心の形
宿の布団に羽衣を寝せて、カズさん達と主に彼女を見守っていた。
カズさんや駄蛇も心配そうに羽衣を眺めている。
「ガキ、娘は大丈夫なんだろうな?」
「そうヘビ。あのクソ神のいう事を信じるヘビ? 叩き起こした方が良いんじゃないヘビ?」
二人の懸念も最もだが、それをしてはいけない。おそらく、今の羽衣は、素戔嗚によって自分自身を見直している最中のはずだ。
「おい、その極式ってのは何なんだ? 普通の神風の技と何が違う?」
「極式、それは――」
カズさんの問いに静かに答える。羽衣は自身だけの神風を手に入れる戦いを始めているのだと。
羽衣が目を覚ますと、そこは何もない真っ白な空間だった。どれだけ広いのか想像もできない程の空間に思わず身構えてしまう。
「確か……蛇に素戔嗚って呼ばれていた存在に触れられて……」
意識を失う前の出来事を思い出し、周囲に声を掛けていた。
「兄様ー! カズさーん! へびー! いませんかー!」
大声で呼びかけても木霊するのは自身の声のみ。何度、叫んでもそれは変わらなかった。
困り果てて、真っ白な地面を向いてしまう。
その後、気を取り直して前を向くと見覚えのある少年の姿があった。
「兄様もここに来ていたんですね? 聞こえていたなら、返事をしてくれても――」
一人でこの場所に飛ばされたと思ってしまった彼女は、満面の笑顔で彼へと近づく。だが返って来たのは言葉ではなく、鋭い一太刀であった。
前髪を数本斬られながらも、反射的にその斬撃を躱す羽衣の表情が険しくなる。
「あなた……、兄様ではありませんね? 何者ですか?」
「……」
その問いかけに対して無言のまま刀を構える少年に対し、羽衣も臨戦態勢をとる。
(この空間……、特殊なものには違いないようですが、まずはアレを倒さなければならないようですね)
その思考をした直後、少年が烈風のような速さで彼女へと接近する。その突き出された刀が自身の喉元へ至る刹那、颯迅足の高速移動にて、間一髪でその危機を回避する。
(速い……。先日の本物の兄様と相違ないくらいの動きでした。偽物のくせに)
偽物の動きに内心は驚愕しつつ、羽衣は距離を取る。刀を構えて風の技を発動させる。
「三式、鎌鼬乱舞!」
複数本の真空波を放つが、それが全て見えているかのように、紙一重で躱されてしまう。
真空波は発生時に音はすれど、視認不可能な刃なのだ。それを当然の様に避けられて動揺を隠しきれなかった。
「この観察力と対応能力は……偽物とはいえ、兄様と同じ!?」
その動揺なんぞ、まるで関係ないとばかりに偽物の斬撃が頬を掠る。偽物とはいえ、本物と同様の実力を持つであろう敵対者を垣間見て、震えが止まらなくなってしまった。
(わたしが……、勝てる? 兄様、いえ……お父様達が持ちえる技術を注ぎ込んで鍛え上げた坂城功に……)
その認識は羽衣にとって絶望でしかなかった。
父がたまに実家へ帰るとよく聞かされていた。彼の成長と対策室での仕事ぶりについて。聞くたびに自分はまだまだだといった感情が先行していたのも確かで、先日の模擬戦の際でも勝つことはできなかった。
自分は家に伝わる風薙斎祓の一式から七式を全て扱っているというのに、彼は基礎しかできず、技の展開時間も1秒程度にも関わらず……だ。
「兄様の強さは、ただ強いだけじゃない。それは、圧倒的な鍛錬と実戦で培われた才に依存しない力……」
それがどれほど絶対的な壁であるのかも理解していた。今の自分では彼との戦いにおいて、勝利の一手を構築する手段が思い浮かばない。
それだけ彼の戦い方は隙というものが存在しないのだ。
キィーンと刃がぶつかり合う音だけが周囲に響き渡る。流麗にして苛烈、止まることのない斬撃の雨の中で羽衣は防戦をするしか手立てが無かった。
(何でこの人は……こんなにも強いの?)
