに京都全土を覆う結界も視てしまい訳が分からなくなるので、あまりやりたい手段じゃない。
「最近、魔力糸に縁があるな。複雑な操作をするわけじゃないから、長時間使うのも問題ないはず」
そうして魔力糸を構築。結界となっている森の木々には薄いが魔力を纏わせている状態なので、その中の一本に『糸』を括りつけて、芦埜家母屋のある方向へと進んでいく。
「……約50メートルで同じ場所に戻ってしまうループ型か」
この手の結界は別の場所へと誘うもの、グルグルと同じ場所を周ってしまうものなどあるが、今回のこれは後者らしい。
「じゃあ……糸を同じ長さに固定したまま違う方向に進む……っと」
この状態で進んだまま『糸』の長さが足りなくなれば、芦埜家へと近づいている証左となる。
前進したのを確認したところで、別の木にまた糸を括りつけて、同じことを繰り返す。
もちろん、最初に糸を巻き付けていた木と、前進した際に違う木に括り付けた糸は繋がっているので、万が一迷った際の目印としても作用する。
あと、警戒すべきは森の中に隠れている可能性がある芦埜家配下の刺客。そして、あの当主と対面した際の余力。それも想定するなら魔力糸を使って消費を抑えておくのが最善だろう。
「さて、急ぐとするか」
俺が結界を抜け出す道順を確認しながら、芦埜家へと向かって十数分後、伊織さんは自身の祖父である芦埜景久氏と対峙していた。
「お祖父様! 事務所に退職の連絡をしたってどういうことですか!?」
「聞いた通りだ。お前があのような仕事をする必要はない。あんなもの何になる」
伊織さんは同行していた事務所スタッフからその事実を聞かされて、激昂しながら景久氏に詰め寄っていたものの、それを赤子の癇癪とばかりに受け流されている。
「勝手な事をしないでください! 先生の許可は取っています!」
「柳玄めが、何を血迷ったのやら。アレは腕だけは確かだからこそ、お前の修業をさせるのを黙認していたというのに」
「先生はボクのことを考えてくれています! 余計な口出しは無用です!」
「それで? その柳玄の元にいても、神屋の弟子に遅れを取ったそうではないか。やはり、お前はここで修行を積むべきではないのか?」
その指摘に伊織さんは悔しそうな表情を浮かべ、何も言えなくなってしまっていた。その胸中は確実に穏やかではないだろうと想像に難くない。
「あの小僧が言っていたことは真だったか。いいな、お前は余計な事を考えずにこの芦埜家の跡取りとして修業に励め。それが最善だ」
伊織さんができるのは、俯いて肯定しない事だけだった。人脈、実力とも自身の祖父には逆立ちしたって敵わない。それを骨の髄から理解しているからこその、精一杯の抵抗がその態度であった。
伊織さんが俯いて無言のままで数十秒。部屋の外から使用人らしき人物の慌てた声が響いていた。
「待て! 景久様は会談中だ。勝手に入室は控えてもらおう!」
「その当主に呼び出されたんだ。文句は言わせない。……どけ!」
部屋からは怒気を孕んだ声と共に、使用人、そして景久氏まで威圧する気配が伝わっていた。
「ふむ……。来たか。思っていたよりも早かったな」
一人、静かに納得していた景久氏は正面に見える襖が勢いよく開けられ、そこに現れた俺の姿をいやらしい笑みを浮かべて眺めている。
「今回は、俺の様な若輩に素晴らしい歓待をありがとうございます。森の結界、そこに隠れて襲ってくる刺客、ついでに屋敷の使用人の方々による足止め。全部クリアさせていただきました」
「はっはっはっ。威勢が良い。気に入ってくれたようで何よりだ。対策室、いや日本において若手では並ぶ者がいないというのは、過大評価というわけではないようだ」
互いの視線が交差し、慇懃無礼なやりとりをしている俺達を垣間見て、伊織さんからは緊張している気配が伝わってくる。
「では、伊織の隣に座りなさい。お茶を用意しよう」
「お茶漬けでもいいですよ。すぐに帰りたい気分ですので」
「そうもいかん。ゆっくりしていくといい」
先程とはうって変わり、和やかな雰囲気となってしまったが、俺としては嫌味の一つでも言ってやらないと気が済まないので、京都風にお茶漬けを所望してみたのだが、当然のようにお断りされてしまった。
見るからに金がかかっていそうな当主の部屋に、これまた芸術品の様なテーブルを挟んで正面には景久氏。隣には伊織さんが座っている状態だ。
そして、客人でもあり侵入者でもある俺に対して警戒しないはずもなく、使用人が数名後ろに控えていた。当然、彼らも術者である。
「さて、坂城君。伊織と一線交えたそうだが、神屋の弟子である君から見て、孫娘の腕はどう見るかね?」
おい、そこは神屋さんだろうがよ。別段親しいわけでもないのに、呼び捨てとか失礼にも程がある。
ここで怒りに任せてしまえば、師匠の立場も悪くなる。文句は口の奥にしまって、質問にだけ簡単に返答をする。
「大したものだと思いますよ。五行は五属性を操る関係上、修得の困難さで知られていますから。それを相手に合わせて瞬時に展開するのは、並の修業ではできません」
「だが、君には敗れた。どんな手を使ったのかね? これでも伊織の才はかなりのものと自負していたのだよ」
「それはご本人に聞けばいいでしょうに。わざわざ俺に言わせて、伊織さんを責めたいんですか? お前の対応力不足だと」
俺の一言一句を聞き漏らさずに、観察するような視線を向ける景久氏の気配。
これはあの日、伊織さんと初めて会った際、柳玄さんから感じていたものと同質のものだ。
「簡単に誘いには乗らんか。年の割に相当な経験をしているようだ」
当然。何でそっちのペースに合わせてやらないといけないんだか。
それよりも気になるのは伊織さんの方だ。俺が来る前に何を言われたかは知らないが、ずっと俯いて無言のままだった。
「まったく……、親子二代で神屋の系譜に敗れたのだ。伊織にとっては気が気でないであろうさ」
親子二代? 何のことだ?
その疑問を察するかのように景久氏は静かに口を開いていた。




