第170話 回想~京都到着
四年前――
まだ彌永さんが室長であった時期。俺が中学上がりたての頃に師匠と共同で護衛任務をしたことがある。
当時は俺が一人で任務をこなし始めた時期とはいえ、美弥さんが産休に入っていたのもあり、実務に当たれる人数については差し引きゼロ。
むしろ美弥さんという腕利きが一時的に離脱していたのは、実質的にマイナスと言って差し支えない状況だった。
「だってのに……、二人で任務をする必要はあるんですか、師匠。護衛対象は一人だけですよね?」
その俺の問いに対して、師匠は困ったような表情を見せていた。俺がこういった任務の経験が無かったのもあるのだろうが、どう説明したものかといったところだろう。
「護衛対象だけを考えるならな。今回、護衛をする政治家の先生はかなりの重鎮だ。彼に降りかかる呪いだけなら、私一人で事足りる。さてその次は……、もう教えておいたはずだが、覚えはないか?」
師匠が俺の答えを待っている。少しばかり頭の中で知識を検索してその回答を口に出してみる。
「確か……、呪いを逸らしたりすると……、血縁者に行く可能性がある?」
「ああ。だから今回、私は先生の護衛。お前は後詰めとして、先生の血縁者、息子さんやお孫さんの方を当たって欲しい」
念のための布陣という事らしいのだが、それとは別に今回の任務、あまり良い感情が湧いては来なかった。
「……そこらの怪異より人間の方がタチ悪くありません? そんな呪いまでして他人を陥れようとか」
「まあな。お前の言いたい事も分からなくはない。が、こういった仕事をするのも大事だぞ。対策室の仕事は個人では成り立たない。国の機関としては、偉い人達の覚えも良くなっていかないとな」
「はあい。じゃあ俺は……息子さんのお宅に向かいますね」
「ああ。あちらには話を通してあるから、気を付けてな」
師匠の言葉に頷き、俺は自身の護衛対象の元へと向かった。
「マックス、お兄ちゃんと遊んでもらお?」
「わうわう!!」
俺はというと護衛対象のお宅についてすぐに、政治家の先生のお孫さんと、その愛犬であるゴールデンレトリバーのマックス君の手荒い歓迎を受けていた。
大型犬であるマックス君は、その体格を持って俺に突進。その勢いたるや、ちょっと前まで小学生だった俺なんて簡単に倒されてしまったのだ。
「あ、あのね? お兄ちゃんはお仕事があるからね?」
「え? だって、僕達と遊んでくれるんでしょ?」
……もしかしなくても、子守りでここに来ることになってたのか!? それは一言あっても良かったのでは!?
「じゃあさ。もう夕方だし、お家の近くをぐるっと回ってお散歩する?」
「うん! 行く!」
「わうー!」
お孫さんとマックス君はノリノリで俺と一緒に散歩……と言っても本当に邸宅の周りを歩いただけだが、子供の足では丁度いい距離だったらしく、満足してもらえたらしい。
マックス君は大型犬ということもあり、もう少し歩きたかったようだが、抱っこしてなんとかお家に入ってもらったのだった。
「マックス君はふっこふこだなあ」
「わうーん」
かなり人懐っこいワンちゃんであるらしく、抱っこされてご満悦のようだ。
とりあえず、家の周りには魔力糸を張り巡らせたけど……。
その張った糸を即席の感知装置とする算段なのだが、ここ最近、子供の頃から使っていた魔力糸の操作が辛くなってきている自覚がある。
繊細な操作が長時間できなくなってきたのと、糸から伝わる感触が鈍くなってきてる感覚だ。
「るーばあは、子供の内なら大丈夫……とか言ってたけど……」
おそらく、これを見越して俺を師匠達の所に預けたんだろうけど、言葉が足りなすぎるんだよ、あの偽ロリは。
その数時間後、お孫さんとマックス君も寝静まった夜更けだったのだが、マックス君が突然目覚めて、先程とはうって変わり唸り声を張り上げていた。
「ウウウウッ!!」
「マックス君も分かるのか? 俺の『糸』にも反応があった。師匠でも対処しきれないくらいの相手? マックス君は下がっててな」
「わううん!」
俺の言葉を理解しているかのように、マックス君は俺の後ろに下がりながら警戒してくれている。
そうして姿を現したのは怨念の塊と表現しても過言ではない犬の怨霊であった。