斬撃を受けながら、羽衣は、その力に対して畏怖を覚える。自分と一歳しか違わない少年は何で、ここまでの力があるのか……と。
「それでも……、負けるわけには!」
そうして羽衣は自身の持ちえる技の全てを繰り出すが、彼には読まれている様に、悉く外されてしまう。
どれだけの時間がたったのか、彼女の全身からは汗が吹き出し、呼吸も荒くなっていった。
「はあ……はあ……」
それでも、それでもと羽衣は収斂を始めて、魔力を集め等とする。しかし――
「魔力が……、神気が出ない……!? 無空界鎖まで!?」
それは羽衣にとっては底なしの絶望であった。唯一、自分が彼より優れている風薙斎祓すら封じられてしまったのだ。
無空界鎖には制限時間があるとはいえ、その間は彼より劣っている直接戦闘で戦う他なく、それをすれば間違いなく負ける。
その予感だけは外れることは無いと羽衣は理解してしまった。
「いや……。いや……。来ないで……!」
辛うじて彼へと向けている刀がカタカタと震えている。もうどうしようもない。ここから勝利する手段が思い浮かばない。彼女の中にあるのは、純粋な恐怖だけだった。
だが、相対する彼が襲ってくることは無かった。
敵意を感じなくなったからなのか、戦う必要もなくなったのか。その少年は悲しげな表情を覗かせている。
(来ない。何で……? でも、あの顔は見たことがあります……)
子供の頃、神屋家で過ごしていた彼が、ときどき見せる寂しげな顔。その頃を思い出すと、目の前の少年も当時の姿となってしまう。
そして、羽衣に対して、こう問いかける。
「ねえ。何でぼくは人と違うの?」
「えっ?」
「僕は何で『普通』じゃないの?」
その問いは羽衣にとって、全くの予想外であった。
意を決して、ゆっくりと子供の姿になってしまった彼へと近づき、その顔を間近で見ながら涙を流してしまった。
――何で……か。だって良いだろ。何もかも平等な領域って!
先日の模擬戦が終わった後での彼が答えた言葉は、そのままの意味だったのだと今になって理解してしまったのだ。
「気付いてあげられなくて、ごめんなさい! ずっと知ってたはずなのに、分かっていたはずなのに!」
謝罪の叫びと共に、彼を抱きしめる。
風薙斎祓、外式。『無空界鎖』は、彼の普通でありたいという願いが形作る、神秘の力が全くない空間だった。
「何で泣いてるの?」
「ごめんね。けど……、これからは……わたしが貴方を守りますから」
愛おしそうに、子供を抱きしめる彼女はそのまま目を瞑ってしまう。
そして、次に見えた景色は――
「……あれ? お部屋じゃない?」
どこか寝惚けたような声を出しながら羽衣はゆっくりと体を起こす。
傍らにはいつもの兄様の姿があった。
「羽衣! 大丈夫か!?」
「うっ……、うわあああああん」
「何があった!? あんの時代錯誤なスパルタ神か!? 今から神社にカチコミしに行ってくる!」
いきなり泣き出した羽衣を慰めるように、そう言い放つ彼がどこかに行かないように、ギュッと抱きしめる。
「違います。違いますから、落ち着いてください」
涙を拭いながら、止めて来た羽衣に何も言えなくなってしまったようだが、この光景をにやけ面で観察している視線が二人分。カズさんと駄蛇のものである。
「「なーかせたーなーかせた(ヘビ)」」
「お前らここ数日、仲良過ぎないか!? 」
「さっきまで、部屋をウロウロ、素戔嗚の野郎、覚えてろとか言ってたヤツが何抜かす」
カズさんに悪態を突かれてしまい悔しそうに黙っていた兄様を、泣き止んだ羽衣もクスクスと笑いながら見守っていた。
(わたしの極式、心の形。それは――)
彼女は目を閉じ、自分の中に芽生えた決意を胸にしまって決意を固めていた。