「犬神……か」
犬神――犬を首だけ出して地面に埋め、犬から届かないギリギリの場所に餌を置き、飢えさせる。その犬が餓死する直前に首をはねて、その首を媒介として作り出すと言われている。
古来から呪いに使われてきたと聞いたことはある。その存在そのものを垣間見たのは初めてではあるのだが、俺には恐ろしい、禍々しいなんて気持ちは微塵も沸いては来なかった。
「―――!」
マックス君の鳴き声や唸り声とも違う呪詛が混じったような声にならない声を発している。
師匠が言っていた通り、あちらの護衛対象の血縁者を狙っているのだろう。犬神というだけあって、そういった部分での鼻も利くはず。
「ごめんな。少しだけ大人しくしていてくれ」
そうして部屋中に張り巡らせていた魔力糸で、犬神の磔にするようにして動きを封じる。あちらは何が起こったかも分からずにもがいている状態だ。
「マックス君? 君のご飯とお水を少し貰っても良いかな?」
「わう? わん!」
俺が何を言いたいのか分かってくれたらしいマックス君は、俺を案内する様に自分のフードと水がある場所まで連れてきてくれた。
「ありがとな。我儘を聞いてもらって」
「わう~。わうわう」
お礼を言いながら頭を撫でてあげると、マックス君もご満悦のようだった。
そのフードと水を持って、さっきの犬神の所に戻り、そばに置いてあげながら語り掛ける。
「さ、これどうぞ。お腹すいてたんだろ? 食べれるかは分からないけど」
犬神の頭を撫でながら、『糸』を緩めてやる。
最初は敵意しかない瞳をしていた犬神だったが、右手で撫で続けながら、左手でフードを持ち、彼の口に運んでみた。
「……きゅーん……」
力なく鳴く犬神の声を聞いて、彼を目にした時に感じたものは正しかったと確信する。
「お腹空いてたし、喉も乾いていたんだよね? ごめんね……」
そう言うと犬神はフードを食べられないながらも、がっついている様に視えた。そのうち満足したのか俺の掌を舐め回している。
「あとで……ちゃんと送ってあげないと。あ、そうだ!」
自分でもどうかとは思うが、スマホを取り出して地図を画面上に映し出す。
「ねえ。君、どこから来たの? 教えてくれないかな?」
この犬神君だって、敵側の使い魔なので質問しても答えが返ってこない、またはそもそも俺の質問が理解できない可能性もあった。
だが、犬神君は画面をマジマジと見詰めてから、俺の手を咥えて地図の場所を現在地から移動させていた。
「わうん!」
「ここ?」
「ガウ!」
元気よく返事をして肯定しているのが一目で分かる。そのスマホでそのまま師匠の元へと連絡を取った。
「――と、いうわけで……こちらに現れた犬神君からの情報では、その場所に敵方の術者がいると。ただ、相手方の使い魔からの情報提供ですので、念のため罠の可能性も考慮した方がいいかと」
「そ、そうか……。私は対策室に経緯を報告してから、その場所に向かってみる。代わりと言ってはなんだが、先生の護衛と……こちらで捕縛している犬神を送るのを頼めるか?」
「はい。それは構いません。師匠もお気をつけて」
そこまでで俺達は通話を切り、師匠は現地へと向かって行った。
(あんな怨念まみれの犬神ですら、功にとっては苦しんでいるだけの犬でしかない……か。まったく、戦うだけが能じゃないというのを再認識させられる)
その後、師匠は敵方の術者と対峙して見事に勝利。その術者と依頼者はかなりの損害を受けたというのを、しばらくしてから聞かされた。
「ぐう~。すぴ~。……入ったか」
なんか昔の夢を見ていた感じだったが、乗っていた新幹線が京都に入った瞬間、平安京だった頃に張られた結界を通り抜けて不快感に襲われる。
おそらくは怪異や悪意のある術者に対する警告も兼ねているはずと月村さん辺りは予想していたやつだ。
俺としては堪ったものではないのだが。
『まもなく京都です――』
結界を抜けて少しして、そんな車内アナウンスが響き渡っていた。
「よし。気を取り直して修学旅行を楽しむか」
「なんだ? 坂城、自由行動はどこ行く?」
「それは……、その場のノリでだ!」
そんな他愛のない会話をしながら、俺達は京都に降り立ったのだった。




